第20話 「全校“見えない日”#0と、名詞だけで笑わせる練習」

 朝。黒板わきのホワイトボードに、水無瀬の落書きがいつもより太いマーカーで踊っていた。


【本日】全校“見えない日” #0(試行)

・数字は見ない/言わない/当てない

・名詞から言う(例:水・眠気・ポスター剥がれ)

・『今日どうだった?』カード配布(ホームルームで回収)

・図書室=返却&置き場(開放)


「ハッシュタグ消せ」「拡散性が高まります」と水無瀬。頭上の——いや、今日は見ない。


「はいはーい、試行とはいえ全校イベントですからね〜。数字の代わりに言葉の筋トレしましょう」


 霜田先生は、配布用の小さな白カードを束で持っていた。角に校章入りのスタンプ。表には大きく一行。


『今日の自分(名詞→一語)』


「“名詞→一語”って?」


「“水→のどかわいた”“ポスター→剥がれてさみしい”みたいに、物を言ってから気持ちを一語。どうしても出なければ名詞だけでもOK。——数字は質問しない」


 水無瀬が手を挙げる。「先生、“節度”役は?」


「黙ってなさい」


 教室が少し和んだ。


 配られたカードを指先でしならせる。紙の匂い。視界の端に100.0が浮きそうになるけど、見ない。代わりに、茜の机に置かれた黄色いヘアピンに焦点を合わせる。


「透、書いた?」


「書く」


 ペン先が走る。


今日の自分:『カード→白い/手→すこし冷たい』


「名詞二個で逃げたな」


「初手は逃げでいいだろ」


「いいね。逃げの合図、受理」


 茜は自分のカードを俺に見せる。


今日の自分:『リボン→黄色/胸→きゅっと』


「きゅっと」


「名詞からの一語訓練」


 ——それだけで、少し笑える。



 始業チャイムのあと、校内は不思議な静けさと小声の増幅で満ちた。

 廊下の掲示板には霜田先生の三行が貼られている。


見ない/広げない/笑いにしない

+名詞から言う


 職員室前。保健室の前。生徒会室の前。

 どこを通っても、耳に入るのは“名詞→一語”の短い往復だ。


「『睡眠→不足』」「『体育→しんどい』」「『英単語→空白』」


 数字を当てっこする声は、ひとつもない。

 ——やればできる。


 2限の終わり、廊下で元・生徒会が腕を組んでいた。黒縁メガネ。いつもの情報通の顔。


「春川。“見えない日”の“逆張りクイズ”を始めた1年がいるって噂、耳に入ってる?」


「逆張りクイズ?」


「“あの二人、今何点っぽい?”ってやつ。当てないの真逆」


 小さく息を吸う。守る合図の三行が脳内に立ち上がる。


「見ない/広げない/笑いにしない」


「ね。広げないのところで止めたい。——場所は中庭」


「行く」


 中庭のベンチでは、一年の男子三人がトランプを弄びながら、ひそひそ声で盛り上がっていた。


「で、委員長って今80くらいで——」


「——“当てない”日だ」


 割って入る。彼らが顔を上げる。

 怒鳴らず、数字に触れず、**“物から”**話を組み直す。


「『トランプ→切る音がいい』。

 『昼→風→涼しい』。

 『人の数字→今日は言わない』」


 最後のは名詞ではないけれど、校内ポスターの本文を敢えて丸呑みしただけだ。

 その瞬間、三人の視線がわずかに逸れ、カードの切る音が耳に落ちた。


「……すみません」


 いちばん背の高い子が、カードを胸に抱えた。


「『噂→つい言いたい』、でした」


「『噂→置くなら図書室』。——来れる?」


「来ます」


 **“守る合図”**を、怒鳴らずに一個動かせた。

 数字を使わずに止める方法が、確かに回る。



 昼。図書室は静かな賑わいだった。

 貸出カウンターの上に、雪村さんが特設棚を作っている。白い紙に手書きのポップ。


【“名詞だけの詩” 展】

水/窓/ページ/指/光/影/きゅっと


「なんだそれ」


「“見えない日”の閲覧専用本。名詞だけで並べてみたの」


 棚に挟まれた短冊には、本当に名詞しかない。

 でも、並べて読むと、それなりに一日の景色が浮かぶから不思議だ。


「春川くん、“今日のあなた”置いていく?」


「置く」


 さっき廊下でもらったカードの裏に、短く書く。


『ポケット→カード→白』

『胸→すこし軽め』


 雪村さんは、万年筆を置いて頷いた。


「『返却カウンター→鍵→開』」


 相変わらず、∞は——見ない。

 でも、“鍵が開いてる”って言われるだけで呼吸が整う。


 そこへ茜が駆け込んできた。

 文化祭のときのカラーピンは外して、今日は黄色一本。


「透。『昼→パン→半分こ』」


「今、展示のジャンル分け中なんだけど」


「展示関係ない。半分こ合図」


「受理」


 メロンパンを半分受け取る。

 パンの甘さにまぎれて、喉の渇きが少しだけ引いた。



 午後のホームルームは全校回収タイムだった。

 「『今日の自分』カード」をクラスごとに封筒へ。名前なし。

 霜田先生は、封筒の口を閉じながら言う。


「“上手く書けなかった人”のぶんを守るための無記名だからね。——次は、“誰かの名詞”を読んで『それ自分も』ってだけ言うターン」


 読み上げはしない。公開もしない。

 **“自分も”**とだけ言う声が、教室の四方からぽつぽつ上がる。


「自分も」「自分も」「……自分も」


 それだけで、−0.2がふわっと±0に近づいていくのが分かる。

 数字を見ないのに、教室の温度がちょうど良いとこに寄っていく。



 放課後。

 中庭で捕まえた一年三人組が、約束どおり図書室に来た。

 雪村さんがカウンターの内側から白い札を一枚出す。


『噂→置き場』

・“場”に謝る(掲示板)

・“やめます”の合図を置く(三行)

・“置きに来る”(図書室)


 彼らは短い言葉で吐き出し、短い言葉で置いていった。

 その背中に、数字じゃないキラが一粒ずつ灯る。


 片付けのとき、雪村さんが共同傘の札に新しい短冊を一枚足した。


・『噂→置ける』

・『三行→守る』

・『名詞→届く』


「なあ」


「うん」


「“見えない日”、思ってたより楽しかった」


 口に出してみると、思ってたよりも本当だった。

 茜がそばで、「それ良い感想」と頷く。


「『笑い→ふつう』」「『噂→止まる』」「『今日→言えた』。——**“数字の代わり”**としては、上出来」


「診断みたいに言うな」


「『水→のど→かわいた』」「『帰り→一緒→歩く』」


「それは合図」


「合図です」


 茜は小さな拳を突き出す。こつん。数字を見ないからこそ、この小さな音がよく響く。



 夜。

 食卓で父がぎこちない声で言う。


「『味噌汁→濃い』」


「『靴→まめ→痛い』」と母。

 俺は笑って、「『封筒→少し減った』」。


「『それは良い』」と父。


 ——三行の“守る合図”と、“名詞→一語”。

 家でも、ちゃんと回る。



 翌朝。

 ホワイトボードには水無瀬のまとめ。


【“見えない日”#0 メモ】

・『自分も』の声は空調より効く

・“噂”は→図書室に置ける

・数字の代わりに

 → 名詞を増やす/合図を増やす/“また”を増やす


「“また”?」


「“また好きになる”“また置きに来る”“また言う”。“また”は安心」


 俺はマーカーを借りて、端に小さく書き足す。


今日の自分:『息→深い』


 茜が笑う。

 雪村さんが、鍵の開いた返却カウンターを指でとん、と叩いて合図を置く。


 数字の天井は相変わらず抜けない。

 でも、名詞と合図で、屋根の下の距離は確かに縮まる。


 ——“見えない日”を、月一でやる。

 その決定が、昨日の判子より静かに、でも深く、クラスの机に沈んでいくのが分かった。

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好感度が数字で見える俺のクラスで、図書委員だけずっと“∞”のままなんだが @pepolon

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