第22話 新たな世界


「セシルっ!」


 通りに響いた声に全員が驚いたようにそちらへと視線を向けた。

 暗い道を淡いピンクのドレスを絡げて駆けてくる少女の姿に全員が目を丸くする。

 踵の高い華奢な靴を左手に持ち、右手がスカートの裾をたくし上げているので絹の靴下に包まれた足が惜しげも無く見えていていた。

 何度も転びそうになりながらも懸命に走ってくるリディアの目にはセシルしか映っていないようだ。


「リディ」


 軽やかに地を蹴りセシルは残りを詰めて少女を抱き留めた。途中で放り投げられた白銀色の靴をノアールが回収に向かうために横を擦り抜けて行く。


「心配、したんだから!セシルがいなくなっちゃうんじゃないかって思ったら、わたし我慢できなくてっ」

「お屋敷を飛び出してきちゃったの?ひとりで危ないのに」


 結い上げられていた髪は崩れ、剥き出しに近い肩に流れていた。

 髪を飾っていた宝石のついた幾つもの小さなピンも走って来た道中に何個かは転がっているに違いない。なんとか髪に残っている物のひとつを掴んで取りセシルは嬉しそうに微笑んだ。


「お嬢様夜道は危険ですよ。しっかり見張っておいてくださいといっておいたのにフォルビア家の従者は無能ばかりのようだ」

「本当にクライブも然り」

「え?なんで?さっきの御者の人がここに、どうして?」


 ようやくセシル以外に人がいることに気付いてリディアが慌てる。フォルビア家のお仕着せを着ているレインと気安く話しているセシルを見て首を傾げた。


「ご紹介が遅れました。私マロウ・レインと申します」

「マロウ、レイン?まさかセシルの!」

「そうだよ。碌でもない父親のレインだ」

「あの。わたしリディアです。セシルにはいっぱいお世話になってます」


 父だと気づいたリディアが狼狽しセシルの腕を押して体を離して挨拶しようとするのを「いいって」と遮り、ぎゅうぎゅうと腕の中へと閉じ込めてレインの目から隠そうと背中を向けた。


「なんで?ご挨拶させて」

「いいよ。目が合えば妊娠させられる」

「え?ほんとにそんなことできるの!?」

「できるできる。レインにはそれぐらい朝飯前だから」

「できません!もう。リディアが信じたら困るだろ」


 戦々恐々としているリディアを見ながらノアールがため息と共にセシルの後頭部を軽く小突く。そして小さな靴を揃えてリディアの前に置いた。


「あ。ありがとう」


 忘れてたと今度こそセシルの腕から解放されて放り出した靴へ足を差し入れる。その絹の靴下に滲む赤いものを認めヘレーネは近づいて膝を着いた


「だめだよ。ヘレーネ。ドレスが汚れちゃう」

「平気よ。それよりも随分無茶して走ってきたのね」


 近くで見ると靴下は破れ、親指と小指の爪が剥げかけていた。踵は石でも踏んだのか切れて出血している。「大丈夫だから」とヘレーネの肩を押して身を引きスカートの裾を押えて血だらけの足を隠す。


「リディアの方こそ折角のドレスが汚れてしまうわ。それにこの状態で靴を履いても歩けないでしょ」

「履けないなら持って歩くから」

「リディ。力が有り余ってるのがいるから心配しなくてもいいよ」


 親指を立ててライカを指差しにやにやと笑う。指された方は頬を歪めて嫌そうな顔をするが、運ぶのが嫌なのではなく指を差されたという行為が苛立たせているのだ。


「でも」

「大丈夫。ライカならリディアひとり担いでも私より速く走れるから」


 申し訳なさそうな少女の心を少しでも軽くするためにヘレーネはにこりと微笑む。


「えっと、わたし来ない方がよかったみたい。邪魔だったよね」

「そんなことない!リディがあたしのために恐いはずの暗い道を走って来てくれたんだから」


 フォルビア家の屋敷からここまでは結構な距離がある。その間の暗い道はリディアにとってどれほど恐ろしい道程だっただろうか。闇に沈んだ道をセシルのために駆け抜けたのだ。


「いや、でも夢中で。恐いとか思うよりも、セシルがいなくなる方がわたし的には辛くて。だからね、あの」


 しどろもどろになっているリディアを愉快そうに見つめて「愛は障害を越えるってね。やっぱりリディを運ぶのはあたしがやる」と背中と膝の後ろを掬い上げるようにして抱え上げる。


「え?ちょっとセシルっ」

「フォルビア侯爵家までならなんとかなるってば」

「いや。無茶があるよ!」

「なんで?ノアールがやりたいの?」

「僕にはリディアを運ぶのはちょっと難しいというか」


 今度はノアールの口が鈍くなりそれに気付いたリディアが顔を真っ赤にして「どうせ重いよ!」と声を上げた。


「え!?いや、そうじゃなくて。僕の力が足りないんであって決してリディアが重いわけでは」

「なんかそんなに全力で言い訳されると逆に重いって宣告されてる気がする」


 必死で言い繕っているノアールに不服そうなリディアが据わった眼で見つめる。


「違うってばっ!なんで!?」

「それならば私が立候補しよう」


 楽しそうなやり取りに黙っていられなくなったレインが参加して手を挙げると素早い動きでセシルの腕からリディアを奪おうと近づいてくる。セシルが目を吊り上げて威嚇し「だめー!レインはあっちに行って。手の届かないあっちの屋敷の方まで!」とノアールの後ろまで移動して舌を突き出す。


「どうして?」

「リディは柔かくて気持ちがいいからレインが変な気を起こしちゃ困る」

「少し味見した位で減る物でもないのに」

「いいからっ!」

「はいはい」


 会話だけ聞いているととても親子の会話とは思えない。

 レインは見た目も若いので年上のお兄さんといった風に見える。


「全く、騒がしいったらないわね」

「これ以上は近所迷惑だろうが」

「それもそうね。でもリディアのことを考えると馬車を用意するしか。そうだわ」


 ヘレーネは浮かんだ妙案に手を打って楽しくじゃれ合っている輪の中に参戦した。「ちょっといいかしら」と発言すると一斉に四対の瞳がこちらを見つめる。

 期待の籠った目と不思議そうな目、胡乱な目から様子を窺う様な目。


「侯爵様から預かっている物があるの。セシルに」

「なに?」


 警戒しているセシルにライカがずんずんと近づいて腕を突き出した。その手に握られているのは五つの鍵が金属の輪にぶら下がった物。眉間に皺を寄せて「なにそれ」と言葉少なに質問する。


「クインス家の鍵よ。幸いここから近いから、そこで傷の手当てをしてフォルビア家から馬車が来るまで待ちましょう」

「馬車は誰が呼びに行くのさ」


 受け取りながらもっともな疑問をされ、一番身軽で足が速いライカにヘレーネは視線をやる。大きなため息を吐いてライカが「そいつが牙を剥いたらどうすんだ」とレインを指すので大丈夫だと背中を叩いた。


「その時はその時。それに便利屋が戻るまで見張っていてくれるわ」


 最後の方はライカにだけ聞こえる声で伝えると渋々首肯して「気ぃ抜くなよ」と警告するとするりと闇の中へ消えた。


「当たり前じゃない」


 聞こえるわけはないのにそう応えてから未だにワイワイと騒ぎ立てている四人に声をかけて案内するために先頭を歩く。


「ねえ?どうしてセシルがクインス家の鍵を受け取ったの?」

「あ!そうだった。あたしクインス家の養子になったから。別に養子にして欲しいなんて一言もいっちゃいないんだけどさ。でもこれでリディとは親戚関係になるし。これからもよろしく」

「じゃあどこにも行かない?ここにいてくれる?」

「当分はね」

「セシルっ。ありがと」


 首にしがみ付いて泣きじゃくるリディアの背を二度優しく叩いてからしっかりと抱き支え「こちらこそ」と囁くセシルの声は喜びに溢れ、しっかりと満たされている者が出せる張りのある物だった。


 奪うか奪われるかの生き方をしてきた孤独な少女が、去ることよりも留まることを選択して満足そうな顔をしているのを見れば自分の判断が間違っていなかったのだと思えて心底ほっとした。


「私は納得もしていなければ、了承もしていないよ。でもセシルが決めたことだからこれ以上はなにもいわないが。もし娘が不幸になるようなことがあれば私は容赦しない。きっとこの国を滅ぼす者となるから覚悟しておきなさい」

「しっかり心に留めておきます」


 神妙に頷くとレインが破顔して「よろしい」とヘレーネの肩に励ますように触れ、そして娘を振り返り「それじゃ私は行くよ」とあっさりとした別れの言葉を口にした。


「あ、そう。気を付けて。あんまり人に恨まれないようにね」

「お互い様だ。それでは諸君尊い目標に向かって頑張るんだよ」


 あんまりにも軽い別れ方に「え?なに?それだけ?」とノアールが困惑して手を振って通りを去って行く後ろ姿を何度も振り返る。

 あれだけ熱心に口説いていたから、別れる際も引きずるのかと思っていたので拍子抜けしたのは間違いない。


「いつもこんなもんだよ。別れは次の出会いに繋がるんだからいつまでも悔やんでいたって仕方が無いし。湿っぽいのはもうお腹いっぱいだ」

「それもそうね」


 同意してヘレーネは見えてきたクインス家を手で示すと三人の目が輝いた。重厚な横長の二階建ての屋敷は細長い窓とアーチ型の外回廊がついた美しい建物だ。今は住む人がいないことを報せるように窓には全て鎧戸が下されている。無人とはいえ管理はされているので、住もうと思えば今夜からでも住めるようにはなっているはずだ。


「ひとりで住むには勿体無いね。ノアール一緒に住む?」

「んー。寮費が苦しくなったら頼むかも」

「いつでもどうぞ」

「ずるい!わたしも住みたい」

「大歓迎。でもリディにはフォルビア家の屋敷があるでしょ」

「じゃあ泊まりに来るから」

「どうぞ」


 楽しげな会話は聞いていて飽きないが近所の目もあるのでさっさと中へと入った方がいいだろう。鉄の門を開けて入り庭を見てセシルが「改良の余地ありだね」と評したようにここの庭は殺風景だ。今の季節が冬であることを差し引いても華やかさも、見た目の楽しさも持ち合わせていない。


「貴女好みの素敵な庭にすればいいわ。さあ玄関はこっちよ」


 セシルを促して両開きの扉の前に立たせるとリディアを下して鍵の中で一番立派で大きい物を選んで差し込む。かちゃりと音を立てて開く音は未だ見ぬ未来への期待を掻き立ててくれる。


「いくよ」


 セシルが扉を引き開けてノアールとリディアが息を飲む。その顔に希望を浮かべ輝かしい将来を信じて疑わないキラキラと輝く物を見つけてヘレーネは胸を弾ませた。


 今まさに一歩を刻む。


 どんな困難や裏切りが待ち受けているのか解らないが、今は思い悩むことは止めよう。

 まっさらな気持ちで彼らのように全てを楽しめればきっとなにも恐れることは無い。


 ひとりでなら歩めぬ道も信じられる者と共になら心強く進めるはずだ。

 全ての者が皆望む物を手に入れられるわけではないが、その努力は無駄では無く奮起し頑張った者にはそれ相応の物が得られる。


 ヘレーネの中途半端だった立場は今大きく変貌を遂げ、一年間という短い猶予期間の内に多くの信頼と忠誠を得られるように足掻かなくてはいけない。


 そのための決意。

 そしてヘレーネ=セラフィスという名前との決別。


 もう二度とあの家にその名で訪れることは無いのだと思うと悲しくて悔やまれるが、過去に囚われていては進めない。この一年社交界でその名を名乗ることになるが、新しい王子としての名前がいずれは用意されるだろう。


 感傷的になっているのは失う者の大きさを知っているから。


 それでも。

 終わりが始まりを連れてやってくる。


 出会いと別れの繰り返しで歴史は紡がれ、新たな世界が開けるのだから。

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魔法学園フリザード4「騙りのレイン」 いちご @151A

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