第19話 いつまでも——。

 ノアたちと別れてから、ルカスはルールーを連れて、南の街の教会に来ていた。


「仕方がないよね。これが一番なんだ」


 ルカスの隣で、ルールーがつぶやいた。壁にかけられた蝋燭がかすかに揺れた。


「ルールー」


 ルカスは膝を折って、ルールーと目線を合わせる。ルールーは目隠しをしているから、目線があっているかわからないけれど、ルカスは彼をじっと見つめた。


「教会は悪い場所でも、怖い場所でもありません。あなたを守ってくれる場所です」


「うん、わかっているよ。ルカスさん」


 ただね、とルールーはうなだれる。


「もっと早くにルカスさんと出会いたかったよ。だって、こんなに簡単に教会に入れてもらえるんだもん。お父さんが掛け合っても、きっと追い出されちゃうよ。どうして、もっと早くに、手を差し伸べてくれなかったんだよ」


 目隠しの隙間から、涙が一筋流れ落ちた。やせた小さな肩が震えている。


「申し訳ありません」

「ごめんね。ルカスさんのせいじゃないのに。ただ、何て言えばいいんだろう。何もかも、遅すぎたんだ。運がなかった。それだけなんだ」


「ルールー」


 ルカスは、ルールーの手を取る。


「私も、大切な人を失った時、心が張り裂けそうでした。いいえ、裂けて血が流れて、心は死んでしまったのかもしれません。世の中を恨みました。神を恨みました。でも、それでも私の時間は過ぎていく。それが、一番残酷でした」


 握りしめたルールーの手にやさしい力が込められる。


「生きていればいいことがある、とかそんなこと私は言いませんし、言えません。ただ、私たちは生きなければならない。もがきながら、苦しみながら。必死に」


「そんなの辛すぎるよ」


「ええ、本当に。まだ子どものあなたに、希望に満ちたことを、本来は言わなければならないのでしょう。けれども、あなたはこれから一人だ。半端なことを言いたくなかったのです、許してください」


 ルカスはルールーの手のひらに、懐中時計を置いた。ルールーのもう片方の手で、それを触らせる。


「これは、私の懐中時計です。残響師の物であり、私の名が彫られています。是非、頼ってください。声をあげてください、あげ続けてください。そうやって、生きていきましょう」


 ルールーは、懐中時計の縁を指先でなぞる。円を描いて中央へと指を滑らせる。そこに、今までの彼の人生を刷り込ませるかのように。


「わかったよ。もう、運がないなんて言わない。運は自分で見つけるよ。……そうでしょ?」


 ルカスはルールーの頭をなでる。ルールーが腕を伸ばしてきたので、そっと抱きしめてやった。






 デュランタの花を抱えてノアたちは歩いていた。太陽が傾いて、空は昼と夜が混ざった色をしている。


「本当、お前ら馬鹿すぎ。亡霊になったら物にさわれないでしょ。どうやって花を持って帰るつもりだったわけ?」


 どうやらグレンはアイルーたちが、花を摘んで持って帰ろうと計画を立てていたことの無謀さに、ぷつぷつと文句を垂れているようだ。


(こっちのお兄ちゃんは、口がわるいよ)

(たしかに、さわれないってこと、気がつかなかったよ)

(それはそう)

(お兄ちゃんたちにあえてよかったよ)

(たしかに。ルールーをあるかせるわけにはいかないもんな)


 アイルーとライリーは会話をしながら、後をついてくる。


 彼らの心の声に耳をかたむけながら、ノアは腕に抱えたデュランタの花に顔を近づけた。濃い紫色の花は、夜空を思わせる色。華やかで甘い香りが、心地いい。


 ――祈りの花。確かに、やさしさに包まれているような気持ちになる。


 大事な花だ。アイルーとライリーにとって。

 そっと、ノアは腕の中の花束を抱え直す。オークの木の下では、ルカスとルールーが待っていた。


「二人を見つけてきました」


 アイルーとライリーが前に進み出る。


「ルールー」

「ルールー」


 二人の呼びかけに、ルールーは手を伸ばした。さわれないとわかっていても、ルールーは手を伸ばした。


「もう、さわれないんだね。アイルーもライリーも、手の届かないところへ行ってしまった」


 泣き出したルールーを慰めるように、二人は駆け寄る。


「ルールー」

「ルールー」

「そこにいるんだろ。でも、でも……!」


 ルールーの両手は空をつかむばかりだ。

 その様子にノアは耐えきれず、目を逸らす。


「ほら、ノアの出番だろ」


 グレンがノアの背中をつついた。振り返って、ノアはうなずく。


 一歩進み出る。ルールーに、かつての自分を重ねずにはいられない。ルカスも同じだろうか。

 ノアは、摘んできた花を差し出す。


「ルールーに二人から、渡したいものがあるそうです」


 花束をルールーの胸にあて、彼の手をとって花束を抱かせてあげる。

 ルールーが、はっとして顔を上げる。


「この匂いは……デュランタ?」


 指先でルールーは花に触れる。紫色の花弁が一つ足元へ落ちていった。


「祈りの花。アイルーさんとライリーさんが、ずっと森の中で探していた花です」

「……どうして?」

「あなたに渡したいからだそうです」

 ルールーは二人がいる方に顔を向けた。


「デュランタの花言葉を、二人から教えてもらいました。お父さんから聞いたそうです」

「花言葉?」


 アイルーもライリーも言葉を発することが出来ない。だから、最期の言葉を花束に託した。


「デュランタの花言葉は――あなたを見守る、です。離れていても、心はいつもルールーと共に」


 血は繋がっていなくとも、弟のように思っていたルールー。しっかり者で、頭がいい。大事な家族で、大切な友人。

 お別れが辛いのは、ルールーのことが心配だから。

 悲しまないで。泣かないで。

 いっぱい、ごめんね。

 遠くにいても、ずっと見守っているから。


「ずっと、一緒にいて欲しかった!」

 強くルールーは花束を抱きしめた。

「もう会えないなんて、さみしいよ! 行かないでよ!」


 花が一つ、また一つとこぼれ落ちていく。


「でも――。もし、生まれ変わったらさ。また僕と友だちになってよ。絶対だよ」


 アイルーとライリーが、ルールーに寄り添う。

 甘い香りがやさしく三人を包み込んだ。


「……最期に教えてくれない?」


 鼻をすすってルールーは顔を上げた。


「デュランタの花は、どんな色?」


「あー、あー」とアイルーとライリーが両手をせわしなく動かしながら答える。ルールーは耳をすませている。


 アイルーとライリーが、振り返ってノアの方を見た。

 はっととした。

 二人の答えに、ノアは胸がいっぱいになった。


「アイルーさんとライリーさんは、こう言っています」


 胸に手をあて、祈るようにノアは目を閉じた。


「三人でくっついて眠った夜。あの時に感じた気持ちとおなじ、幸せな色だって」


 ルールーは膝をついて泣いた。花束を抱きしめたまま、体を折って泣いている。ルールーを抱きしめるように、アイルーとライリーが上からそっと覆い被さって、最期の別れを告げた。



「ノア、ありがとうございます」


 ルカスがノアの肩をそっと引き寄せた。体温を感じながら、ノアは同じ悲しみを共有するルカスにそっとささやいた。


「ルカスさん。おれ、魂の心の声がきこえるんです。もっと、もっと声をきいてあげたい。みんなにはきこえない声を、きいてあげたいんです。それでいつか、兄さんの声も、きいてあげたいんです」


「その時は、私も一緒に痛みを共有しましょう」


 ノアはうなずいて、ルカスの背に手を回した。


 この日、二人の魂が月神の元に導かれた。

 残された者は、天を仰ぎ、傷跡を確かめながら、明日を迎えようと目をつむるのだった。

  • Xで共有
  • Facebookで共有
  • はてなブックマークでブックマーク

作者を応援しよう!

ハートをクリックで、簡単に応援の気持ちを伝えられます。(ログインが必要です)

応援したユーザー

応援すると応援コメントも書けます

新規登録で充実の読書を

マイページ
読書の状況から作品を自動で分類して簡単に管理できる
小説の未読話数がひと目でわかり前回の続きから読める
フォローしたユーザーの活動を追える
通知
小説の更新や作者の新作の情報を受け取れる
閲覧履歴
以前読んだ小説が一覧で見つけやすい
新規ユーザー登録無料

アカウントをお持ちの方はログイン

カクヨムで可能な読書体験をくわしく知る