第21話 邂逅

 ノアを載せた荷馬車は、森を出てから何度か東へと方向を変えた。


 ――中央の街には向かっていない。東の街に近い。


 荷馬車が大きく横に揺れることが多くなってきた。舗装されていない道なのかもしれない。

 ノアは冷や汗をかいていることに気がついた。眠いわけでもないのに、生あくびがでる。口の中がひどく乾いていた。酔ってしまったのだろうか。


 ――いや、これはチャンスだ。


 幸い、近くにいる男は自分のしていることに罪悪感を覚えているようだった。ノアはわざとらしく、うめき声をあげた。


「あのう……。この布を取ってくれませんか?」


 ずっと沈黙を守っていた少年が、か細い声をあげたので男は驚いたらしい。すぐ隣でびくりと動き、慌てる気配がした。


「おれ、ちょっと酔ってしまったみたいで。空気が吸いたいです」

「具合が悪いのか?」


 男が心配して体を起こしてくれる。ノアはようやく座ることが出来た。


「おい、勝手なことするな。でけえ声でもあげられちゃ困るんだからよ」


 馬を操っている男が言った。


「でもよ、もう森の中じゃないか。騒がれたって聞こえないぜ」


 ――森の中。

 ノアは頭の中で地図を開く。恐らく、東の街を過ぎた先にある渓谷のことだろう。だから、道がこんなにもガタガタだ。


「お願いします。布を取ってください」


 ノアが懇願してみせると、隣の男がいよいよ動揺し始める。


「ほ、ほらよ。かわいそうじゃないか。どうせ目が見えないんだし、いいだろう?」

「お願いします。じゃないと、おれ、この布の中でゲロ吐きますよ」


 男の舌打ちが響いた。


「取ってやれ」


 低い声がした後、ノアに被せられていた布が外された。

 目を閉じたまま、ノアは息をつく。


「大丈夫か? まだ、吐きそうか?」


 隣にいる男が声をかけてきた。ノアはそっと薄目を開けて、男を確認する。色黒でやや痩せ気味の、気の弱そうな男だった。


「大丈夫です。ありがとうございます」

「おい、静かにしろ。変な真似するようなら、両足を切り落とすぞ」


 ノアはひどくおびえてみせた。その様子に男は満足したようで、再び荷馬車には沈黙が訪れる。


 ――川の流れる音がする。やはり、東の渓谷で間違いなさそうだ。このまま場所をつきとめられれば、女皇のたくらみを潰せるかもしれない。


 ふと、ノアは耳をすませた。

 生きている気配は、馬の息遣いしかなかった。


 ――ルールーのお父さんも、こうやって連れてこられたのだろうか。


 見つかればいいな、とノアはうつむいた。


 ――ルカスさんやグレンは、今頃どうしているだろうか?

 



 

 宿に帰ると、ノアがいないことにルカスは違和感を覚えた。


「どっか遊び歩いてるんじゃないの? 甘やかしすぎ」


 グレンはそう言うなり、布団の中にもぐってしまう。


「ノアに限って、そんなことはありません。宿に戻ってきた痕跡はありませんから、まだ外にいるはずです」

「お前にフラれて、傷心でどこかに行っちゃったのかもよ」

「フラれて?」


 ルカスは眉を寄せる。


「え? ちがった?」

「からかわないでください。ノアと私は同志です。同じ傷を分け合った仲です」

「怒るなって。冗談じゃん」

「次からは気をつけてください」


「はいはい」と適当な返事をして、グレンはサシェを胸元に抱えて目を閉じる。

「それは?」

 不思議に思ったルカスがのぞきこんだ。


「見たまんまだけど? サシェに決まってるでしょ」

「一緒に寝ているんですか?」

「そうだけど?」


 ルカスは先ほどの仕返しにと、意地悪な笑顔を浮かべる。


「あなたもずいぶんとかわいらしいところがあるんですね」

「かわいい言うな。これがないと寝れないだけ。そろそろ寝かせてよ」


 グレンは布団を頭の先までひっぱり上げる。ルカスは窓の外を見た。もう、だいぶ夜が濃くなっている。


「私はノアを探してきます」


 そう言って、灯りを消した時だった。


「やあ、ルカス」


 窓がパッと開いて、夜風が部屋に流れる。月光を背にして、少年が窓枠に腰かけていた。


「ナルシス様?」


 驚いたルカスに、ナルシスは人差し指をたてて「シー」っと言った。


「こっちにおいで」


 ナルシスは手招きする。ルカスは眠っているグレンの方をちらっと見てから、窓際に近づいた。 

「何かありましたか?」 


 小声で話しかけたルカスの額に、ナルシスは指先を当てる。


「ごめんね。ちょっと眠っていてよ」


 指先で弾くと、ルカスの体は力が抜けて崩れ落ちる。すんでのところで、ナルシスがルカスを抱きとめた。気を失っているルカスの白い首筋が露わになった。


「よいしょ。この身長だと、大人を抱え上げるのは厳しいよ」


 ベッドにルカスを寝かせると、ナルシスはその隣に足を組んで腰かけた。


「狸寝入りはよしなよ、グレン」


 固い口調で言って、ナルシスはグレンを見下ろす。


「やっぱりお前か。裏でこそこそやってんのは」


 布団をはいで、グレンはゆっくり起き上がる。グレンはナルシスをにらみつけて吐き捨てる。


「気持ち悪いんだよ」


「全く、口が悪いんだから。ホラ、お兄ちゃんって呼んでごらんよ」

「馬鹿みたい」

「せっかく、きみを釈放してあげたのに。そんな言い方ないだろ?」


 グレンはナルシスから視線を逸らす。眠らされているルカスを一瞥して、窓の外をつまらなそうに眺めた。


「ルカスはお前の正体を知ってんのか?」

「もちろんだよ。でも、グレンのことは教えていないよ」

「……そう」


 グレンは前髪をかきあげ、息を吐く。 


「てゆーか、何しにきたの? ぼくの顔でも見に来てくれたわけ? そんな趣味あった?」


 ナルシスは肩をすくめて笑った。


「そんなわけないじゃん。ばーか」 


 軽やかに立ち上がると、ナルシスは窓際へ歩いて行った。

 窓を押し開け月を見上げる。月の光が頬をなぞり、ナルシスの瞳にゆらめく炎が灯る。


「ぼくは、ぼくの物語を面白くするために来たのさ」


 振り返って、グレンに笑いかける。その笑顔は鋭く冷たいものだった。


「ノアがさらわれたよ。場所を教えてあげようか」

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