リフレッシュ

閉店後、サロンの灯りが消えた静かな空間で、渉はパソコンの画面をじっと見つめていた。


桜典が後ろから近づき、肩越しに覗き込む。

「…なに見てるの?」

「旅行のプランを考えててね。少し二人で日常を離れてみようかと思ってさ」


渉はいつも通り優しい微笑みを浮かべつつ、目の奥には少し緊張があった。桜典がどう思うか、それが気になっていたのだ。


桜典は目を輝かせて笑う。

「旅行っ!いいじゃん!それっ、最近ずっとサロンばっかだったし、リフレッシュしたい!」

「良かった、じゃあ、予定を合わせないとね」


渉は桜典の手をそっと握り、軽く引き寄せる。触れるだけで二人の間に安心感が流れる。


「どこ行く?温泉とか海とか、山とか?」


渉の声は低く、優しい。しかし、その言葉には彼らしい独占欲もにじんでいた。


「うーん、とりあえず静かなところで…誰にも邪魔されたくないな」


「わかった、日程はどうする?週末二日くらいで、連休も使えるけど」


「うーん…でもやっぱり俺達サロンもあるから無理のない日程がいいかな。」


桜典の答えに、渉は微笑む。目の奥で、少しだけ優越感を感じながら。


「そっか。じゃあ、平日一泊でもいいかもね、人も少ないし、落ち着けると思う。」

「平日かぁ、いいね!静かそうで渉と二人ならそれだけで十分だし」

桜典は目を輝かせて、渉の手を軽く握る。


「宿も考えないとな。希望は?」

「うーん…露天風呂付きとか?あれ憧れるっあと部屋に小さなリビングがあって、夜に二人でゆっくりできると嬉しいな」

渉はうんうんと頷く。


「わかった。いくつか候補を探しておく。もちろん、好みに合わせるからね」


「ありがとう、渉。さすがだね〜これ以外はもう全部お任せしちゃおうかな?」

桜典の笑顔に、渉の胸の中で独占欲がふわりと膨らむ。


「なにも心配しなくていいからね、安心して、誰にも会わない場所を選ぶから…」


桜典は少し色気のある目で見上げる。

「うん、わかってる。俺も二人だけの時間、大事にしたいから 」


二人で候補の宿を検索しながら、細かい希望や楽しみ方を話す。


夜ご飯はどうするか、周辺で散歩するか、少し冒険してみるか…それとも部屋で過ごすか。


話すほどにワクワクが増え、自然と肩が触れ合う距離になる。


「…行くのが楽しみだね、渉」

「だね。桜典と一緒なら、どこでも楽しいけど」

渉はそっと桜典の手を握り、軽く親指で弾くように触れる。

桜典はにこりと笑い、腕を寄せてくる。


二人だけの計画。それは単なる旅行の準備ではなく、互いを確かめ合う、静かで甘い時間の始まりだった。

┈┈┈┈┈┈┈┈┈┈┈┈┈┈┈┈┈┈┈┈

旅行当日


まだ空が薄い青にもなりきっていない時間。

目覚ましが鳴った瞬間、桜典は布団の中で呻いた。


「……早すぎ、無理……」


隣では渉も同じように目を細め、片手で目元を押さえながらぼそっと言う。


「……桜典……起きろ……俺も起きてる……はず……」


「はずって言ってる時点で、起きてないじゃん……」


2人でぐだぐだ言い合いながら、なんとか上半身を起こす。

いつもはてきぱき動ける渉でさえ、今日は寝癖がふわっと跳ねているほど眠い。


洗面所で顔を洗いながら、桜典が渉の背中に額を押しつけてくる。


「渉……んー、眠い…支度して……」


「……俺も眠い……支度は自分でしろ……」


「むり……」


「むりじゃねぇよ……」


そんな会話をしながらも、二人はどうにか着替えて荷物を持ち出す。

玄関で靴を履くころには、ほんの少しだけアドレナリンが出てきて、

桜典がようやく笑った。


「でもさ、こういうの……なんか修学旅行の朝みたいでワクワクする」


渉は鍵を閉めながら小さく笑う。


「お前はすぐ楽しそうな顔するな。眠いくせに」


「渉と行くんだからね。眠い>嬉しいにはならないよ」


その言葉に渉の目元がやわらかくなる。


┈┈┈┈┈┈┈┈┈┈┈┈┈┈┈┈┈┈┈┈


エンジンをかけた車に乗り込むと、車内は静かで、早朝特有の冷たい空気が漂っていた。


渉が運転席でシートベルトを締めると、

桜典はさっそく助手席のシートに体を預け、ふあぁと小さな欠伸を漏らす。


「渉、運転ありがとね……俺、助手席でいい?」


「そりゃそうだろ。桜典に運転させたら、車が目的地につかない。」


「ひど…」


朝のまだ薄暗い景色の中、車は街を抜けてゆっくり走り出す。

信号も少なく、道路は空いていて、

ただ「二人だけの空気」が車内に満ちていく。


窓の外を眺めながら桜典がぽつり。


「渉の運転ってさ、安心する」


「安心するなら寝ててもいいぞ〜早起きだったし、桜典早起き苦手なのに」


「寝ないよっ渉と旅行行くのに、寝てたらもったいない!」


渉はハンドルを握ったまま、横目で桜典を見た。


「……そんなこと言われたら、頑張って早起きした甲斐があったねえ」


「でしょ?」


二人の会話はゆっくりとしたテンポで続き、

眠気も残ったままだけど、確かに“旅が始まった”空気があった。


途中、赤信号で車が止まる。


その刹那、桜典がふわっと渉の腕に触れる。


「渉、楽しもうね。今回の旅行」


「……こら、運転中」


「うるさいなぁ、止まってるから運転中じゃないの!」


そう言った瞬間、ほんの小さな笑い声が車に満ちる。


眠い目をこすりながら、それでも二人で向かう朝。

その疲れさえ、今は“幸せの一部”だった。



  • Xで共有
  • Facebookで共有
  • はてなブックマークでブックマーク

作者を応援しよう!

ハートをクリックで、簡単に応援の気持ちを伝えられます。(ログインが必要です)

応援したユーザー

応援すると応援コメントも書けます

新規登録で充実の読書を

マイページ
読書の状況から作品を自動で分類して簡単に管理できる
小説の未読話数がひと目でわかり前回の続きから読める
フォローしたユーザーの活動を追える
通知
小説の更新や作者の新作の情報を受け取れる
閲覧履歴
以前読んだ小説が一覧で見つけやすい
新規ユーザー登録無料

アカウントをお持ちの方はログイン

カクヨムで可能な読書体験をくわしく知る