【第5章】文化祭と「沈黙のプレゼン」
季節は移ろい、学園は一年で最も浮き足立つ「文化祭」の準備期間に突入していた。 廊下にはペンキの匂いと、ダンボールを運ぶ生徒たちの楽しそうな声が満ちている。
だが、生徒会室だけは別だ。 文化祭を運営する側である私たちは、その喧騒の中心で、膨大な実務に追われていた。 ……いや、正確には「追われている」のは、会長の中村 竜司くんと、副会長の相田 愛梨亜さんの二人だけだった。
「会長! こちらの協賛一覧、チェックお願いします!」 「相田、そちらの前に、B棟の備品申請リストを先に処理しろ。優先順位が違う」 「はいっ! すみません!」
(すごい……二人とも、息が合ってる……)
私は、というと。 そんな二人のやり取りを、またしても生徒会室の隅で、ただ黙って見つめているだけだった。 もはや、私に仕事を振ろうとする者もいない。 愛梨亜さんは「白石さんは、私たち(実務部隊)の戦いを見守っていてください!」とウインクしてくるし、竜司くんは……。
(……最近、私に仕事を振ってくれなくなった……)
あの「会則」の一件以来、竜司くんが私に「論理的な詰め」をしてくることは、ピタリと止まっていた。 愛梨亜さんに「好きな子に意地悪してる」とからかわれたのが、よっぽど恥ずかしかったのだろうか。 彼は私を避けるように、淡々と実務をこなしている。
(……寂しいけど、会長の気持ちはどっちなんだろう? わたしに好意があるの? 無いの?)
「天才」だと思われて期待されるのは怖かった。 でも、彼が私を「特別」に意識し、私にだけ厳しく接してくれていた、あの日々は、緊張の中にも、どこか甘い痛みがあった。 それすら無くなってしまった今、私は、ただの「役立たず」に戻ってしまった気がした。
その日の放課後。 生徒会室で、文化祭の「最終確認会議」が開かれた。
「――以上で、各所への連絡と備品配置は完了した」 竜司くんが、分厚いマニュアルを閉じる。 「残るは、文化祭初日の開会式で行う、『生徒会企画プレゼンテーション』だけだ」
「はい!」 愛梨亜さんが、待ってましたとばかりに手を挙げた。 「企画書はバッチリです! 生徒会の活動報告と、今回の文化祭のテーマである『接続(コネクト)』を絡めた、素晴らしい内容になりました!」 「ああ。問題は、それを『誰が』全校生徒の前でプレゼンする、だ」
ピタリ、と空気が止まる。 そうだ。文化祭の目玉。 全校生徒が注目する体育館の壇上で、スポットライトを浴びて、たった一人で行う、最も重要な役割。
「それはもちろん――」 愛梨亜さんが、尊敬の眼差しで竜司くんを見つめる。 「会長のあなたがやるべきです! その論理的で、完璧なプレゼンは、全校生徒を魅了します!」
(うんうん……!) 私も、激しく同意した。 あの選挙演説の時のように、彼が壇上に立つ姿は、きっと誰よりも輝いて見えるはずだ。
「……いや」
しかし、竜司くんは、静かにその推薦を否定した。 「え?」
彼は、ゆっくりと椅子から立ち上がると、無表情のまま、まっすぐ――私のほうへと、歩いてきた。 (え……? あ……) まただ。あの「会則」の時と同じ。 彼は、私の机の前に立つと、トン、と企画書の束を置いた。
(ち、近い……!)
「この『生徒会企画プレゼン』という、文化祭の成否を分ける最も重要な役割は――」
彼の、感情の読めない瞳が、私を射抜く。 (あ……)
(まさか……)
「白石副会長!おまえに、任命する」
「…………は?」
血の気が、引いていくのが分かった。 全校生徒の前で? 私が? プレゼン? (む、無理無理無理無理無理!!) (人前で固まる私が、全校生徒の前で喋るなんて!)
「か、会長!?」 さすがの愛梨亜さんも、驚きの声を上げる。 「それは……! あ、いや、もちろん白石さんなら『完璧』にこなせると信じてますが……! でも、どうして……?」
竜司くんは、私から視線を外さないまま、冷たく言い放った。 「論理的に考えろ、相田」 「は、はい!」 「俺は会長として、全体の統括とトラブル対応に当たる。相田は実務のトップとして、裏方を指揮する。一番『見た目が良い』人間が、最も『全校生徒に顔を売る』という派手な役割を担当するのが、最適解だ」
(え? 会長がわたしの見た目をほめてくれた?)
「そ、そうか……!」 愛梨亜さんが、ポン、と手を打った。 「会長の『論理』、そういうことだったんですね!」 「(分かったのか!?)」と竜司くんがギョッとする。
「『白石さんほどの天才が、いつまでも裏方でくすぶっているのは、学校全体の損失である』……そう判断されたんですね!」 「なっ……」 「そして、『会長の自分』と『実務の相田』が泥臭い裏方を固めるから、『天才の白石さん』は、表舞台で輝いてください』という……なんですか、もう! 会長、男前すぎます!」
(え……) (あ……) (そう、だったんだ……!)
愛梨亜さんの「完璧な翻訳(?)」によって、竜司くんの私を褒めてくれた言葉は、「不器用な優しさ(好意)」へと、私の頭の中で変換された。
「……っ」 竜司くんが、こめかみを押さえて呻いている。 私には、それが「(愛梨亜のヤツ、余計なことを!)」という「照れ隠し」にしか見えない。
「……白石」 竜司くんが、絞り出すような声で私に確認する。 「……やるな?」 (彼が……私に……任せてくれた) (私が、寂しそうにしてるから……私に、輝けって……)
「……や、」 「……?」 「……やります」
私は、震える声で、そう答えていた。 全校生徒の前でプレゼンなど、本当は死んでもやりたくない。 でも、彼の期待と好意に応えたかった。
「(……フッ。かかったな)」 竜司くんが、誰にも気づかれないよう、口の端を吊り上げたのを、私は見逃していた。
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