美人
『好きって、君が?』
その言葉を、嘲りの笑顔を、俺は一生忘れないだろう。
「ねぇ、聞いてます?」
「……ああ、勿論。ちゃんと聞いてるよ」
嘘だぁ、と部下がボールペンを振りながら、唇を尖らせる。
配属されたばかりの彼女は、俺の持っている新人のイメージよりも少々生意気だった。
「大体これでいいから、ここの誤字だけ直しといて」
「えー、たった一箇所じゃないですか。そのくらいやっといてくれませんか」
小首を傾げる仕草は妙に自信に溢れていた。
きっとこれまでそれで断られた事などないのだろう。
「駄目だよ、自分の仕事なんだから。俺が直したら君の為にならないよ」
「はーい」
舌を出しながらクリアファイルを受け取る彼女は、若く美しかった。
顔立ちの整った人を相手にすると、どうしても気後れする。
誰に打ち明けても「奥手」「ヘタレ」なんて笑われるが、それは俺の学生時代に起因していた。
高校時代好ましく思っていた女子は、本当に美しい人だった。
長い睫毛、形良く通った鼻筋、赤くぷっくりした唇、滑らかな肌……。
誰にでも優しい顔で笑い、澄んだ声でゆっくり話す。
俺の、いや男子全ての憧れだった。
ある時、くだらない罰ゲームで好きな子に告白することになった。
仲間内での立場を守る為。
そんなちっぽけな理由で彼女に好意を伝えた俺を、彼女は鼻で笑った。
「好きって、君が?私と釣り合うと思ってるの?」
教室での清楚さが嘘の様に、恐ろしく冷たい目、馬鹿にした声。
友だちからは笑い物にされ、彼女のいる教室にただ座っているのすら苦痛なほど、その眼差しは俺を苛んだ。
それでも彼女は美しかった。
「チーフ、今度ご飯連れてって下さいね」
外周りの営業車の中。
美しい顔で、部下は笑った。
何故、彼女は私に微笑むんだろう。
高校時代の彼女とは似ても似つかない、けれど確かに美しい顔。
彼女に微笑まれると、同時にあの冷たい、俺を傷付けた眼差しが頭をよぎる。
俺に好意を持たせてまた裏切ろうと言うのだろうか。
「君はさ、彼氏とかいるの?」
ほんの少し、気が迷った。
まさか、彼女が本当に自分に気があると思った訳でもないのに。
美人に好かれているかもしれないなんてちっぽけな思い上がりを守る為に、その言葉を口に出してしまった。
「やだ、それセクハラですよ。」
ふっ、と鼻から息を吐いて、彼女の返事はそのひと言だった。
セクハラ。
社会人としてこれ程恐ろしい言葉はないだろう。
それは男の地位と財産を全て奪い取り、その先の人生まで閉ざそうとする恐怖の呪文だ。
冗談じゃない。気を持たせたのはそっちじゃないか。
やはり彼女もそうだった。
これだから、美人は嫌いなんだ。
俺を陥れ、貶めようとする。
俺はセクハラ野郎の烙印を押され、後ろ指差されて生きて行かなければならないのか。
また、あの鼻で笑った声に、僅かに細められた形の良い目に、苛まれて生きて行かなければいけないのか。
その前に、出来ることがあるんじゃないか。
例えば。
例えば。
幸い、彼女と2人きり。
その人生のハンドルを取っているのは、俺だった。
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