ギフテッドはアトリエに赴く

Alice in 霊脈♪

ギフテッドはアトリエに赴く

「ねぇ、キミはさ、天才ってどういう人か知ってる――、いや、だと思う?」

 先輩と始めて会った時、彼女から俺への開口一番はそれだった。

「……。普通に考えたら――、特定の分野を卒なく熟せる人のことなんじゃないですか?」

「ノンノン。それは結果だけしか見てない有象無象のちゃちい回答だよ。天才とは――、」

 先輩の顔の覇気が増す。そしてそれ以上に、自分の考えを披露できることへの喜びを露わにして放った。

「天才とは、技術吸収効率の鬼。それでいてその事実を誇りに思い、茨の道すらしゃなりと歩く。そして誰もが一度見たら忘れられない最強のオーラ。それら全てを兼ね備えた只の人のことだよ!」

「――要は自分は天才なんだと言いたいわけですね、先輩」

 そう皮肉ってみると先輩は勢い良く椅子を立った。

「そうだ! ワタシこそが孰れ現代音楽界を揺るがす存在になるであろう天才だ! そしてその一つ下にキミが居て、あとは得体の知れない魑魅魍魎共が遊ぶだけ。

 ――さぁ、ようこそ。ワタシのアトリエへ! ワタシの名前は西園寺 桔梗。今はネットに蔓延るシミの一つでしかないけど、その内に街を歩くだけでワタシの曲が聴こえてくるようになるはずだよ!」


        1


 先輩の作る曲は他に見ない独特な世界を彩っている。

 俺はインディーズの音楽家として活動している先輩――、『キキョウ』のファンだった。今は違う。

「……。――うん、相変わらず良い歌声してるね。こりゃエフェクト掛けすぎるのは勿体ないなぁ」

 右手にマウス、左手にキーボード、壁にはギター、床には数多の機材。先輩の部屋はDTMに最適化されている。――そういう俺も俺で、この部屋にはすっかり慣れてしまった。小指を痛めないようにするコツは、床に幾つか散らばったギターアンプやオーディオインターフェースをうっかり踏まないようにすることだ。

 ――一年前、所謂『歌い手』を趣味としていた俺は先輩に誘われて『キキョウ』の専属ボーカルとなった。といってもやることは単純明快、俺が書いた詞を歌って先輩はそれ以外だ。作詞家を兼任させられた理由は今でも判らない。

「それにしてもこの歌詞――、キミがワタシと始めて会った時のことでも回想しながら書いたの? 見てるだけでちょっと擽ったくなっちゃった」

「嫌でも思い出しますよ」

「あはは、面白いこと言うね」

「そこ笑うとこですか……」

「うん。だってキミがこういう歌詞書くのって珍しいし」

 今度は無言で返してやった。

「さ、ワタシは今からMIX作業に移るから、キミはお茶とお菓子でも籠から引っ張り出して嗜んどきな?」

「……。先輩はいつものチョコ?」

「そ」

 先輩との作業はいつもこんな感じだ。アットホームな職場なんて無いと嘆く就活生には是非このアトリエを紹介してあげたいものだ、勿論皮肉を込めて。給料なんざほぼ宝払いみたいなものだ。――その代わりと言ってはなんだが、口煩くて鬱陶しいが少しだけ可愛い上司の存在でも仄めかしておいてやろう。


「チョコどんだけ備蓄してるんですか」

「とうひつはてんはいのさいだいおぶき」

「噛んでから喋れ」

「……。…………。――煩いなぁ、真っ昼間からオーバードライブ掻き鳴らして近所迷惑だって訴えてやるぞ、冤罪として」

「できるもんならやってみてくださいよ、証拠不十分の不起訴処分で先輩の負けは確定ですけど。どころか逆に先輩に前科が付きます。――折角の休みなのになんで昼飯前から先輩の面倒見ないといけないんだ俺は」

 ついさっき、俺は何故一瞬でも先輩を可愛い人だと認識してしまっていたのか。

「――そりゃあキミの存在が悪いよ。いつかライブする予定だけどさ、当たり前だけどワタシが出たら皆曲じゃなくてワタシの方に目が行っちゃうじゃん。んでもキミは普通の好青年だし、ついでに歌と作詞も上手いときた。丁度良い人材だよ」

 あぁそうか、そういう自覚はしていたのか。

「てかさ、寧ろキミはワタシに感謝するべきだよ。キミ、いっつも再生回数三桁だったのに今は平均四桁だもんね」

「俺と同じく再生回数が五桁を超えたことない人が何言ってんですか。てか先輩の曲って音声合成のよりも俺が歌ってる曲の方が再生回数多いじゃないですか。それって俺のお陰じゃないですか」

「いーや、ワタシのMIXの技術のお陰」

「あーそ。――でもライブまで想定してたとは初耳。先輩はそういうので笑われることを想像したことってないんですか?」

「……。誰だってあるだろそんなの。去年流行ってたバンドアニメでも初ライブでそういう展開あったし。――笑われることを恐れるなって言ってる奴も心のどこかではそう思ってるよ、絶対」

「――じゃ、もう一つ教えてください。なんで俺を『キキョウ』のボーカルにしたんですか?」

「……。それ訊くー?」

 この時の先輩は珍しく困ったような顔をしていた。

「――全然伸びないのヤだしそもそもワタシ人前に出るの嫌いだから」


        2


 全ての音楽好きが教科としての『音楽』興味を持っているわけではないことは、既に先輩が証明している。訊けば「クラシックには興味無い、ロックとかポップをやりたい」とコーヒーを飲みながら言う。

 ――そういう俺も俺だ。正直に言うと、今受けている授業だって内容が半分だけしか頭に入ってきていない。あぁ、なんで音楽を選択してしまった。

 「基礎を学ぶことは重要」だとか言う人も居るだろう。煩いな、俺はクラシックには興味を持っていないだけだ。本当は現代音楽を学びたいんだ。

 ――まぁ、そんなことを口に出してもつまらない。況して授業中の愚痴を教師に聞かれでもすると、内申点の降下は確実なものだろう。仕方なく、暇潰し程度に先週末の先輩のアトリエでの会話を脳から引っ張り出してみる。


『伸びないのが嫌じゃない奴はどこのどいつだ今すぐ紹介してみろ。――誰だよ、数字しか見てない自薦廃人野郎っつったの。曲もイラストもMVも日に日にクオリティー上げてってるってのに。

 芸術を評価するのは芸術家じゃなくて人なのにさ、自薦することがなんで悪いの。じゃないと観てもらえすらしてくれないのに。――あぁあ外野が煩い天才はワタシだ!』


 俺を『キキョウ』のボーカルにしたのはリスナーを増やすためだと聞いた。正直、俺以上の適任者なんてネットのあちこちにごろごろ転がっているはずだと思うが、それでも先輩は俺が良いらしい。

 結局、これも俺を選んだ理由にはなり得ない。何故なら音楽界はそんな精神論で語れるような場所じゃないから。

 クラシックの時代だってそうだったかもしれない。――あぁそうだ、こう言っちゃ怒られるかもしれないが、クラシックの時代から自薦能力で勝ち上がってきた音楽家なんかも居るだろう。居て然るだろう。

「……。」

 一旦何も考えないでいよう。そうしたら新しい詞の案が浮かんでくるかもしれない。それを授業ノートに、教師にバレないように書き溜めておくんだ。

 ――”結局芸術って人が作ったものだろ”

「…………。」

 ふと、何故か眠くなってきた。


        3


「どれだけ技術が拙くても情報に強く、怠惰な奴が勝つよ、音楽に限らずどの界隈でも」

「?」

「例えば営業はどうだ。ワタシのお父さん給料結構貰ってるけどさ、その代わりストレス凄いよ。どうやら会社の仕組みの穴を突いてサボる奴が居たり、悪意を以って地位を弄る奴が居たりするらしい。

 他にも政界はどうだ。さっきの営業と殆ど同じだよ。国民の税金を使って、仕事って名目で家族と旅行を楽しんだり……。

 ――イメージとか善悪とか関係無く、情報に強い奴が楽できるんだよ。まぁ件の政治家さんは詰めが甘い故に悪意がバレちゃった馬鹿だったけど」

 先輩は偶に毒舌になる。それに加え、普段は馬鹿だが妙に納得できる台詞を放つ時もある。

「――で、結局何が言いたいんですか」

「キミさ、ワタシのことどう思う?」

「は? ――、」

 どう思う――、どう思う?

「それどういうことですか」

「いや、活動」

「あ――、あぁ……」

 ――なるほど。

「別に――、このまま続けたらいつか伸びるんじゃないですか? てか昔からずっと先輩自身がそう言ってたじゃないですか。似合わない弱音でも吐きたいんですか?」

「――いや、そうじゃないよ。ただ、ワタシの言葉を不快に思ったことないかな? って」

「おも――、」

「重くてもいいよ。ワタシ、キミに嫌われたくないから」

「っそ……。――で、なんだっけ。あぁ、偶に言う音楽界への意見が不快かどうかってことだっけ? 別に不快じゃないですよ、少なくとも俺は

 てかSNSで言ってるわけじゃないんだしどうでもいいんじゃないですか? 自身とそぐわない意見に対して不満を言うのは寧ろ良いことだと思うんですけど」

 先輩が不思議そうな顔をした。

「……。――、」

「?」

「いや、唐突にリスカピアノで曲作りたくなっちゃって。あ、但し歌詞はそれ自体を皮肉った感じのやつ」

 丁度良かった。今日の授業中にそういう系の歌詞を書き溜めてたんだ。

「まぁいいですけど――、ところで好い加減床の機材整理しません? 俺は慣れたけど機材は環境には慣れやしない。埃被ってるやつもある」

「煩いな、天才の好きにさせろ」

「あ、戻った」

「あー煩い煩い」

 そう言う先輩の手の動きが煩い。仕方なく、一先ず床に放置されたオーディオインターフェース――、恐らく古いモデルなのであろうそれの埃を軽く払ってから、近くの棚にでも収納してやった。

「あんま動かすなよー、定位置憶え直すの大変だから」

「天才が何ほざいてんだ」

「煩い、天才は一つの分野にしか集中できないの。多方向に浅くとかナンセンス」

「……。それ言えばかっこいいって思ってるだけでしょ。誰だよさっき情報に強い奴が勝つとか言ったの」

 机に置かれた未開封のチョコを投げつけてきやがった。

「それとこれとは別問題だ馬鹿」

「我が儘……。――その点だけは天才の特徴に当てはまってるのか」

「――宛てになんないよ、そういうの。そもそもそれじゃあその特徴を満たしてる奴全員が天才になる。天才になりたい秀才に失礼だよ。――てかさ、人は全員神から何かしらをギフトされてんの。そこに在る違いはそれが大衆向きかどうかだけだよ。

 そして少数派のギフテッドが芸術を作るとか言ってる奴居るけどさ、ワタシは絶対そうじゃないと思ってる。芸術を作ったのは神じゃない、人だ。神からの贈り物を人が裁定するなんてちゃんちゃら可笑しい。ただ与えられたものを情報と組み合わせて上手く利用した奴だけが生き残る。――そういう意味でしょ? この歌詞。ありがと、この歌詞読んだらワタシが正しいような気になれた」

「――そりゃどうも……」

 先輩が大きく溜め息を吐いた。

「インスト部分は普遍的な感じにするんだし、それを超えるためにこれまで以上に集中力が要る。チョコ追加」

「太りますよ」

 俺は再びチョコの散弾を食らう羽目になった。


        4


 今日の朝ご飯も一般家庭的な献立のようだ。席に座って味噌汁を一啜り、そして鯖の煮付けをおかずに米を掻き込む。――そういえば、先輩は「朝はパン派だ」って言ってたな。

 ――普段は休日を除き、登校前に一度アトリエを目的地にランニングをするのが日課だ。なので俺は比較的早起きをする方だと言えるだろう。

 暫く箸を進めていると、不意にスマートフォンの通知音が流れた。メッセージアプリに登録したクーポンのサービスの通知でもなければ、こんな早朝からメッセージを寄越す奴なんて一人しか居ない。

『至急、再生回数を見るのだ』

 ???

「……。――おぉ」

 先週動画投稿サイトに於けるイベントに投稿した例のリリースカットピアノ楽曲を以って、それが初めて再生回数が五桁になった瞬間だった。


「見た?」

「見ました」

「ヤバいね」

「ヤバいっすね」

「ねー」

「……」

「――キミ汗凄いね」

「走ってきたんで……」

 ただ同時に、再生回数の桁の最高記録を更新したことにどう反応すればいいのか。素直に嬉しく思えばいいのか、それともたかが五桁で喜ぶ実力の寂寥感と戦えばいいのか……。

「にしても――、うん、良かった……。リスナーは一定数居るんだ」

「?」

「ワタシの将来の夢は音楽だけで食べていくことだからさ、今のうちにファンを獲得できなかったらって考えると――、ちょっと怖い」

「最近――、やけに物怖じしてますよね。出会ったばかりの頃の先輩はどこへ行った」

「フィヨルドでも見に長期旅行だとよ」

「――てか俺らまだ高校生ですよ? そんな心配することですか」

 やはりここぞと、先輩の顔が険しくなった。

「今活躍してるアーティストの大半は学生の頃から一定のファンが居るんだぞ? というかそれ以前に、もし就活前にワタシが認知され損ねたらどうする。ワタシは今までの全てを音楽に捧げてきている。音楽以外の社会で生き抜く術なんて持ってない。というか音楽以外で成功する自信が全く無い」

 先輩は変なところで弱気だ。

「――まぁ、音楽に自信があるのならさっさと有名になりやがってください。俺は先輩の曲にボーカルと詞を付けるだけです」

「それでもさ? 運、なんだよなぁ――、極論は」

 そう、俺や先輩と実力が拮抗している者はこの世界には五万と居るわけだ。だから聴いてもらうための工夫と自薦能力と、それと運で戦っていくんだ。ここは俺でなくても否定はしないだろう。

「定期的なイベントも、ある程度視聴者層が厚くなるだけで根本的なそれはあまり変わらないですからね」

「うん。だから、例えば今回みたいな匿名性の強いイベントとかには助けられてるわけ」

 そう言いながら先輩は顔を落とした。その視線の先は勿論、件の再生回数。――仕事にしたい音楽にとって数字は大事なわけで、少し機械的な追求も仕方が無いってものだ。それがどれだけ格好悪くても、音楽に夢があるなら気にすることはないはずなのだ。

「――で、次、どうする?」

「勿論、出さなきゃ損でしょ」

「いや、そうじゃなくてさ――、キミ、個人で出さないの? ってこと」

 あぁ、なるほど――、

「で、先輩は次のイベントどうするんですか? 俺が出したら先輩は出せないでしょうに」

「同じボーカルだったら規約違反疑われるかもって? ――でもそれはどこまでいってもボーカルが同じってだけだし、偶には合成音声オンリーで出そうかなって」

「……」

 コーヒーを一啜り、そうしてから先輩はその手のマグカップを一旦机に置いてから、隣の小皿からクッキーを二枚取って囓った。

「――じゃあ出そうかな、カバー曲でも」

「ん、それが良い」

「――いいんですか? 俺が歌ったやつの方が伸びる」

「お、前まではただの生意気なだけな奴かと思ってたけど自信も身に着けちゃったようだね。寧ろキミオンリーのやつ聴きたくなってきたよ」

「生意気って――、誰が言ってんですか……」

「?」

「…………」

「――さーっきから感情が往来してるね。頭の中煩くないの?」

 誰のせいだと思ってる。

「……。でもさ、そんな激しい感情に満ちた汚らわしい肉なんか突き破っちゃいたいよね」

「――骨ですか?」

「そ、中原中也好きなんで引用。ワタシだけで作詞することになるし、今のうちに色々案を溜め置いておこうかなって。――ワタシが好きなアーティストもよく歴史上の文豪から有名な文を引用しててさ、なんかそういうのに憧れてんの。

 やっぱコピーで腕を磨くって大事だよね、コード進行とかも然り。キミも次のイベントで好きなアーティストの歌い方でもコピーしてみな?」

 コピーってやっぱりそんなに大事なのか――、

「大事だよ、その方がオリジナリティーを出しやすいし。ワタシはプロじゃないけど、でも天才が言ってんだから間違いない」

 ――結局は音楽すらも、完全に独創的な彩りを醸し出せる人は過去にしか居ないってことか。それがファンができないことへの先輩の不安に拍車を掛けてるってわけだ。


        5


 先輩の居ない録音は久々だ。少しの寂しさは感じつつも、それも喉の渇きと一緒に水で潤い流す。

 ――毎回の録音時もそうだ、先輩は時々心得のようなものを言ってくる。でもそれは深いようで、少し考えればそれに中身があんまり無いことなんて俺にでも判ってしまう。だからこそ俺にでも解る。

 先輩に言いたいことなんて恐らくは無いんだろう。俺に作詞を任せている理由もそれだ、果てはボーカルも――、まぁそれだけは俺の杞憂であってほしいが。

 先輩は経験だけで淡々と語っている。今まで聴いてきた音楽を参考にして音楽を作るように。深いか浅いかではなく、それが俺に刺さったから、だから俺は先輩に付いていっている節があるのだ。

「――、」


 MIXも俺がやることにした。理由は無い。こういう時、本来なら空いた手を使って水分を摂るべきが、歌い終えても続く高揚感の前にはそれすらも忘れてしまう。こういう時こそ、やっぱり俺は歌が好きなんだと実感する。

 ――時々不安になる。願わくば、俺も先輩のものと同じ音楽で食べていく夢を叶えたい。だからだ。才能のある先輩が日の目を見れていない音楽界で俺が注目を浴びることなんてないはずだからだ。

 ――いつか、先輩は「運」が大事だって言っていた。でも当然のこと、その前提として努力と才能が必須なんだと思うばかりだ。偶に、「『天才』の一言で片付けるのは今まで努力してきた音楽家達に失礼」と書く人が居るが、確かにそうなのだろうがそれで片付けるのも違う気がする。先輩の言葉を借りるなら、「天才は凡人に比べて必要な努力量が少ない」と考えることもできるのだ。

「――まぁ、考えるだけなら自由だろ。好きにやらせてくれ」

 誰も見ていないだろう? でも、そう口にしなければどこか落ち着かなかった。


        6


 MIXに時間を掛けた甲斐あってか、そのMVのランキングの順位は想像よりも上だった。

「やっぱ上手いけど――、なんか雰囲気がいつもと違うね」

「コピーしろって言われたので」

「なるほど。で、この歌い方はあのアーティストをコピーしたのか。次からはエッジボイス路線も検討だね」

 先輩は真剣な顔付きのまま、ヘッドフォンに当てていた右手を戻して俺の歌声を聴き終えた。コンタクトをよく入れている先輩にとって、今日掛けている眼鏡は俺の目には新鮮に映った。

「――先輩って、音楽は楽しいものなんだって思ってやってますか?」

「どうしたー? 急に。――まぁいいけど、楽しいよ。第一はそう。でもその下には勿論焦りと不安がある。皆そういうもんだから、キミもあんまり気にしなくていいと思うよ」

「……。そうですか」

「でも――、今は不安が一番だよ、ほら」

 数秒PCを操作して出てきた画面には、先輩がイベント中に投稿したMVのアナリティクスが表示されている。再生回数は――、前回のイベントの半分以下だった。

「イベントが無い時よりは多いけど、でもイベントでこんなに落ちたのは久し振り」

「――そうですか……」

 さすがにこの時だけは、先輩に天才だと思わせることは憚られた。

「…………」

 これ以上、俺は何かを思うことはなかった。


        7


 その後も俺は一人で活動を続けた。理由は先輩に呼ばれていないからだ。――ということは、曲はまだ出来ていないのだろうか。比較的早く曲を作り終える先輩にしては珍しい。

 なんとなくでコンビニにでも寄って、先輩が好きなチョコでも買った。先輩のことだ、機材を貸してもらうための対価を要求されるかもしれない。ついでに俺の分のスナック菓子も買って外へ出た。


「先輩――、」

「ん――、あぁ、キミね」

「『キキョウ』は活動停止中ですか」

「いや――、」

 前回の再生回数の悪さが影響してか……。

「スランプですか?」

「……」

「――まぁ取り敢えず、チョコでも買ってきたんで自由に食べてください。てわけでそのインターフェース貸してください。今曲思い付いてないんでしょ」

「無理。今使ってる。作り終えるまで待って」

「……。――いつ頃まで」

「さてね」

 先輩の顔はいつにも増して険しかった。眼鏡は最後に会った時と同じものを掛けていて、服は若干はだけていた。そのだらしなさは今日が休日故のものか、それとも焦燥故か――、


「チョコくれ」

 暫く先輩の作業を眺めていると、そう要求してきた。軽く投げて寄越すと、急いで包装を剥がして勢い良くそれをしがんだ。

 耳を傾けると、時々喉の唸りが聞こえてくる。

「――先輩、チック出てますよ、大丈夫ですか?」

「キミ、そういうのストレートに言うんだね。――でもまぁごめん」

「いや……」

 ――やりづらいな。

「――この前、先輩はコピーが大事だって言ってたじゃないですか」

「うん」

「じゃあ、今作業が止まってるなら好きなコード進行でもコピーしたらどうですか?」

「――それ、なんの助言にもなってないよ」

「そうですか……。つまり、あの時俺にそう言ってくれたのは、俺に才能が無かったからですか?」

「そう」

「ならなんで一人で曲を完成させようとしてるんですか。コード進行くらい、他人のを使っても――、」

「煩いなちょっと黙って」

 よく見てみても、先輩の目からは光を感じられなかった。――覇気が無いと表現すればいいのか。兎に角、先輩に重い疲労が乗っかかっていることだけはよく判った。

「ごめんね、面倒臭い性格で。でもさ、キミも解れられると思うけど、人のコード進行だけ使ってそのまま完結させたくないじゃん。――この前のイベント、ワタシより上の人は皆自分だけでコード進行を作ってたよ。あぁ、皆ルーキーね」

「それでか……」

「……」

 先輩は――、『キキョウ』は活動を始めてから三年が経つ。ルーキーに含めるには、少し経験が豊富だ。

「……。前までの曲のコード進行は凄い独特な感じしてましたけど、あんな感じにはできないんですか――、」

「あれ、全部他人のを改造してる。一から考えたことなんてない」

「…………。でも、改造するのが普通なんじゃないですか――、」

「普通でいいわけないだろ!」

 勢い良く席を立った。

「ワタシの憧れてる人、またはそうじゃなくても、皆音楽の中でもどこかしら突出してる部分、つまりオーラがある。

 ――ワタシはいつも自分に嘘吐いてるんだよ。音楽を知らない周りの人からは『天才』だって言われてる。でも三年も作曲してて、まだ本当のオリジナリティーが解らないよ! 作詞だってやってるのはキミだろ!」

「周りが先輩のこと『天才』だって言ってるならそれでいいだろ――、」

「よくない! てかキミこそ自分の才能を自覚しろ、ボーカルと作詞家としてのな!」

 ――? 自分に才能がある?

「何言ってるんですか……」

「――こんな身近にも天才が居るのにさ、なんで皆ワタシのことを持ち上げるの……?」

「……」

 先輩の言いたいことは――、解らなくもない。俺の同期にも、理不尽な才能を持った人が何人も居る。でも、だからって自分の才能を否定することはないだろ、音楽で食べていきたいんじゃなかったのか?

「――寝る。出てって」

 先輩はヘッドフォンを頭から外して、それを少々乱暴に机の上に置いた。

「先輩――、」

「いいから出てって! 機材は勝手に持ってって」

 暫くこの状態が続くことは容易に想像できた。――それにしても誰が天才だ? 馬鹿。


        8


 ふと動画投稿サイトの先輩のプロフィールを見てみると、幾つか新しいMVが投稿されていた。しかしどの再生回数も低迷気味だった。

「――俺、居なくていいのかな」

 あぁ、いいんだ。元々俺を誘ったのは先輩だった。本能はそう言う。

 それでも――、あれから先輩の『キミこそ自分の才能を自覚しろ』って台詞を思い出すことはある。だから行ってやった方が良いような気がする。


「何やってんですか、先輩」

「――? ……。寝てた」

「思い付かないからですか」

「うん、何曲か出したけど、何か違う。――いや、違うのはボーカルだけなんだけどさ。なんでだろ」

 PCの電源は付けっぱなしだ。そして勿論、先輩の顔には覇気が宿っていなかった。

「――ワタシ、何を失ったと思う?」

「?」

「今さ、滅茶苦茶しんどいの。ねぇ、いつまでこうしていよう? 

 ――今この文章を書いてるアイツだって時々はそう思っているだろうよ。混沌として拙く、何より意味も無いようなこのストーリーがその証拠だ」

 ――まだ続いてたのか。でもその答えは明白だろ。

「先輩、もう一回俺をボーカルにしてください。そうしたら少しは曲を作りやすくなるでしょ? ――てか、元々俺をボーカルにする前提で音楽で食べていこうとしてたんだし、俺が居ないとその練習にならないでしょ」

「そうだね――、それができたらね……」

「変なプライドは捨ててください。――てわけで勝手にマイク借ります」

「――はぁ?」

 先輩はこの前、俺にエッジボイスで歌ってもらうことも視野に入れていた。

「――、」


「――凄いね、それ覚えてきたんだ」

「何回も聴いたので」

「へぇ……」

 寝転がりながら、先輩が俯いた。きっと俺の歌声が乗ったことへの悔しさを感じているはずだ。

「先輩の才能は他人の曲を自分好みに改造することです」

「だからそれがダサいって言ってんのに――、」

「それ先輩の主観じゃないですか。先輩は運こそ大事だと言いました。仮に運で知名度を集められたとして、勉強するのはそれからでもいいじゃないですか」

「でも、天才は皆、処女曲から凄い曲作ってて――、」

「それも主観、それこそ天才を目指す秀才に失礼です。そもそもどうして天才って判るんですか」

「……」

「…………」

 黙った。先輩はまだ子供だった。無論、俺もこのストーリーもそうだが。

「先輩、間違いを間違いだと言えても、間違いを間違いと理解することはできないですよね。今まで俺に言ってきた言葉、あれ本当に自分で思ってることですか? 全部ネットの請け売りじゃないですか?」

「――何が言いたい?」

「先輩さ、かっこつけるのやめなよ。だってそうだろ、ギフトは大衆向きかそうじゃないかだけの違いだろ」

「その大衆向きが嫌なんだって――、」

「じゃあ音楽を捨てるのか? そんなしょうもない個人の裁定だけで生きる意味を捨てちゃってもいいのか?」

 ふと、先輩が静かに泣き出した。――本当は俺も泣き出したい。先輩に音楽を捨てないでほしい。


「――我が儘だね、さすが天才」

「感情コロコロ切り替える先輩も先輩ですけどね」

 数分は経っただろう。

「キミさ、ワタシをどうしたいの?」

「先輩と音楽したいです」

「っそ……」

 ――それにしても気持ち悪かったな。こんなことを言うのなんて初めてだ。次の歌詞にでもしてみようか? きっと偽善が映える歌詞になる。――まぁ全部が全部、そうなんだけども。

「まぁ――、いいよ、別に。ワタシ音楽辞めたいわけじゃない。それにキミさ、ワタシを上に連れてく気あるんでしょ?」

「……」

「――今からMIXするよ」

「チョコは?」

「要らない」

 先輩は椅子に座ると、PCの画面と向き合った。――そうだ。嫌でも音楽は続けなくちゃならない、アーティストなら誰もが通る道だと、そう思えて仕方がならなかった。

 ――さっき歌った、先輩が書いた歌詞はそんな感じだった。そうだ、先輩もそれを理解していたんだ。あぁ、今はこれが綺麗事で終わらないことをただ願うばかりだ。

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