時の温室とフリーノート
くるくるパスタ
フリーノート
月曜日
緑川ミドリは、会社に向かう途中で道に迷った。
いつもの駅、いつもの道。なのに、今日は何か違う。
角を曲がったら、見たことのない路地があった。
「こんな道、あったっけ?」
でも、急いでいたわけでもない。遅刻してもいい。もう、どうでもいい。
路地を進むと、古いガラス張りの建物が見えた。
温室。
誰のものか分からない。入口に、鍵はかかっていない。
ミドリは、吸い込まれるように中に入った。
温室の中は、静かだった。
花が咲いている。季節外れの花が、たくさん。
真ん中に、古いテーブルと椅子。
そして、一冊のノート。
ミドリは、椅子に座った。
時計を見る。午前九時。
「五分だけ……」
ミドリは、目を閉じた。
どのくらい経っただろう。
ミドリは、目を開けた。
時計を見る。
午前九時。
「え?」
もう一度見る。やっぱり、午前九時。
ミドリは、スマホを取り出した。
スマホも、午前九時で止まっている。
「壊れた……?」
でも、不思議と焦りはなかった。
むしろ、ほっとした。
「ここでは、時が止まってるのか」
ミドリは、椅子に座り直した。
「じゃあ、何もしなくていいんだ」
お腹も空かない。喉も渇かない。トイレにも行きたくならない。
ただ、そこにいる。
ミドリは、ぼんやりとした。
何も考えない。何もしない。
それでいい。
どのくらい経っただろう。
ミドリは、ふと、ノートに手を伸ばした。
ページをめくる。真っ白。
ペンが、テーブルの上に置いてある。
ミドリは、ペンを手に取った。
そして——
ノートの隅に、小さく、猫を描いた。
次のページに、少し違う角度の猫。
次のページに、また少し違う猫。
パラパラ漫画。
猫が、歩く。
ミドリは、くすりと笑った。
そして、立ち上がった。
「そろそろ、出ようかな」
温室を出ると、時間が動き始めた。
午前九時五分。
「五分しか経ってない……」
ミドリは、会社に向かった。
でも、なぜか、軽い気持ちだった。
火曜日
黒木コウは、仕事に行きたくなかった。
休職中だが、今日は復職の面談がある。
「行きたくない……」
でも、行かなきゃいけない。
駅に向かう途中、見慣れない路地があった。
「こんな道、あったっけ?」
路地を進むと、古い温室が見えた。
コウは、吸い込まれるように中に入った。
温室の中は、静かだった。
花が咲いている。季節外れの花。
テーブルと椅子。そして、ノート。
コウは、椅子に座った。
時計を見る。午前十時。
「少しだけ……」
コウは、ため息をついた。
どのくらい経っただろう。
コウは、スマホを見た。
午前十時。
止まっている。
「壊れた?」
でも、焦りはなかった。
「ここでは、時が止まってるのか……」
コウは、椅子に深く座った。
「じゃあ、面談に遅れても……いや、そもそも時間が止まってるなら……」
コウは、笑った。
「何もしなくていいんだ」
コウは、ノートに気づいた。
ページをめくる。
隅に、小さなパラパラ漫画。猫が歩いてる。
「誰が描いたんだろう」
コウは、くすりと笑った。
次のページをめくる。
そして、ふと、ペンを手に取った。
「この隙に、自己啓発本の続きを……」
コウは、鞄から本を取り出した。
でも——
ページを開いたまま、動かない。
「……そういうことじゃない気がする」
コウは、本を閉じた。
「ここでは、何をしてもしなくてもいいんだ」
コウは、ぼんやりと花を見た。
そして、ふと、言葉が浮かんだ。
冬の花 咲く温室に 時忘れ
「……俳句?」
コウは、笑った。
そして、ノートに書いた。
何もせず ただいるだけの 午後三時
「午後三時じゃないけど」
コウは、また笑った。
コウは、立ち上がった。
「そろそろ、出よう」
温室を出ると、時間が動き始めた。
午前十時五分。
「五分か……」
コウは、面談に向かった。
でも、なぜか、落ち着いていた。
水曜日
月島ツキは、バイトをサボった。
「もう、いいや……」
家賃が払えないかもしれない。でも、今日はどうでもいい。
街をぶらぶら歩いていると、見たことのない路地があった。
「ん?」
路地を進むと、古い温室。
ツキは、中に入った。
温室の中は、静かだった。
「わあ……綺麗」
花が、たくさん咲いている。
テーブルと椅子。そして、ノート。
ツキは、椅子に座った。
時計を見る。午後二時。
「ちょっとだけ……」
ツキは、目を閉じた。
どのくらい経っただろう。
ツキは、スマホを見た。
午後二時。
「あれ?」
止まっている。
「壊れた? それとも……」
ツキは、周りを見回した。
「時が、止まってる?」
ツキは、笑った。
「じゃあ、バイト、サボっても大丈夫だ」
ツキは、ノートに気づいた。
ページをめくる。
猫のパラパラ漫画。
次のページに、俳句。
「誰が書いたんだろう」
ツキは、くすりと笑った。
そして、ペンを手に取った。
「私も、何か……」
ツキは、ノートに迷路を描き始めた。
簡単な迷路。
でも、途中で飽きて、複雑にした。
そして、ゴールに、小さな花を描いた。
「できた」
ツキは、満足そうに笑った。
ツキは、立ち上がった。
「帰ろうかな」
温室を出ると、時間が動き始めた。
午後二時五分。
「五分か……」
ツキは、家に帰った。
でも、なぜか、楽しい気持ちだった。
木曜日
月曜日に来たミドリは、また温室を見つけた。
「あ、また来れた」
ミドリは、嬉しくなった。
温室に入る。
テーブルに、ノートがある。
ミドリは、ページをめくった。
猫のパラパラ漫画——自分が描いたもの。
次のページに、俳句。
次のページに、迷路。
「誰が……?」
ミドリは、笑った。
「他にも、来てる人がいるんだ」
ミドリは、パラパラ漫画の続きを描こうとした。
でも——
「今日は、気が乗らないな」
ミドリは、ペンを置いた。
「次、来た時にしよう」
ミドリは、椅子に座って、ぼんやりとした。
そして、ふと思った。
「次、来た時、何か持ってこようかな」
何を持ってこよう。
考えるだけで、楽しい。
金曜日
火曜日に来たコウは、また温室を見つけた。
「また来れた……!」
コウは、驚いて、喜んだ。
温室に入る。
ノートを見る。
猫のパラパラ漫画。
俳句——自分が書いたもの。
迷路。
「増えてる……」
コウは、笑った。
「また来れるなら、次は何をしよう」
それを考えるのが、楽しい。
コウは、ノートに書いた。
「またここに来れたら、何をしよう?」
コウは、その言葉を見て、笑った。
土曜日
水曜日に来たツキは、また温室を見つけた。
「また来れた!」
ツキは、嬉しくて、走って温室に入った。
ノートを見る。
猫のパラパラ漫画。
俳句。
迷路——自分が描いたもの。
そして——
「またここに来れたら、何をしよう?」
ツキは、その言葉を見た。
「そういえば……何をしたいんだろう」
ツキは、少し考えた。
「でも、何かしたいな」
ツキは、ノートに書いた。
「次は、何をしようかな」
ツキは、笑った。
三人は、それぞれ、温室を出た。
そして、それぞれの日常に戻った。
でも——
みんな、うきうきと楽しくなった。
「またあそこに行けるかな」
「次は、何をしようかな」
「あの人たちは、誰だろう」
三人は、出会っていない。
でも、ノートで繋がっている。
そして——
「次」を、楽しみにしている。
それだけで、充分だった。
Fin.
時の温室とフリーノート くるくるパスタ @qrqr_pasta
★で称える
この小説が面白かったら★をつけてください。おすすめレビューも書けます。
カクヨムを、もっと楽しもう
カクヨムにユーザー登録すると、この小説を他の読者へ★やレビューでおすすめできます。気になる小説や作者の更新チェックに便利なフォロー機能もお試しください。
新規ユーザー登録(無料)簡単に登録できます
この小説のタグ
参加中のコンテスト・自主企画
関連小説
ビューワー設定
文字サイズ
背景色
フォント
組み方向
機能をオンにすると、画面の下部をタップする度に自動的にスクロールして読み進められます。
応援すると応援コメントも書けます