第21話 自由への対価
「さてどうやって私を納得させるのかな?」
肩を竦めレインはその印象的な琥珀の瞳を瞬かせてヘレーネの前に立つ。身長は高くも無く低くも無い。すらりとした身体は男特有の角張りも固さも皆無だ。しなやかさで美しい長い手足が動くたびにドキリと胸が弾む。
芳しく美しい女性が甘い香りと空気を醸し出すように、レインはそこに存在しているという事実だけで人の目と注意を惹き艶めいた怪しげな魅力を発揮する。
それは意識して出している物ではないのだろうが、その威力は本人が一番に理解し自分に優位になるように振る舞う。
その力に屈してしまいそうな自分がいるのを必死で押し隠しふわりと頬笑んで見せる。
「レインを納得させるなどきっとできないでしょう」
「やる前から諦めてどうやってセシルを手に入れるんだい?」
「先程いったように私にはセシルが必要なんです。そのために父である貴方にも了承して頂きたいの。危険な仕事をお願いするのだからそれなりの褒賞と、最低限の保証はします」
何事が起こるのか想定ができない以上絶対に命を護ると確約はできない。でもセシルの命を無駄に散らせるつもりはないのだと解って欲しかった。
「セシルはまだレインとしては未熟だ。期待に添えるような仕事ができるとは私は思えないけれどね」
「完璧なレインになってしまっては人々を魅了しすぎて私の手に余りますから。今のセシルが私には必要なんです」
「一年もあれば熟して王都は堕落することになるかもしれない」
レインの危惧はその通りで、舞踏会での注目を集めていた様子を見る限りセシルが人々を狂わせる日はそう遠くない。
そうなればレインを囲い込んだヘレーネに非難が集まり立場を危うくさせる。
今まで後見人として支えてくれていたフォルビア侯爵も、カールレッド王子の寿命が尽きることが確定し協力することを受け入れてくれたグラウィンド公爵も手を引く。
そして今回セシルにクインス家を継がせることを渋々ながら認めてくれた宰相閣下にも顔を合わせることができなくなるだろう。
「その時は私が責任を取り王位継承権をトラカンの領主である王弟殿下へとお譲りいたします」
「成程。国を傾けるのも厭わないと」
「そうならないように努力はします。そしてノアールが言ったように人は変われる。どんな人と関わり、どんな目標を掲げるかで自ずと結果もついてくるんです。セシルは得難い女性で、それはレインだからではないと思います」
「セシルを形作っているのはレインとしての経験と技術だ。引き離して考えることはできないよ」
「まだ完全なレインではないのなら、そこにあるのはセシルの本質として備わった性格や思考であるとも言えるでしょう?」
論じられる己に対する評価や推測を微妙な顔で聞いているセシルに顔を向けて「どう?留まりたいと思ったのは、レインとしての自分よりセシルとしての感情が強いでしょう?」と問う。
「あたしの中で自分とレインの境界線は曖昧で無いに等しいから。よく解らない」
頭を振り正直に答えたセシルにヘレーネは小首を傾げて苦笑する。
「レインならば執着などせずに、留まろうとは思わないはずだけど」
「あたしはできそこないだから」
「人はみなできそこないなのよ。セシル」
だからこそ寄り添い、力を合わせて協力して生きていく。
自分に無い物に惹かれ、焦がれ、求めるのだから。
「人はみな違う意志を持ち生きている。だから貴女も貴女の気持ちを優先して生きていい」
「誰よりも自分の想い通りに生きられないヘレーネがいうのは痛々しいよ」
「あら?だからこそ他の人にはそう生きて欲しいって思うのに。それにね。私は決めたの。自分の意思でこの運命を生きるって」
始まりは願わぬ物であっても、その道を拓き共に歩いてくれる人がいてくれるならそれも悪くないのだ。例え思い描いていた未来とは違っていても、失われていく時間と命を無駄に消耗するわけにはいかない。
ヘレーネもこの国を愛している。
自分が降りれば戦禍で疲弊し朽ち果てる運命しかフィライト国に待っていないのならば逃げることは赦されないし、逃げたくは無い。
「レイン、貴方がセシルと一緒に居たいと願うのならば王都に留まるのも構わない。でもセシルを連れて行くのは許可できません」
「俺がどこまでも追いかけて行き、セシルを連れ戻す。あんたを殺してでも俺はやる」
ライカの敵意を籠めた瞳にレインは「殺してでもね」と自嘲の笑みに似た物を浮かべる。そして娘の頭に手を乗せて優しく撫でると「無茶苦茶だ」と明るく囁いた。
「でもレインも同じことをした」
「そうだね。私もクラウディアを殺してセシルを手に入れた」
「ライカが幾ら強くてもレインには敵わないよ。あたし達は逃げ足だけは天下一品だからね。きっと追いつけない。そんなに月日を費やしてライカを王都から出したら元々の目的を達成できないよ。本当に無茶苦茶で考え無しだ」
「大義のためにセシルを取り込もうとしているのに、おかしな子たちだ」
忍び笑いを洩らして親子はヘレーネとライカの決意を滑稽だと評する。
その通りかもしれないが、それほどセシルの力が不可欠だと思っているのだとどうやったら伝わるのか。
「セシル。自由には犠牲がつきものだ。残るのならばなにを犠牲にするのかな?」
レインが覗き込み、セシルは顔を上げて見つめ合う。琥珀の瞳が交わった瞬間に目には見えない波動のような物を感じてヘレーネが一歩下がる。ライカが護るように背中に庇い、ノアールが言葉にならない声を上げた。
男の持つ空気が変わり、従わせようという強い意思と圧迫感が支配する。王気に似た覇気が辺りを包み、呼吸すら満足にできない。目には見えない力がレインから放たれ、知らずに膝を折ろうとしている自分に気づき奮い立たせる。
ヘレーネがレインに膝を折ることは赦されざる行動だ。
「セ、シル!」
名を呼んで手を伸ばすノアールの額には汗が浮いている。
ふと見ればレインはセシルの手を取り優しく引き寄せようとしていた。
これで解った。
レインは娘を手放す気などない。
セシルがディアモンドに残りたいと思っていても、自分に従わせ諦めさせてしまう。
「残るより私と行った方が賢明だ。セシルは愚か者でも間抜けでもない。よく考えれば自由に対する犠牲の対価が等しくないのだと解るはずだよ」
更に空気が重量を増した気がする。セシルは瞬きもせずに直向きな瞳でレインを見上げているだけで言葉を発しない。
「一瞬の執着など取るに足らないし、直ぐに消え去り忘れてしまう。そうだ。私が忘れさせてあげるから大丈夫。安心しなさい」
レインが両腕で抱き締めるとセシルはその胸に頬を当てて目を伏せる。流されそうになっているのを見てヘレーネは無性に腹が立った。その対象がレインになのか、セシルになのか解らないが目の前に立っているライカの腕を押して前に出る。
「しっかりしなさい!貴女は自分の自由な意思でここに残りたいと選んだんじゃないの?ここでレインのいいなりなって従うことはただの服従よ!レインがやっていることは貴女のなによりも嫌う権利と自由を奪う行為なんじゃないの!?」
「私はセシルの父親だ。保護者である私が娘の幸せを護るために従わせることは悪ではない。当然の権利だよ」
人差し指を唇に当てて黙っていて欲しいと意思表示されるが、ここで引き下がってはセシルをみすみすレインに渡すことになってしまう。
折角ディアモンドに残ってもいいと思ってくれたのに。
「残念だけれどフィライト国では十五歳になったら色々な権利を与えられるのよ。保護者だろうが、親だろうが関係なくひとりで生きて行こうと思えば生きられる。自由な意思で選択できる。それを害する権利は誰にも無いのよ」
「セシルと私はフィライト国民じゃないからね」
「いいえ。セシル・レイン・クインスはれっきとしたフィライト国民よ?忘れたのかしら」
正式に登録されたセシルの戸籍は彼女をフィライト国民として認め、国が護る対象であると保証してくれる物だ。
「詭弁だ」
「それこそ貴方たちの得意分野でしょう?」
煽って見せるとレインが半眼になって大きなため息を吐く。片手でセシルを抱き、片手を上着の袷目に入れる。ライカがヘレーネの肩を掴んで後ろに下がらせて身構え、ノアールは眉間に力を入れて奥歯を噛み締めた。
「またひとつ入国を禁止される国が増えるのか」
やれやれといいたげな顔で、大した憂慮でもなさそうに言い放ちゆっくりと懐の手を動かす。
「ない」
「セシル?」
「いか、ない」
レインの手首を押えてセシルがはっきりと答えた。
月光を弾いて煌めいた瞳には拒絶の意思と決意の大きさを含んでいる。レインは眉を寄せて腕の中の娘を軽く揺さぶり「本気か?」と確認した。
「毎回レインの奥さんに嫉妬され邪険にされるのは正直しんどいんだ。寂しいし、辛いんだよ。だから一緒には行かない」
「ばかだな。そんなことどうして」
「あたしができそこないだからだよ。愚かにも執着して、満たされることを知った間抜けなんだ。レインとしては不合格。落第者。だから死んだと思って、新しいレインを作りなよ。それともその刃であたしを殺す?あたしはそれでも構わない」
レインはセシルの柔らかな髪に顔を埋めて「できない」と震える声で呟く。他者を殺めることは容易くても血縁者である娘を殺すことはできないのだろう。
レインにしか執着を赦さない過酷な生き方をセシルによって否定され恐怖に震えているのか。
「……二度目だ」
ぽつりと零された言葉の意味を知る者はいないのか、セシルも怪訝そうな顔で「二度目?」と聞き返す。
「私はレインに刃向ったことも、疑問すら抱いたことも無いんだ。放浪することも、悲しい昔話も、歴代伝えられる技術や知識を習得して、寄ってくる人の感情を支配し悦ばせる。そうして生きて行くことを辛いと思わないし、それがお互いのためだと理解している。独り立ちをして初めての役割が次のレインを作ること。一番明るくて楽しいクラウディアを選んだ。一緒に旅をする相手として連れて回るにはそういう性格の子の方がいいと思ったから」
それが間違いだったのかもしれないと続けてレインは一呼吸開ける。
「明るい癖に寂しがり屋のクラウディアの血が混じったことでセシルは私より母親を恋しがる子だった。クラウディアから引き離せば暴れて喚き立てる。両手を母親に突き出して助けを求めるから私は焦って説得する労力も割かずにクラウディアを殺めた。床に倒れた血まみれの母親をセシルはベッドの上から俯せになって眺めて、次に非難するように私を見た。赤ん坊が私の行為を責めるなんて驚愕だよ」
「有り得ない。レインの気のせいだ」
「いや、気のせいじゃないよ。セシルを抱えて逃げようとしたら今まで以上の激しい抵抗にあったからね。あの時も瞳には強い拒絶と私への嫌悪が滲んでいたから。少なからず衝撃を受けたよ」
赤ん坊の表情の中に拒絶はあっても、嫌悪という感情が存在できるとは思えない。それでもレインはそれに近い物をセシルの中に見出したのかもしれなかった。
「私はその時まで誰かに拒まれるという経験をしたことが無かった。初めて恐怖と戦慄を覚えたんだ。必死で子育てをしながら、レインとしての生き方を教えて行くうちにセシルの瞳から拒絶と嫌悪は消え慕ってくれるようになった時、私の中に芽生えた執着はすごい物だったよ」
肩を揺らして笑う声に自嘲の響きが混ざっていた。
「他の誰にも渡したくないと思ったんだよ。笑えるだろ?」
「いいえ。娘を持つ父親は皆そう思っているそうよ」
「とにかくなによりも大切なんだ。不幸になると解っている娘を置いて立ち去ることも、クラウディアを殺したように簡単に殺めることも、セシルがいるのに新しいレインを作ることもできない。だからセシル、私と一緒に来て欲しい」
どうか――と願い片手で掻き抱く父の中でセシルは可愛らしい顔で微笑んだ。
初めて見る少女のような笑顔にヘレーネの胸の内側が引っ掻かれ、その痛みと共にその笑みは刻まれる。
「たったの一年だよ。一年経ってレインとして生きることへの未練があったら、あたしはレインを探し出してまた一緒に旅をする。その時はちゃんとレインのいうこときくし、なんだってするから」
「だめだ。不幸になる」
「ならないかもしれない。だから今は離れて暮らそう」
肩で胸を押してセシルはレインの腕から逃れる。
ノアールの隣に立ち少し照れ臭そうな顔で父を眺めると「あたしが犠牲にするのはレインとの大切で濃厚な時間だよ」と高らかに声を張り上げて覚悟を口にする。
「レインの名前と同じぐらい大切な物だから、今回の自由に支払う価値はあると思う」
「それだけの価値が彼らにあると?」
「う~ん。まあそういうことかな。まだよく解らないけど」
そうなればいいなと思っていると続けてセシルがライカに手を差し出す。握手かと怪訝そうな顔で手を乗せれば「ちょっと!」と手を払い除けられた。眉を跳ね上げて「なんのつもりだっ!」と怒鳴ったライカにセシルは呆れたような目を向けた。
「書類。あたしの身を護る大切な物」
「ちっ。紛らわしい」
「ちょっ!なんなのさっ。投げつけるとか有り得ないんだけど!宰相閣下の署名の入った重要書類だってのに」
胸元に投げつけられた封書を受け止めてセシルが文句をいうがライカはそっぽを向いて知らぬふり。
「力加減の解らない乱暴者と握手して怪我させられたら困るからね。ヘレーネ!ちゃんと猛犬の躾けしといてよ」
「女性の扱いはライカの専門外だから。検討しとくわ」
「検討じゃなくて約束して」
胸のポケットに書類を入れてセシルはヘレーネに催促してくる。さてどうしようかと苦笑すればライカが仏頂面で睨んできた。
「まあ、追々ね」
確かに社交界で生きて行くには女の扱いを知らぬより、最低限の作法と力加減は必須である。相手に怪我をさせてはいらぬ訴訟を受け処罰されることもあるだろう。
大事な人材を失うのはヘレーネにとって痛手となる。
それも少ない友人であるのならば尚のこと。
ライカは嫌がるだろうがそこは飲んでもらうしかないだろう。
とにかくなんとかなったのだとほっと息を吐いた時だった。
新規登録で充実の読書を
- マイページ
- 読書の状況から作品を自動で分類して簡単に管理できる
- 小説の未読話数がひと目でわかり前回の続きから読める
- フォローしたユーザーの活動を追える
- 通知
- 小説の更新や作者の新作の情報を受け取れる
- 閲覧履歴
- 以前読んだ小説が一覧で見つけやすい
アカウントをお持ちの方はログイン
ビューワー設定
文字サイズ
背景色
フォント
組み方向
機能をオンにすると、画面の下部をタップする度に自動的にスクロールして読み進められます。
応援すると応援コメントも書けます