12 雲海から来た吞舟魚
リオル兄さんと共に、テリアの案内を受けながら現場へ急行してみると、船を留めていたはずの島のフチが信じられないほど大きくえぐれているのが見えた。まるでリンゴを丸かじりしたような歯形の残る地形は大きく窪んで、島の下方へ視界を通してしまっている。
「ほら、あそこ!」
くぼみの上からテリアが指差したのは、全くもって言う通りの巨大魚だった。全身真っ白で、ぬるりとしたフォルムを持つ巨大生物が、遥か下方の雲を乗り継ぎながら飛んでいた。
「あいつは……シマナガスクジラじゃないか!?」
「シマナガスクジラ!? ……って何?」
リオル兄さんが驚愕するのにも、テリアがアイツのことを知らないのにも頷ける。何故ならヤツは本来なら、こんな島の近くで見られるモノではないはずだからだ。
「シマナガスクジラ。人呼んで奈落の
伝文調だと締まらないが、それでも俺の解説を聞いたテリアは特に気にせず「それってすっごくまずいじゃない!」なんて恐れ戦いている。
「まあでも、ヤツが狙うのは大物か、効率よく襲える魚の群れくらいだったはずだし……」
「それがまずいって言ってるのよ!」
俺の言葉を遮るように叫ぶテリアの横で、リオル兄さんはオーバーオールのポケットから単眼鏡を取り出していた。彼はそのまま溝のフチに片膝をついて、シマナガスクジラの方を注意深く見ている。つられて見てみれば確かに、大きく螺旋を描くように降下していくクジラの正面には……何かが飛んでいるように見える。
「まずいぞ……あれはまさに君の船じゃないか!」
「……誰の何だって?」
「しっかりしろジオ。君の船が今、あのクジラに追われているんだよ!」
あっけに取られつつ思考して、俺の船が独りでに動き出し、今こうして逃げ回っている理由に得心が行った。
「あの船を動かしているのはイルだ! イルが今必死でヤツから逃げているんだ!」
「ああ! そりゃまずい!」
元々イルに船を取りに行かせたのは、彼女が基礎的な船の動かし方を知っているからだった。それでも彼女は幼すぎるし、なにより実践経験が足りないはず。その証拠に、彼女の動かす船は追いつかれそうになる度、急降下で高度を落として、雲海へ近づいて行ってしまっている。
「なあジオ、記憶が正しければ」
「ええ。俺の船は雲海に突っ込めません」
「何? 何の話をしてるの?」
「テリアも知ってるだろ。雲の中は信じられないほど冷たいんだ」
ただの雲だって突っ切るだけで凍える思いするわけで。それが眼下の雲海ともなれば、その冷たさは計り知れない。ずっと浸ればただの人間はもちろんのこと、燃料を燃やして動くエンジンだって凍り付いて、機能を停止してしまう。
「てことは、このままじゃ……」
テリアも察しが付いたようだ。専用の対策を取った船ならともかく、俺のみかん箱が雲を突っ切れば、その中身ごと冷凍されて奈落の底へ真っ逆さまだろう。
「行かないと……!」
「待て! それじゃお前も危険だ!」
確かにテリアは自由に空を飛べるが、彼女一人で救出するなんて無理がある。
「僕は街へ行って船を借りてくる。君たちは……」
言いながら、リオル兄さんも気付いてしまったのだろう。今から街へ走って戻っても、きっと救出は間に合わない。彼も俺もテリアもきっと、一人でこの状況を打開することはできない。
「だったら、やれるかどうかわかりませんが、俺に考えがあります」
「……本当か?」
「ええ、だけどテリア。この作戦にはお前の協力が不可欠だ」
「どうするの?」
彼女の負担を思えば、提案するのは気が引けるが……これしかない。
「クモマグロとそう変わらないはずだ。俺を連れて飛んでくれ」
◆ ◆ ◆
ツナギの中身を全て放り出し、帽子も安全靴も靴下も脱ぎ捨てた後。残り少ない時間を最大限使って作り上げた即席のハーネスを肌着の上から直接着込む。
「カラビナフックのロックよし。ベルトもピンと張れてるし、グリップにゴム紐も噛ませてあるから、随分握りやすくなってるはずだよ」
流石リオル兄さんはジャンク屋めいた工房を切り盛りしているだけあって、あまりにも仕事が早い。ハーネスは彼のオーバーオールと俺のラジオベルトを組み合わせて作った急造品だが、俺一人分の体重くらい難無く支えられそうだ。
「テリアさんも準備はできたね?」
「ええ。て言っても、手袋はめただけだけど……」
実際、彼女の装備はリオル兄さんが身に着けていたグリップの他は変わりない。
「言っておくけど、私ができるのは滑空だけなんだからね!」
「ああ、わかってる!」
確認を終え、えぐられた溝のフチから眼下を覗き込み、イルとみかん箱の現状を確認する。準備に費やした時間はほんの十数分ほどだったはずだが、それでも高度は下がり続けて、もうすぐ底が雲に付きそうだ。もし、あと一度でもクジラに近づかれてしまえば、そのまま齧りつかれるか、急降下で雲海に突っ込んでしまうことだろう。悩んでいる時間はない。
「では二人とも、健闘を祈る!」
「ああ!」「ええ!」
揃って掛け声を発した直後、背中のベルトに握力が伝わる。
「しっかり握ってるから、このまま坂を駆け下りて!」
「わかった! じゃあ行くぞ……!」
背中のハーネスがしっかりと握られたことを確認し、俺は溝のフチから身を躍らせる。裸足の裏に砂利土と石ころの感触を感じつつ、ひたすら勢いに任せて走る……走る、走る、走る走る走る走る!
「う、お、お、お、おおおっ!!」
やがて、背中を引く圧迫感が、ふわりと持ち上がったのがわかった。
「そのまま跳んで!!」
上り坂になった島のフチから飛び出し、中空へ身を躍らせれば、胸のベルトが強く引かれて、強力な圧迫感に襲われる。肺の空気が無理やり吐き出されて吐きそうだが何とか耐える。俺よりよっぽど辛い子が、すぐ後ろで頑張っているはずだから……!
「ううっ……! やっぱり重いじゃない!」
「マジかっ、一旦戻るか!?」
「もう戻れないわよ!!」
彼女のその声色から余裕の無さが伺えるが、俺には身体を揺らさないよう胸元のハーネスを握りしめることくらいしかできない。
「頑張れ……っ!」
「ああもう……! 下向いたら落ちちゃう!」
「俺が見てる!」
「しっかり案内してよ……っ!」
最低限のやり取りと激励の言葉で青空を進み、着実にクジラとの距離を詰めていく。急降下めいて勢い付いた滑空は、少しずつ水平に戻っていく。
「もうすぐだ……もうすぐ……!」
高まった心拍が馬鹿みたいに響く。ハーネスを握りしめた両手に手汗が滲む。豆粒みたいに見えた飛行船も、はっきりとシルエットが見えはじめた。結果的に正面から向かい合う形になってしまったが、もとよりヤツの背は広い!
「今だテリア!」
「行ってらっしゃい!!」
浮遊感の後、視界が一面の白へダイブする。両手両足を振りながら飛ぶ。飛んでいくように落ちていく。ヤツの背まであとどれくらいで――
「がっ!!」
身構えるより先にぶつかって、弾力で右足が大きく跳ねる。左の膝をぶつけて転がって、そのまま逆さまの空が映る。受け身を取ろうと下を向いたら、ゴムみたいな質感の急斜面が見えた。ついた尻餅が滑っていく。勢い付いて滑っていく。
「ああっ……まずいぞ止まれ止まれ止まれ!」
両の手の平を目一杯開いて、クジラの皮膚に握力を伝える。全身をでたらめに貼り付けて、少しでも摩擦を生もうと試みる。突き指だって恐れずに爪を立てて、なんとか勢いを殺しきる。
「よっし……! あとはこのまま……」
這って進みつつ、折を見て前方の船へ飛び移るだけ――――
――――そう思っていたのに、直後に地面が大きく跳ねた。
「うああああっ!!」
全身を思い切り跳ね飛ばされて、中空へ放り出されてしまう。辛うじて見たクジラの位置は、真下より随分進んでしまっている。そのうち身体の勢いが止まって――!
――純白色の瞬く羽根が、視界の端に映った。
「もう! やっぱり落ちてるじゃない!!」
大空に響く風の音を切り裂いて、脳裏に響いた叫び声。背後から脇腹に腕を通される感覚。
「テリア! 助かった!」
「たっぷり感謝してよね!」
まさにベストタイミング。折よく引き返してきたのであろうテリアに肩を持ち上げられ、俺は再びクジラを視界に入れる。
「あんまり……掴んでられないわ……!」
「そのまま直進でいい! 多分、この調子なら!」
一度すぐそばまで近付いたおかげで、やっと距離感がつかめてきた。背景めいた雲の流れから見ても間違いない。テリアにはこのままのルートで、滑空を続けていってもらえばいい!
「天窓へ突っ込め!!」
眼前に風防ガラスが見えたところで、脇に伝わる握力が解かれた。滑空の慣性に従って、空を転がるように落ちていく。ガラスの中心に一つだけ開いた、天窓の抜け穴に滑り込む!
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