十二話『敗北の代価』

「……ああクソ、体が……」


 医務室のベッドの上で目覚めるフリート。

 まだ治りきっていない火傷に魔素過剰オーバーエーテルの不調も相まって呼吸すら痛みを伴う。


「バルムンクは……どうなった」


 転がり落ちるように立ち上がると、壁に体重を預けながら格納庫へと歩き出す。

 ヴェルギリウスを退けたが、機体へのダメージは相当なモノ。整備もままならない現状では次の襲撃には対応できない。


「出来る限りのことはしないと……」


 戦闘終了からどれだけの時間が過ぎたのかは分からない。格納庫へ行ったところで自分に出来ることがあるのかすらも。けれど、行動している方がフリートにとっては楽だったから。


「クルトさん、バルムンクは……」


「目が覚めたのか。見ての通り応急整備中だ。猫の手も借りたい状況だったが、猫よりは役に立つ助っ人のおかげで形にはなりそうだ」


「助っ人?」


 格納庫には装甲板やパイプが散乱し、油と鉄の匂いが充満していた。整備班の目元には深い隈が刻まれている。


「お前、抜け出してきたのか。モニカちゃんにどやされても僕は知らないぞ」


「なんで、エルンストがここに……」


「助っ人ってのは僕のことだからね」


 ほつれは無いが薄汚れた作業服に身を包んだエルンスト。指先には絆創膏が貼られ、フリートほどでなくとも疲労の色が見て取れる。


「すごいぞ、エルンスト君は。初めてだっていうのに飲みこみは速いし、医学の知見から構造解析も大助かり!」


「いやー、僕をそんなに褒めても……」


 震える手で目頭を押さえるフリート。ため息を吐いて、可能な限り平静さを保とうとするが。


「……何考えてんだ! エルンスト!」


 二人を守るために、普通の日常に返すために戦ってきたのに。なのに、どうして自分から非日常戦争に足を踏み入れるのか。

 痛みすら遠く消えてしまうほどの徒労感に苛まれながら、思わず叫んでしまった。


「分かってるのか、アレバルムンクは国家機密なんだぞ。もうハイデに戻っても、元の暮らしには」


「もちろん分かってるよ、僕だって」


 感情を抑えきれないフリートに冷静なまま答えるエルンスト。


「分かってるなら、なんでだ!」


「君一人だけに背負わせる訳にはいかない。僕も一緒に戦うよ」


「——ッ!」


 その言葉を聞いた時、吐き気がこみあげてきたのを覚えている。自分の最も目を背けたいトラウマに重なって聞こえたから。


(また、また俺のせいなのか。また俺は誰かを……戦場に引きずり込んだのか)


 許されるならば、ここから静かに消えてしまいたい。


「やめてくれ、俺にそんな価値はない!」


 罪を贖うために生きているはずなのに、償いは出来ず、罪だけが増えてゆく。兄の仇が生きていたことも含めて、精神的ショックは動揺を覆い隠せないほどで。

 ふらつきながらも走って逃げだす。一歩を踏み出すごとに体が痛む。少しだけ心が軽くなった気がした。


「フリート!」


「待て、追うな。君が行っても事態を悪化させるだけだ。危ういな、彼は」


「アイツ、クール気取ってますけど馬鹿なヤツなんです」


 フリートは走った、ただひたすらに。誰にも出会わなくていいように必死で。けれど、世界というのは残酷に出来ているらしい。


「なんでこんなところに居るの、フリート。寝てなきゃ……」


「モニカもなの……か」


 彼女の服に縫い留められた階級章。

 汗が止まらない。呼吸が浅くなる。


(なんでこうなった? 俺は何を間違えた?)


 円卓がハイデに来なければ。フリートがバルムンクに乗らなければ。仮定などいくらでも出来るが、事実として全ては起こってしまった。取り返しはつかない。


(俺がもっと上手くやれていれば……何が天才だ。俺はいつもそうだ、肝心な時に役に立たない)


 そっと手と手が重なる。

 細く繊細な指先。爪も良く手入れされて、年頃の少女らしい柔らかな手だった。戦場に居続けるだけ、きっとこの手は厚みを帯びてゆくのだろう。今とは違う手になるはずだ。


「フリート、落ち着いて」


「落ち着いていられるか! 俺のせいでこんな……」


「……待って! どこに行くの、フリート!」


 たどり着いたのは品のある木製の扉の前。この艦における最高権力者の下。

 乱雑に扉を叩き、返答と同時に勢いよく扉をあけ放つ。


「やはり来たか、フリート君」


「答えてください、どうして二人が軍属になってるんです! どうして二人の申し出を許可したんです! 二人まで成る必要は無いでしょう、あなたになら突っぱねることも出来たはずだ!」


 アドルフの胸倉をつかんで叫ぶフリート。

 階級はアドルフの方が遥か上。そもそも、一国の要人への態度としては不敬極まる。それを理解してなお、問い詰めずにはいられなくて。辛うじて残った形ばかりの敬語はまだ彼が僅かに理性を残していることの現れだろうか。


「私としても可能なら受ける気は無かった。だが、やむを得ない事情が……」


「何がやむを得ない事情だ! 言ってくださいよ!」


「見てしまったんだ。二人ともバルムンクの中身を、な」


「——は?」


 力が抜ける。ことの重大さを理解できないほどフリートは愚かではなかったから。

「君を引っ張り出して医務室まで運んだのは二人だよ。その時に……」


「どうして誰も止めなかったんです、機密なんでしょう! 民間人を近づかせるなんて」


「……すまない」


 『烈陽を刻む清廉なる夢想剣ガラティーン』によって損傷した艦の応急修理、怪異領域タルタロス内を進むための哨戒、フリート以外の負傷者の治療。子供二人に構っていられる余裕は誰にも無かった。


「中身を、クライデ君を見られたからには無関係と片付ける訳にはいかない。もはや、身の安全を保障するにはこれより他に無かったんだ」


 普通に生きるならば知る必要の無い祖国の暗部。そして、友人がコレを使って戦っていたこと。

 フリートにその時の二人が抱いた感情を知る術はないが、心地よいものであるはずが無い。


(ああ、どう考えても俺のせいじゃないか)


 また彼がどうしようもないところで事態が大きく動いていた。自分の行動が空回りし続けて望まない方へと転がり続ける。


 友の善意が堪らなく痛かった。


「フリート君、君は良くやってくれた。自分を追い詰め……」


「出来る訳ないでしょう! 論点をすり替えないでくださいよ!」


 苛立ちのままにアドルフの言葉を遮る。それは八つ当たりに他ならなかった。


「……少し休みなさい。これからも君には戦ってもらわねばならないが、息抜きをする時間くらいは我々大人が確保できるよう努めよう」


 子供の癇癪をぶつけられてなお、冷静な態度を崩さないアドルフを見せつけられて、自身の幼稚さを突きつけられる。


「……はい」


 走る気力すら湧かず、行く当てもなく彷徨う。

 艦内の資料室で手当たり次第に教本を読み漁り、誰もいない時を見計らって食事を済ませる。他者と最低限の会話しかしたくなかった。


(どこに行こうか)


 静まり返った艦内。駆動音が僅かに聞こえるだけの深夜。

 部屋には帰りたくない。エルンストと顔を合わせることになる。空いている部屋を勝手に使う訳にもいかない。そのくらいの良識は残っている。


(一つだけか、選べるのは)


 ハッチを叩く。返ってきたのは不機嫌そうな声だった。


「こんな夜中に何の用?」


「何も聞かずに入れてくれ」


 一瞬の間を置いて開くハッチ。重力に引かれるまま、落ちる。


「こんな時間にも機体の整備なんて。仕事熱心ね、あなたは」


「俺はただ……眠れる場所が欲しかっただけだ」


「変な人」


 クライデは普通というモノと縁が切れて久しいが、ベッドに横になる方がこんな硬いシートよりも安眠できると思う。


(あなたはどうして、そんなことをするの?)


 怯えるように不規則な寝息を立てる少年を見つめ、意識を集中する。が、またしても『繋がれ』ない。『繋がれ』なければ、彼の思考が読めない。


(また弾かれた……自分で考えろってこと?)


 生命維持に必要なものは機体から供給される。睡眠もただ生きていくだけなら必要ない。考える時間は腐るほどあった。


(ねぇ、本当はどうしてここに来るの?)


 お互いに多くを語らない関係。戦友というほど仲間意識が強い訳でも無く、他人というほど表面上の希薄な繋がりだけでは無い。

 二人の関係は形容しがたく、一つ確かなのはその曖昧さがどちらにとっても癒しだったことだろうか。

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『騎士狩りの黒杭』ジークフリート -SiegFried of Schwarz Stauros- 舞竹シュウ @Syu_Maitake02

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