第2話
東亜娯楽振興会──名は下品だが、力は確かだ。
夜の帳に隠れて、地元政治家や旧勢力の金を集め、顔の見えない者同士の裏取引を回す。
三上は二年かけて、その周辺を嗅ぎ回り、少しずつ糸を手繰り寄せた。
電話の録音、メールの断片、匿名の内部メモ。
だが、決定的な証拠はまだ振興会の書庫の中にある──血判が押された裏台帳。
その台帳を握るのは、振興会の会計担当だった女、佐伯妙子。
表向きは朴訥な秘書だが、裏では数字を動かす指だった。
振興会の慈善事業の取材の名目で、何度か事務所に入り込んで、妙子に取り入り、贈り物をし、名前を覚えてもらった。
妙子もまんざらではない様子であった。
事務所に通ううちに、三上は彼女がいつも夜遅くまで残ることを嗅ぎ当てた。
小さな習性を掴む──これが取材の技術だ。
深夜、古いビルの三階。蛍光灯は温い橙色に落ち、一室だけその灯りが残る。妙子の秘書室だ。
その一室の灯りが消えたのを認めた。
三上は鍵穴には手をやらず、窓ガラスの隙間から中に忍び込んだ。
床は冷たく、埃の匂いが肺を刺す。緊張している時の鼓動を感じた。
書棚の影、コピー機の箱、紙の山。
彼の指先は震えなかった。
正義を成すのに震える必要はないからだ。
事務室に入ると、窓際の背の高い書庫の扉に小さな光が反射した。
そこに台帳はあった。黒革で装丁され、表には何の名前もない。
三上はそれを抱え、机に座りページを繰った。頁の縁は油に濡れていた。
寄付、振込の記録、学校法人理事長の名、政治家の個人口座、隠し口座。
行が重なり、線がつながる。
医科大学の政官界への寄付欄には、見慣れた理事長の名とともに、
「学部設置認可手数料」「設備名目手数料」の文字が並んでいた。
台帳には他に、振興会が運営する賭博娯楽事業への学校法人の出資記録。
文書に記された不正の記録は完璧に繋がっていた。
証拠は生きている。
医科大学を開設したい法人の理事長が東亜娯楽振興会に「出資」を行い、振興会は許認可権をもつ政官界の権力者に働きかけ、法人の間の橋渡しをする。
その手間賃として凄まじい額の手数料が振興会に流れ込む。手数料の原資はすべて国民が泣きながら納めた血税なのだ。
振興会はこの収入を申告することはない、絶対にだ。全て振興会の裏口座に入金される。世間ではそれを裏金という、あれだ。
開設を希望する学校法人は他にも数件あった。
だが、反社会勢力の東亜娯楽振興会に「出資」をしようとする法人は一つだけだった。
当然ながら、裏取引に応じた法人に、設立が認められた。
三上が犯罪の証拠を見つけた瞬間だった。
そのとき、背後で椅子が擦れる音がした。
呼吸が一つ、二つ。冷たい板金の扉がゆっくり閉まる音。
三上は動かない。動けば見つかる。
動かぬことが唯一の武器だが……。
「何をしている、三上」
事務所に入ってきたのは妙子だった。長いコートの襟を立て、唇に笑いはない。彼女の目は、獲物を見つけた獅子の眼のように光った。
妙子は帰宅したものと踏んでいたが、外出していただけらしい。完全に当てが外れた。
「妙子さん……」三上は名を呼んだ。声は抑えていた。
妙子の表情に一瞬だけ亀裂が入った。だが、それは一瞬、蓋をするように冷酷な表情に戻る。
「出て行きなさい。あなたのやってることは、命知らずの愚かな行為だわ」
「愚かな行為?これは、正義を果たすための……」
「正義?あなたみたいな――」
妙子は言葉を切り、長い指で机のベルを押した。ベルがけたたましく三度鳴った。
ベルの音を聴き、部屋の外で、足音が走る。重い靴底、二つ、三つ。
三上は台帳を胸に抱え立ち上がった。
出口は窓の方にしかない。
しかし、飛び降りたら大けがは免れないだろう。
外の足音が近づいてくる。
ついにドアが破られ、三人の男が押し入った。
服の襟に光る金バッジ
。振興会の用心棒のヤクザだ。体が一つ、二つ、机の角にぶつかり、音を立てた。暴力を生業とする男たちとの戦闘力の差は歴然としている。
三上は台帳を胸にしっかりと抱え、背を低くして窓に向かった。
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