報告

夜遅く。

 渉と桜典の家を出て、姉はタクシーに揺られながら小さく息をついた。


「……はぁ。あの二人、ほんと仲良かったなぁ。まじで安心した!」


 そう呟きながら、玄関の鍵を開けて家に入る。


 リビングには、まだ両親が明かりをつけて待っていた。

 母親は心配しすぎて目が赤く、父親も腕を組んだまま座っている。


「おかえり。……どうだったの?」


 母の第一声は、期待と不安が入り混じった声だった。


 姉は靴を脱ぎ、バッグを置いてから、ふうと軽く笑った。


「大丈夫だったよ。むしろ……仲良すぎでしょってレベル」


「……本当に?」

「……傷は?桜典くん、ちゃんと元気そうだった?」


 二人は食い気味で質問を重ねてくる。


 姉は少し驚きながらも、ひとつずつ丁寧に答えた。


「うん、超ガチ、すっげーマジで桜典くん、超元気だった。なんなら渉より元気だった。

 傷は……うん、確かにあったけど、あれは“そういう関係”の中で出たものって感じ。苦しんでる様子は、一切なし!」


 母親は眉を寄せたまま、まだ信用しきれない表情を浮かべる。


「……でも、あの子、無理して笑ってるとか…ない?」


「ないよ。むしろ一番楽しそうだったの、桜典くんだから」


「渉は?渉はどんな顔してたの?」


 父の声にはまだ疑いが滲む。


 姉は苦笑しながらも説明を続けた。


「渉?めっちゃ普通だったよ。桜典くんにずっと優しいし、てかあたしとの扱いの差!……二人でキッチンで料理してて、喧嘩の雰囲気ゼロ。あれ見たら、暴力とかほんとに考えられないって。昔に戻ったって思えないよ、目が穏やかだった。」


 両親は黙り込み、互いの顔を見合わせる。


「……でも……傷があるのは事実よね……?」

「親としてやっぱり不安だ」


 姉はため息をつき、少しだけ表情を引き締めた。


「ねぇ聞いて。二人はお互いに合意した関係でしょ。桜典くんもはっきり言ってたし、渉も真剣に言ってた。愛情がある関係だって」


「……でも、それをどう信じれば」


「見てよ。あたし、今日実際に見てきたよ?二人とも、離れてた1週間ボロボロだったくらいには、お互いが必要なの」


 両親は再び沈黙し、壁の時計の秒針だけが部屋に響いた。


 姉はそっと母の隣に腰掛け、真剣に見つめる。


「ねぇ……もう無理に関わるのやめよ?二人は大人。あれ以上引き離したら、逆に傷つけるだけだよ。親の心配が行きすぎると、今度は干渉になるの」


 母の目が揺れ、父は深く息を吐いた。


「……そんなに、二人が強く繋がってるように見えたのか?」


「うん。そんな簡単に壊れるようなもんじゃないって思った。渉はあたしなんかよりずっとしっかりしてた。……親が間に割り込む余地、ほんとにないよ。」


 母の喉が震え、かすれた声で呟いた。


「……痛みが愛なんて、私にはどうしても理解できない」


「理解しなくていいよ。ただ、あの二人は幸せってことだけ信じて。それだけでいい」


 姉は母の手をぎゅっと握る。


「渉も桜典くんも、ママ達に敵意なんてないよ。

 でもこれ以上踏み込んだら、ほんとに二人を嫌な気持ちにさせちゃう。だから」


 姉は静かに、だけど強く言った。


「もう二人の邪魔だけはしないであげて、見守るだけでいいの。」


 両親は、長い沈黙のあとゆっくりと、深く頷いた。


「……わかった。そっとしておく」


「……本当に幸せならそれでいいのね」


 その姿を見て、姉は少しだけ肩の力を抜き、微笑んだ。


「うん。それでいいの。二人は大丈夫だよ。心から愛し合ってた。ね?ママもパパも……安心していいからさ」


 その言葉は、ようやく両親の胸に静かに落ちていった。


姉は両親とのやり取りを終えたあと、肩の力を抜いて自室へ向かった。


部屋に入った瞬間、安堵で足が軽くなる。ドアを閉め、ベッドの端に腰を下ろすと、すぐにスマホを取り出して渉に指を走らせた。


(正直、あれで納得してくれるとは思ってなかったな…あたしの言葉もだんだん信頼されてきたのかな)


《ママ、納得したよ👍もう口出ししないってさ安心してね!》


送信してから1分も経たないうちに、スマホが静かに震える。


渉からのメッセージだった。


《本当にありがとう。助かった》


短い。

けれど、いつものツンケンしてる弟が絶対に見せない素直さが、行間に滲んでいた。


姉は思わず息を呑む。


「……え? これ…渉が?」


驚きと嬉しさが胸の奥で弾ける。

その頃ちょうど、渉は画面を見つめたまま、薄く息を吐いていた。


「……よかった。やっと……」


桜典が隣で心配そうに覗き込む。


「渉、どうだった……?」


渉はスマホを桜典に見せながら、静かに言った。


「納得したって。姉さんが言ってくれたらしい」


桜典の瞳に涙の光が差す。


「……ほんとに?よかった……」


互いの肩に額を寄せるようにして、ふたりは同時に息を吐いた。

張り詰めていた何日もの緊張が、ゆっくりとほどけていく。


「姉さんに礼、言っとかないとな」


「うん……僕も言いたい」




**


姉はそのメッセージを愛おしそうに眺め続け、口元を押さえた。


「…………はぁ」


画面をもう一度、二度見、三度、四度……


そこには、いつも顔は笑ってるのに態度はツンと澄ましてぶっきらぼうな渉の

“柔らかい言葉” と “ちゃんとした感謝” が、並んで届いていた。


「なにこの……可愛い弟…!!!」


胸の奥がじわじわ熱くなり、思わずベッドの上で足をばたつかせる。


「か、可愛い……! ちょっと誰あの子…あたしが東京行ってる間に変わりすぎでしょ…!」


喜びが爆発し、手の震えが止まらなかった。


気づけば画面には通話ボタン。

考えるより先に、姉の指がポチッと押していた。


コール音が一回鳴るか鳴らないか


プツッ。


切れた。


あまりに早すぎる通信終了に、姉は固まった。


「…………」


数秒、時が止まったあと。


「いや、まぁ喜びすぎた私が悪いけどさぁ!!」


叫びは遠くまで響き、自室のドアまで震わせた。


**


その頃。

渉と桜典は布団の中で肩をくっつけたまま、同じスマホ画面を覗き込んでいた。


『着信を拒否しました』


渉は無表情のままぽつりと言う。


「…あいつ、絶対調子に乗るから」


桜典は肩を震わせながら笑った。


「……ふふっでも、よかったね…全部」


渉もわずかに唇の端を上げる。


「……ああ。ほんとに」


ふたりの部屋には、

静かで温かい安堵だけが満ちていた。

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