第2話

――俺は、しがないジャーナリストの山根だ。


夜の病院前。救急車が立て続けに出入りし、焦げた匂いと血の混じったような空気が、夜気の中に漂っていた。

数時間前に運ばれてきたのは、7歳の少年――久慈健太。通報内容は「刃物による重傷」。だが病院関係者の口ぶりは、すでに“死亡”のそれだった。

俺は、事件現場の撮影はカメラマンに任せ、搬送先の病院に飛んできたというわけだ。


処置室の奥から、医師の怒号が響く。


「心拍戻らない! アドレナリン、二本目!」

「挿管準備! 血圧、まだ落ちてる!」


処置室前の廊下で額に滲むような汗をかき、痙攣に近い震えを起こし、ただ立ち尽くしている者がいる。女性救命士――久慈真奈美。彼女はクランケである久慈健太の叔母であり、さっきまで救急車両の中で甥の処置を担当していた張本人である。


処置室から、さらに聞こえてくる。

「心臓マッサージ、継続します!」

「バイタルモニター確認!」


だが、モニターの波形はまっすぐな線に変わった。

医師が静かに首を振る。


「……タイム・オブ・デス、十九時十七分」


処置室から出てきた医師から健太の死亡が伝えられると、真奈美は膝から崩れ落ち、

過呼吸に陥った。

慌てて、今度は真奈美の処置をする医師。

真奈美は、病室で二時間ほど横になった。


少し回復し、廊下に出ると、ベンチに座っていた男からをかけられた。


「久慈……って、あんたの名前かい?」


アロハシャツにサンダルの男――山根が、レコーダーを手に立っていた。

真奈美の胸元のネームプレートを指差す。


「珍しい苗字だな。被害者の子も“久慈”だったよな……あんた、まさか――」

「……健太は、私の甥です」


その瞬間、山根の表情がわずかに固まった。

数秒の沈黙。

やがて、彼は小さくため息をついた。


「……そうか。すまん、知らなかった。俺は、記者の山根。いや、救急車両の中での様子を聞きたくてな。これ、俺の名刺だ。今度、取材に協力してほしい」

「…………」

名刺を受け取った真奈美は無言で去っていき、上司に促され、その日は早退した。

翌日の健太の遺体との対面まで、姪の梨花とただ、泣き崩れていた。


久慈真奈美の親族は複雑な関係性であった。

両親は真奈美が7歳のころに離婚し、彼女と姉の詩織は、父親に引き取られた。

父親は真奈美が社会に出ると同時に急死し、シングルマザーであった姉の詩織は、数年前、「お母さんのところに行く」との書置きを残し、突然、子供たちを残し、姿を消した。

そんな姉の子供である健太と梨花を、真奈美は母親代わりとなって育てていた最中に、今回の惨劇は起きたのであった。


――明後日


山根は警察署の記者クラブにいた。

各社の記者たちはパソコンを叩き、独特な喧噪が巻き起こっていた。


「おい、山根。まだあのガキの事件追ってんのか?」と、山根と親しい警察関係者が話しかけてきた。

「一応な。なんか臭うんだよ、今回の件」

「捜査一課も動いてるだろ。無差別の通り魔。それだけだ」

「……それにしちゃ、発表が遅すぎる」


そう言って、山根は机の上の資料を睨んだ。

「犯人の足取り不明」「防犯カメラなし」「通報者不明」――。


警察広報担当に取材を申し込むと、担当刑事が無愛想に答えた。


「コメントはできません。捜査中ですので取材は控えてもらえますか」


刑事の目が一瞬だけ泳いだ。

山根は確信した。――なにかが隠されている。


取材帰り、家に帰ろうと思ったが、雨の中でふと、思い立ち、久慈真奈美の住まいへと向かった。


――ピンポーーン。

インターホン越しに、数秒後、涙で枯れたであろう、真奈美の声が出た。


「……はい……」

「俺だ。記者の山根。犯人、まだ捕まらないみたいだ」

「……」

「おかしいと思わないかい? 警察の動きが鈍すぎる。何か裏がある」

「私には、わかりません。ただ……また誰かが被害に遭う前に捕まってほしい」

「その言葉、録音してもいいか?」

「……勝手にどうぞ。もう、来ないでください」


ブツリとインターホンが切れる音が、冷たく響いた。


――数日後、火災出動


「住宅火災、要救助者二名!」

「了解、救急一号出動!」


仕事に復帰した真奈美は酸素ボンベを背負い、防煙マスクを装着して現場へ走る。炎の赤が夜を照らす。


「三階、子ども一名、意識あり!」

「搬送準備急げ!」


少女を抱え出した瞬間――。


「おーい!」


柵の向こうから、カメラを構える山根が声をかけてきた。


「また、あなたですか……」

「仕事だからな。こっちも命懸けなんだよ」

「命懸けって……あなたのは、他人の命で食べているだけでしょう!」


声を荒げる真奈美。その場の空気が張り詰める。


そこに警察官の声。

「報道関係者は下がってください!」


真奈美が振り向くと――。


「……立川くん?」

「……く、久慈さん!?」


一瞬、時間が止まった。

炎の明かりが二人の顔を照らす。


「こんなところで……再会するなんて」

「立川くん……あなた、警察官に?」

「ええ。久慈さんこそ、救命士に」


短い沈黙の後、無線が鳴る。

「搬送、準備完了!」

「了解、行きます!」


真奈美はチラリと山根を睨み、再び現場へ走り出した。


山根は、無言でその姿を見つめていた。


――俺は、しがないジャーナリストの山根だ。

正義も悪も生も死も関係ない。俺が撮りたいのは、真実だけだ。

煙の向こうで、誰かが泣いていた。


(つづく)

  • Xで共有
  • Facebookで共有
  • はてなブックマークでブックマーク

作者を応援しよう!

ハートをクリックで、簡単に応援の気持ちを伝えられます。(ログインが必要です)

応援したユーザー

応援すると応援コメントも書けます

『八つの業』第1部 ~救命士/久慈真奈美~ @ANIZAKKY

★で称える

この小説が面白かったら★をつけてください。おすすめレビューも書けます。

フォローしてこの作品の続きを読もう

この小説のおすすめレビューを見る

この小説のタグ