第14話 化け物

 檻の中に虚影が捕らえられていた。腐敗したような湿った匂いが、この狭い空間に充満している。鼻腔の奥にねっとりとまとわりつくようだ。


 虚影がこちらを向いた。ぽっかりと空いた黒々とした口腔から、悲痛な叫び声をあげた。


「なぜこのようなことを?」

 ルカスの問いにエリーナは答えず、ただ唇の端を上げただけだった。


 ズルズルと何かが引きずられる音がする。檻の中の虚影がゆっくりと歩き始めていた。


「見て」

 エリーナが指を差した。その先には、床に這いつくばっている虚影がいた。腕を動かしてもがいている。指先が地面に跡をつけていく。


 その虚影には、下半身がなかった。歩いている虚影の足に、這う虚影の下半身が溶け込んでいた。


「……融合している?」


 叫び声をあげ続ける虚影の姿に、ルカスは言葉を失った。


「亡霊が虚影になるまで、三〜七日間。虚影同士が融合するまで三日間ってところね」


 エリーナは、指先で髪をくるくるといじって遊んでいる。


「処分してちょうだい」

 ルカスは驚き、エリーナを見る。

「残響師なら簡単でしょ」


 今までに何体もの虚影の対処をしてきたルカスだったが、流石に目の前の光景には嫌悪と吐き気がこみ上げてくる。


「何をしているの? はやくやって」

 ルカスは、剣を抜いた。切っ先を虚影にむける。


 地面の上をもがき、引きずられ、ただどこともなく歩きつづける虚影。

 初めて、ルカスは虚影に同情した。目を閉じ、呼吸を整える。


 ――この場に、ノアがいなくて本当によかった。


 ルカスは素早く腕を振って、目の前の虚影の首を落とした。音もなく彼らは、灰となり空気に溶けて消えていく。

 もう、悲鳴は聞こえなかった。


「やさしいのね、あなた」

 エリーナはがっかりしたように言う。

「もっと非道にならないと」


「……虚影の処理は終わりました。なぜ、実験を行っているのか。理由をお聞かせいただけますか?」


 こみ上げてくる怒りを抑えながら、ルカスはゆっくりと振り返った。


「順番に整理して教えてあげる」


 エリーナは部屋にある、たった一つだけの椅子に腰をかけた。


「一つ目。亡霊には実体はないけれど、だいたいの人がその存在を目で確認することが出来る。二つ目。虚影になると実体があり、ほぼ全員がその存在を目で確認することが出来る。三つ目。虚影は、無差別に人を襲う習性がある」


 気だるげに首を横に傾け、エリーナは足を組んで、ルカスを見下ろす。


「最後。虚影に襲われた人は、数時間で虚影になる。その後は、ルカスが見た通りよ。虚影同士で融合し合い、化け物になる」


「待ってください。数時間で虚影になり、融合する?」

「そうよ」

「ならば、先ほど斬った虚影は――」


 エリーナがにやりと笑った。


「数時間前までは、人だったのかもね」


 ルカスの心臓が跳ね上がった。呼吸が浅くなって、めまいがしてくる。耳の奥にまだ、あの叫び声が残っていた。


「罪悪感を抱く必要はないわ」


 エリーナは月神のようにやさしく微笑んだ。


「あなたは、ある意味解放してあげたのだから」

「非道ではありませんか。本来なら、虚影はすぐに我々が対処します。虚影が現れれば、斬る。それだけです。実験などなぜ――」


 そこでルカスは言葉を飲んだ。気がついて、頭から水を浴びせられたような気持ちになる。


「――まさか」

「ご明察。素晴らしいわ、ルカス」


 エリーナは拍手を送る。


「この国には、今、化け物が必要なのよ」

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