幻江ノ初

緋冥茜

第1話「幻江に吹く風」

 ──幻江時代。

 まだ鉄も機械もなく、風と月と炎がこの世界を照らしていた頃。

 人々は、空の色や草木の息づかいの中に神々を感じ、

 “魔法”という言葉を恐れも敬いもしていた。

 その中でも、ひときわ静かな村があった。

 名を――**月夜村(つきよ)**という。

 風がよく通り抜け、遠くに水の音が響く小さな村だった。

 そんな朝、月夜村に小さな鈴の音が響いた。

 「チリン……」

 その音と同時に、村の人々がざわめく。

 「また鳴ったぞ」

 「あの子だ」

 「災いを呼ぶ鈴の音だ」

 怯えと嫌悪が入り混じった声が、狭い路地にこだました。

 その中心に、小さな少女がいた。

 茶色い髪に光る鈴をつけた子――鈴宮ゆりあ。

 「や、やめてよ……僕、何もしてない……!」

 必死に声を上げても、誰も耳を貸してくれない。

 鈴が光るたび、誰かが息をのむ。

 ――雷を宿す子。そう呼ばれて恐れられていた。

 手のひらから、小さな火花が散った。

 雷の音――しかし、それは弱々しく、

 まるで泣き声のように空気を震わせただけだった。

 「化け物め! 鈴が鳴ったら村が壊れるんだ!」

 「近づくな!」

 誰かが石を投げた。

 ゆりあは目をつぶった。

 ――けれど、痛みは来なかった。

 風が流れ、石は空中でくるりと回って地面に落ちた。

 やわらかな風の中に立っていたのは、薄緑の髪の少女だった。

 「もう、やめてあげなさい。」

 風骼みりん。

 穏やかで、けれど芯のある声。

 風が彼女の鎌の柄を揺らし、鈴ヶ原の空気が一瞬で静まった。

 「み、みりん……」

 ゆりあが小さく呼ぶ。

 みりんは微笑んだ。

 「怖いのはわかる。でもね、ゆりあ。

 “怖がらせる”より、“守る”方がずっと強いんだよ。」

 ゆりあは唇を噛み、うなずいた。

 その姿を見て、みりんは静かに風を止める。

 「行こう、ゆりあ。森の方なら、誰も見てないから。」

 二人が歩き出すと、木々の向こうから勢いよく声が響いた。

 「ごはんまだーっ!」

 勢いよく飛び出してきたのは、黒と赤の髪の少女――焔月りりか。

 頬には小麦粉のような白い粉がつき、

 手には焼け焦げた木の枝を持っている。

 「りりか!? また火を吹いたの?」

 みりんが眉をひそめる。

 「だってお腹空いたんだもん! りりか、火吹いてパン焼こうとしただけだよ!」

 「それで木を燃やすのはどうかと思うけど……」

 「ちょっと焦げたけど、風パンになったもん!」

 りりかは自慢げに笑った。

 その笑顔に、ゆりあは少しだけ安心して笑い返した。

 木陰から、静かな声がした。

 「……また賑やかね。」

 紫の髪をゆるくまとめ、蝶を肩にとまらせた少女――鋼紫いつき。

 彼女は少し離れたところで三人を見ていた。

 「いつき、今日も来てくれたの?」

 みりんが声をかけると、いつきはわずかに頷く。

 「……毒は使いたくない。でも、見守るくらいはできるから。」

 「それで充分だよ。」

 ゆりあが笑うと、いつきの唇がかすかに緩んだ。

 風が吹く。

 蝶の羽が光を反射して、まるで雷の粒のように瞬いた。

 その時、空気が一変した。

 月が厚い雲を割って顔を出す。

 光が地面に落ちると、そこに一人の少女が立っていた。

 淡いピンクの髪。

 静かな瞳。

 月魄みずさ。

 「今日の月……泣いてる。」

 その言葉に、誰もが空を見上げた。

 確かに、月はかすんで揺れていた。

 まるで涙を流しているかのように。

 「泣かせたくないな……この世界を。」

 みずさがそう言って、空に手を伸ばした。

 ゆりあは、その手の白さに見惚れていた。

 風が吹き、炎が揺れ、蝶が舞い、月が光る。

 どの力も、人を傷つけるためではなく、守るためにある。

 「……僕も、あの光に届くようになりたいな。」

 ゆりあの頭の鈴が、静かに鳴った。

 その音は、雷のようで、祈りのようで。

 ──その音を、遠くから見下ろす影があった。

 高い塔の上。

 少女がひとり、夜空を見下ろしていた。

 「へぇ……鈴光、神の鎌、炎環、毒哭蝶。揃ったね。これで戦える。」

 その声の主は――時針もの。

 「ええ、そうね。」

 隣で静かに頷いたのは、時針くろ。

 「……あの子達なら、決闘がつきそうだ。」

 「始めよう――決闘の時間を。」

 塔の上の歯車が、静かに回り始めた。

  • Xで共有
  • Facebookで共有
  • はてなブックマークでブックマーク

作者を応援しよう!

ハートをクリックで、簡単に応援の気持ちを伝えられます。(ログインが必要です)

応援したユーザー

応援すると応援コメントも書けます

幻江ノ初 緋冥茜 @Genkou_Akane

★で称える

この小説が面白かったら★をつけてください。おすすめレビューも書けます。

フォローしてこの作品の続きを読もう

この小説のおすすめレビューを見る

この小説のタグ