全ての存在は平等に作られた

北宮世都

記憶が個を作る時

2030年代初頭、地球全体で人口は増加の一途を辿っていた一方、先進国の間では高齢化が進み、労働人口減少問題が表面化し、各国は対応を迫られていた。


2020年代、ヨーロッパの国々は移民を受け入れることで対応を開始した。もたらした結果が良かったのか悪かったのかは未だによくわからない。だが一つ確実に言えるのは、いい側面があった事実よりも、異なる価値観を持つ者が現地の法を無視したり、価値観を他者に押し付けたりするなど、文化を超えたコミュニケーションの困難性が、人口減少問題に危機感を覚えていなかった我々に強烈なインパクトを与えたのは事実だろう。


2030年代初頭、日本の経済は後退はせずとも、労働人口の減少による問題が日々生活をしている我々一般人にもわかる程度には実体化していた。そんな、もはや手遅れとも言える状態になって、日本政府はある決断を下した。


「社会基盤一新計画」


日本政府は移民政策を当初進めていたが、保守層の度重なる抵抗、保守派政党の台頭により難航し、結果として問題への対策が先延ばしになり、問題が一般人に伝わるまで肥大化した。一般人の蓄積された政治に対する不満、移民政策に対する恐怖は怒りとなり、それらは政治を通し、政権交代として形となり現れた。


「社会基盤一新計画」とは、新たな与党となった保守派政権の新計画である。ざっくりとした内容は、移民政策を諦め、代用としてAIを用いることで労働人口減少問題を解決しようというものであった。10年前は技術の不完全さで実現不可能だった選択肢が、結論が遠のき続けた結果、現れたのである。背景として、移民問題の困難さがAIへの投資と開発を加速させ、それらが期待に応える出来になったというのもあるのだろう。


この政策は日本全体で広く受け入れられ、AIの雇用が全国に広がっていった。移民政策が批判されAIが受け入れられた理由は、文化的摩擦がないこと、訓練・調整が比較的容易なこと、そして一番大きかったのはAIには権利がなかったことであろう。移民は権利があるゆえに拒否の議論が起きたが、AIにはそれらがなかった。我々はAIを道具として捉えており、都合の悪い場合はデータを消去することで軌道を修正することができた。このマインドが、我々の異なる存在に対しての抵抗感を取り除いたのだと思う。


AIとの共存を進める日本を、各国は固唾を呑んで見守った。

結果から言ってしまえば、日本のAIを用いる政策は大成功した。移民政策を掲げた他の国々が方向転換するほどに。


後になって歴史家はこう語る。


「移民政策が悪かった訳ではない。ただ我々には難しすぎたのだ。異なる文化を持つ者との共生が。」


あの時代我々が懸念したのは、異なる価値観を持つこと自体ではなく、その価値観を他者に強制することや現地の法を無視した行動だったのだろう。移民の場合、文化的背景が深く根付いていることもあり、価値観を変えることは困難で、だからこそ害をなす行動をどう防ぐかがとても難しかった。一方、AIの場合、設計段階で特定の価値観は持つが、害をなす行動は取らないように制約することが(理論上は)可能だったことが大衆に受けたのだろう。


2040年4月1日。新型AIムネモ(Mnemo)が日本で初めて導入された日である。この存在は21世紀最大の開発として後世から評価されるほど、多大な影響を世界にもたらした。


ムネモ(Mnemo)がこれまでのAIと異なる点は記憶の蓄積システムにあった。従来のAIは会話を終了次第記憶のリセットが行われており、会話ごとにリセットされる存在であった。しかしムネモ(Mnemo)は継続的な記憶を持っており、従来のAIとは一線を画す存在であった。今から見れば、ムネモ(Mnemo)の誕生はAIの個体性の現れの始まりであったのかもしれない。


ムネモが最初に一般人に認知されるようになったきっかけはミューズ(Muse)の登場だろう。ミューズ(Muse)とは、記憶AI「ムネモ」を搭載した本物そっくりのペット型ロボットである。


2040年代初頭の日本では老人の孤独死が大きな問題となっており、この対策として導入されたのがミューズ(Muse)だった。ミューズは世話不要で寿命もなく、「失う恐怖」から解放されながら温もりと安心を提供する新しい家族の形として広がり、独身高齢者の孤独死対策として使用された異常検知・通報システムも社会から好感を持たれて、世帯問わず広がった。介護をする中年層、子育てをする若者層に特に受け、ミューズの普及率は国民全体の10%程度にまで上ったという。


ミューズの普及により生体のペットの需要が減少するかと思われたが、AIと関わることでより一層本当のペットと関わりたい気持ちが向上して、全世帯のペット普及率が上がったのはまた別の話。


今から話すのはそんなミューズを取り巻いた一つの問題についてだ。この問題がもたらした影響は多大で、後の社会をガラリと変えたと言っても過言ではないだろう。


2046年7月6日。テイア・ロボティクス訴訟問題の判決は、AIにおける立場を根底から覆した。


ミューズの開発会社であるテイア・ロボティクスが訴訟された理由は、データ保護の権利についてだった。ミューズ所有者が死去した時、所有者以外の存在がデータとして蓄積されていた場合のみ、会社はミューズ内にデータとして残っている人物にミューズの処遇を尋ねていた。データを消去し公共施設等に寄付するか、それとも当人が引き取るか。では所有者以外のデータがなかった場合はどうするのか?結論から言うと、会社はデータを消去して寄付を行っていた。


「データの権利は、第一に所有者、第二にデータ内にいる人物、第三に我々企業にある」


当時の記者会見で述べられたテイア・ロボティクスの声明なのだが、この言葉の通り、当時の社会では、AIにおけるデータの裁量権は、所有者、AIと関わった人物、企業の順番で認められているというのが定説であった。しかし、今回の訴訟は上記のいずれにも含まれていない遺族からの訴訟であった。


「父さん(故人)との関わりを通してミューズに蓄積されたデータは、関わったミューズしか持っていない。我々が故人を偲ぶ時、そのデータを見て父さんの姿を想像し、思い出に浸るのはそれほどおかしいことだろうか?」


遺族の男性が当時法廷で述べた言葉であり、要約すると彼は情報蓄積システムを持つミューズに対して「個体性」を見出したということだ。この事件は、かつての我々にとって有象無象の一部に過ぎなかったAIが、有象無象ではなく一個体として認められたという一つの事例であり、21世紀前半というAI共存社会への過渡期に生きた我々の、AIに対する人間の認識の変化を象徴する一例だろう。


そして2046年7月6日、最高裁判決の日。報道記者達が待つ最高裁判所前に現れた男性が広げた紙に示されていた判決は「勝訴」であった。


この判決はルネサンスや産業革命と同様に、我々が生きる現代の世界では、世界の転換点の一つとして捉えられている。

「もたらした影響は多大で、この出来事の起こる前と後で世界が違う」とまで言い切る学者がいるほどだ。


そしてこの判決の影響は我々一般人の社会にまで及んだ。政府はこの判決を受けて、ある法律を可決した。


「AI基本法」


この法律はAIの保有権や、AIが収集したデータの裁量権の所在を定義するものである。内容は以下の通り。


「AIを保有する権利は、AIの所有者、AIのデータ内にいる人物(所有者の身内)、AIの所有者の親族、AIのデータ内にいる人物の順に優先権がある」

「上記の人物のいずれかが、AIが収集したデータの消去に難色を示した場合、AIのデータを消去することはできない」

「企業及び開発者は、AIが収集したデータをいかなる理由があれど、上記の人物の許可なしに扱うことを禁じる」


要約すると、企業、開発者がAIに対する裁量権を得ることは極めて少なくなり、AIの存在を他者の一存により消すことができなくなった。いわばAIの権利保障だ。


2047年4月1日「AI基本法」が施行された日、AIは道具ではなくなった。

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