第5話

 彼女は、自分の母親の最後の言葉を信じなかった。

 ――無理もない。僕が数日かけてクリアできなかったゲームを、認知症の老人がクリアできるとは思えない。手紙に書かれていた文字は、デタラメだったのだろう。


 それでも彼女は後悔しているようだった。


 ――母親自身も、きっと後悔していたんだ。


 認知症患者でも、普段の自分を取り戻すことはあるはずだ。

 時々正気に戻っては、自分の娘の置かれていた境遇を理解し、現状を理解し、申し訳なく思っていた。

 だから、手紙を出した。

 ぬいぐるみを女性に贈るために。自分の娘が報われたという証拠にしたかったのだ


 ――僕はそんな妄想を垂れ流しながら、電車に揺られて出勤した。


 僕は、課長から言われた通り、報告書を書いて提出した。

 普段のテンプレートに沿ったやつじゃない、小説みたいな感じの文体で、8000文字くらいの長さのやつだ。

 小説形式にしたのは、なんとなくだった。


 業務に直接関係ないことだし(業務に関係ないなら有給取れよ、と言われたら何も言えないけど)遊び心があってもよかろう。課長は前に『遊び心を持て』と言っていたから、文句は言わないはずだ。


 実際、課長は何も言わずに報告書を読んでいた。

 日経新聞や、法令改正情報よりも熱心に読んでいた。


「ご苦労さまでした」


 と課長は言った。続けて、


「想像通りの結果で満足しました」


 僕はえっと声を出していた。


「課長は、手紙の意味がわかっていたんですか」


 僕は言いながら、近くにあった椅子を引き寄せた。

 椅子の主は会議で午前中いっぱいは戻って来ない。僕が腰をおろすと、課長は右手を差し出したので、例の封筒をその上にそっと乗せた。


「日頃から私が言っていることは?」

「『遊び心を持て』」

「違います」

「じゃあ、『明日は明日の風が吹く』?」

「それも違います」

「『アフリカでは1分間に60秒が経過している』」


 課長は足を組んで、封筒を僕の目の前に突き出した。


「『見るんじゃなくて、観察しろ』と何度か言いましたよね」

「ああそれですか。課長は名言が多すぎて」


 適当なおべっかだったが、満更でもなさそうに、課長は顎を突き出した。


「封筒には差出人と宛先が書かれていて、消印も切手も貼ってあります。郵便局を通して送られているので、自分が特定されるのを嫌がるような、やましい目的ではなさそうです。書かれている文字は曲がっていて、お世辞にも綺麗とは言えません。子供が書いたのかと思いました。――ただし、差出人にも宛先にも、小学生では習わないような難しい漢字が使われています。封筒はノリで止められているが〆は書かれていません。のりはスティックではなく、液体のりで、しかも、端のほうが剥がれかけています。このことから、閉じたのは子供だと予想しました。子供でも、住所をPC画面やスマホで調べて、それを見ながら書き写したのだと考えれば不自然ではありませんし、何より、小学校で使うノリは液体ノリが多い――これは、私の経験則なので絶対ではありませんが」


 課長は封筒を開けて、中に入っていた紙を広げた。


「宛先は、昔、わが社のゲームを管理していた部署。私は、『スライド・サーガ』をクリアしたことがあります。中身の意味するところはすぐにわかりました。先着100名に送られるゲームキャラクターを模した景品が欲しくて、これを出したのだと思いました。発売が昔のゲームだとしても、親がそれを持っていて、今の子供が倉庫の隅から引っ張り出してプレイすることもあるでしょう。したがって私は、差出人は子供だと思いました」

「予想、違うじゃないですか」


 最後まで話を聞きなさいと課長は言った。


「しかし、子供が昔のゲームをやることはあっても、先着100名がとっくに終わってることは理解できるはずです。親に止められ、それでも自分ひとりで手紙を出すことは考えにくい」

「なぜですか? どうしても、景品が欲しかったのかもしれないじゃないですか」

「欲しいなら、買えばいいんです」

「え、どういうことです?」

「例のぬいぐるみは、わが社のネットショップで普通に売られています。ゲームはマイナーですが、キャラクターの見た目だけは人気があって、ぬいぐるみは結構売れています。――まさか、社員なのに、知らなかったんですか?」


 知らなかった――というのが顔に出そうになったが、僕は拳を握ってぐっとこらえた。

 仏頂面の僕を見て、課長はふっと息を吐いて封筒をデスクの上においた。


「差出人の時間感覚がおかしくなっているとすると、思いつくのは認知症です。認知症を患った老人が、昔のゲームを引っ張り出してきて、それをクリアし、景品が欲しくて手紙を送ってきたのだと結論づけました」

「――なるほど」


 課長は優秀だ。

 優秀だから、一瞥しただけで事の真相を言い当てるし、仕事中にこうして僕と話していても部長はチラチラ視線を送ってくるだけで何も言わない。僕も、その恩恵に預かっている。


「それにしても、認知症の老人が、この難しいゲームをクリアしたとは、信じられませんね。それこそ奇跡です」

「――クリアしていたんですか?」

「書かれていた合言葉は、私が見たものと一言一句、同じでしたよ」


 頭を殴られたような気がした。


 僕も、娘である女性も、この手紙の差出人を信じていなかったのだ。


「このくらいできるようになりなさい」


 課長はそう手を振って、PCに向かった。

 ゲームクリアにしろ、謎解きにしろ、僕には一生かかっても無理だと思った。

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謎の封筒 リウノコ @riunoko

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