第31話 恋する彼女に祝福を
「いやー、心配掛けたっす!」
数日後、何事もなく無事復帰したメシィとフィラは神族居住区の廊下を並んで歩いていた。
「入院って大変っす! 暇で死ぬかと思ったっす!」
手を頭の後ろで組みながら、不機嫌そうに彼女は言った。
「そういえば貴女が休んでる間、誰が貴女の仕事をしていたのです?」
フィラは素朴な疑問を投げかけた。
彼女の仕事は彼女が居ないから誰もしないでいい仕事では無い。
「私が請け負いましたが」
背後から物凄い冷気を感じる。
振り返ったら殺される勢いだ。
「レイシィさん」
そこにはクラシックメイド服をしっかり着こなし、縁の赤い眼鏡に手を掛けているレイシィが居た。
彼女は鋭い眼光で二人を睨みつける。
「流行病で倒れるなど、自己管理を怠っている証拠です。猛省なさい」
「すいませんでした。次からは気をつけます」
メシィがあのユルい敬語か常語かわからないような独特の口調を止め、真剣に謝っている。
「今回はクロノス様の命で貴女の尻拭いをしましたが、次はありません。いいですね?」
「はい」
「しかし、貴女のスケジュール帳を見ましたが……」
そこまで言うと、レイシィは冷淡な笑みを浮かべる。
「非効率・非常識・非合理的。ヴェスペル家も堕ちたものです。だからナニィみたいな裏切り者が生まれるのですよ」
彼女はそう言うと、真っ青になって固まっているメシィを見ながら満足そうに横切った。
「待ってください!」
たまらずフィラが彼女を呼び止める。
「その言い方は彼女に失礼です! 導するのなら一方的に罵るのではなく何処が悪いのかアドバイスすべきです!」
メシィがどんな思いでここまで来たのか。
それを考えると胸が苦しくなる。
例え相手が目上でも上司でも我慢ができなかった。
毅然とした態度でレイシィに意見するフィラを、メシィは唖然とした顔で見つめていた。
「なんですか、貴方は」
レイシィの眼鏡がきらりと光る。
カースト至上主義の彼女は、何処の馬の骨とも知れない平民の男に意見されたことに少し苛ついていた。
「メシィ、此処は神族居住区です。関係の無いヒトを無闇に入れるのはおよしなさい」
彼女はそれだけ伝えると、そのまま二人を通り越して去っていった。
「メシィさん、大丈夫ですか?」
フィラが心配そうに問う。メシィは大きく深呼吸を一つすると
「もう大丈夫っす!」
笑顔でそう答えた。
「あれ?リーム様居ないっす」
いつもの多目的小部屋に戻ったメシィは、不思議そうに首を傾げた。
「誰かに呼ばれたんじゃないですかね」
フィラがそう言うと、彼女はスケジュールを確認しようと手帳を開く。
「この時間に来客の予定は入って無いっすけどね……」
ポタリ、ポタリ。
涙が手帳を染めていく。
「メシィさん!」
フィラが慌てて彼女の名を呼ぶ。
「あはは、格好悪いっすね。あんなに意気込んで夢を語ったのに、まだまだ全然未熟で……。ナニィさんの汚名を晴らすどころか、彼女の顔に泥を塗ってしまったっす」
一度堰を切った涙は止めどなく溢れ、彼女は両手で顔を覆って泣き出した。
フィラは彼女の元に寄り、そっと抱きしめる。
彼女は一瞬ビクッとしたが、彼に答えるようにそっと身を任せて啜り泣いた。
その小さな体は小刻みに震え、こんな小さな体で激務をこなして来たのかと思うと涙が滲んだ。
「まだまだ貴女は若い。これから何度でもチャンスは何度でもありますよ」
フィラは慰めるようにメシィの頭を優しく撫でる。
その優しい言葉に、メシィはなん度も彼の名を呼びながら泣きじゃくった。
フィラは覚悟したように固唾を飲むと、その想いを彼女の耳元で伝えた。
「貴女が立派なメイドになるところを、私も一緒に見届けたいのです。貴女の……隣にいてもいいですか?」
メシィはしゃくり上げながら小さく頷くと、その想いを受け入れるように彼の背に手を回した。
二人は暫く見つめ合う。
涙で潤んだ彼女の瞳が、色っぽく情をそそった。
「……あの、一つお願いがあるのですが」
フィラが真っ赤な顔で真剣に問う。
「その……く、口づけを、してもよろしいでしょうか?」
「ぷっ……それ許可を求めるんっすか?」
今まで女性経験がないどころか女性に触れたことすら無かったフィラは、いきなり女性に口付けするのは失礼すぎるのでは? と思い至っての質問だった。
彼は至って真剣だ。
「どーぞ! 私もしたいっす!」
そう言うとメシィは顔を突き出し、瞳を閉じる。
少し高揚した彼女の頬に手を添える。
そっと顔を近づけ、その唇に触れようとした瞬間……
ガチャッ
勢いよく背後の扉が開く。
「遅れてすいませんメシィさん。突然クロノス様に呼ばれて……」
部屋の空気が固まる。
暫く何が起きたのか分からずに誰もが硬直していた。
「すいません。部屋を間違えました」
リームは申し訳なさそうに扉をそっと閉め、早足に去っていった。
「あーーーもう!折角いいところだったのにリームのせいで台無しよ!」
いきなり机の下からユリナが現れ、フィラはびっくりして飛び退いた。
ずっと此処に潜んでいたのだろうか……
完全にタイミングを失ってしまったフィラは頭の中に色んな情景が巡り、「あはは」と笑ってごまかすことしか出来なかった。
「リームさまの、ばかーーーーー!」
メシィの悲痛な叫びが部屋にこだまする。
彼女は部屋を飛び出しムードブレイカーを逮捕しに行った。
「うふふ、二人が結ばれてよかったわ」
ユリナが満足そうな笑みを浮かべた。
「ユリナ様は何故……うわっ!」
フィラがユリナに何故彼女を気に掛けるのか問おうとすると、先にユリナの方が身を乗り出してフィラの胸あたりに人差し指を突きつけた。
「あの子はナニィの忘れ形見みたいなもの。泣かせたらタダじゃおかないわよ」
「は、はい……」
ユリナの圧に怯みながら、精一杯の返事を返した。
結局彼女らの中心にいるのは「ナニィ」だった。
こんなに彼女ら慕われている女性、どんな人なのか一度お会いしてみたかったなと、フィラはぼんやり思った。
これは弛まぬ努力を続けるメイドと真面目で誠実な青年の恋の物語。
恋する彼女に声援を、二人の門出に祝福を。
偽りの少女に安らぎを リングパール @ringpearl
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