金曜日のカップ麺
幸まる
今週も来週も
「カップ麺、出来たよ」
声を掛けられて、二階から居間へ降りていった金曜日の夜七時。
一緒に二階から降りてきた白猫のはーちゃんも、呆れたようにニア〜と鳴く。
「ちょっと、またカップ麺だけなの?」
「そうだよ〜。これ、新発売のトムヤンクン味。カレー味とどっちがいい?」
悪びれずに笑うのは、三つ上の姉、
緑色のメッシュが幾筋か入ったボブヘアーをさらりと揺らし、磨かれた爪の先でカップ麺を突付く。
コップと箸をきちんと揃えて置いてあるのは、ちゃんと夕飯を用意しましたという主張だろうか。
「先週もカップ麺だったじゃない。せめて何かおかずも用意するとかしてよ」
「え〜、先週はメンチカツあったでしょ」
「買ってきたお惣菜、パックまま置いてただけじゃん」
「なによ〜」と秋恵がツヤツヤの唇を尖らせたところで、キッチンタイマーが鳴った。
深雪はもう一度溜め息をついて椅子に座り、カレー味の方を取った。
定番の味が安心だ。
深雪の家は父子家庭。
毎週金曜日は父が夜勤で、姉妹二人だけになる。
去年は深雪が中三、秋恵が高三で、二人共が受験生だったこともあり、マメな父は夕飯を何かしら用意してから出勤してくれていたが、春からは自分達で作るから大丈夫だと言ったのだ。
秋恵が。
しかし、そう宣言した秋恵は、最初こそカレーやパスタを作っていたが、最近では毎週カップ麺を出してくる。
これは“作る”と言って良いのだろうか。
深雪はフタをめくって外し、箸を突っ込んで下から上へとよく混ぜる。
カレーのスパイシーな香りが空腹を刺激して、堪らず急いで一口啜った。
「あつっ」
舌を火傷しかけてコップを手に取った。
氷がひとつ浮かんだ緑茶が、舌を冷やしてくれる。
正面で秋恵が笑った。
「みゆちゃんったら、もう少し落ち着いて食べなさいよ〜」
「ちょ、ちょっとお姉ちゃん、なんで脱いでんの!?」
「え〜? だって、お気に入りのシャツに汁が散ったらやだもん」
テーブルを挟んで座っている秋恵は、いつの間にか鮮やかな山吹色のシャツを脱いで、黒いブラトップ一枚になっていた。
羨ましいほど持ち上がった胸が、谷間を見せつける。
目線に気付いて、秋恵は軽くウインクした。
身長はぐんぐん伸びても、胸が成長を諦めているような深雪は、鼻の頭にシワを寄せた。
「彼氏の前でもそんな事やってんの?」
「やぁだ〜、しないわよ。こんな事したらご飯どころじゃなくなっちゃうでしょ?」
うふふと笑う秋恵に一瞬しらけた視線を向け、相手にするだけ損だと思った深雪は、カップ麺に集中することにした。
伸びてしまったら、美味しさが半減だ。
ふーふーと息を吹きかける音、ズッズッと麺を啜る音だけがしばらく居間に響いていた。
強い香りが気になるのか、ソファーに伸びているはーちゃんは、しきりに鼻を動かしていた。
しかし、そんな時間はあっという間に終わる。
カップ麺は意外とすぐに食べ終わってしまうものだ。
麺のなくなった容器を覗き込んだ深雪は、立ち上がって冷凍庫を開けた。
「何? みゆちゃん何か作るの?」
「カップ麺だけじゃ足りないから、スープにご飯入れて食べようと思って」
冷凍庫から、ラップに包んで凍らせたご飯の塊を取り出すと、あからさまに秋恵ががっかりした声を出す。
「え〜、何か美味しいもの作ってくれるのかと思ったのにぃ〜」
何だそれは。
深雪はムッとした。
そもそも、金曜日の夕飯を作ると決めたのは秋恵の方なのに、毎週カップ麺で済まそうとする上にこれだ。
理不尽ではないか。
大体、朝食は一番早く起きる深雪が毎朝作っている。
高校生になり、学校へ持って行く自分の弁当を作るついでに、具沢山の味噌汁かスープを作るだけだが、それでも担当になったつもりでちゃんとやっている。
そんな時だって、朝起きたら時々秋恵の弁当箱が置いてあって、『今日は私のもお願い♡』とメモが乗っていたりするのだから、ズルい。
そういえば、父は社食で食べるから、昼は各自でと決めたのも秋恵ではなかっただろうか。
秋恵が高校生の時には父に弁当を詰めてもらっていたというのに、やっぱり理不尽だ。
苛立ちながらレンジに凍ったご飯を突っ込むと、足元ではーちゃんがニア〜と鳴いた。
下を向けば、足首に絡むようにふわふわの身体を擦り付けてくる。
屈んで耳の後を撫でると、気持ちよさそうに目を細めてもう一度鳴いた。
真っ白な年寄り猫のはーちゃん。
小学一年生の時、その年の初雪が振った日に深雪が拾ってきた、捨てられた子猫。
まだ一緒に暮らしていた頃の母に飼いたいと願ったが却下され、それでもと泣きながらお願いしている時に加勢してくれたのは秋恵だった。
ちゃんと姉妹で最期までお世話するからと、父を味方につけて、根気強く母を説得してくれた。
実際世話をしたのは深雪と父で、秋恵は「かわいいね〜」と時々遊んでやるだけだったけれど。
はーちゃんがスルリと足元から離れ、ソファーに戻る。
跳び乗る時に、肘置きに掛けていた秋恵のシャツを蹴落とした。
「あっ、ちょっと、はーちゃん。お気に入りのシャツなんだからね〜」
ブツブツ言いながら、秋恵がシャツを拾って広げる。
鮮やかな山吹色の、ダボッとしたシャツ。
秋恵が選ぶ服は、いつも深雪の好みではないけれど、このシャツはなんとなく良い印象として記憶にある。
高校入学してしばらくした頃。
ようやく長距離の自転車登校にも慣れたと思っていた時に、下校中にパンクした。
その日に限って、大雨だった。
ちょうど父は夜勤の日で、もう家にはいない時間だ。
仕方がないから押して帰ろうとしていたら、スマホが鳴った。
いつもならとっくに帰って来るはずの深雪が帰って来ないので、秋恵が心配して電話してきたのだ。
雨の中、自転車がパンクして困っていることを知り、彼氏に車を出してもらって急いで来てくれた。
その時着ていたのが、この山吹色のシャツだった。
ザーザー振りの中、一緒に自転車をミニバンに乗せてくれた秋恵。
お気に入りのはずのシャツも濡れそぼっていたのに、車内に落ち着いた途端、深雪に乾いたタオルを被せてくれた。
とてもホッとしたのを覚えている。
結局、翌日に秋恵は風邪を引いて熱を出した。
その日から一泊旅行に行くはずだった彼氏とはケンカになり、即別れたという。
深雪が申し訳なさそうにすれば、「アイツ、エッチがしつこくてイマイチだったから、ちょうど良かったの」と、あっけらかんと言って深雪をしらけさせた。
そういえば、あの時高熱だったのに、こってりしたリゾットが食べたいってゴネてたっけ。
「…………もう」
深雪は冷凍庫からミックスベジタブルと、ご飯をもう一塊出して、レンジに入れる。
「え、二つ?」
「ちょっと加工するから。お姉ちゃんも食べるでしょ」
「何か作ってくれるの? 食べる、食べる〜!」
寒くなったのか、シャツに袖を通しながら喜ぶ秋恵を一瞥し、深雪は続けて冷蔵庫からとろけるチーズを出した。
解凍したご飯とミックスベジタブルを、それぞれのカップ麺の残り汁に入れ、箸でぐるぐる混ぜる。
さらにとろけるチーズをひとつかみずつ入れて混ぜ、グラタン皿に出して表面を
「焼くの? ライスグラタン?」
「リゾット風のね。どっちか上に振る?」
タバスコと粉チーズを見せると、秋恵は嬉しそうに両方を指差した。
「どっちも〜!」
「ハイハイ」
「いや〜ん、どうすんの! 絶対絶対美味しいんだけど〜!」
どうすんのって言われても、ね。
深雪は呆れつつ、トースターにグラタン皿を入れてダイヤルを回し、空いたカップ麺の容器を流しに運んだ。
「んっふっふ」
「何? 気持ち悪い」
にやけ顔でこちらを見る秋恵に引きつつ、スプーンを二本出して食卓に置く。
「みゆちゃんは優しいよね〜、いっつも結局は
「お願いじゃなくて、ワガママでしょ」
「ええ〜?」
そう、お願いじゃなくて、ワガママだ。
深夜に、急にココアが飲みたくなったと言って作らせたり。
テレビ番組のスイーツランキングを見て、コンビニのプリンが食べたくなったからとコンビニへ走らせたり。
カフェで食べた厚焼きパンケーキが美味しかったから、再現してほしいとか。
……なによ、食べ物に関係することばっかりじゃない。
くいしんぼ!
トースターが焼き上がりを知らせる。
深雪は鍋つかみを使って、皿を取り出した。
スパイシーな香りと、焦げたチーズの香り。
表面に程よく焼目が付き、縁がクツクツと熱そうに煮える。
「味見してないから、美味しいか分からないけど」
「大丈夫だよ!」
秋恵が笑って、スプーンを持った。
そう、それだよ。
『大丈夫だよ!』の一言と共に見せる、その笑顔。
中一だった時に母が家を出て行って、元気を失くしていた深雪に、今の深雪と同じ高一だった秋恵が何度もくれた言葉と笑顔。
根拠はなくても、それで何度も救われた。
秋恵はいつだってチャランポランでテキトーなのに、深雪が落ち込んだ時は、なぜか気付いて絶対放っておかない。
泣きそうな気持ちになっている時に、わざと面倒なお願いをして深雪に何かをやらせていたのだと、今なら分かる。
たくさん文句も言ったのに、「え〜、いいじゃな〜い」と気にしない様子で。
秋恵にだって、落ち込んだり泣きたくなったりした時はあったはずなのに、そんなところを見たことはない。
姉と妹。
そういう関係だから?
確かに、それもある。
姉妹って、ある意味、特別だ。
親子でも、友達でも代わりにはなれない。
でもきっと、それだけじゃない。
秋恵と深雪だから。
二人で、今の関係を作ってきたのだ。
だから、秋恵の面倒は私にしかみれないんだな、と深雪は密かにフフンと鼻を鳴らした。
「ん〜! これめちゃくちゃ美味しいよ、みゆちゃん!」
ハフハフと美味しそうに食べ進めていた秋恵が、満面の笑みを見せる。
子供みたいだ。
「そう?」
「うん、また来週も食べたいな〜」
「そんなこと言って、また来週もカップ麺で済ます気でしょ!?」
「え〜? そんなことないけど〜」
絶対そうに違いないと確信しつつ、深雪は息を吹きかけて冷やした一口をぱくりと頬張る。
リゾット風にするなら、何味のカップ麺が一番美味しいだろうかと考えつつ、もう一口。
はーちゃんがソファーで丸くなり、笑うように尻尾を一度振った。
《 終 》
金曜日のカップ麺 幸まる @karamitu
★で称える
この小説が面白かったら★をつけてください。おすすめレビューも書けます。
カクヨムを、もっと楽しもう
カクヨムにユーザー登録すると、この小説を他の読者へ★やレビューでおすすめできます。気になる小説や作者の更新チェックに便利なフォロー機能もお試しください。
新規ユーザー登録(無料)簡単に登録できます
この小説のタグ
参加中のコンテスト・自主企画
ビューワー設定
文字サイズ
背景色
フォント
組み方向
機能をオンにすると、画面の下部をタップする度に自動的にスクロールして読み進められます。
応援すると応援コメントも書けます