クラスのマドンナは殺し屋

沢田美

第1話 クラスのマドンナは殺し屋

 俺のクラスには「マドンナ」と謳われている女子がいる。

 神崎メグミ——彼女の名前だ。

 成績優秀、容姿端麗。まるでこの世の全てを手にしたような完璧超人。誰もが彼女を潔白で純粋な存在だと思っている。


「おはよう、雨宮くん」

「あ、ああ……おはよう」


 今朝も神崎は、いつもの柔らかな笑顔で俺に挨拶をしてきた。

 俺は気の抜けた返事をする。

 クラスメイトとして、神崎とはそれなりに会話をする仲だ。別に親しいわけじゃない。ただ、席が近いから自然とそうなっただけ。


「昨日の数学の宿題、難しかったよね」

「そ、そうか? 俺は割と……」

「嘘。雨宮くん、昨日ずっと頭抱えてたじゃない」


 くすくすと笑う神崎。

 ——ああ、こういう、普通の女子高生なんだよな。神崎メグミって。


 この時の俺は、まだ何も知らなかった。

 彼女の本当の顔を。

 彼女が背負っているものを。

 そして——俺自身が、どれほど深い闇に引きずり込まれるかを。


 ※


 その日の放課後、俺は書店に寄る予定だった。

 新刊のラノベが出ていたから、帰りがけに買って帰ろうと思っていた。

 いつもとは違う道を通って、住宅街の裏路地を抜けようとした時——


「た、助けてくれ……!」


 ——なんだ、あれ?


 住宅街の狭間にある裏路地で、四十代くらいの男が神崎メグミに命乞いをしていた。

 あれって神崎さん……? で、相手は誰だ?


「助けて、助けて——命乞いばかりね、貴方」

「——ッ!?」


 俺は息を呑んだ。

 クラスのマドンナと呼ばれる彼女の手には、黒く重厚な拳銃が握られている。そして神崎は、その銃口を男へ向けた。

 どういうことだ? なんで神崎さんが銃なんか……映画の撮影か何かか?


 困惑する俺をよそに、彼女の背後から二人組の男が音もなく迫っていた。


「私に出来ることなら何でもする! だから命だけは——今だ、やれ!」


 命乞いをしていた男の号令に応えるように、二人組が神崎に襲いかかる。

 ——が、彼女はまるで予見していたかのような動きで振り向き、背後から迫った男の首を一瞬で不自然な方向へ折り曲げた。

 鈍い音。男は糸が切れた人形のように崩れ落ちる。

 そして残った一人がナイフを振りかぶった瞬間、神崎はその手首を掴んで武器を奪い取ると——腹部へ三発、躊躇なく銃弾を撃ち込んだ。


「なんだ……あれ……」


 俺の口から、思わず呟きが漏れた。


「——ッ」


 その瞬間、返り血に濡れた神崎の瞳が、こちらを捉えた気がした。

 次の瞬間、隙を見つけた四十代の男が走り出す。

 神崎は冷徹な目でその背中を見据えると、迷いなく両太ももへ銃弾を撃ち込んだ。

 悲鳴を上げて転倒する男。

 彼女は奪ったナイフを指先で回しながら、ゆっくりと歩み寄る。


「貴方、他人の命は簡単に奪えるくせに、自分の命は惜しいのね——愚かだわ」

「た、助け——」


 神崎は冷たく言い放つと、男の額へナイフを突き刺した。

 バキッ、という骨が砕ける音が響く。それが映画やドラマの作り物じゃないことを、俺の本能が理解した。


 神崎さんが……人を……殺した? 今、目の前で? これって——現実なのか? 警察。


「そうだ――警察に!」


「警察に行ってどうするの? 雨宮くん」


 俺の名前だ。

 神崎の声が、俺の名を呼んだ。


「ねぇ、警察に行って、貴方はどうするつもりなのかな?」


 ありえない……だってさっきまで、あそこにいたはずなのに……。

 顔を血で濡らした神崎が、いつの間にか俺の背後に立っていた。


「こ、これって……あれだろ? 映画の撮影か何かだろ?」

「映画ねぇ。それが真実だったら、この世界はどれだけ平和なのかしら——残念だけど、これは現実。そしてあの人たちは、もう死んでる」


 ——黒光りする刃に、血が滴っている。

 心臓の鼓動が耳元で響く。

 空気が冷たく、肌に刺さる。

 クラスのマドンナが殺し屋? そんなの、フィクションの中だけの話じゃないのか。


「怖い?」


 神崎がナイフをくるりと回すと、刃に沈む夕陽が赤く光った。


「冗談ならやめてくれよ! ——なぁ!?」


 俺が詰め寄った瞬間、神崎は軽く俺の指先へナイフを刺した。

 浅く。けれど確実に。

 鋭い痛みが走り、指先から血が滲む。


「これで分かったでしょ? これが現実で——貴方たちが『美少女』ともてはやしていた存在が、本物の殺し屋だってこと」


「殺し屋……? は……? それで、俺を殺すのか」


 声は震えていただろう。でも俺は、命乞いはしなかった。

 ただ冷静を装って、自分の運命を問いかけた。


「驚いた。命乞いも逃げもしないの?」

「するもなにも……現実感がないし、それに俺は、神崎さんを一人のクラスメイトだと思ってるから」


 自分でも驚くほど、口が勝手に動いた。

 恐怖よりも、それ以上の何かが胸の奥から溢れていた。

 神崎は一瞬だけ目を見開き——そして、ぷっと吹き出した。


「……変な人。普通ならここで逃げ出すのに」


「だって俺は……お前の『普通の顔』を見てきたんだ」


 彼女の瞳に一瞬だけ影が差し、次の瞬間にはいつもの笑顔が戻る。


「いいわ。じゃあ特別に教えてあげる。私の秘密を知った人は、二つに一つ——」


「……二つに一つ?」


「『仲間になる』か、『消される』か」


 ナイフの切っ先が、俺の喉元へぴたりと突きつけられた。

 心臓の鼓動が、鼓膜を破りそうなほど響く。


「雨宮翔真くん。貴方はどっちを選ぶ?」

「——仲間に……お前の仲間になりたい」

「——そう。それなら話は簡単ね。貴方が使える人間か、判別させてもらうわ」


「判別?」

「今からあの男の組織を潰しに行くの。だから貴方も同行して? そこで死ねば貴方は素質なし、ってこと」

「そこで死ねば『死んで当然』ってことかよ」

「そこまでは言ってないわ。ただ『使えない人間』ってなるだけ」


 どのみち、この誘いを受けようが断ろうが、俺はこの女に殺される気がする。

 だったら——少しでも生き延びる可能性が高い方を選ぶ。


「分かった。お前について行く」

「そう、助かるわ。よろしくね、助手くん」


 彼女は優しい微笑みを浮かべた。

 その笑顔が作り物だと分かっていても、俺はその表情を愛おしく思ってしまった。


 ※


「なんで人を殺す仕事なんかしてるんだよ」


 標的のいる組織へ向かう道中、俺は神崎に問いかけた。

 すると彼女は、怒るでも動揺するでもなく、ただ淡々と答えた。


「この世界には汚職やら何やらで、人の恨みを買ってる人間が山ほどいるの。私はそれを掃除してるだけ」

「じゃあお前、人を殺した時に罪悪感とか感じないのかよ!」

「……物心ついた頃には、もう人を殺していたから。そんな私にとって、この仕事は天職なの。そこに贖罪とか罪悪感なんてないよ」


 神崎は少しだけ、目を伏せた。


「でもね、雨宮くん。一つだけ教えてあげる」

「……なんだよ」

「私が殺すのは、誰かに殺されるべき人間だけ。さっきの男もそう。彼は三年前、ある家族を——娘を、レイプして殺した。でも証拠不十分で無罪になった」

「……え」

「その家族の父親が、私に依頼したの。『娘の無念を晴らしてほしい』って」


 神崎は静かに続けた。


「今から行く場所も同じ。そこの人は、証拠を隠蔽して無実の人間を何人も刑務所に送り込んでる。その中には、冤罪で命を絶った人もいる」

「……」

「私は、法で裁けない悪を殺してる。それだけ」


 俺は何も言えなかった。

 それが正義なのか、ただの殺人なのか——もう、分からなかった。


 最悪のムードだ。

 気持ち悪くて、居心地の悪い沈黙。

 前を歩く彼女の後ろ姿を見ながら、俺は逃げるタイミングを探っていた。


「着いたよ」

「は?」

「ここ」

「——おい、ここって……」

「そう、警察署」


 おいおい、普通こういう流れだとヤクザの組事務所とかじゃないのかよ。

 困惑する俺を置いて、彼女はナイフと拳銃を構えた。


「行こうか、助手くん!」

「お、おう……」


 未だ現実感のないまま、俺は神崎の後を追った。


「あ、一つだけ安心して。私たちがどれだけ人を殺しても、私の仕事の範囲内なら、それが世に出ることはないから」

「それって……つまり」

「そう。依頼主が揉み消してくれるの。自然な事故として。これで貴方も、気兼ねなく殺しの手伝いができるわね」

「誰が殺しの手伝いなんてしたいんだよ!」


 そんな会話をしながら警察署の入口へ入る。

 すると神崎は、挨拶代わりに目の前にいた三人の警官の喉をナイフで切り裂いた。


「……っ」

「ここからは早く済ませるよ」


 血飛沫がエントランスに散る。

 ——周囲にいた警官たちが慌て始めた。

 拳銃を抜こうとする者、警棒を構える者、走ってこちらへ向かってくる者。

 俺は咄嗟に神崎の背後へ隠れた。

 男らしくないと言われても仕方ない。だってこれは本物の殺し合いだから。


「正解だよ、雨宮くん」


 神崎がそう言った瞬間、彼女は目にも止まらぬ速さで拳銃を構えた。

 ——迫りくる五人の警官の額を、正確に撃ち抜く。

 そして周囲から一斉に銃撃が始まった。


「伏せて!」


 言われた通り、俺は急いで伏せた。

 神崎は殺した警官の遺体を盾にしながら、群がる警官たちへ突っ込んでいく。


 そこからは、彼女の独壇場だった。

 神崎の放つ殺気と圧倒的な実力に恐れをなした者は逃げ出し、抵抗しようとする者は発砲した。

 ——が、神崎メグミという女は、そのどれも許さなかった。

 逃げる警官の頸動脈を切り裂き、反撃する警官には何十箇所もナイフを突き刺していく。


 警察署に突入してから二十分ほど経った頃だろうか。

 地面に伏せていただけの俺が立ち上がって目にしたのは——無数に転がる遺体と、その上を悠然と歩く彼女の姿だった。


「イカれてる……」

「失礼ね。『いい女』って言ってほしいな」

「……お前、全員を殺す必要があったのかよ」

「あったよ。この警察署に勤める人たちは全員、上層部の汚職に加担してた人間だけだから」

「……それでも、慈悲とかは——」

「あるわけないじゃない。聞くけど、貴方は残忍な殺人犯の死刑執行に慈悲を求めるの?」

「……」

「そう。それが世間の声であり、答えなの。殺し屋が存在するって、そういうこと」


 返り血まみれの彼女に、返す言葉がない。

 俺はそのまま、神崎の後を黙って追った。


「撃て! 今すぐ撃て!」


 上層へ上がると、生き残りの警官たちが待ち構えていた。

 俺はとっさに階段の陰へ隠れる。

 一方の神崎は、躊躇なく警官の群れへ突っ込んでいった。


 無数の銃声と爆音が響く。

 悲鳴と命乞いの声が混ざり合う。

 そして時間が経つにつれて、その音は静まっていった。


「終わったよ、雨宮くん!」


 そう言って、階段の陰から俺を呼んだのは神崎だった。


「……」


 悔しいことに俺は、そのとき見せた彼女の顔を見て心が揺れた。

 こんな残酷な殺戮をしてきたはずなのに、彼女の顔は美しく、可愛らしく見えた。

 俺の頭が狂い始めているに違いない。


「どうしたの? 頬を赤らめて」

「——いや、なんでもない」

「そう。ここから早めに終わらせる予定だから、ついてこれる?」


 神崎が体をかがめて覗き込んでくると、俺は不覚にもそんな彼女を見て照れてしまう。


「わ、分かった」


 この胸の苦しさの意味も分からないまま、俺は彼女の助手という名の金魚の糞を続けた。

 上層へ上がるたび、彼女は人を淡々と殺していく。

 俺はそれを眺め、後を追っていく。

 最初こそ吐き気や嫌悪感、罪悪感があったが、今となってはそれすら感じなくなっていた。


 ※


「な、何者なんだ!? お前らは!」

「何者……か」


 最上階の屋上へ出た俺たちは、逃げ込んだ警察署長の前にいた。

 怯えて身を縮める男の前で、神崎はとある紙を見せた。


「貴方、随分と人の恨みを買ってるみたいね。政治家との癒着、冤罪事件の数々、暴力団との繋がり……」

「そ、それがなんだ! この腐った世界で生きていくには必要なことだろ!?」

「そうね。確かにこの腐った世界で、上にいる人間が生き延びるためには必要なこと……でもね? それで人の恨みを買ってしまったら、もう終わりなのよ」

「——た、助けてくれ! 金ならいくらでも積む、だから!」


 頭を下げ、地面に這いつくばるように土下座する署長に、彼女は銃口を突きつけた。


「——言ったでしょ? この腐った世界で人の恨みを買った時点で、その代償は貴方の『死』なの」


 神崎が引き金に指をかけた、その時——背後のドアが開く音がした。


「——ッ!?」


 背後のドアが弾け飛び、銃声が響いた。

 俺の体は、思考より先に動いていた。


 ——なんで?

 なんで俺は、こんな殺し屋を庇おうとしてる?

 こいつは人を殺してる。何十人も。躊躇なく。

 なのに——


 ——だって、俺は知ってるから。


 朝の挨拶。昼休みの他愛ない会話。困ってる時に手を貸してくれた優しさ。

 あれが全部、演技だったとは思えない。思いたくない。


 だから——


「神崎ッ!」


 俺は彼女へ飛びついた。

 次の瞬間、複数の銃弾が空気を切り裂く。

 そのうちの一発が、俺の足を掠めた。


「——ぁ、がっ……!」


 焼けるような痛み。視界が歪む。

 でも、神崎は——無事だ。


「雨宮くん……!」


 初めて見た。

 神崎メグミが、あんなに驚いた顔をするのは。


 屋上の扉から現れたのは、重傷を負った一人の警官だった。

 震える手で、こちらへ銃口を向けている。


 詰んだか——


 倒れて動けない俺たちに向けて、警官は引き金に指をかける。


「殺せーッ!!」


 署長が吠えた、その瞬間——神崎は目にも止まらぬ速さで動いた。

 迫る弾丸を見切り、ナイフでそれを真っ二つに叩き斬ると、そのまま重傷の警官の心臓へナイフを突き刺す。


「は? ハァァァァァ!?」


 署長が絶叫する。

 そして神崎は、倒れた警官が持っていた拳銃を拾い上げると——その銃を使って署長の頭を撃ち抜いた。


 全てが一瞬の出来事だった。

 そこに残ったのは、俺と神崎以外の遺体だけだった。


「雨宮くん。少し、君を甘く見ていたわ」


 神崎がそう言って、手を差し伸べる。


「貴方、使える人間ね。殺し屋に向いてるんじゃない?」

「……それはごめんだ」


 俺は差し伸べられた手を取り、立ち上がった。


「なぁ、お前、これからどう逃げるんだ?」

「そんなの決まってるじゃない。同業者の迎えが来るまで、耐久戦よ」


 そう言った彼女。

 周囲から聞こえてくるのは、人々の叫び声と警報音、そして無数のサイレンだけだった。


 俺と彼女は、熱い握手を交わした。


「帰るまで死なないでよね? 助手くん」

「死んでたまるかよ!」


 握手を交わした手が、少しだけ震えていた。

 俺のか、彼女のか——もう分からない。


「なぁ、神崎」

「なに?」

「……お前、明日も学校、来るのか?」


 神崎は一瞬、驚いたような顔をした。

 それから——少しだけ、本当に少しだけ、寂しそうに笑った。


「当たり前じゃない。私、クラスの『マドンナ』なんだから」

「……そうかよ」


 遠くからサイレンの音が近づいてくる。

 俺と神崎は、それぞれの武器を構えた。


 ——さて。

 俺はこれから、この狂った日常を、どう生き延びていこう。


 そして——明日、神崎はまた、あの笑顔で「おはよう」と言ってくるのだろうか。


 俺は、それを少しだけ——楽しみにしている自分がいた。



あとがき

久しぶりに短編を書きました!

面白いと思っていただけたら幸いです!

それでは!´ω`)ノマタネ~

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クラスのマドンナは殺し屋 沢田美 @ansaa

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