NOT YET

見田真

第1話

 ウィスキーが売りなんだけどな、と思いながら、焼酎のソーダ割りをカウンターに出した。

 いつも口開けは、常連の安藤さん。グラスを手に取り、一口飲んで「うまい!」と一言。

 見田は、焼酎のボトルを置いていることは、他のお客さんには内緒にしている。

 ようやく始めた自分のお店だ。内装にもこだわり、ブルックリン調に仕立てた。ブルックリンに行ったことはないけれど。

 ここは、ウィスキーやバーボンを中心にしたオーセンティックなバー。

 なんでもかんでも客の要望に応えていては、ブランディングが崩れてしまう。コーヒーにこだわって始まった喫茶店が、やがて定食を始め、挙げ句の果てには、タコワサやイカのゲソ焼まで置くようになる、あの状態だ。居酒屋じゃないんだから。

 「さっき、3足990円のソックスを買ったんだよ。カードでお会計しようとしたらさ、バイトの子が、ご一括ですか?ってさ。俺のこと、お金ないと思ってるのかな?990円を分割にするってあんまり聞かないよ」

 「マニュアルで言わされてるんでしょうけど、困ったもんですね」

 「そうなんだよ!なんでもマニュアルっていうのは、融通が利かないね。人間、融通が利くっていうのは、極めて大切でしょ。融通が利かない奴は出世しないよ」

 見田は、「分かります」と頷いた。だが、むしろ自分は融通が利かないタイプではないのか?前の職場で、そう思われていたに違いないと思った。

 そっと扉が開く。この早い時間に珍しいと安藤さんは思ったに違いない。なんのことはない、今日から入るバイトのエリだ。

 「バックヤードで着替えちゃって」と伝える。ユニフォームはないが、アルバイトも含めて、長袖のシャツを着てもらうことにしている。

 「マスター、新しいバイトの子?」

 「そうなんですよ。新たな人を入れないと、空気も停滞しますでしょ。お店として活気がないといけないなと思いまして」

 「うちの娘と同じ歳ぐらいじゃないの?まぁ、確かに活気が出ていいね!」

 上々の食い付きだと見田は思った。バックヤードで白シャツに着替えたエリが、強張った顔つきでカウンターの中に入った。

 「ご常連の安藤さん」と紹介すると、エリは丁寧に頭を下げた。

 「ここには、どうして?」

 「金曜に働いている柳さんの紹介なんです」

 「ということは、柳くんと同じカメラマン?」

 「仕事は違うんですけどね……」

 早々に安藤さんが一杯目を飲み干したので、おかわりの焼酎ソーダを勉強がてら作ってもらうことにした。だが、頼んだそばから、初めての仕事となる最初の一杯は、ウィスキーにすべきだったと、見田は悔しい気分になった。自分はオーセンティックなバーの店主なのだ。

 安藤さんは、エリの作った焼酎ソーダを一口飲んで、いつもと同様に「うまい!」。エリも安心した様子だ。だが、その後、仕事のメールでも入ったのか、安藤さんはスマホを触り出す。エリが話を振っても、気もそぞろ。沈黙が続く。見田は、手持ち無沙汰でグラスを磨き始めたが、妙な焦りを感じ始めた。

 一対一なら、この沈黙も気にならなかったのかもしれない。だが、今はエリがいる。沈黙を埋めるべく、何か話題を振らなければ。

 「安藤さん、エリさんはちょっと変わった経歴なんですよ」

 「え、そうなの?カメラマンではないんだよね?」

 「見田さん、まぁ、いいじゃないですか……」

 「変わった経歴といっても、特殊詐欺の一員とかではないんでしょ?」

 「もちろんですよ。彼女、けっこう凄くてですね…」

 お店の電話が鳴った。

 「安藤さん、すみません。ちょっと電話に」

 見田はバックヤードに入り、電話の対応に追われた。電話の相手は、初めてのお客で、1時間後に4人で来店予定だという。

 カウンターに戻ると、安藤さんは再び、3足990円の一括の話をしていた。エリは小さく笑みを浮かべている。その小さな反応に、安藤さんもご満悦だ。

 本来、客の来店は嬉しいことだ。だが、今は違う。せっかく話を振ったのに、電話で中断されてしまった。見田は、悔しい気分になった。

 安藤さんの話が一段落したら、頃合いを見計らい、もう1度話を振ってやろう。

 扉が開いた。常連の織田さんだった。

 「安藤さん、久しぶりですね!調子はどうですか?」

 「最近ご無沙汰だったね。深い時間に来てたの?」

 「そうなんですよ。自分は遅番ですからね。今日は、会食前に1杯と思って」

 「見田さん、新しいバイトの子?」

 「そうなんです。柳くんの紹介で入ったエリさん」

 「うちの娘と同じぐらいの年齢なんだよ。困っちゃうよなぁ…」

 「困っちゃうよなぁって、早くも口説こうとしてるんですか?」

 「いや、そういうことじゃなくて。娘に監視されてる気分になるんだよ。飲み過ぎないように」

「でも、安藤さんのところって、そんなに大きい娘さんがいるんですね」

「織田さん、俺のこと何歳だと思ってるの?」

「76ですか?」

「そんなに歳とってないよ!」

「冗談ですよ。この間、年齢聞きましたよ。55ですよね?」

「嬉しいこと言ってくれるね。65だよ」

「でも、安藤さん若いよなぁ。マスター、ジントニックをお願いします」

常連さん同士の会話が弾む。バーとしては、嬉しいことこの上ないが、今日の見田にとっては、この状況もやはり口惜しい。そして、またしても、ウィスキーではない。ジントニックの作り方は教えていないので、自分で作って、早くエリの話を振ることにしよう。

「あ、こんな時間か。マスター、お会計で!」

「あれ、もう帰っちゃうんですか?」

「最近、奥さんに言われてね。2、3杯にしてるんだよ」

 このタイミングで帰ってしまうのか。安藤さんには、エリさんの経歴をぜひとも聞いてもらいたかった。必ず食いついてくれるはずだ。次回になってしまうのが残念だ。

 見田は電卓を叩き、お会計を出す。安藤さんの財布からいつもと同じピン札が出てくる。

「柳くんに聞きましたよ。ちょっと変わった子なんでしょ!?」

「全然、変わってないです」

 見田は思った。柳くんは、なんと説明したのだろう。

「元アイドルだったんでしょ!?」

「え……」

 言われてしまった。自分が言いたかったのに言われてしまった。

 「違うの?元アイドルなんでしょ?」

 「は、はい」

 「え、アイドルなの!?」

 案の定、安藤さんは食い付いた。だが、もう会計を済まし、コートまで着てしまっていた。チラッと腕時計を見て、席を立った。

 「ごちそうさま。じゃあ、また今度」

 「ありがとうございます。また、お待ちしております」

 安藤さんは、ドアを開け帰宅の途につく。その背中は名残惜しく、これほどまでに後ろ髪を引かれている人は他にいないのではないかと、見田は思った。

(続く)

次回、第2夜をお楽しみに。

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NOT YET 見田真 @Mitamakoto

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