五章 誘拐

第20話 恋バナ

「グレンは、今まで恋とかしたことありますか?」

「はあ? このぼくと、恋バナをしようって?」

「はい、そうです。だって、お酒の席ですよ」


 カトラリーがカチャカチャと金属音を鳴らしている。ノアにはそれが不快だった。


「あなたなら、恋の一つや三つ。五つや十個ほどあるのではありませんか?」

「馬鹿みたい。そういうルカスはどうなんだよ」


 この酔っ払いどもがと、ノアは大きなグラスに突き刺したストローを先ほどから何度もかき混ぜている。


「私は、いますよ。好きな人」

「うぇえ?」


 うわずった声で叫んで、ノアは立ち上がった。


「なんだよ、ガキんちょ。大声だして。ウブか」


 グレンが笑っている。少しも酔っている風に見えないルカスも、ほほ笑んでノアを見上げている。

 店の喧騒がやけに大きくなったように感じる。


「す、好きな人がいるんですか?」


 空気が抜けた人形みたいに、ノアは席に戻った。


 ――好きな人って、誰だろう? 結婚とか、するのかな。


 いつまでも、ルカスは一緒にいてくれないのだと気づかされて、心がきゅっと細くなる。


「ノアはかわいいですね。ずっとそのままでいてください」


 笑ったルカスの頬が少しだけ赤いような気がした。


 ルカスの思いがけない一面を見せられたと思った。けれども、それはそうだ、と納得する自分もいた。


 残響師の相棒であり、上司であるけれど、ノアの知らない一面があって当たり前なのだ。勝手に家族のように近い存在だと思い込んでいたのは、ノアの方なのだ。


「ガキんちょはあんの? 浮かれた話」


 グレンに問われて、ノアは顔がカッと熱くなった。

 フォークを振り上げ、グレンの皿のパンケーキに突き刺す。


「あ! ぼくの!」

「うるさい! この酔っ払いがー!」


 素早く口の中にパンケーキを突っ込むと、ノアは立ち上がって口をもぐもぐと動かした。


「おれは、先に宿にもどる!」


 ワッと店で歓声があがった。全く関係のない笑い声なのに、ノアが笑われたような気分になって、泣きたくなった。

 走って店を出るのも癪なので、ノアは大股で店を出た。


「子ども扱いして……」


 夜の街に出ると、涼しい風がふわりと真正面から吹きつけた。寒くはない。けれど、どこか祭りの後のような雰囲気を感じた。浮ついているようで、さみしさをはらんだ空気。


 一人で宿に戻る気にはならなかった。酒に酔ったグレンとルカスが仲良く戻ってくるのを部屋で待つ自分を想像しただけで、胸の奥がもやもやした。


 ノアは、ふっと長く息を吐く。


「頭を冷やそう」


 自然とノアの足は、森へと向かっていた。

 街灯のない森は、暗かった。月明りがこんなにも明るいものなのかと気づかされるほどだった。

 星が瞬いている。なぜ明滅を繰り返しているのだろうか。まるで「こっちにおいで」と呼びかけているようだ。


 歩くたびに、ズボンのすそが夜露で濡れていく。その冷たさが、非日常的な感じがしてノアの気分を少しだけ楽にさせてくれた。


 夜に見るオークの木は、山のようだった。夜と溶け込んで、どこまでが木なのかわからない。


 ノアは、根元に腰をかけた。すぐ隣には、アイルーとライルーのお墓がある。今頃、二人は月神の元に行っているのだろうか。


 頭の中のおしゃべりは止まない。取り留めのない言葉が沸き上げってきては、消えていく。


「死ぬって、どんな感じなんだろうな」


 手のひらを天に向ける。

 ――どうして、人は死んでしまうのだろう。

 悲しい思いなんて、したくないのに。


「そろそろ、帰るか」


 つぶやいた時だった。

 突然、目の前が真っ暗になった。乱暴に体が締め上げられ、持ち上げられる。

 息苦しいのは、袋を被せられているからだ。


「暴れるな!」

「足も縛れ」


 男の声がした。背中を叩かれて、生唾を吐いた。抵抗して大声を上げれば、再び殴られる。


「早く荷台に積め」


 頭がぐるりと回転して、方向感覚を失う。ノアは男たちに運ばれているようだが、どっちが天でどっちが地かもわからなくなっていた。


「誰にも見られていないな。確認しろ」


 荷物のようにノアの体が投げ捨てられ、地面が小刻みに揺れた。


「大丈夫だ。早く出してくれ」


 馬の短いいななきが聞こえる。ノアの体が運ばれていくのがわかった。


 どうやらノアをさらった男たちは、二人のようだ。前後から聞こえてくる会話にノアは耳をすませる。


「こんな夜はよお、酒でも飲んですごしてえよな」

 情けない声は、ノアの足元の方から聞こえてくる。

「ああ、そうだな」

 太い声の主は馬を操っているらしい。先ほど何度も殴ってきたのは、こっちの男だとノアは思った。


「こいつも、かわいそうだよな。目が見えないんだろ? 放っておいてやったっていいんじゃないか?」

 ぴくりと、ノアは反応する。


 ――ルールーと勘違いされている?


 ルールーのお父さんは、さらわれたと言っていた。残っているルールーをさらいにこの男たちはやって来たのだろう。


 ――このまま大人しくついていけば、女皇の実験所の場所がわかるかもしれない。


「かわいそうなやつらばかりさらってよお、俺は頭がおかしくなりそうだぜ」


 ノアの近くにいる男が、さらに情けない声をあげた。


「おい、いいかげんにしろよ。金が欲しけりゃ、黙って言われたことだけをやれ。お前もあそこにぶち込むぞ」


 男が小さい悲鳴をあげた。それ以降は、寒さでか男が鼻をすする音しか聞こえなくなった。


 ノアは目を閉じ、呼吸を整える。今必要なことは、冷静になることだった。


 ――ルールーのふりをしよう。


 残響師の服は宿で脱いできた。目が見えない少年を演じれば、バレることはないはずだ。


 ふと、甘い香りが通り過ぎた。


 ――デュランタ。


 もしグレンと一緒に花を摘んだ場所ならば、今ノアが通り過ぎたところは、森の外れだ。そのまま、真っすぐに進めば中央の街につく。


 ノアは感覚を研ぎ澄ませ、進む方向を覚えることに必死になった。

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