その“影”が揺れた瞬間、

ほのかの端末が甲高い警告音を鳴らした。


《ERROR:視覚記録に外部干渉》

《記憶映像が“上書き”されています》


「え?…げ、現場からの神経データが消されていきます!」

ほのかの声が震えた。


ホロスクリーンの映像は砂嵐になり、

死者の視界は、真っ赤に塗り潰された。


「班長!どうしますか!?」


「慌てるな!!まだ何か使える手があるはずだ、それを探せ!」


「り、了解」


――バチッ。


路地裏の防犯カメラが、同時に火花を散らして突然停止した。

上空の監視ドローンも、ひとつ、またひとつと沈黙する。


「今度はなんだ!」


ほのかが端末に噛みつくように叫ぶ。


「電子妨害だけじゃありません!外部からプロトコル書き換え! …これ、人間じゃできない速度ですよ!」


神代が低く唸る。

「くそ!…犯人の狙いは証拠の抹消か!」


澪は周囲を見渡した。

 風のない夜。

 湿った舗道。

 ビルの上階から差す、ネオンの欠片。


 その“どこか”に、見られている感覚。


「……犯人は、まだ近くにいます。」


葉波が静かに拳銃を抜いた。

 スライド横で、淡い青光が灯り“非致死性弾”のロック解除が浮かぶ。


「来栖、構えろ。これはデータの破壊だけじゃない。俺たちに対する挑発だ」


が銃を構えた瞬間――


 ――“音”が消えた。


 街の喧騒も、遠くの車も、夜風さえも。

 世界が一瞬、真空になったみたいに静かになる。


「……嘘、通信が全部落ちました……班長!局との回線もです!」

ほのかの声は震えていた。端末は赤いエラーを連続表示し続ける。


《Network Lost》

《行政回線:遮断》

《衛星リンク:応答なし》


神代は舌打ちした。

「こんな精密な妨害……軍用レベルだぞ。一体誰が――」


その瞬間だった。


――コン。カン。


路地の奥、濡れたアスファルトの上で、何かが“爪”で地面を叩くような音がした。


葉波が即座に銃口を向ける。

「動くな!!」


しかし、返事はない。


路地奥に、ひとつの影があった。

ネオンの反射で形だけが浮かぶ。


背は高い。

人間のシルエット。


だが、首の先——

顔の部分だけが、不自然に歪んでいた。


赤茶けた鉄の光。

割れた金属の牙。

ゆっくりと、こちらへ向く。


澪の胸が、嫌な形で脈を打つ。


錆びた“狼”の仮面。


葉波の声は低かった。

「両手を見せろ。ゆっくりだ」


沈黙。


動かない。

呼吸音すらない。


ただ、こちらを“じっと”見ている。


ほのかが端末を握りしめたまま、震える声で言う。

「バイタル反応……あります。

 生きてます。でも……心拍が、変です。一定じゃない」


神代が吠える。

「身柄の拘束を優先する!下手に撃つな!」


葉波は発砲姿勢のまま、ゆっくり近づいた。

「顔を出せ。…何者だ」


一瞬の静寂。


そして、声が届いた。


耳ではなく、端末でもない。


班全員の脳内へ、直接流れ込んだ。


『透明な罪は、誰の目にも映らない。

 だから——君たちは、何も止められない。』


ほのかが悲鳴を上げる。

「だめっ!脳波チャンネルに侵入してる!遮断できない!」


神代が叫ぶ。

「来栖、葉波、距離を取れ!奴は神経攻撃を——」


その瞬間、狼面の男が、一歩前に出た。


足音は、妙に軽い。

だが、濡れた路面に落ちる影だけが、不自然に伸びる。


澪の心臓が跳ねた。


「止まれ!!!」

葉波が引き金に指をかけた——が、


撃てなかった。


指が動かない。

腕が硬直する。


葉波本人は震え、歯を食いしばっていた。

「……身体が……ッ、勝手に……!」


ほのかが絶叫する。

「え?…ニューロ・ジャミング!?神経信号を奪われてます!」


狼面の男は、静かに近づいてくる。


足音は、ひどくゆっくりなのに——

距離は、一瞬で縮んだように感じる。


『…怖がるな。殺すとは言ってない。

 ただ、“見てもらう”だけだ。』


澪の視界が、揺れた。


路地のネオンが滲む。

ほのかの悲鳴が遠のく。

葉波の声が水中みたいに歪む。


意識を奪われていく。


澪は必死に歯を食いしばり、拳銃を構えようとした。


しかし——


狼面の男が、澪の真正面で止まった。


鉄の牙。

割れた顎の隙間から、呼吸音が漏れる。


そして男は、澪にだけ小さく囁いた。


『君は、まだ“知らないまま”でいる気か?』


澪の瞳孔が開いた瞬間——


狼面の男の腕が、わずかに上がる。


次の刹那、

全員のイヤーインターフェースが 同時に破裂音を起こし、強制再起動を始めた。


過負荷。

強制切断。


神経侵入は途絶えた。


葉波が身体の自由を取り戻し、即座に引き金を絞る。


――パン!


非致死性弾が、狼の胸へと飛ぶ。


当たる。


だが男の身体は、音もなく、砂のように崩れるように揺らぎ——


消えた。


まるで、そこに存在しなかったかのように。


「……なに?!」

葉波が叫ぶ。


「熱源も、影も、電磁反応も消失!」

ほのかが端末を叩きつけるように操作するが、結果は同じ。


神代は銃を構えたまま、即座に周囲の確認に走った。

「来栖、状況は!?」


澪は言葉が出なかった。


 ――“知らないまま”でいる気か?


耳の奥に焼き付いた声がまだ残響している。

ただの脅しではない。


「澪?」

葉波が肩に触れる。


その瞬間、澪のポケットの中で、

小型端末が勝手に点灯した。


≪不明デバイスからの受信≫

≪映像データ 自動再生≫


ほのかが驚愕した。

「ちょっ…そんなの許可してません!プロトコルが乗っ取られて――」


画面が映し出す。


そこは——


今いるこの路地。

そして、防犯カメラからの角度。


画面の隅に、三つの白いモザイクが映る。


「……あれは、俺たちか?」

葉波が息を呑む。


しかし違った。


モザイクの向こうにいるのは、

この場所で死亡したはずの被害者たちだった。


血痕も、倒れた姿もなく。

ただ、普通に立っている。


そして——


その横を、澪たちが“すり抜けていく”。


同じ時間、同じ場所。

でも、互いが互いに気づけていない。


神代が凍りついたように呟く。

「………多重視界……? いや違う。これは――」


映像が切り替わる。


《透明な罪は、誰にも映らない。

 だから誰も止められない。》


映像が途切れ、

端末は完全に電源を落とした。


沈黙。


澪は、気づいた。


 狼面の男は逃げたのではない。

 はじめから、ここにも“実体”はなかった。


ただ、データと脳波だけで侵入し、

存在の痕跡すら残さず、消えた。


「……班長」

澪は唇を噛んだ。


「…あれは、人間じゃありません」


葉波もほのかも反論しなかった。

それが直感で正しいと分かっていたからだ。


神代は静かに拳を握りしめる。

「全員、帰還する。…だが最大限警戒しろ」

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