幽世と橙色

さくらしふぉん

第1話

 ――――昨日、彼女は消えた。



 きっと、この世界うつしよの裏側に。













楓奈ふうな、体調は落ち着いた?」


「うん。明日には退院できるって、先生がさっき言ってくれたの」


「そっかぁ……良かった!」



 私の安心しきった顔を見て、白いベットから上半身を起こした彼女もゆるりと笑う。



「というか、いつものことだし。みぃちゃんも、そんなに慌てて毎日お見舞いに来なくたって大丈夫だよ。」


「だって。……心配だから。楓奈がどこかにいなくなっちゃいそうで。」



 私たちは幼馴染だ。楓奈は昔から体が弱く、体調を崩してこうやって入院することもよくある。

 大抵、長くても数日で退院するのだが、やはり毎回心配性が発動してしまい、今日も学校帰りにそのまま様子を見にやって来たところだ。


 ――彼女は、私の大切な親友。

 彼女のいない生活なんて考えられないくらい、私にとって何事にも代えがたい存在なのだ。


 ……これを言ってしまうと重すぎるなぁと思い、心の内に留めるようにはしているのだが。



「あはは。そんなわけないじゃん。」

「勝手にいなくなったりしないって。みぃちゃんをひとりにしたら危なっかしいもん。」


「ちょ、ちょっとどういう意味!?」


「だってー、みぃちゃんよく迷子になるし。わたしが言わないと傘忘れるしー。」


「ぐっ……それとこれとは関係ないでしょ! た、多分……。」



 慌てふためく私の横で、彼女は笑いを堪えきれない様子でこちらを見ていた。



「だからまあ、安心してね、みぃちゃん。」


「うん……。」



 彼女のヘーゼルの瞳が、こちらを覗き込む。

 私が心配性なのは今更だけど、その瞳に私の心のさらに奥まで見透かされているのではとたまにどきりとする。


 それからも軽く雑談をして、日も沈んだので帰ることにした。



「明日退院って言ってたから……学校に来るのは明後日から?」


「うーん、明日の午後から行こうかな。」


「えっ」



 思わず帰り支度の手を止めて彼女のほうを向く。

 明日は冷え込むと天気予報で見た気がする。病み上がりには優しくない気候だと思った私は、彼女に声を掛けた。



「明日は家でゆっくりして、金曜日だけにしたら?」


「でもなー。美術はやりたいし。それにみぃちゃんと一緒に帰りたいもん。」



 そう言われると返す言葉が無い。私だって少しでも彼女といる時間が増えるのは嬉しいのだから。



「じゃあしょうがないか……。明日は寒いらしいから、カイロとか持ってきたほうが良さそうだよ。」


「ありがと。あ、みぃちゃん集金明日までだけど覚えてる?」


「あ!忘れてた!!」



 帰ったらお母さんに言わなきゃ……と言いながらスマホのメモに打ち込んでおく。



「もー。ほんと心配だなー。」


「いやいや大丈夫だって!ね!」



 彼女に挨拶をして、病院を後にする。見上げると、半分だけの月が遠くで輝いていた。



「う~……さむ……。」



 冷たい風に乗ってどこからか金木犀の香りがした。吸い込むと、顔が緩んでいくのを感じる。



「楓奈、金木犀が好きって前に言ってたなぁ。いい匂いだもんね。」



 明日の帰り道を考えて、自然と足取りも軽くなる。夕飯を楽しみにしながら大通りを越え、自分の家に帰った。










 浮かれていた。







 気付かなかった。




 気付く訳が無かった。











 明かりの燈る病院で、緑味を帯びた目をした少女はひとり。

 カレンダーと空を交互に見つめ、物憂げな顔をする。



 息を吸い、深く息を吐き、白いベッドの上でゆっくりと目を閉じた。

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幽世と橙色 さくらしふぉん @ribbonwhip_700

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