第6話 元引きこもり令嬢と卵の殻

「私は″患者を連れて来てくれ″って言ったんだ。オルフェリア嬢自身が患者になれとは言ってないぞ」


 気がついた時には自室のベッドの上にいて、グランツ医師の顔が目の前にあった。


 私はどうやら気を失っていたようだ。


 私は、落石が当たる直前、殿下が引っ張ってくれたおかげで直撃は免れたらしい。

 だけど、その時のショックと限界を超えた体調のせいで意識を失ったとのことだ。


 そんな状態の私を殿下はかかえて王都まで戻って来てくれた。


 途中で近衛兵が何度も代わろうとしたけれど、殿下は頑として譲らなかったという。


「左肩は骨にヒビが入ってる。丸二日も目を覚まさないほどの高熱だった。しばらくは絶対安静にして貰うぞ」


 どうりで痛かったわけだと、どこか他人事のように聞いていた。そういえば衣服も寝間着に着替えている。誰が着替えさせてくれたのかな、とか考えていて、ずいぶんと精神力が鍛えられた自分に苦笑していた。まあ一日で一年分以上の恥ずかしい思いをした気がするから、そうなってもおかしくないかな。


 私は変装していたため、私が外出していたことは表沙汰にはならなかった。ブランシェール公爵家には完全にバレてしまったけど、殿下が上手く説得してくれたらしい。


 けど殿下はそうもいかず、無断外出の罰として、一か月の謹慎処分が下されたそうだ。


 ただ、まあ普段から品行方正であるから、だいぶ軽い処分で済んだ、というのが私は救いだった。


 ルカちゃんは無事…でもないけどちゃんと生きて救出された。馬車の事故で命が助かっただけでも奇跡的なのだが、グランツ医師が言うには投薬があと一刻でも遅かったら危なかったそうだ。


 本当にどれだけ殿下に迷惑をかけて、助けてもらっただろう。


 命を救われただけじゃない。


 私の失敗も、勝手な行動も、全部かばってくれた。


 謝りたくても、殿下は謹慎中。


 その間、私は何度も手紙を書いては破り、会いたい気持ちをどうにか押し殺していた。





 そして今日。

 ようやく、一ヶ月の謹慎が解けた。


 私の怪我も体調も完治したし、面会許可が降りたと聞いて、気づけば駆け出していた。


 思いつく限りの感謝の言葉と、謝罪を口にしたが、殿下は一言、無事で良かった、とだけ言ってくれた。


 それを聞いてまた、私は泣き出してしまった。





「ただ、オルフェの友達が男だとは思わなかったな」


「えっ?あれ?お伝えしていませんでしたか?」


 思わず素っ頓狂な声を出してしまった。

 そう言えば、言ってなかった気がする。

 ルカちゃんは男系血筋が途絶えた公爵家に、遠縁の男爵家から養子に行ったのだ。


 私の中では当然のことだったため、殿下に説明するのをすっかり忘れていた。誤解させてしまっていたのかもしれない。


 だけど殿下の次の言葉に、私はまるで頭を殴られたような衝撃で固まってしまった。


「だから……オルフェとは、婚約を解消しようかと思っている」




 *




 僕は別に聖人と言うわけじゃない。

 ただ人よりちょっと世渡りが上手いだけだ。

 王位継承権を破棄した時だって、もともと周囲が勝手に持ち上げていただけで、国王なんて面倒なことはやりたくなかった。

 だから兄上の為、派閥争いを無くす為、のような言い方をして破棄をしたにすぎない。国王なんてそんなもの兄上がやりたいって言うなら兄上にやらせておけばいいじゃないか。それだけの話だ。美談みたいにしてるのは周りの人間だ。


 オルフェリアのことだってそうだ。僕だって男だから、婚約者に対して格好つけたいし、公爵家の人間の命を助けたということであれば相当な恩を売れるだろう。グレイモア公爵家と王家はあまり良好とは言えない関係だ。それを改善できるというのなら、無断外出の罪なんてお釣りが来るぐらい安い。助けられなかったとしても十分なアピールになるだろう。

 まあ、つまりは全部下心だ。


 オルフェリアの事は婚約前から良く耳にしていた。


 妃教育は礼法・言語・政務補佐・宗教儀礼どれも完璧。特に言語は普通三ヶ国語のところを四ヶ国語覚えている。


 乗馬の大会では落馬して優勝はできなかったようだが、そもそも男性騎士の部に出るぐらいの腕なのだ。


 楽器の演奏も三つの楽器を演奏できる上に頭ひとつ抜け、貴族院での総合成績なんて歴代一位だ。


 感情を抑えるのと社交はちょっと苦手なようだけど、それを補って余りある才能で、その努力と優秀さは、素直に尊敬していた。


 そんな中で、オルフェリアとの婚約発表会、あまりにも鮮やかだったオルフェリアのステップに、僕の方がついていけず彼女のスカートを踏んでしまったのだ。オルフェリアは裾をどこかに引っ掛けたと思っているようだったけど、それ以来部屋に閉じこもるようになってしまったので、とても申し訳なく思っていた。


 毎日彼女の部屋の扉の前で声をかける日々だったけど、突然親友のルカと言う子の相談をされた。

 オルフェリアの閉じこもっていた殻を破れるほどの親友ってどんな人だろうと思っていたけど、それがまさか男だとは思わなかったのだ。


 まあ確かに、婚姻ではなく養子に行ったと言う話で気づかなかったことが不覚だし、必要以上の情報を見ようとしなかったのも裏目に出たとは思う。


 災害現場にボロボロになりながら一人で来たオルフェリア。あとから聞いた話だと、変装して窓から抜け出して、自作の許可証で門を押し通り、盗賊に襲われながら増水した川を横断し、怪我と発熱を森で採取した薬草で誤魔化しながら来たと言うではないか。


 意味がわからなかった。


 耳を疑ったし、何かの間違いなんじゃないかと思った。未だに理解はできないけど、ただそれだけ深く、オルフェリアとルカ君は信じ合っている、と言うのだけはわかった。


 オルフェリアの婚約者に僕が選ばれたのは誇らしいと思っている。だけど、これだけ衝撃的なものを見せられたのだ。

 僕とオルフェリアが婚約している事自体が、二人の仲を引き裂いている気になるのも仕方がないだろう。

 少なくともオルフェリアの殻を破らせる事は、僕にはできなかったんだ。

 ルカ君の方がオルフェリアの婚約者に相応しいと思わざるをえなかった。


「オルフェとは、婚約を解消しようかと思っている」


 だから、そう伝えればオルフェリアは喜ぶと思った。そうすればルカ君と一緒になる事ができるから。


「わ、わたし……わたしは……」


 だけど予想に反して、オルフェリアは泣き出してしまった。僕は慌ててフォローを入れる。


「お、落ち着いて。……そのほうが、オルフェのためだと思うんだ」


「……私の、ため……?」


「あの友達のことが好きなんだろう?だからあれだけ必死になって助けに行ったんじゃないのか?だからオルフェがあの子と結婚したいと思うなら、身を引こうと思うんだ。また公爵家にも王家にも迷惑かけてしまうけど、しっかりと説明すればわかってくれるさ」


 オルフェリアは目を瞬いた。


「……え?私がルカちゃんを?大事な友達ですけど、別にそんなふうに思ったことはないですよ?」


 僕はえ?え?と困惑してしまう。


 オルフェリアもえ?え?え?と困惑してるようだ。


「……オルフェは、恋愛感情もなく、あんなことをしたのかい?」


「友達って助け合うものでしょう?私も色々助けて貰っていましたし。私、殿下が同じ状況でも助けに行きますよ?」


 衝撃だった。


 呼吸をするのを忘れた。


 世界に一瞬火花が散ったような気さえした。


「ははっ、あははは!」


 それと同時に、目に涙が滲むほどの笑いが心の底からこみ上げて来た。


 ーー殿下が同じ状況でも助けに行きますよ


 それは僕が一番欲しかった言葉だった。


 目を背けていた自分の気持ちにようやく気づいた。


 そうか、僕はルカ君に嫉妬してたんだ。

 あれほどまでにオルフェリアに頑張って貰える事が羨ましかったんだ。


 命がいくつあっても足りない冒険も、オルフェリアにとっては友達のための当たり前の行動に過ぎない。


 大事なのは結局、相手を思う気持ちそのものということだ。


 少なくともオルフェリアの親友枠に入れて貰えただけだって十分じゃないか。愛とか恋とかの前に、まずは僕自身がオルフェリアに追い付かなきゃいけないんだから。


「そうか、それは大変だ、それでは絶対に危険な目に遭うわけにいかないな。ははっ、一ヶ月悩んでいたのがバカらしく思えて来たよ」


 そう言って、オルフェリアの頭を撫でた。少し笑顔になったのが堪らなく嬉しい。


「これ、本当に些細なものですけど、私のできる精一杯のお礼です」


 そう言って出してきたのは、小さな銀のペンダントだった。中央に小さなロケットが付いている。


「一週間前、私の飼ってるアウルリンクの卵がまた孵ったんです。私が自分の殻を破る事が出来たのは、この鳥のおかげなので、お守りとして卵の殻を砕いたものをロケットに入れて身につけてるんですよ」


 そう言って胸元の同じペンダントを見せて来る。ちょっとドキッとしてしまった。


 僕は受け取ったペンダントを着けて、その重みを確かめる。指でロケットを摘み上げると中でサラサラと音がした。


「ありがとう、オルフェ。いつか君に追いつけるように頑張るよ。これからもよろしく」

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引きこもり令嬢、走る @lemuria

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