第6話

先程の銃声で耳が痛む感覚と、甲高く響く音が流れて居る。

 それが目の前の情報を、まるで幻覚でもみて居るかの様に感じさせている。

 オルヌ・カルヴァドス。私が追い続けていた宿敵の姿がそこには有る。


「安藤さんはどうした。喰ったのか」

「やだわぁ、そんな野蛮な事しないわよ。無事に返してあげたわ」

「信じられないな、貴様ら吸血鬼は理性の効か無い獣だろうが。特に貴様のみたいなのは特に、だ」

「だからしてないってば。もう、心外ね」

「貴様を殺す。貴様が加奈子にそうした様にな!」

 そう言い、私は拳銃を構える。だが、引かれた撃鉄は、カチ、カチ、と言う音を鳴らすだけで、その中に仕組まれた銃弾は一向に飛ぶ気配がない。


「もう、危ないじゃない。そんな物を使っちゃめ、よ」

 そう言う彼女の手には薬莢を付けたままの弾丸が握られていた。

 思わず私は薬室、つまり銃弾の入った場所を確認する。

 無い。そこに入っていた筈の弾丸は、確かに後4発残っていた筈なのに、さっき撃った1発を除いて、金属で出来たそれは1つも無かった。


 何が起こったのかは理解出来ない、だがまだナイフが有る。

 私は銃を速やかに投げ捨てる。

 走り出すそのタイミングで隠し持っていたナイフを投げつけ、その隙に近づきもう一つのナイフを刺しこむ。

 だが、投げたナイフも手に取ったナイフも、どちらもが防がれてしまった。


「もう、危ないじゃない」

 そんな言葉は無視し、その体勢のまま蹴りを入れる。

 その蹴りが入ったその瞬間最後のナイフを使い首元を切り付ける。

 入った、そう思ったのも束の間、私の視界はぐるんと回転して、気がつけば天井を見ていた。

 仇の、顔を覗く形で、だ。


「悪い子ね、話を聞きなさい。それともおしりぺんぺんしなきゃダメかしら」

何を、言っているんだこの女は。

むしろ、今何が起こったのだ。

身体が痺れた様に動かない中、必死に状況を確認する。


まず私は地面に仰向けで横になっていて、視界には天井、顔、胸。

頭の下には何か、少し硬いが床とは違う感触と、段差。

それで私は理解した。つまり、膝枕をされている。

私が、バケモノに?

何故?


「あぁ、やっと近くで見れたわ……」

 そういうバケモノは、まるで人間の様に感動した時の顔をしている。

 呼吸すら忘れてしまう様な怒りの中、麻痺した様な体を動かして、ただ一言、その言葉を口に出す。

「殺、せ」

事実上の、敗北宣言。

 辱めるくらいなら、すぐに血を吸えと言う。そんな宣言。


「殺すなんてしないわ、私の愛しい子」

何を言っているのだ、何なんだ、コイツは。

そんな疑問に答える様にバケモノは言葉を続ける。


「殺すなんて絶対にしない。愛しい我が子が愛し、我が子を愛した、愛しい子。あぁ、やっと、やっと逢えたのね。こんなに近くで」

何を、言っているんだ。

脳が、理解を拒む。

そんな筈はないと。

何処か加奈子に似たその顔の、そのバケモノを見て、理解したくないと、そんな訳がないと。

全てを拒む。


「きっとこう思ってるんでしょうね、そんな訳ないって。でも本当よ。私が加奈子の母親なの。愛しい加奈子のね」

なら、何故。何故加奈子を

「なんで加奈子を殺した!」

怒気の籠ったそれは、やっとの思いで痺れた体から勢いよく吐き出される。


「ちょっとした勘違いなのよ」

「そんな訳ないだろ、あの時私は確かに加奈子を抱き抱えたアンタを、血を吸っているアンタを見ている!」

何が、勘違いなものか。


「確かに抱いていたわ、加奈子の亡骸をね」

そんな筈はない、知りたくない。

でも、悲しそうに話すその顔が嫌になる程彼女に似ていて、

嫌だ、嫌だ、聞きたくない。


「あの時既に加奈子は死んでいたわ。私が目を離したほんの少しの間に、他の吸血鬼に襲われてね」

嫌だ、信じない。

「残念だけど、私じゃないの」

「なら誰が、誰が殺したって言うんだ!」


「さっき、貴方が殺した吸血鬼よ」

なん、て、なんて、言った?

「裏和と名乗っていた、あの吸血鬼よ」

「信じない、私は信じない!」

そんな訳がない、仇はコイツで、あいつはたまたまコイツの遊びに付き合わされただけの吸血鬼で。


違う、絶対に違う筈だ。


もう仇を取っただなんて、そんな訳がない。


「こっちへいらっしゃい。見せてあげるわ」

そういうと、その吸血鬼は立ち上がり、隣の部屋へ入っていく。

いつの間にか身体が動く様になっていた私は警戒しながらも、ただついていく。

今は、それ以外に取れる行動も、もはや無くなっていた。


その部屋は私が目を覚ました部屋だった。

確かにあの時、この吸血鬼と戦ったその時、確実に一部屋分は移動していた筈なのに、知らないうちに元の場所に戻っていたらしい。

もう、考える事は放棄した。


何も、考えたくない。


ベッドに座る様促した彼女は、私が座るのを確認してからテレビを起動する。

「あの時の出来事ね、私も色々調べていたのよ。それでね、この監視映像を見つけたの」


そういうと、テレビには監視カメラの、それも比較的に、だが、画質のいい物が表示されていた。

「加奈子、」

そこには、加奈子ともう1人。

50代くらいに見える男が写っていた。


顔は見えないが紳士風のその男は、加奈子に近づいて、そして、首元に牙を立てる。

ほんの少しの抵抗の後に、生気を失った加奈子は地面に倒れ込む。


「そん、な」

死んだのを確認した男は、まるで何も無かったかの様に振り返り、立ち去る。

その顔は確かに、さっき私が殺した吸血鬼のそれだった。


そして、その後すぐに来た女が、加奈子の遺体を抱き抱える。

その奥には、私が来る瞬間まで映っていた。

「分かってくれたかしら」

それは、どうしようもなく。確かな事実に思えた。


つまり、私は。

「間違って、いた」

「そう。でもね、貴方が私を調べているのが分かったの。だから、貴方に仇を取らせたのよ」

「そんな、そんな」

そんな事が、有るのか。

私の復讐は、既に、終わっている……

これから。


「私はこれから何を目的に、生きればいいんだ」

自問、自答。

答えは、一向に出てこない。

そんな私の様子を伺ってか、彼女はその胸に私を抱き抱える。

それが、ふと加奈子を思い出して。

思わず私は、わたしは涙を流してしまう。


 一度流れたそれは、まるで雨が降り止まぬ様に長く、強く降り注いだ。

 その時に抱き抱える彼女の体温が、まるで生気のこもった人間の様で、頭を撫でるその手が、まるで加奈子のそれの様で。

 懐かしさと、望郷の様な想いが、私の心を癒し、私の傷を埋め。それが余計に涙を流させてくる。


一通り泣き終わった私は、備え付けられた時計を見て、自分が長い事泣いていた事に気がつく。

これから、どうしよう。

既に吸血鬼を狩っていた時の、その執念とでも言うべきそれは無くなっていた。


「どうしようかな」

「もし、良かったらだけど、私と一緒に暮らしてくれないかしら」

それは、何処か魅力的な提案だった。

不思議な事に、この人からは吸血鬼特有の匂いがあまりしない。それだけでは無く、何故か体温のある彼女はまるで人の様だった。


言い忘れていたが、吸血鬼は体温が無い、正確には極めて低いのだ。

まるで死体のように。


「それは、良いんですか?」

私なんかと一緒で、そう続けようとした。だけど、その言葉は優しさを感じる笑みをした彼女に遮られた。


「勿論よ、加奈子には何もしてあげられなかったから、せめて私の正体を知っている貴方には。加奈子が唯一愛し愛された貴方を、子を置いていった母の、せめてもの罪滅ぼしだと思ってちょうだい」


そう言う彼女は、その小ぶりな体格に見合わず、まるで神話の聖女のような包容力を、優しい笑みを浮かべていた。



それからの話をしよう。

安藤泉さんは、確かに生存していた。

 出口から出た私達は、その前で待っていた泉さんに出迎えられたから、それは直ぐに判明した。

 その時横を向いたら、カルヴァドスの姿は既に篠崎のそれに変わっていた。


後から聞いた話だと光の反射を操っているだとか何だとか。

兎に角、古代に跡形もなく消えた文明の技術だそうだ。

まぁ、それはどうでも良い話だろう。


重要なのは、私達のその後だ。


私は、結局探偵業を続けている。

ただ、吸血鬼の狩りに関しては控える様にしている。


実を言うと吸血鬼の存在を追える様になってから3年程で18人駆除していたのだが、より深く関わる様になってから、吸血鬼内部での秩序がある事が判明した。


 どうやら私は人の血を吸うが相手を殺めなかったり輸血液で済ませている相手まで殺めていたらしい。

 それと、存外に人を襲わない吸血鬼が多いことや、人間と違わない価値観の吸血鬼が多い事を知った。

 彼らは暗闇に隠れひっそりと暮らしているらしい。


まぁ、とにかく吸血鬼狩りに関しては危険な個体のみを始末する事にした。

何より、そうしないと些か身体が持ちそうに無いと言うのも、実の所有ったのだが。


 結局、カルヴァドスとの同居は受け入れた。

その結果と言っては何だが、食事が豪華になった。

 今までは質素な食事や良くて弁当といった具合だったのだが、家に帰ると大抵料理を作って待っているので、健康的な食生活になったと言える。ただ、酒は控えざるを得なくなったのだが。


カルヴァドスも酒豪の癖に、人間には毒だから普段は減らしなさいだとか。別に良いじゃないか、飲んでも。


正直な所、私が働く必要がない程に、カルヴァドスの資産は多い。

その上、私が断ってもお小遣いを給料よりも多く出してくれるので、本当に働く必要がない。

ただ、習慣を崩すのも嫌だと言うのと、働かなければダメになる気がして辞めずに居る。


喪失からは解放された私は、足元から底なし沼に沈んでいく様な苦しみから逃れ、まるで学生に戻ったかの様な、そんな清々しさを抱えている。

本当に、勿体無いくらい今が幸せだ。


ふと、一面の窓から夜空を覗き込む。

 あぁ、月は、星々は、こんなにも美しかったのか。

 そんな私は、恋情を抱えまた明日へと進む。

 過去に別れを告げ、されど過去を愛し、今を生きていく。


ふと、料理が出来上がったと、同居人の声が聞こえた。

「今行くよ」

そういう私は、新しい恋をしながら、今はこの清々しい日常を楽しむのだ。


いずれ、私が老いて死んでゆくまでは。


あるいは、彼女と同じ吸血鬼になる迄は。

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彼女の仇はカルヴァドス。吸血鬼でした 煙芸春巡 @PndaCotta7

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