第5話:酔った先輩と……(試し読みラスト)

 それからさらに一時間ほど宴は続き、先輩が泥酔の果てに机に突っ伏したところで、何となく場はお開きとなった。各自自分の席に戻ったり、お会計を頼んだり。


 俺は眠る先輩の分まで責任を取って、後片付けを手伝った。壊したものはなかったが、汚したものは多々あった。机を拭いて、食器をまとめて、平身低頭謝った。お店の人には大丈夫だよ、楽しかったよと言ってもらったが、やりすぎた感は否めない。


「そりゃ俺だって楽しかったけど……」


 大学に入ってから一番……何なら人生で、一番楽しい夜だった。けれども、人間として大事な何かを、大いに傷つけてしまったような気もする。酒は飲んでも飲まれるな、雰囲気は汲んでも暴れるな、何でもかんでも楽器にするな、飲んで踊っても倒れるな。


 痛い教訓を得て席に戻ると、笹屋町の姿がなかった。


「あの野郎……!」


 面倒なことになる前に、聞きたいことだけ聞き出して、先に一人で帰りやがった。飲みに飲んだ日本酒の薬缶だけがずらりと机に並べられており、つまみの小皿も積み上がっていた。なんと姑息なげっ歯類。今度会ったら、パーカーのひもを限界まで引き絞る刑に処してやる。


「あっ、お会計をお願いします」


 やってきた伝票を見て目ん玉が飛び出そうになる。俺の家賃と同じくらいの金額だ。とてもじゃないが財布にそんな大金はない。


「お客様?」


「あっ、ちょっと待ってください」


 対面で爆睡している先輩を見る。起こさなければだが、どこに触れるのがいいのだろう。顔は何となく恥ずかしいし、頭はもっと恥ずかしい。やはり肩かと揺さぶるが、まったく起きる気配がない。仕方がないので緊急避難を発動し、ジーンズの尻ポケットを探らせてもらう。ムチッと詰まった尻肉にできるだけ触れないようにしながら、蘇芳色の革財布を引き抜いていく。


「んっ……」


「っ!」


 半分くらい抜けたところで、先輩が艶めかしい吐息を漏らした。驚いた拍子に指先が、財布と尻肉の間に挟まる。柔らかな感触がむにむにと、俺の理性を飛ばしそうになる。けれども店員さんも見ている手前、変なことするわけにはいかない。


(見てなくても! しないけどな!)


 俺は財布を一気に引き抜き、ぱかっと中を開けてみた。


「うわっ!」「ひぃ!」


 店員さんまで驚くほどに、札入れには渋沢栄一がパンパンに詰め込まれていた。

 とまあこういうわけで、無事に村屋を後にした。したはいいが、路頭に迷った。背中に発生したお尻以上にぷにっと柔らかな先輩のふくらみを感じながらも、興奮する余裕さえなかった。


「どうすんだ、この人……」


 許されるなら、出町柳に置いていきたい。明日から講義も始まるし、早く帰って寝ておきたい。だがしかし、こんな美しい人を路上に寝かせてしまったら、何が起こるか分からない。もしものことがあったとしたらば、さすがに申し訳なさすぎる。


「ん、むぅ……」


「先輩っ!」


 夜風に当たりながら悩んでいたら、先輩がようやく目を覚ました。


「あらた、くん……」


「よかった! 家どっちですか?」


 問いかけるも、先輩は「いえぇ……」とまだ寝ぼけた調子だ。ふにゃふにゃした声のギャップがあり得ないほど可愛いが、今はそれどころじゃない。


「家です、おうちです! どこに住んでるんですか? 何ならタクシー呼びますから!」


 全身でユサユサしつつ尋ねると、先輩は酒臭い息で「あっちぃ……」などと言う。


「どっちですか! 指さして!」


「そっちぃ……えへへぇ……」


 ひとまず指差された方に歩いていく。信号を渡り、河合橋を渡って鴨川デルタへ。高野川と加茂川、二つの川が交わる地点で、大学生たちが四分咲きの夜桜を見ながら宴会をやっている。


「こっちでいいんですね?」


「いえぇ……うふふぇ……」


 合ってるんだか、間違ってるんだか。いちいち首筋がむず痒い。


「いえぇじゃなくて、教えてくださいよ!」


「あっちぃ、こっちぃ、いぇ~い」


「だめだこの人!」


 このままデルタから鴨川に落としたら、酔いも覚めたりしないもんか。イライラしながら加茂川サイドの出町橋を渡る。こっちの土手にも咲きかけの桜がずらりと並び、茣蓙を敷いた大学生たちが盛り上がっていた。いっそどこかの宴会に、しれっと先輩を置いていこうか。


「あらたくぅん……さくらだよぉ……わたしのはなだよ」


「はいはい、そうですね!」


 先輩はのんきに桜を眺めてにへへと笑う。アルコール臭ばかりではなく、少し汗の混じった甘い匂いが、俺の鼻腔を刺激してくる。ムカムカもムラムラも、いい加減に限界だ。


 そもそも俺は単位がほしくて、神社に祈りに行っただけ。先輩に呼び止められてのだって、結局は利用されただけ。飲み会は確かに楽しかったけど、後の始末はぜんぶ俺。


「あらたくぅん……さくらぁ……」


 それなら俺にも少しくらい、役得があっても許されるだろう。どのみちこんな状態の先輩を、路上に放置するのは無理だ。


「もう知らないですからね!」


 俺は桜咲く加茂街道を、ずんずん北上し始める。数少なめの電灯が、桜を淡く照らし出し、薄桃色の花びらが、滑らかな夜に舞っている。


「うふふぇ……いいきぶんだねぇ……」


 人力車にでも乗ったつもりか。先輩は桜を眺めて笑いを漏らし、俺の身体を緩く抱く。


「あらたくぅん……」


「なんですかっ」


「なんだろねぇ、えへへへぇ~……」


「っ、酔っぱらいが!」

 

 可愛すぎて、逆にむかつく。先輩の手がぬるりと伸びて、戯れるように俺の胸板をさすさすしてくる。ぞわぞわと、背骨の中身がむず痒くて仕方ない。


(何なんだこの人! いい加減にしてくれ!)


 大学生の笑い声が徐々に後ろに遠ざかり、川の流れる音の中、車がビュンと抜けていく。桜の花びらがちょうど唇に張り付いてきて、ぺっぺっと何度か唾を吐く。


「さくらぁ……さくらぁ……」


「くすぐったいですって!」


 ふわふわした先輩に無限にちょっかいをかけられながら、俺は住宅街を十五分ほど突き進み、下宿先のアパート・サンセット鞍馬口にたどり着く。


「先輩、つきましたよ!」


「いえ~ぃ……」


 狭いエレベーターで四階に上り、四〇一号室の扉を開いた。電気をつけて靴を脱ぎ捨て、我が根城たるワンルームに入る。ベッドに寝かすのはさすがにためらう気持ちがあって、ソファーによっこいしょと座らせた。生協の家具セットまみれの俺の部屋の中で、唯一このソファーだけは高級品だ。入学祝いで祖父母がプレゼントしてくれた、布張りふかふか二人掛けなのだ。


「失礼しますよ」


 先輩の靴を脱がすため、俺はソファの前にかがむ。デニムでよかった。スカートだったら不可抗力で、色々見えてしまう所であった。


「足細……」


 モデルみたいなシルエットにビビりつつ、ブーツの紐を緩めていく。そしてスポッと一息に抜けば、ソックスに包まれたおみ足が現れた。


「……っ……」


 ただの興味なのだけれども、美女っていうのは足までいい匂いがするんだろうか。ブーツの方はあくまで靴だし、汗が染みて蒸れているから厳しいだろう。しかし、足の方はどうだろう。匂いとは肌から発せられるもの。多少汗で蒸れていようが、いい匂いは出ているのでは。


「あくまで検証ですからね……?」


 虚空に向かって言い訳しつつ、先輩の足に鼻を近づける。体温の温かみが、俺の顔の皮膚に届いた。嗅ぐならここだ。俺は意を決し、すんっと息を吸ってみた。


「うっ……くさっ、くもない、か?」


 汗と言うより、土っぽい匂い。それに薄っすらとではあるが、甘い匂いもした気がする。


「もっと……」


「んっ、んぅ、あらたくん……?」


「先輩っ! おおお起きたんですね!」


 さらに検証しようとした矢先、先輩が目をこすりながら起き出した。慌てて顔を上げ、「水飲んでください!」と俺は廊下に飛び出した。


(危ねぇ~~~~~~~~!)


 心臓のドキドキが収まらない。自分でも何であんなことをしたのか分からない。完全に魔が差していた。これもぜんぶ先輩のせいだ、先輩の。俺はきっと悪くない。コップに水を注ぎつつ呼吸を整え、何食わぬ顔で部屋に戻る。


「これ飲んでください」


「ありがとぅ……」


 先輩はもたもたと、残ったブーツを脱ごうとしていた。俺はコップを手渡して、代わりにブーツを脱がしてやる。今度は匂いなんか嗅がず、玄関に置いて来ようと立ち上がったのだが。


「……まって」


 先輩が俺の裾をきゅっと引っ張る。空になったコップがソファに落ちて転がった。


「せ、先輩……?」


 中腰のまま見下ろせば、先輩が上目遣いで俺をじっと見つめていた。潤んだ瞳、濡れた唇、上気した頬。とろんとした表情は甘えるようで、これまで見てきた大人っぽい先輩とのギャップがとにかくすさまじい。


(これって、まさか……)


 ごくんと俺は唾を呑む。生まれてこの方、そういう経験はおろか、彼女すらできたことがない。そんな俺でも、今の先輩が普通とは違う状態にあるというのははっきりと分かる。


「あらたくん……」


 艶めかしい吐息を漏らしながら、先輩が俺の裾を引っ張った。俺は先輩の隣に座る。


「先輩……あの、俺……」


「あらたくん……」


 先輩は俺の胸辺りに両手を置いて、こちらに体重を預けてくる。酒と、汗と、香水の匂い。その奥に妖しく漂う、女の匂い。全身がカァーッと熱くなる。手も足も、その他の場所もピクリとも動かず、ただただ先輩に押されるがまま、俺はソファに倒されていく。


「あらたくん……あらた、くん……」


 先輩は何かを堪えるような、儚く切ない表情で、俺の名前をゆっくりと呼ぶ。艶髪が御簾のように垂れてきて、俺と先輩だけの密やかな空間が生まれる。髪の隙間から光が差し込み、蕩けた先輩の表情を一層艶めかしく見せる。


 突然どうしてこうなったのか。


 ともすれば無抵抗で流されてしまいそうなところを、残った理性で頭を高速回転させる。


(いいのか、俺は、このままで……いや……)


 これは愛とか、恋じゃない。この短時間で先輩が俺に惚れたってのは、どう考えてもあり得ない。でも、大学生ってのは大人だから、そうした理由じゃなくてもいいのだ。


(上るか……大人の階段……!)


 先輩は単位戦で俺を囮にし、飲み会で好き放題した挙句、泥酔の後始末まで俺に任せた。初対面の相手に対して、いくらなんでも傍若無人だ。もしかしたら、ようやく酔いも覚めてきて、さすがに罪悪感を覚えたんじゃなかろうか。故にすべてのお返しとして、墨染桜花を、俺に与えてくれるのだ。


 それなら俺は甘んじて、先輩にこの身を任せればいい。


「あらたくん……」


 先輩の瞳に宿った、何かを覚悟した光。もう我慢できないとでも言いたげな、長い睫の細かな振動。やっぱりそうだ、間違いない!


「どうぞ……先輩……」


 俺はあなたを受け入れます。あなたのぜんぶを、受け止めます。そういう意図で、それっぽく唇を半開く。初めては、歯が当たりがちだとよく耳にする。だから先輩が重なってきたら、唇を上手く動かそう。変なところで冷静になりながら、俺は先輩を待ち望む。


「あらた、くん……」


「せん、ぱい……」


 桜色の唇が、俺に向かって近づいてくる。吸う息のすべてに先輩の蠱惑的な香りが混じり、理性がぐじゅぐじゅに融けていく。もうすぐそこに、先輩の美しい顔がある。足を嗅ぐとか、比ではない。


(さらば、俺の貞操よ! 我が童貞、ここに堂々退場す!)


 そして俺は目を閉じて……。


「……ごめん」





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試し読みはここまでとなります!


続きは2025年11月18日ガガガ文庫より発売予定の本誌にてお楽しみください!


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【試し読み】今日のたわけの神頼み~京都学生単位戦記~【ガガガ文庫】 洲央 @TheSummer

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