第37話 雨上がり検証会

 夜のあいだに降っていた雨は、日の出と一緒にやんだらしい。


 ハルミナの石畳はまだうっすら濡れて、朝日を鏡みたいに返していた。街路樹の葉っぱからは、ぽと、ぽと、と気の抜けた水滴が落ちてくる。洗い立ての街、って感じだ。空だけはもう夏みたいにきっぱり青い。


「――では、きのうの“雨でも好きでいたかった”件の、検証を始めます」


 診療所の前。

 白ワンピのリゼが、濡れないように今日は裾を少しだけ上げて、ちんまりした机を出していた。机の上には、丸い魔法陣が描かれた木板。淡い水色に光ってる。


「出たよリゼの新兵器だ……」


 ナギトが額を押さえる。

 木の上では、すでにユノがしずくを払ってカメラを構えている。肩の魔導カメラは、昨日の雨でちょっとだけ防水カバーが増えてた。仕事が早い。


「はいきたー! “雨の日は1.2倍で刺さるってマジ?”の回でーす! これは伸びる~~!」


「回にすんな。あと倍率勝手に決めるな」


「決めたのリゼさんだもん」


「決めました」


 リゼがさらっと言った。

 事務モードの顔だ。髪も、今日は横でゆるくまとめてる。濡れた朝はこういうまとめ方らしい。


「きのう、マリアさんが言った文――

 『雨なのに来てくれてありがとうございます。だって雨でも好きでいられるって言えると思ったから』

 ――あれが“晴天時の1.2倍ナギト”でした。実測です」


「人を単位にすんな」


「分かりやすいので」


 と、ちょうどそこへ、本人が来た。


 きのうはクリーム色のマントだったマリアが、今日はふわっとしたクリーム色ワンピだけで、足元だけレインシューズ。濡れた石畳をぺた、ぺた、と小さい音で歩いてくる。雨じゃないぶん、髪にふわっとボリュームがあって、表情も明るい。


「おはようございます。……あの、昨日はすみません。ちょっと、苦しかったですよね?」


「まあ……倒れてないからな」


 ナギトは笑ったけど、ほんのすこし肩に力が入る。きのうのあの感じを、晴れでやられたらさすがに危ない。


 続けて、いつもの危険ポエム三人娘――ピンク・ミント・ラベンダーも、濡れたリボンを振りながら走ってくる。


「検証会ってきいたー!」

「雨の日用の甘いやつってあるんですか!?」

「“一緒に濡れたい♡”はやっぱアウトですよね!?」


「アウトのままだ」


「うっす!!」


 さらに、木陰から、紺ローブのセラもするっと現れる。ローブの裾は濡れてなくて、ちゃんと防水魔法してるのが分かる。やっぱり仕事が丁寧。


「昨日のログ、上がとても喜んでいました。『天候で恋文の到達度が変わる仮説が実証された』と」


「喜ぶな。お前んとこ恋バナで研究するな」


 周りの女の子たちがくすくす笑う。

 雨上がりのひんやりした空気に、笑い声がよく通る。


 リゼが手を叩いた。


「ではまず、きのうと同じ条件に近づけるために、マリアさんから。測定板に手を置いて、きのうとまったく同じ文をお願いします」


「はい」


 マリアは素直に机の前に立って、右手を板に乗せた。魔法陣がふわっと光を増す。リゼは横で魔力のメモリを見る。診療所の中からは精霊ナースが顔を出して「がんばってくださーい♡」と手を振る。練習試合みたいな空気になってきた。


 マリア、息を吸う。


「雨じゃないけど……来てくれて、ありがとうございます」


 その瞬間、ナギトの視界で、マリアの赤糸がふわんと太った。けど、きのうみたいに胸を直接握る感じじゃない。じわっと温かくなるだけ――“安全寄りの好き”。


「……だって、天気で気持ち変わるって、思われたくなかったから」


 ここで、メモリが少し跳ねた。


 リゼが即座に数字を見る。


「はい、本日は1.05倍です。きのうより下がりました。雨音がないぶん、感情の共鳴が落ちています」


「よ、よかった……」


 マリアが胸を押さえる。昨日、自分の言葉でほんとにナギトの顔色が変わったのを見てるからだ。あのときの不安がやっとほどけた顔。


 ナギトも「これなら死なねえな」と小さくこぼす。セーフのときの声はほんとに低い。


 セラが、革のファイルを開いて、すらすらと書く。


「“雨→翌晴で約0.87に減衰”。――やはり、降っている最中が最大です。上がこういうの大喜びです」


「お前んとこの上、何人でそのログ見てんだよ」


「今朝の段階で二百七十六です。夜になるともう少し増えます」


「夜に増やすな。恋バナの夜勤すんな」


 ユノが木の上でゲラゲラ笑ってる。


「ねえこれ絶対伸びる! “雨の日は1.2倍、翌日は0.87倍でした♡”ってテロップにする!」


「♡つけるな」


 リゼが今度はピンクたちを見る。


「では市民の方からも見本を。雨の日に“言いたくなってたけど止めた文”を、きょう晴れた状態で言ってください」


「はい!!」


 元気よく出たのはピンクだ。今日は濡れた前髪を横で留めてて、ちょっと可愛い。


「“雨でもあったかいのは、あなたのせいです”!」


 ナギトが0.3秒で手を上げる。


「きのうならアウト。今日は……ギリだな。二回連続で言ったら死ぬ」


「ギリです。戦闘中には絶対に使わないでください」


「戦闘で言うやついないでしょ」


「いましたよきのう。カンナさんです」


「言いそうになったーーー!!!」


 カンナが後ろから元気に手を挙げる。やっぱりお前だ。


 リゼは机の上に紙を並べて、淡々とまとめた。


「では、本日からの“雨と告白”の運用です。


 ①雨の日の告白は、晴れの日の1.2倍で届くものとする

 ②“ずっと好きでいる/天気に関係なく好き”などの継続宣言は、雨の日は一回まで

(※マリアさんの文はここに該当します)

 ③雨あがり当日は、1.1倍で警戒する

 ④戦闘中に雨の日用の文を使用することは禁止


 ――この4点です」


「公式にすんな」


「運用です」


 そこへ、ちょうど市の掲示係のおじさんが駆け込んできた。肩にまだ雨粒が残ってる。


「リゼさんこれ! “雨天時告白規定(試行)”って作ってきたんですけど、ここに貼っていいですか!?」


「市の対応が早いですね……」


 ユノがすぐにのぞき込む。


「わ、ほんとに書いてある。“雨の日はひと言まで♡”って」


「市は♡使うなっての!!」


 ナギトのツッコミで公園がどっと笑う。濡れた石畳に、笑い声が気持ちよく響いた。


 その賑やかさの中で、リゼは一度だけ、マリアを見た。


(……この子の“天気で変わらない”は、やっぱり濃い。雨の日にだけは、先にわたしが診る)


 そう胸の中で決める。

 マリアも、そんなリゼの視線に気づいたのか、小さく会釈した。


 ――雨は上がっても、好きのほうはより固まる。そんな朝だった。

  • Xで共有
  • Facebookで共有
  • はてなブックマークでブックマーク

作者を応援しよう!

ハートをクリックで、簡単に応援の気持ちを伝えられます。(ログインが必要です)

応援したユーザー

応援すると応援コメントも書けます

次の更新予定

毎日 18:47 予定は変更される可能性があります

最強の死因が「ガチ恋」です。世界最強なのに甘い言葉にだけ耐性ゼロな件 @pepolon

★で称える

この小説が面白かったら★をつけてください。おすすめレビューも書けます。

フォローしてこの作品の続きを読もう

この小説のおすすめレビューを見る

この小説のタグ

参加中のコンテスト・自主企画