第23話 胸のざわめき

 どんなに胸がざわついていても日が傾いてくれば、1日の終わりが近づいてきたと気付かされる。私はテーブルの食器を片付けながら小さくため息をついた。


「梅野さん、お客さん来てる」

「はい……いらっしゃいませ」


 入り口に向かうとそこには、はるくんが立っていた。

「奈々ちゃん……」

「はるくん……こちらへどうぞ」

 少しだけ、胸のざわめきが落ち着いていくのを感じた。やっぱり彼がいてくれると、私は安心できるのだろうか。


 お水を持っていくと、はるくんが口を開く。

「今日、バイト何時まで?」

「5時には終わるよ」

「じゃあ、終わったら話せないかな?」

「うん……わかった」


 はるくんと話ができる……ちょっと緊張するけど、話を聞くのが怖いけど、きちんと向き合いたい。

 胸を押さえながら、私は深呼吸をしてキッチンに向かった。



 アルバイトが終わり、着替えてからカフェを出るとはるくんが待っていてくれた。彼の横顔が夕陽に照らされて、瞳が揺れている。

 近くの公園まで2人で歩いてきた。雨上がりですっかり乾いたベンチに座ると、はるくんが私の顔を見つめる。


「奈々ちゃん、昨日はごめん。笹谷さんとは何もないんだ。あの時はサークルのメンバーで集まってただけなんだよ」

「本当?」

 信じたいのにまだ不安で、私は彼の目を見る。


「本当だ。それに彼女にははっきり言った。奈々ちゃんが好きだって」

「はるくん……」

 わかっていたのに、彼は私をいつも大事にしてくれるって思ってたのに、言葉で言われるとほっとして涙があふれてくる。


 はるくんのあったかい手で髪を撫でられる。このぬくもりがずっと欲しかったんだと気づいて、彼に寄り添う。

 もう離れたくない気持ちでいっぱいになって、その腕にしがみついた。


「私もごめんなさい。あの時先生に甘えてしまって」

「……僕のせいだよね」

「それは……」

 

 はるくん、そんなに悲しい顔……しないで。

 私は彼の手にそっと自分の手を重ねた。


「……確かに、笹谷さんを見て不安になった。けど、はるくんのことも信じたかった。怖くて先生に逃げちゃっただけなの」

「僕はあの先生には……かなわないのかなってずっと思ってたんだ。松永のこともわかってるから」


 そう、松永先生はいつだって包容力がある。だけどこれからも一緒にいたいのは――


「先生は、先生だよ。それ以上にはなれない。私がそばにいたいのは……はるくんだけだから」

「奈々ちゃん……」

 彼が指で優しく涙を拭ってくれた。そのまま抱き寄せられると、懐かしい匂いがする。はるくんの腕の中が一番安心するんだってやっと気づいた。


「……してもいい?」

「うん……」


 久しぶりに重なる唇はいつもよりも甘く感じた。一度だけじゃ足りなかったのか、何度も触れ合う。お互いの心臓の音が聞こえるぐらいに。


「……ずっと奈々ちゃんとこうしたかった」

「私も……」

 2人で小さく笑い合う。

 今度こそ、はるくんと前に進める――そう思いたかった。


 だけど私の心の中には、お母さんと先生のことが残ったままだった。まるで、誰にも踏まれずに残った小さな水たまりみたいに。



 ※※※



「奈々ちゃん、行こうか」

「うん」


 8月の下旬、私たちは花火大会に行った。人が多いのではるくんがしっかりと手を握ってくれている。


「あ……」

「どうしたの?」

「はるくんと初めて花火を見たこと、思い出した」


 中3の夏休み、地域の花火フェスタで一緒に見た花火。あの時も確かこんな風に、ぎゅっと手を繋いでくれてたんだっけ。

「……あの時、すごくドキドキしてた」

「私もだよ」


 繋いだ手がさらに強く握られて、胸が高鳴る。

 やがて、空に大輪の花が咲き乱れた。


「……綺麗」

「うん……」


 金色の糸が解き放たれ、パチパチという音とともに煌めきながら夜空に溶けてゆく。赤や緑色の華やかな光が眩しく輝き、心を弾ませる。


「はるくん、連れてきてくれてありがとう」


 花火の光に照らされた彼の笑顔は、もっと眩しかった。

 もう一度彼の手をぎゅっと握って、私も笑っていた。



 やがて花火が終わり、人の流れについて行きながらゆっくりと歩き出す。

 その時、視線の先に見覚えのある後ろ姿を見つけた。


 あれは――もしかして松永先生?


 はるくんが隣にいるのに、胸騒ぎがする。

 あれから先生とは連絡を取っていない。

 今……どうしてるのかな。


 こんなことを考えていたら、その人が振り向いた。

 ――人違いだった。


「なんだ……」

「どうかした? 奈々ちゃん」

「あ……ううん。大学の人かなと思ったら違ってただけ」


 松永先生じゃなかったのに、いつまで経ってもこの胸騒ぎはおさまらなかった。まるで、あの夜の雨がまだどこかで降り続いているように。

 人混みにまみれて、心の中がざわざわとしたまま――帰路についた。



 ※※※



 (松永先生視点)

 夏休みがもうすぐ終わる。俺は自宅で2学期の準備をしながらスマートフォンを確認する。

 

 最近、凛々子さんからの連絡が来なくなった。自分も課題や授業の準備で慌ただしくて、メッセージを送るタイミングを逃していた。

 それに、奈々美さんからも音沙汰はない。まぁ、きっと悩みが解決したのだろう。


「……電話してみるか」


 夕方、彼女に電話をかけた。

「……もしもし?」

 凛々子さんは元気のなさそうな声だ。体調でも悪いのだろうか。


「凛々子さんの声が聞きたくなって」

「弦くん……ごめんね、連絡できてなくて。ちょっと夏バテ気味だっただけ」

「そうか。暑いからな」

 そう言いながらも、通話の向こうにいつもの笑顔を感じられなかった。


 少しだけ雑談をしてから電話を切る。

 彼女と話せたのに、まだ何かが不安だった。


 まさか――あのようなことになるとも知らずに。

 



 ※※※※※※※※※

 



 お読みいただきありがとうございます。

 ここで第二章は終わりです。次からは第三章、秋のエピソードが始まります。胸騒ぎを残したままだった奈々美ですが、ある出来事が彼女を導いていきます。

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2025年12月30日 07:05
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君の隣で、未来も揺れている ―恋の四季をめぐって― 紅夜チャンプル @koya_champuru

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