エピローグ 新たな門出



 ────ハルロゥのダンジョン攻略から一週間が経った頃。


 ジンは【クラッドバスターズ】の残党やハルロゥからの報復を懸念したアフィンによって、酒場とは別のセーフハウスで匿われていた。


 顔は割れていないとはいえ、ハルロゥの犯罪が凝縮された裏帳簿をギルドマスターへと手渡したのはジンだ。 


 そしてジンの思惑通りにギルドマスターが動いた以上、事件が解決するまでの間は万が一に備えて身を潜めよう……ということになっていたのだ。


 しかし幸いなことに、懸念していた報復は杞憂だったようで、潜伏中はジンにとって実に安穏とした退屈な日々だった。


 そして、その隠遁生活も終わりを迎えようとしていた。



 ◇ ◇ ◇ ◇ ◇



 城壁側通りにある、煉瓦造りで五階建てのボロ宿屋。


 その屋根の上で座っているジンは、風呂上がりの熱った肌を冷ましながら、その時を静かに待っていた。


 普段着だったローブは泥まみれでダメになってしまったので、今は白いシャツに麻製のパンツというラフな出で立ちだが、それもアフィンのお下がりなので少しブカブカだ。


 夜の帷が降り、煌びやかな灯火で彩られた王都の夜景。それを無言で眺めながら、亜麻色の髪を夜風に委ね、感慨に耽るように金色の瞳を細める。


 そんなジンの元へ人影が近付く。金髪碧眼の青年、アフィンだった。


「やあ、ジン先輩。今戻ってきたよ」

「アフィン、おかえり。どうだった?」


 アフィンはゆったりとした歩調で歩み寄ると、疲れを吐き出すように一息ついてからジンの隣に腰を下ろす。


 そしてジンと同じように王都の夜景を眺めながら、彼の質問に独白のように答える。


「ああ、ほぼ決着が着いたと判断していいと思うよ。個人的には理想的な結果を得ることができたと言ってもいい。本当にありがとう、ジン先輩」 


 アフィンはそう言ってしばし黙り込むと、憑き物が落ちたような清々しい表情で夜景を見つめる。


 しかし、その時間は長くない。


「────それじゃあ、僕が集めた情報を報告するよ」


 そう言って、思考を切り替えるようにいつもの軽薄な笑みを作ると、世間話でもするような語り口でジンに報告をした。


 ジンがハルロゥのダンジョンから持ち帰った裏帳簿は、冒険者ギルドのギルドマスターの手に渡るや否や、すぐに調査隊が組まれるほどの事態へと発展した。


 ハルロゥのダンジョンを警備していた騎士団員と【クラッドバスターズ】のメンバーは即日拘束され、ダンジョンは封鎖された上でギルドマスター自らが調査にあたり、裏帳簿の内容が事実であると断定された。


 もっとも、ハルロゥのダンジョンに残っていたのは金銀財宝だった・・・残骸で、しかしAランク冒険者・クラッド=ティヴァーの轢死体があったので関連性は否定できないと言う、やや強引な断定だったのだが。


 それによってハルロゥも拘束され、そして騎士団を擁する王国、ダンジョン管理に携わる貴族、商隊を擁する商業ギルド、冒険者を束ねる冒険者ギルドの重鎮が緊急会合を開くに至り、四者間で議論は紛糾した。


 それもそうだろう。各組織の信頼を根底から揺るがす大問題だったのだから。


 全面的に被害を被っただけの商業ギルドは、今回の事件について各組織を糾弾する立場にあったが、いずれの組織も責任を認めようとはしなかった。


 王国は騎士団にあるまじき汚職を責められ、貴族は贈賄行為とダンジョン利権の悪用を責められ、冒険者ギルドは冒険者の汚職と収賄行為を咎められた。


 しかし、冒険者ギルドのギルドマスターは『騎士団の汚職は論外。貴族の贈賄と利権の悪用も論外。だが、冒険者ギルドを介さない冒険者の犯罪については、冒険者ギルドには一切の責任はない』と一蹴。


 要するに、クラッドたちはハルロゥが個人的に雇った人間であり、冒険者ギルドが正式に仕事を斡旋したわけではないので無関係と主張したのだ。


 さらには『冒険者ギルドの依頼を正式に受けて商隊を護衛した結果、数多の新人冒険者が命を落としたが、これに関しては損害賠償を請求する』と、王国と貴族を相手に訴訟も辞さない構えを取ったのだ。


 分が悪い王国と貴族側はハルロゥに全ての責任を負わせ、全領地と財産、そして貴族としての身分を剥奪したのだった。


 そして事件の首謀者であるハルロゥを筆頭に、関与した騎士団員と【クラッドバスターズ】の面々は投獄されることとなった。


 事件そのものは今後も商業ギルドへの補償や余罪の調査などが続いていくが、一応アフィンの目的であった偽物の【イリオス】を壊滅させることには成功したのだった。


「────というわけで、事件は無事解決。僕らは尊厳を取り戻せたし、ジン先輩もお日様の下を自由に歩けるようになったってわけだね。めでたしめでたし」


 詳細を報告し終えたアフィンはそう言って微笑むと、視線をジンから外して仰向けになり、星空を見上げながら大きなため息を吐いた。


「そう、めでたしめでたし、なんだよ……」


 どこか名残惜しそうに繰り返すアフィンに、ジンは事件が解決したことに胸を撫で下ろしつつも、彼が何を言おうとしているのか察し、視線を夜景へと投げる。


 だが、その視界に煌びやかな光の下で賑わう夜の風景など映ってはいない。ジンが見ているのは、アフィンと出会った瞬間から始まった冒険の日々だ。


 たった数日間の冒険────しかしその日々は、これまで冒険者として生活してきたジンにとって間違いなく一番濃密で、かけがえのない瞬間だった。


 出会って、パーティーを結成して、ダンジョンに挑戦して、正体を明かされて、事件に巻き込まれて、死闘を共に生き抜いて、そして、共通の敵を倒した。


 その過程で揶揄われたり騙されたりスキルを利用されたりと、思い返しても全然良いことが無いのに、なぜかその全てが今となっては愛おしいとすら思える。


 それはきっと、初めて互いを認め合ったパーティーで冒険をしたからだ。


 互いを認め合い、背中を任せ合い、確かな信頼を寄せ合いながら歩いた旅路。そんなの、最高の時間に決まっている。


 だからこそ、ジンは聞かなければならなかった。


 アフィンは大人で、人生の先輩だから。


 きっと、まだ子供のジンを揶揄って、曖昧に濁してしまうだろうから。


「……と、ところでさ、ずっと聞きたかったんだけど、どうしてアフィンは『義賊』をやっているの? こんな大事件を解決してまで、守りたい誇りが【イリオス】にあるんでしょ?」


 ジンは敢えて盗賊ではなく『義賊』と言った。それは、アフィンたちと今日まで行動した上での言葉だった。


 ジンの問いに、アフィンはしばらく考え込むように唸りながら夜空を見つめる。


 やがて考えが纏まったのか、上半身を起こしてジンに穏やかな眼差しを向けると、言葉を吟味するように、ゆっくりと語り始めた。


「僕はね、実はこう見えて幼い頃は裕福な商家の子供だったんだよ。両親は僕を溺愛しててね、欲しいものはなんでもすぐに買ってくれるような人たちだった。当然、僕は毎日が幸せだったよ。でも、幸せな日々は唐突に終わったんだ」


 アフィンはそこで言葉を一度切ると、王都の外、街道の方へ視線を移して続ける。


「行商で商隊を組んで街道を移動しているとき、盗賊に襲われたんだ。当時もっとも恐れられていた連中にね。商隊は壊滅して……僕を守ろうとした両親は目の前で殺されて、そして幼い僕は商品として拉致された。よくある話だよ」

「────っ」

 

 さらりと語るアフィンだったが、ジンは言葉を失う。


 確かによくある話だ。街道では誰しもに起こり得る事だ。でも、その苦しみは当事者にしかわからない。


 アフィンは視線を戻し、僅かに憂いを帯びた眼差しでジンを見つめると、そっと亜麻色の髪を撫でた。


「先輩は優しいね。でも、そんな顔をしなくても大丈夫だよ。僕は、運だけは良かったからね」

「運、が?」


 絞り出すようなジンの相槌に、アフィンは小さく頷く。


「盗賊に拉致された僕は、変態貴族に売り飛ばされる前日に10歳を迎えてね。その時に授かった祝福はなんの因果か、ご存知の通り【サイレントマスター】だったのさ。僕は『音』を消して、盗賊の目を盗んで逃走することに成功したんだ」


 皮肉を交えて言うアフィンだが、ジンは本当になんて因果なんだろうと、いたたまれない気持ちになる。


 運と片付けてしまうのは簡単だが、同じ境遇で【サイレントマスター】など授かったら、きっと神を恨むだろう、と。


「……って、ちょっと、なにするのさ」


 しかし、アフィンは「そんな顔をするな」と言わんばかりに、わしわしと乱暴にジンの頭を撫でた。そして、手櫛で髪を整えるジンにクスリと笑うと話を続ける。


「運は続いてね、盗賊から逃げたものの、金も食い物もない僕は街道で野垂れ死ぬ運命だったんだけど、そこを盗賊を襲うことを生業とする盗賊団【イリオス】に拾われたんだ。

 オヤジ……当時のリーダーはさ、僕の境遇を聞いて『じゃあ今日から私をパパと呼べ!』とかふざけたこと言いやがってさ。でも、おかげで助かったし、新しい居場所もできた」


 当時のことに思いを馳せるように、悪態を吐きながら目を瞑るアフィンだったが、その表情はとても穏やかだ。


 しかし再び目を開くと、その瞳には寂しげな表情が浮かんでいた。


「でも、オヤジはある日突然逝ってしまった。襲った盗賊が流行病に罹っていたみたいでね。まあ、これも因果応報なんだろうな」

「そんな……」


 諦観を滲ませながら言うアフィンだったが、『父』と言う存在を二度も失った悲しみは、筆舌に尽くし難いに違いない。


 思わずジンが金色の瞳を湛えると、アフィンはおもむろにジンの頬を軽く摘んで微笑む。

 

「ふふ、ほんとジン先輩は優しいね。でも大丈夫だよ。僕は、くよくよしていられる立場じゃない。オヤジの死をきっかけに、オヤジの意志を継いで【イリオス】のリーダーとなったからね。

 そして【イリオス】は盗賊の被害者で構成された組織なんだ。僕は、戦い続けなくちゃいけないんだ」


 そして誇らしい顔で【イリオス】であり続けることを告げる。それが、ジンの質問に対する答えだと言うように。


 ジンは心の内を見透かされ、口をつぐみ、小さく俯く。


 アフィンはそんなジンの頭を撫でながら、幼子を宥めるように、優しい口調で続ける。


「よく聞いてジン・・。義賊だなんて名乗ったところで、それはただの欺瞞なんだ」

「うん……」

「悪い奴を懲らしめるために悪いことをするのは、結局悪いことに変わりないからね。僕は、僕の業を、誤魔化したりなんかしない」

「うん……」

「だからジン、ジンはもう僕らに関わっちゃいけないんだ。ジンには陽の当たる世界で、堂々と冒険をして欲しい。それが僕の一番の願いだよ」

「…………うん」


 アフィンの心の底からの本心を受け止めたジンは、頷いた瞬間、ついに堪えきれずに大粒の涙を零した。


 本当は、わかっていたことだった。


 本来はお互い決して交わることのないみちを歩いているのだと。


 それが偶々、ほとんど奇跡のような確率で、神様の悪戯としか思えなような偶然の積み重ねで交わったのだと。


 そして一瞬の邂逅を経た後は、再び交わることのない路へと戻るのだと。


 だから、これは悲しいことではないのだ。むしろ奇跡の出会いに感謝して、互いの旅路に祝福わかれを告げるべきなのだ。


 だから、ジンは泣き声を上げなかった。


「────うん、わかったよ」


 精一杯の虚勢を張って、男の子の矜持いじで笑顔を作ると、顔を上げてアフィンと向き合う。


 涙は溢れるし、鼻水も垂れてるけど、それでも構わない。


 ジンは、ただただ二人の出会いに笑顔で感謝したかった。


「オレと……オレと一緒に冒険をしてくれて、ありがとう」

「僕も、ジン先輩と一緒いに冒険できて最高だったよ」


 そしてアフィンもまた、ジンの気持ちに笑顔で応えるのだった。



 ◇ ◇ ◇ ◇ ◇



 翌朝。ジンが目を覚ますと、宿屋には全く人の気配がなかった。


 恐らく寝ている間に姿を眩ませたのだろう。まるで、最初から最後まで夢幻だったかのように。


 しかし、ジンは気付く。彼らとの冒険は確かな日々だったのだと。


 ベッドサイドに置かれた新品の装備品の数々と、その上に添えられた一枚の紙切れ。


 紙切れには一言だけ綴られていた。


 ────『幸運を』、と。


 ジンはその紙切れを真新しい頑丈なバッグに仕舞うと、彼らが揃えてくれた装備品を身に纏ってゆく。


 通気性の良いシャツとパンツを着て、踏破性と耐久性に拘ったブーツを履く。


 そしてかつて倒した『ダンジョンオオカミ』の毛皮で設えられたローブに袖を通す。


 僅かに光沢を帯びたダークグレーのローブは重厚かつ着心地の良いものだったが、狼尻尾のイミテーションに加えフードにも狼耳が付いており、彼らの悪戯心が垣間見える品だった。


 男が着るには少し、いや、かなり可愛い装備だったが、しかし心だけは共にある気がして、ジンはすぐに気に入ったように笑みを浮かべた。


 そして荷物を詰め込んだバッグを肩にかけると、無人の宿を出る。


 眩い太陽に目を細めつつ、深呼吸をすると、ジンは新たな旅路へと大きく一歩を踏み出した。


「────行ってくるよっ!」


 その足取りは弾むように軽やかで、新たな冒険へと胸を躍らせているようだった。





 ────【 第一章・完 】────

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地味スキル【トラップマスター】の使い手だけど、役立たず扱いされてパーティーをクビになったので、今後は自由に冒険しようと思う。 アイザワ アキラ @akira_zawazawa

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