第24話 美月のブレンド⑭ 灯りの集まる場所

カフェ・デ・ソルテの窓辺。

夕方の光が、カップの縁を淡く染めていた。

美月は、ノートを開いたまま、ペンを持つ手を止めていた。


 


SNSでのやりとりが、少しずつ増えてきた。

投稿に反応してくれる人。

言葉を返してくれる人。

静かな交流が、確かに育ち始めている。


 


「……言葉って、こんなふうに育つんだ」


 


独り言のようにこぼしたその声は、

自分自身への驚きと、少しの戸惑いを含んでいた。


 


最初は、ただ誰かに届けばいいと思っていた。

誰かの夜に、そっと寄り添えたらそれで十分だと。

でも今は、少し違う。


 


——言葉が届いたあと、そこに何が残るんだろう。


 


返信をくれた人の言葉を、何度も読み返した。

「救われました」「ありがとうございます」

その一言一言が、美月の胸に静かに灯っていた。


 


でも、それだけじゃない。

その人たちの中にも、言葉が芽吹いている気がした。

誰かに渡したくなるような、

誰かの夜に寄り添いたくなるような、そんな言葉が。


 


「……私の言葉が、誰かの言葉を育ててる」


 


その気づきは、少しだけ怖くて、でも嬉しかった。

責任のようなものを感じた。

でも、それ以上に、言葉の力を信じたくなった。


 


マスターが、カウンター越しに声をかける。


 


「言葉の居場所、見つかりそうですか?」


 


美月は、少し考えてから答えた。


 


「……まだ、はっきりとはわからないです。

でも、言葉を渡すだけじゃなくて、

言葉が育つ場所をつくれたらいいなって思うんです」


 


マスターは、やさしく頷いた。


 


「言葉は、居場所があると強くなります。

誰かに届くだけじゃなくて、

そこに根を張って、灯りになる。

あなたの言葉は、もうそうなり始めてますよ」


 


美月は、ノートに視線を戻した。

ページの隅に、ふと書き留めた言葉があった。


 


> 言葉は、風に乗って届く。

> でも、灯りになるには、居場所がいる。


 


その一文を見て、胸の奥がじんわりと温かくなった。

言葉の居場所。

それは、誰かの心かもしれないし、

このカフェのような場所かもしれない。


 


——もしかしたら、私自身がその居場所になれるのかもしれない。


 


その夜、美月は新しい投稿を綴った。

今までより少しだけ長く、

でも、変わらず静かで、やさしい言葉。


 


> こんばんは。

> 言葉を持て余しているあなたへ。

> その言葉は、誰かの灯りになるかもしれません。

> あなたの中にある声を、どうか捨てないでください。

> ここに、言葉の居場所があります。

> 必要なとき、いつでも来てください。


 


投稿ボタンを押す。

画面が切り替わり、言葉が世界に放たれた。


 


その瞬間、美月は、少しだけ深く息を吐いた。

怖さもあった。

でも、それ以上に、静かな確信があった。


 


——言葉は、渡すだけじゃない。

育てることも、守ることもできる。


 


その夜、カフェには数人の客がいた。

窓辺で読書をしている女性。

カウンターで静かにコーヒーを飲む青年。

そして、入り口近くの席で、便箋に何かを書いている制服姿の少女。


 


美月は、そっと目を向ける。

彼女だった。

文通を再開した、あの子。

最近は、週に一度くらいのペースで手紙を交換している。

互いに名前は書かないけれど、言葉のやりとりは、確かに続いていた。


 


彼女は、便箋を折りたたみ、封筒に入れて立ち上がった。

そして、カフェのポストにそっと投函する。

その手つきは、少しだけ緊張していて、でもどこか嬉しそうだった。


 


美月は、席を立ち、彼女のそばに歩み寄った。


 


「こんばんは」

「……こんばんは」


 


ふたりは、少しだけ照れたように笑い合った。

言葉は少ないけれど、そこにある空気はやわらかかった。


 


「今日の手紙、もう書いた?」

「うん。それは……家のポストに入れてきた」

「そっか。楽しみにしてるね」


 


彼女は、少しだけ視線を伏せてから、言った。


 


「この手紙は……別の人に。

最近、言葉を渡してみたいって思うようになって」


 


美月は、胸の奥がふわりと熱くなるのを感じた。

言葉が、またひとつ、灯りになっている。


 


——あの子は、もう誰かに言葉を渡している。

私の言葉が、彼女の中で育って、

今度は誰かの灯りになろうとしている。


 


彼女は軽く会釈して席に戻った。

その背中は、以前より少しだけ、しっかりして見えた。


 


その隣の席では、以前「言葉に救われた」と返信をくれた読者が、スマートフォンを見つめていた。

画面には、美月の最新投稿が表示されている。

その人は、静かに微笑んでいた。


 


——言葉の居場所は、ここにある。

そして、灯りは、確かに広がっている。


 


美月は、ノートの最後のページに、そっと書き留めた。


 


> 言葉は、誰かの夜に寄り添う。

> そして、いつか誰かの手に渡って、

> 新しい灯りになる。


 


窓の外では、夜の風が静かに吹いていた。

その風に乗って、言葉はまたひとつ、

誰かの夜に、帰る場所として灯っていく。


 


そして、美月の中にも、

誰かを迎えるための灯りが、静かに灯っていた。


 


——この灯りが、次の誰かへと続いていきますように。


 


物語は、静かに幕を閉じる。

けれど、言葉の旅は、まだ終わらない。

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希望の一杯お入れします 浅緒 ひより @asao

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