【第4章】その「敵意」は「好意」ですか?


あの日、私が(フリーズしていただけなのに)「会計ミス」を発見した(ことになった)一件以来、生徒会室の空気は微妙に変化していた。


「……」


中村 竜司くんが、私を見る時間が増えた。 間違いなく、増えた。


(ま、また見られてる……! あの会計ミス発見の一件以来、私のこと、意識してくれてる……!?)


私は今、生徒会室の隅で、愛梨亜さんが「白石さんはこれを持っていてください!」と笑顔で渡してきた(中身のよくわからない)「活動報告書」のファイルを開いている「フリ」をしている。 斜め向かいの会長席に座る竜司くんが、私に意識を集中させているのが、肌で分かってビリビリと痛い。


(う、うう……恥ずかしい……)


顔に熱が集まる。 人見知りの私にとって、注視されるのは拷問に近い。 でも――。


(……でも、彼だけ)


そう思った。 あの相田 愛梨亜さんですら、私を「天才」として崇拝し、実務から遠ざけ、「神の視点」とやらを求めてくる。 クラスメイトたちは、私を「クールビューティー」と呼び、遠巻きにするだけ。


(彼だけが、私をちゃんと『見て』、仕事を振ってくれようとする……)


たとえそれが、私の理解を超える「会計予算案」であっても。 彼が私を「天才」だと信じてくれている(と私を誤解している)からこそ、私に「本物」の仕事を任せようとしてくれているのだ。


(あの日、助けてくれた時みたいに……やっぱり、彼は、私を……)


その思いは、私の胸の中で「好意」という名の、甘い「妄想」を膨らませていた。


「――白石」


「は、はいっ!?」


不意に名前を呼ばれ、心臓が飛び跳ねた。 顔を上げると、竜司くんが、あの感情の読めない瞳で、まっすぐに私を見据えていた。


「先日の生徒会則の見直しだが」 「(ひっ……! 会計の次は、会則……!?)」


見直し作業は、すべて愛梨亜さんがやった。私は隣で頷いていた(フリーズしていた)だけだ。


竜司くんは、おもむろに席を立ち、まっすぐ私の机に向かって歩いてくる。 (え、え、こっち来る!?) そして、私の目の前に立つと、私が開いている「フリ」をしていた会則のコピーを、トン、と指で叩いた。 (ち、ちかいちかい……!)


「この第5条の『学校行事の効率化』について」 彼は、続けた。 「その条文は抽象的で、実効性に乏しい。お前の『天才』的な視点から、具体的な改善策を、今ここで論理的に述べろ」


(ろ、ろんり的……!?) (かいぜん案……!?)


頭が、真っ白になった。 「効率化」も「論理的」も、私の辞書にはない言葉だ。 これは、前回の「会計予算案」よりも、さらに難易度が高い。


(ど、どうしよう……! 何か、何か言わないと……!) (彼が、私に、期待してくれてるのに……!)


口を開く。 「あ……えっと……その……」 だが、空気しか出てこない。 愛梨亜さんが「頑張って、白石さん!」と、無邪気な(そして残酷な)応援の視線を送ってくる。


(もうダメだ……何も出てこない……!)


私が絶望の淵で、再び「沈黙」しか選択肢がなくなった、その時だった。


「――会長! ストップです!」


パシン!と、愛梨亜さんが手を叩いた。 「え……?」 竜司くんも、わずかに眉をピクリと動かす。


「ちょっと、会長!」 愛梨亜さんは、ズカズカと竜司くんに歩み寄ると、まるで悪戯っ子のように声を潜め、彼にこっそりと耳打ちをした。


「白石さん、困ってるじゃないですか!」 「……(何がだ)」 「もう、分かってないなぁ! あれは、まるで、好きな男の子に意地悪されて、どうしていいか分からなくなってる女の子の顔ですよ!?(ニヤニヤ)」


「は……?」


竜司くんの、間の抜けた声が漏れる。 その一瞬の硬直を、愛梨亜さんは見逃さなかった。


彼女は、くるりと私に向き直ると、安心させるように満面の笑みを向けた。 「白石さん、大丈夫です! 心配しないで!」 「え、あ、はい……?(何が……?)」


「会長も、意地悪で言ってるんじゃないんですよ!」 「え?」


愛梨亜さんは、ポン、と竜司くんの肩を叩く。 「会長も、白石さんの意見が『どうしても』聞きたくて、つい熱くなっちゃっただけなんですよ! ね、会長!」


(え……!?)


私の心臓が、今度こそ破裂しそうな音を立てた。 (『どうしても』、私の意見が……?) (彼が、私に……『熱く』……!?)


「なっ……!?」 竜司くんが、目を見開いて愛梨亜さんを睨む。 「相田……貴様、何を……」 「あー! 会長、照れちゃって!」 「……っ!!」


竜司くんの顔が、怒りか、あるいは別の何かで、わずかに赤く染まったように見えた。 (あ……)


愛梨亜さんの「言っていること」と、竜司くんの「照れ隠し」の反応。 そして、彼が私に「詰め」てきた行為そのもの。 それらすべてが、私の「ポンコツ」な頭脳の中で、完璧な「好意」の証拠として再構築されていく。


(そうか……!) (彼が私にだけ、こんな風に厳しく(?)接してくるのは……) (私を「天才」扱いするんじゃなくて、私を「特別」に意識してくれてるから……!?)


竜司くんは、こめかみを押さえ、「(この女(愛梨亜)も論理が通じない!)」と絶望の表情を浮かべている。


私は、そんな彼の姿を「(私のせいで、愛梨亜さんにからかわれて、恥ずかしいんだわ……!)」と、彼を完全に意識して、一人、顔を真っ赤にして俯くのだった。

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