第10話 白鷺町、未完の地図

私の名は白鷺透、42歳。


白鷺町立図書館の司書兼郷土資料館管理人。


そして——


10年間、真実を記録し続けてきた男。


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2025年11月15日、深夜。


私は図書館の書庫で、

10年間書き続けてきた記録を読み返していた。


誰にも見せたことのない記録。


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【記録の全容】


ノートは、20冊になっていた。


1冊目には、こう書かれていた。


「2015年10月21日

白月いくみ、記録から消去を開始」


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そこから、毎日のように書き続けた。


何を消したか。

どう消したか。

そして——

何を感じたか。


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20冊目、最後のページ。


昨日、書いたばかりの文章。


「三島圭介、調査を断念し町を去る。

外部からの告発の可能性、消失。


久我山タケ、死去。

影を縫うシステム、終焉。


だが——

私の記録は、残っている。


この記録を、どうするか。

決断の時が来た」


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私は、ノートを閉じた。


そして——


決めた。


今夜、最後の場所を訪れる。


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【消えた路地】


深夜2時。


私は神社の裏手へ向かった。


10年前、私が地図から消した路地。


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路地は——


そこにあった。


白い布が結ばれた家々。


いくみの家も、そこにあった。


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私は、路地の奥へ進んだ。


一番奥、いくみの家の前。


玄関に、白い布が揺れている。


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そして——


玄関の前に、影が立っていた。


人の形をした、影。


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「いくみさん……」


私は呟いた。


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影は、動かない。


ただ、そこに立っている。


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私は近づいた。


影の前に立つ。


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「いくみさん、私は——」


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だが、影は何も答えない。


当たり前だ。


これは、影ではない。


私の、罪悪感が見せている幻だ。


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私は、影に向かって語りかけた。


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「私は、あなたを記録から消しました。


戸籍、住民票、地図、写真——

すべてを。


作業時間、合計8時間32分。


完璧に、消しました」


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影は、何も言わない。


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「だが——


私は、この10年間、

あなたのことを記録し続けました。


誰にも見せない記録を。


それが、私の贖罪だと思っていました」


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私は、自分の手を見た。


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「でも、違った。


記録することは、贖罪じゃなかった。


自己正当化だった」


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影が——


わずかに、動いた気がした。


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「私は、記録を残すことで、

『私は真実を知っている』と、

自分に言い聞かせていた。


でも——


記録を隠し続けることも、罪だ」


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私は、ノートの束を取り出した。


20冊。


10年間の記録。


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「これを、どうするべきか。


公開するか。

燃やすか」


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影は——


今度ははっきりと、動いた。


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いや——


私が見ているのは、影ではない。


月明かりが、木の枝を通して

地面に落ちた影だ。


風が吹いて、枝が揺れている。


それだけだ。


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だが——


その影が、まるで語りかけているように見えた。


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「選ぶのは、あなたです」


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私は、目を閉じた。


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【過去との対話】


私は、10年前の夜を思い出した。


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町の会合。


有力者たちが集まり、

いくみをどうするか話し合っていた。


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「この子は、見てはいけないものを見た」


「黙らせなければならない」


「でも、子どもだぞ」


「だからこそ、だ」


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そして——


事故。


いくみは、階段から落ちた。


誰も、殺意はなかった。


だが、結果として、彼女は死んだ。


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「どうする」


「警察に?」


「いや——待て」


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そこで、ある男が言った。


「消そう」


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「消す?」


「記録から、だ。

彼女が最初からいなかったことにする」


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そして——


私が呼ばれた。


「白鷺、お前が記録係だ。

できるか?」


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私は——


断れなかった。


いや、断らなかった。


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なぜなら——


断れば、私も「消される」と思ったから。


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だが、今なら分かる。


それは、言い訳だ。


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本当は——


私も、この町の一員だった。


罪を分配する側に、いたかった。


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【決断】


私は目を開けた。


影は、まだそこにあった。


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「いくみさん」


私は言った。


「私は、記録を公開します」


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影は——


消えた。


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いや、月が雲に隠れただけだ。


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私は、路地を出た。


そして——


図書館へ戻った。


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【記録の封印】


書庫に戻り、私は記録を見つめた。


20冊のノート。


これを、公開する。


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だが——


どうやって?


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新聞に持ち込んでも、

岡部記者は書かないだろう。


警察に渡しても、

この町の警察は動かない。


インターネットに公開しても、

すぐに削除されるだろう。


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私には、力がない。


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ならば——


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私は、一つの決断をした。


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記録を、封筒に入れた。


そして、封筒にこう書いた。


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「開封厳禁。

ただし——

私が死んだ場合、

または私が『消された』場合は、

この記録を公開すること」


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そして、宛名。


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「白月加奈様」


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加奈さん。


いくみの従妹。


唯一、町を出て、記憶を保った人。


---


彼女なら——


この記録を、正しく扱ってくれるかもしれない。


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私は、封筒を厳重に包装した。


そして——


配送業者に預けることにした。


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【翌朝】


11月16日、午前。


私は、いつも通り図書館を開館した。


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返却本を処理する。


新聞を整理する。


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普通の、何でもない一日。


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だが——


私の中で、何かが変わった。


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記録を手放したことで、

少しだけ、軽くなった気がする。


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【訪問者】


午後3時。


図書館に、一人の女性が訪ねてきた。


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森下美咲さん。


小学校の教師。


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「透さん、お久しぶりです」


「森下先生……」


---


彼女は、10月に子どもたちが

窓の影を見た時、

私に相談に来た人だ。


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「先生、どうされました?」


「実は……」


森下さんは、困惑した顔をしていた。


「最近、何か大切なことを忘れている気がするんです」


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「忘れている……」


「はい。でも、何を忘れているのか、

それさえ思い出せなくて」


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私は、彼女を見た。


祭儀に参加した後、

彼女の記憶は改竄された。


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だが——


完全には消えていない。


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「森下先生」


私は言った。


「思い出さない方が、いいこともあります」


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森下さんは、私を見た。


「でも……」


「でも?」


「忘れたくないんです。

たとえ、それが辛いことでも」


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私は、何も答えられなかった。


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森下さんは、図書館を出ていった。


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【夜】


その夜、私は自宅で考えた。


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記録を加奈さんに送った。


だが——


それで終わりではない。


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私は、これからも生きていく。


この町で。


罪を背負ったまま。


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贖罪は、できない。


許しも、得られない。


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だが——


生き続けること。


それが、私にできる唯一のことだ。


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【数日後】


11月20日。


私の元に、一通の手紙が届いた。


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差出人は、白月加奈。


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封を開けると、短い文章が書かれていた。


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「透さん


記録、受け取りました。


読みました。


すべてを。


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私は、まだこれをどうするか決めていません。


公開するべきか。

それとも——


---


でも、一つだけ言えることがあります。


あなたが記録を残してくれたこと。


それは、いくみにとって、

唯一の救いだったかもしれません。


---


記録されないものは、存在しなかったことになる。


でも、あなたは記録した。


だから——


いくみは、完全には消えなかった。


---


ありがとうございます。


そして——


これからも、生きてください。


罪を背負いながら。


それが、あなたの贖罪だから。


白月加奈」


---


私は、手紙を読み終えた。


---


そして——


涙が、止まらなかった。


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【最後の夜】


11月23日、深夜。


私は再び、あの路地を訪れた。


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路地は——


もう、なかった。


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白い布も、家々も、影も。


何もない。


ただの、空き地。


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私は、その場所に立った。


---


「いくみさん」


私は呟いた。


「あなたは、消えてしまいましたか」


---


風が、吹いた。


---


そして——


遠くから、声が聞こえた気がした。


---


「透さん、次はどの本がいいですか?」


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私は、振り返った。


---


誰もいない。


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だが——


確かに、聞こえた気がした。


---


私は、微笑んだ。


---


「『星の王子さま』だよ、いくみさん。


もう一度、読んでみて。


違って見えるはずだから」


---


風が、また吹いた。


---


私は、町へ戻った。


---


【エピローグ】


白鷺町は、今日も静かだ。


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路地は消えた。


影も消えた。


---


だが——


記録は、残った。


---


いつか——


誰かが、この記録を読むだろう。


---


そして——


問うだろう。


---


「この町で、何があったのか」


「誰が、正しかったのか」


「誰が、裁かれるべきなのか」


---


答えは、ない。


---


ただ——


罪は、残り続ける。


---


分け合っても、消えない。


時が経っても、消えない。


---


罪は——


一人一人が、背負い続けるものだ。


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私は、図書館のカウンターに座る。


---


今日も、本を貸し出す。


記録を整理する。


---


そして——


夜になれば、また記録を書く。


---


誰にも見せない記録を。


---


なぜなら——


記録し続けることが、


私の罪であり、


私の贖罪だから。


---


【最後の一行】


……この記録を、私は「託す」と記す。


だが、開くのは、私ではない。




〈完〉




【記録者補遺】


これで、すべての記録が終わる。


白月いくみが消えた夜から、10年。


私は毎日、この記録を書き続けてきた。


---


誰も読まない記録。


誰にも見せない記録。


---


だが、今——


この記録は、加奈さんの手に渡った。


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彼女が、どうするかは分からない。


公開するか。


燃やすか。


それとも——


私と同じように、隠し持つか。


---


ただ一つ言えるのは——


罪を分け合うことはできなかった。


罪は、一人一人が背負うものだ。


---


そして私の罪は、消えない。


いくみを消したこと。


記録を隠し続けたこと。


真実を語らなかったこと。


---


すべてが、罪だ。


---


だが——


生き続けることで、


罪を背負い続けることで、


それが、私の贖罪になる。


---


白鷺透


2025年11月23日

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罪の配分 —記録を消された少女・白鷺町— ソコニ @mi33x

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