お疲れ様刑事のタイムリミット
水野沙紀
お疲れ様刑事のタイムリミット
保管棚の鍵を開けて、手早く拳銃を手に取った。
待ち合わせまでのタイムリミットは――
腕時計の秒針が音もなく滑っていく。
◇
落ち合う倉庫になんとか先回りしたけれど、危うく間に合わないところだった。
アルミ製の扉が軋み音と共に開かれると、俺はキャップのツバ越しにそちらを見やった。
逆光に男二人のシルエットが照らし出される。
「持って来たな」
「あぁ。手配済みだ」
黒髪を七三に分け、ニタリと笑みをはらんだ様子が小憎たらしい。
俺は両手を上げて、奴の正面に出た。
もう一人の小柄な金髪は、俺のジャケットの上からボディチェックする。
拳銃を隠したところで、意味はなかった。
触られるたびに、殴られたところがジンジンと痛む。
「OK。例の物は?」
舌打ちを噛み殺しながら、ジャケットの内ポケットに手を入れる。
「これだ。偽装パスポートと、乗船券」
七三は内容を確認して、鼻をフンッと鳴らした。
「あんたも堕ちたもんだな。
かつて
俺はそこに所属する刑事で、アウトローの世界にうまく潜入している……と思い込んでいた。
だが、当に身元は割れていて、組織から持ち出したチャカを横流ししているのもバレていた。
刑事を免職になるどころか、社会的に抹殺される。
いや、警察組織から外されたら、裏社会の人間にどう狙われるかわかったもんじゃない。
いずれにせよ、アウト。
目の前の七三は、クスリや銃器の密輸入、密造、販売をしている元締めだ。
懐に入り込んだと思ったが、逆に俺の所業をネタに「高飛びの用意」をさせられる羽目になった。
ソイツは偽造パスポートを胸元にしまうと、俺に一瞥をくれた。
身動きの取れない俺の脇を通り過ぎ、ひとつの棚を開ける。
ギラリ、と黒い鈍色の筋が光った。
やはり予想通り。
俺はスーッと細く深い息を吐く。
奴はくちゃくちゃとガムを噛みながら、俺の元へと気楽なステップで戻って来た。
こうなることが見えたときから、一矢報いたかった。
後頭部に、硬い感触。
「オレたちにとって、不穏分子は消しておくに越したことはない」
「そんなことだと思っていた」
「潔いというか、肝が据わってる」
「じゃなきゃ、潜入捜査なんてできない」
せめてもの反論をしてみるが、奴は小バカにしたようにケタケタと笑うばかりだ。
「その最期がこれとは、お粗末だな」
カチリ――
安全装置が下ろされる。
もやはここまで。
「お疲れ様刑事さん」
バンッ――!
耳をつんざく爆発音と共に、体が反動で跳ね、そのまま埃まみれの床に突っ伏した。
頬に、ドロリとした感触。
そこで俺の視界は閉ざされた。
◇
「ってわけで、明日、飛ぶ前に一斉摘発よろしくっす。
はあ? この作戦は伝えましたよね。あとはそっちで何とかしろっつーの」
俺が通話相手の上司に文句を垂れていたら、七三の腰巾着だった金髪が「まあまあ」と両手を前に出してきた。
渡されたタオルで後頭部から垂れる血のりを拭う。
敬語が抜けるのは許してほしい。
こちとら荒っぽい現場に入り込んで、数年かけて証拠をかき集めたんだ。
「……現行犯って……。
バカ言うんじゃね……言わないでください! 周りどんだけ囲まれてるか!!
それこそ俺が蜂の巣になるわ!」
頭の固い上司に唾が飛び出る。『あぁおい!』なんて
「それにしても、見事な演技っしたね」
「つーか、間に合ってよかったわ。フォロー助かった」
真っ赤にベトついたタオルを後輩に放り投げる。
俺が袋叩きにされて、高飛びの手配を命じられたのが三日前。
それから大急ぎで、裏社会で知り合った連中に、偽造パスポートやら書類やらを用意させた。ソイツらもお縄につく予定だ。
ちなみに、チャカの横流しも見せかけ。個人の懐ではなく、きちんと本部で押収していた。
全部、組織を挑発して尻尾を出させるため。
で。指定された場所は以前から注視していたのだが、時間に間に合うかは賭けだった。
落ち合う連絡が来たのが、三十分前。
移動には二十五分かかった。
残された五分で、倉庫内から奴の持つ拳銃を探して、玉を抜く。
これができなきゃ、俺の頭には穴が開いていた。
銃の引き金を引くのに合わせて、この金髪が俺の帽子に仕込んだ血糊と、ごく少量の火薬を破裂させる。
俺は見事に倒れ込む。
刑事らしからぬ金髪に染めたコイツが潜入していなかったら、できなかった所業だ。
「周りはちゃんと撒いてあるんだろうな」
「うっす。コイツの死体は俺が片づけるっつって、全員埠頭に向かってます」
「作戦通りだな」
高飛びといっても、何も飛行機に乗る必要なんてない。
大陸行きの船を手配してやった……ことになっている。
むしろ飛行機は目立つから、こっちのほうが安パイ。
相手も信じやすいだろうと予想した。案の定、何の疑いも抱かなかったわけだが……。
「バカだろ、あの七三。
「先輩、口がすっかり裏社会の人間になってるっすよ」
「お前もな」
金髪は、唸りながら首の後ろを掻いた。
「行かなくていいんですか? 摘発チームに」
口調を戻して、尋ねてくる。
「俺は死んだ。現場に出たらおかしいだろ」
「奴らを摘発できたのは、先輩の功績なのに」
俺は後輩をジトッと睨んだ。
「たしかに手柄ってのは欲しいけどよ、それに囚われたらできることもできなくなる。
見誤るなよ」
「……うっす」
バツが悪そうに、再度、首の後ろを掻いた。
コイツはまだ組織に残り続ける。俺の後釜として。
危ういところがあるから、一人で残していくのは心もとない。
だけど、ここでの俺の役目は
「打ち上げも、餞別もしてやれねーけど、あとは任せたからな。
俺は別方面からサポートする。
やべぇと思ったら、いつでも頼ってこい」
「そういうとこ、変わらないっすね」
金髪の下で、まだ幼い顔が破顔した。コイツが中坊のときに、夜間外出で補導したときを思い出させる。
「俺、先輩が刑事じゃなくて、裏社会にいるって聞いたときは驚いたんすよ。
あの乱暴だけど優しかった刑事さんが、本当にただの乱暴な人になったのかって」
「乱暴は余計だ」
「はい。違ってたのでよかったっす」
金髪は背筋を伸ばして、制服警官のように敬礼をした。
「ご苦労様でした。お疲れ様
――お疲れ様
管内で流行っている言葉をちゃっかり使ってきやがる。
それでも晴れ晴れとしているんだから、気持ちのいいもんだ。
七三の憎たらしく勝ち誇った「お疲れ様、刑事さん」とはベクトルが違う。
俺はドンッと後輩の肩を叩いた。
「数年後には、お前に言ってやるから、ポカすんじゃねえぞ」
「うっす」
俺たちは肩を並べて、出口へと向かう。
だが、そこでもう一芝居。
コイツの背に乗って運び出される算段になっている。
周りに見張りがいたときを考慮に入れ、念のための用心。
◇
車で国道へと出ると、パトランプを点けた仲間が何台も埠頭へと向かっていた。
「一斉摘発、いけますかね」
「知らん。俺の仕事は終わった。
たとえこの組織が潰れても、どうせお前は他に潜らされるんだから、覚悟しとけ」
「うっす」
二人を乗せた覆面パトカーは、仲間との反対車線を進みながら、警察署へと向かって行った。
長かった任務も一段落。「お疲れ
線のように流れていく街灯を見ながら、にわかに口角を上げた。
お疲れ様刑事のタイムリミット 水野沙紀 @saki_mizuno
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