思い出させてあげるよ

車を宿の駐車場に停め、二人は荷物を持って館内へ。


広いロビーを抜け、二階の部屋に入ると、窓からは穏やかな光と海風が差し込む。


桜典は荷物を整理しながら、ふと首をかしげる。


「ねぇ……渉、何するか聞いてないけど、今日はどうするの?」


渉は荷物を置きながら、にやりと笑う。


「……もちろん、海だろ?桜典」


その言葉に、桜典の目が一気に輝いた。


「海!やったぁ!絶対海って言ってくれると思った!」


渉は手際よくバッグから水着を取り出す。黒のシンプルなものから、ちょっと派手な色味のアクセントが入ったものまで。


「どうしてもサプライズしたくてさ、海ってバレるから水着は俺が選んじゃったけど……ほら、これ。お前の」

桜典のために用意された水着を見て、桜典は跳ねるように喜ぶ。


「わぁっ、渉〜!!!めっちゃ嬉しい!ありがとう!」


桜典はすぐに水着を受け取り、渉と手分けして着替えを準備する。

渉もさりげなく自分の着替えを整え、二人は部屋の中でウキウキとした空気を共有する。


「準備完了!渉、行こっ!」

「うん行こう」


ドアを開け、外の海風を浴びながら二人は手を繋ぎ、波の香りが漂う砂浜へ歩き出す。

太陽の光を浴びながら、波の音に合わせて笑い声を上げる桜典。


渉も少し照れたように微笑み、桜典の手をぎゅっと握り返す。

「……楽しみだね、桜典」


「うん!」


海へ向かう道すがら、二人の足取りは軽く、心も自然と弾む。

旅行のワクワク感、そして二人だけの特別な時間が、今、静かに始まろうとしていた。


┈┈┈┈┈┈┈┈┈┈┈┈┈┈┈┈┈┈┈┈


波打ち際に着くと、桜典は早くもテンション全開だった。


「わぁっ!海だ!海大好き!やっぱ最高!渉、見て見て!」

桜典は小さくジャンプして両手を広げ、波を蹴散らしながらはしゃぐ。


その近くで渉は、レンタルのパラソルや簡易チェアをせっせと組み立てている。


「……桜典ってば、ちょっと落ち着いてよ〜準備が終わらないと日差しで干からびるよ…」

桜典の無邪気な笑顔を横目に、渉は手早く設置を進める。


ようやく準備が終わり、渉は日陰で一息つく。

桜典は相変わらず一人ではしゃぎ、砂浜を駆け回る。

渉は少し離れた場所から、静かにその様子を眺めていた。


「……ほんとに楽しそう」

渉の瞳に、柔らかく微笑む桜典の姿が映る。


しかし、それを感じ取った桜典が、ふとムッとした顔で渉を見つめる。

「……渉、なに勝手に見てんの?影からこそこそ……俺の事そんなに放置してていいの?」


渉は少し驚きつつも、優しく微笑む。

「……眺めてただけだって、楽しそうだったから、少し…」


「ふん、渉ってばずっと座っててつまんない!無理やり連れてくよ!」


桜典は渉の手を取って、笑いながら強引に海の中へ引っ張る。


「わっ……桜典、ちょっと!急に引っ張るな!」

渉は砂を蹴り上げながら必死でバランスを取り、桜典も笑いながら渉を引っ張る。


二人は波の中で軽くじゃれ合い、海の冷たさと太陽の暖かさに包まれながら、無邪気に笑い声を響かせた。


桜典は水しぶきを上げながら、「ほら!渉も楽しまなきゃ!」と挑発する。


渉は少し困りながらも、桜典の笑顔を見て思わず笑みがこぼれる。


「……わかったよ、桜典。」


海風と波の音に混ざる二人の笑い声。

砂浜の上で、渉と桜典だけの、ゆったりとした特別な時間がゆっくり流れていった。


海についたあと、桜典のテンションはずっと最高潮だった。


誘ったのに渉を置き去りにして波に向かって走り、子どもみたいにはしゃぎ、


近くの観光客に声をかけれられれば桜典はつい反射的に愛想よく返してしまう。


「あはは!ごめんなさい俺彼氏がいるんで〜」

「写真撮りましょうか?」


そんな軽いやり取りに、桜典は自然とにこっと笑ってしまう。


それはもう、癖のようなものだった。


けれど。


桜典が振り返ると、渉が静かに立っていた。

顔は笑ってはいるが、雰囲気は真逆。


「……桜典、何してたの?」


短く呼ばれ、胸がひくりとする。

桜典が渉に近づいたとき、渉はその腕を掴み、海の浅瀬まで引き寄せた。


「…ふふ、渉…なに、その顔」

桜典が少し笑いながら覗き込む。


渉は静かに息を吐いた。


海ではしゃいだあと、

ふたりはパラソルの下で休憩を取っていた。


桜典はまだ、渉の本気の怒りが解けていないことに


気づいていなかった。


その証拠に


近くの売店のおばちゃんに

「ありがとうございます〜」と笑って返した瞬間、


ギュッ


桜典の手を渉が掴んだ。

爪が食い込みそうなほど強く。


「……っ痛っ……」


「返事する必要、ある?」

声は優しい。

なのに、氷みたいに冷たかった。


それでも、つい誰かに「すみません」とか「ありがとう」とか返してしまう。


サロンの癖が抜けない。


それが渉を刺激し続けていた。


渉はそのまま桜典の手を離さず、


店内に入って二人でゆっくり昼ごはんを楽しむ。


桜典が席に座ると、店員が話しかけてきて思わず愛想良く楽しそうに話してしまう


「そうなんですか〜!えー次また来たら今度はこっち頼もうかなぁ」


ガッ


渉のかかとが、桜典の足の甲を踏んだ。

重い。今日サンダルなのに…。


逃げられない力で、強くつま先を潰される


「……っ」


桜典は息を飲む。

けど痛みより、その先にある“意味”のほうに

身体が熱くなる。


背中をぞくっとした快感が静かに落ちてきた。

怖いはずなのに、

“自分のことを強く見てくれている”という実感が甘く絡んでくる。



渉は何事もなかったように水を飲むだけ。


「痛いなら言ってね」


「……言えないようにしてるでしょ、渉」


「そうだね」


あまりにも自然で、

まるで当たり前の、呼吸のように罰を与える渉に、桜典は胸の奥がキュッと締めつけられた。


怖い。


でも、その怖さに甘さが混ざってしまう自分を止められない。


桜典が黙ると、

また渉は足をグリグリ踏んでくる。


その瞬間、小さく身体が震えた。


(……あ、これ……本気のやつだ……)


つい数秒前まで忘れていた。


渉の独占欲の強さ。

そして許していない時は罰を続ける癖。


渉の“物”として扱われる感覚が、

ほのかな痛みに混ざって染み込んでくる。


桜典はそっと身体を寄せ、

手を渉の膝の上に置いた。


「……渉」


「なに?」


優しい声で、まったく優しくない目。


桜典は目を伏せ、

心のどこかで満たされながら囁いた。


「……ごめんね…?…ちゃんと、渉だけ見るよ、

もうほかの人と勝手に話したりしない。」


渉の口角がほんの少し上がる。


「遅い」


その言葉に、

桜典の胸は怖さと同時に甘くしびれた。


「なーんか、生意気だな、桜典?」


その一言で、

桜典は喉がきゅっと鳴るほど熱くなる。


渉は指を絡めたまま、


「今日は夜まで海で遊ぶって言ってたよね?」

桜典が不安そうに聞く。


渉は淡々と告げた。


「やめるよ。桜典の気持ちが俺以外へ逸れるなら、耐えられない」


「渉、ほんとに怒ってる?」


「怒ってる。ずーっと怒ってるよ」


強いのに、冷静で。

その“怒ってる渉”に縛られている感覚が、

桜典の心をさらに沈ませていく。


渉は桜典の腕を掴んだまま歩き出した。


「戻る。旅館」


当然のように拒否できない。

それどころか身体の奥が熱くなる。


料理はそのまま。


海のざわめきが遠のいて、

ふたりの影だけが並んで宿へ伸びていく。


渉の手は冷たい。

絶対逃がさない強さ。


桜典は歩きながら、

胸の奥でゆっくりと悟った。


この後がもっと怖い。



旅館の静かな廊下に入った瞬間

重い空気がふたりを包んだ。


ここからは、渉の領域だ。

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お似合いなあの2人はなんだかヘン 玉木木木 @5G_biglove

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