お疲れ様刑事のタイムリミット

水野沙紀

お疲れ様刑事のタイムリミット

 保管棚の鍵を開けて、手早く拳銃を手に取った。

 待ち合わせまでのタイムリミットは――

 腕時計の秒針が音もなく滑っていく。

 


 落ち合う倉庫になんとか先回りしたけれど、危うく間に合わないところだった。

 アルミ製の扉が軋み音と共に開かれると、俺はキャップのツバ越しにそちらを見やった。

 逆光に男二人のシルエットが照らし出される。


「持って来たな」

「あぁ。手配済みだ」


 黒髪を七三に分け、ニタリと笑みをはらんだ様子が小憎たらしい。

 俺は両手を上げて、奴の正面に出た。

 もう一人の小柄な金髪は、俺のジャケットの上からボディチェックする。

 拳銃を隠したところで、意味はなかった。

 触られるたびに、殴られたところがジンジンと痛む。


「OK。例の物は?」


 舌打ちを噛み殺しながら、ジャケットの内ポケットに手を入れる。


「これだ。偽装パスポートと、乗船券」


 七三は内容を確認して、鼻をフンッと鳴らした。


「あんたも堕ちたもんだな。

 組対そたいにいて、そういう奴も少なくないが、あんたはツッコミ過ぎた」


 かつて組織犯罪対策課そしきはんざいたいさくかと呼ばれていた――通称、組対。

 俺はそこに所属する刑事で、アウトローの世界にうまく潜入している……と思い込んでいた。

 だが、当に身元は割れていて、組織から持ち出したチャカを横流ししているのもバレていた。

 刑事を免職になるどころか、社会的に抹殺される。

 いや、警察組織から外されたら、裏社会の人間にどう狙われるかわかったもんじゃない。

 いずれにせよ、アウト。


 目の前の七三は、クスリや銃器の密輸入、密造、販売をしている元締めだ。

 懐に入り込んだと思ったが、逆に俺の所業をネタに「高飛びの用意」をさせられる羽目になった。


 ソイツは偽造パスポートを胸元にしまうと、俺に一瞥をくれた。

 身動きの取れない俺の脇を通り過ぎ、ひとつの棚を開ける。

 ギラリ、と黒い鈍色の筋が光った。


 やはり予想通り。

 俺はスーッと細く深い息を吐く。

 奴はくちゃくちゃとガムを噛みながら、俺の元へと気楽なステップで戻って来た。


 こうなることが見えたときから、一矢報いたかった。


 後頭部に、硬い感触。


「オレたちにとって、不穏分子は消しておくに越したことはない」

「そんなことだと思っていた」

「潔いというか、肝が据わってる」

「じゃなきゃ、潜入捜査なんてできない」

 せめてもの反論をしてみるが、奴は小バカにしたようにケタケタと笑うばかりだ。

「その最期がこれとは、お粗末だな」


 カチリ――

 安全装置が下ろされる。

 もやはここまで。


「お疲れ様刑事さん」


 バンッ――!


 耳をつんざく爆発音と共に、体が反動で跳ね、そのまま埃まみれの床に突っ伏した。

 頬に、ドロリとした感触。

 そこで俺の視界は閉ざされた。



「ってわけで、明日、飛ぶ前に一斉摘発よろしくっす。

 はあ? この作戦は伝えましたよね。あとはそっちで何とかしろっつーの」


 俺が通話相手の上司に文句を垂れていたら、七三の腰巾着だった金髪が「まあまあ」と両手を前に出してきた。


 渡されたタオルで後頭部から垂れる血のりを拭う。

 敬語が抜けるのは許してほしい。

 こちとら荒っぽい現場に入り込んで、数年かけて証拠をかき集めたんだ。


「……現行犯って……。

 バカ言うんじゃね……言わないでください! 周りどんだけ囲まれてるか!!

 それこそ俺が蜂の巣になるわ!」


 頭の固い上司に唾が飛び出る。『あぁおい!』なんていさめる声が聞こえてきたが、構わず通話を切った。


「それにしても、見事な演技っしたね」

「つーか、間に合ってよかったわ。フォロー助かった」

 真っ赤にベトついたタオルを後輩に放り投げる。


 俺が袋叩きにされて、高飛びの手配を命じられたのが三日前。

 それから大急ぎで、裏社会で知り合った連中に、偽造パスポートやら書類やらを用意させた。ソイツらもお縄につく予定だ。


 ちなみに、チャカの横流しも見せかけ。個人の懐ではなく、きちんと本部で押収していた。

 全部、組織を挑発して尻尾を出させるため。


 で。指定された場所は以前から注視していたのだが、時間に間に合うかは賭けだった。

 

 落ち合う連絡が来たのが、三十分前。

 移動には二十五分かかった。

 残された五分で、倉庫内から奴の持つ拳銃を探して、玉を抜く。

 

 これができなきゃ、俺の頭には穴が開いていた。


 銃の引き金を引くのに合わせて、この金髪が俺の帽子に仕込んだ血糊と、ごく少量の火薬を破裂させる。

 俺は見事に倒れ込む。


 刑事らしからぬ金髪に染めたコイツが潜入していなかったら、できなかった所業だ。

「周りはちゃんと撒いてあるんだろうな」

「うっす。コイツの死体は俺が片づけるっつって、全員埠頭に向かってます」

「作戦通りだな」


 高飛びといっても、何も飛行機に乗る必要なんてない。

 大陸行きの船を手配してやった……ことになっている。

 むしろ飛行機は目立つから、こっちのほうが安パイ。

 相手も信じやすいだろうと予想した。案の定、何の疑いも抱かなかったわけだが……。


「バカだろ、あの七三。

 警察サツが何もしねぇで逃がすと思うか、普通?」

「先輩、口がすっかり裏社会の人間になってるっすよ」

「お前もな」

 金髪は、唸りながら首の後ろを掻いた。

「行かなくていいんですか? 摘発チームに」

 口調を戻して、尋ねてくる。

「俺は死んだ。現場に出たらおかしいだろ」

「奴らを摘発できたのは、先輩の功績なのに」

 俺は後輩をジトッと睨んだ。

「たしかに手柄ってのは欲しいけどよ、それに囚われたらできることもできなくなる。

 見誤るなよ」

「……うっす」

 バツが悪そうに、再度、首の後ろを掻いた。


 コイツはまだ組織に残り続ける。俺の後釜として。

 危ういところがあるから、一人で残していくのは心もとない。

 だけど、ここでの俺の役目は終いタイムリミットだ。


「打ち上げも、餞別もしてやれねーけど、あとは任せたからな。

 俺は別方面からサポートする。

 やべぇと思ったら、いつでも頼ってこい」

「そういうとこ、変わらないっすね」


 金髪の下で、まだ幼い顔が破顔した。コイツが中坊のときに、夜間外出で補導したときを思い出させる。


「俺、先輩が刑事じゃなくて、裏社会にいるって聞いたときは驚いたんすよ。

 あの乱暴だけど優しかった刑事さんが、本当にただの乱暴な人になったのかって」

「乱暴は余計だ」

「はい。違ってたのでよかったっす」

 金髪は背筋を伸ばして、制服警官のように敬礼をした。

「ご苦労様でした。お疲れ様刑事デカ!」


 ――お疲れ様刑事デカ


 管内で流行っている言葉をちゃっかり使ってきやがる。

 それでも晴れ晴れとしているんだから、気持ちのいいもんだ。

 七三の憎たらしく勝ち誇った「お疲れ様、刑事さん」とはベクトルが違う。


 俺はドンッと後輩の肩を叩いた。

「数年後には、お前に言ってやるから、ポカすんじゃねえぞ」

「うっす」


 俺たちは肩を並べて、出口へと向かう。

 だが、そこでもう一芝居。

 コイツの背に乗って運び出される算段になっている。


 周りに見張りがいたときを考慮に入れ、念のための用心。



 車で国道へと出ると、パトランプを点けた仲間が何台も埠頭へと向かっていた。

「一斉摘発、いけますかね」

「知らん。俺の仕事は終わった。

 たとえこの組織が潰れても、どうせお前は他に潜らされるんだから、覚悟しとけ」

「うっす」


 二人を乗せた覆面パトカーは、仲間との反対車線を進みながら、警察署へと向かって行った。


 長かった任務も一段落。「お疲れ刑事デカ」か。悪くねぇな。

 線のように流れていく街灯を見ながら、にわかに口角を上げた。

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お疲れ様刑事のタイムリミット 水野沙紀 @saki_mizuno

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