2.少女

 目が醒める。視界の端に爛々と輝く灯りが見え眩しく感じた。乱雑に荷物が放置され、最低限の家具だけが置かれたここがC地区の中心部であることはすぐに理解できた。目の前の椅子にはエビネが座っており、無表情であるもののその鋭い眼差しからひしひしと怒りを感じる。緊迫した状況下に置かれたことを体が理解したのか、汗が額に滲み始めた、何か1つでも間違いを犯せば、僕らの首は簡単に飛ぶだろう。そのことは先に起きていた他の奴らも理解しているのか、全員大人しくそこで座っている。

「さて……あんたら、なんでここに連れてこられたかわかるか?」

 今更しらばっくれるのもあちらの反感を買うだけだろう、僕はその問いかけにこくりと頷いた。

「そうだよな?心当たりがないわけないよな?あんたらはちょっと前に、お得意様の所へ売る予定だったブツをまるまる横取りし、裏で全部売っぱらって金に変えちまった。おまけにうちの部下も結構な数減らしてくれたじゃないか。とんでもないことをしてくれたよ」

 エビネは煙を吐き、タバコをそのまま床に放り投げ足ですりつぶす、タバコの匂いが部屋に充満し少し煙たくなった。思わず咳き込みそうになったが、グッと堪えた。エビネは話を続ける。

「それで、あんたらこの落とし前をどうつけるつもりだ?金も全部使っちまったんだろ?」

 一番の問題を突きつけられた。僕らは今手持ちがあまりない、それもそうだ。手に入れた金は全て使ってしまって、もう手元にないのだから。財産と言えるようなものも持ってない、つまり差し出せるものが何1つとしてないわけだ。額が額なだけに、今ここで何かしら差し出す必要がある。必死に考えろ、何とかできる案を捻り出さなければ。

 2秒,3秒と静寂は続いてく。静寂を打ち破る何かが僕らの口以外から出てしまえば、その時はエビネに「何もない」と伝わってしまう、焦りが思考を鈍らせていく。そんな中、静寂を打ち破ったのはクスノキだった。

「悪いけど、俺らは何ももってないよ。エビネさんの言う通り金はぜ〜んぶ使っちゃったし、金の代わりになるものもないからね」

 そう言いながらへらっとした態度を取るクスノキ、そのまま話を続けようとした所、飛んできたのはエビネの足蹴だった。そのまま彼は背中を強く打ち付け小さくうめき声をあげた。そのまま息つく間もなく突きつけられる拳銃。

「そうか、なら話は早い。とっとと処分させてもらおうか」

 エビネが引き金に指を掛ける。クスノキは当たりどころが悪かったのか、何か声を出そうとしても出せない様子だった。このままでは彼は殺されてしまう、そう思い反射的に声が出る。

「ま、待ってください!」

 ピタッとエビネの動きが止まった。

「なんだ、何か文句でもあるのか?」

 彼女の鋭い眼光はこちらに向けられた、その気迫に思わずたじろぐ。咄嗟に止めてしまったが、どう説得するべきか。何か考えがあるわけじゃない、全くの無計画なのだ、こうなってしまったら、とにかく場を繋ぎ続ける他ない。口八丁手八丁、とにかく時間を稼ぎ続けるのだ。

「今回の一件で、そちらもだいぶ損害が出てるはずですよね。それなのに、僕らを殺しても大丈夫なんですか?殺してしまえば何も残りません、損害を取り戻すことすら叶わない。僕からしてみれば、まだ生かしておいた方が得なのではと思うのですが」

「アンタらに利用価値があるならその言い訳も通用するだろうが、そうじゃない。それにこれは損得以前の問題でもある。今の私たちには殺す以外の選択肢はないんだよ」

「B地区へのお詫びとして、僕らの首を持ってくるように頼まれでもしてるんでしょうか?」

「いいや違う。これはコッチのメンツの問題だ。あっちにはもう詫びは入れてるあるんでな」

 メンツを出されては、なかなか言い訳も通用しずらい。僕らを生かす利点を提示しても説得にはならないと決まってしまった。手詰まりかと思った時、なんとか回復したクスノキが間髪入れずに続ける。

「メンツがかかってるなら、こういうのはどうだ?俺らを使い捨ての駒として使うのさ。無理難題の仕事を与えて見せしめとして処分する。こうすりゃアンタらのメンツは保たれたままだし、ついでに面倒な仕事も押し付けることができるだろう。俺らがそっちの部下を殺しまくったせいで、人手不足だろうしな」

 クスノキに続いて、ジロキチとレイも反論する。

「確かにそうだ、俺ら相当暴れたもんなぁ!荒事でもなんでもやってやるさ、腕前はもうわかってるだろ?」

「私たちなんだってやれるよ、だからお願い……!」

 みんなの必死の命乞いに、エビネは引き金を少し緩める。だがその眼光は未だ鋭いまま、まだ許されたというわけではない。しかしこれ以上僕らが言えることはない、あとはエビネの判断に委ねるしかない。

 全員が息を呑んだ、脂汗が肌着をひどく湿らす、緊張が場を支配する。しばしの静寂の後、エビネが選んだ答えは"始末"だった。一番最初に銃口を向けられたのは僕だった、この距離この相手じゃ避けることすら叶わない、何か身動きをする前に火薬の爆ぜる音が静寂を打ち破った。次に爆ぜるは僕の頭、そう思っていたが、爆ぜたのは鉛玉だけだった。エビネが引き金を引く直前、見知らぬ少女がエビネの腕に飛びつき軌道を逸らしたのだ。

 突然の状況に思わず固まってしまう、皆も焦りと安心、困惑が混じったよくわからない表情をしていた。しかしそんなのは気にも留めず、驚くことに少女はエビネに向かって物を申したのだ。

「エビネ!また弱いものいじめしてるの!?」

 少女は頬を膨らませムスッとしている、エビネはそんな少女の様子に対し、露骨に面倒臭そうな顔を浮かべた。

「しょうがないだろ....ケジメってやつだ。邪魔だからさっさと部屋から出ていけ」

「嫌だ!エビネがやめるまで離れないもん!」

 少女はエビネに飛びつく、エビネはそれを振り払おうとするがなかなか離れない。一体なんなのだろう、この子は。そう疑問に思っていると、少女の後を追うように一人の青年が入ってきた。全力疾走してきたのか、ひどく息を切らした様子だ。

「すいませんエビネさん…騒動がっ…あったって聞いて…アトリエを飛び出したみたいで…ほん…っと…すいません……」

 息を切らしつつも、青年はエビネから少女を引き剥がし、ひたすら駄々をこねる少女をずるずると引きずって部屋から出ていった。二人が完全に部屋から出ていったのがわかった後、エビネは大きくため息を吐きながら頭をボリボリとかく。

「……さっきの子は一体?」

 疑問だらけの状況に対し、思わず声が出た。声を出すべきでなかったと自分でハッとしたのはその直後だった。せっかく生まれた隙を逃してしまったかと思ったが、それとは裏腹にエビネから殺意はあまり感じなかった、表情も少し崩れたような気がする。調子を崩された、と言うのがいいのだろうか。

「あー……あいつは、なんだ。うちで匿ってるやつって言うか……」

 質問を濁しながら答える途中、エビネはふと何かを思いついたようで、しばらく何かを考えたのち、僕らに向かって嫌らしい笑顔を浮かべながらこう問いかけてきた。

 「1つ……この件をチャラにできる仕事があるんだが……どうする?」

 「もちろん引き受けさせてもらうぜぇ!」

 間髪入れずジロキチが自信満々にそう答えた。あまりにも無計画そうなその返答に思わず口答え。

「ま、待ってくださいジロキチさん、まだ依頼内容も聞いてないのに……」

「なぁに言ってんだ便利屋!依頼ひとつで助かるってんなら受けるに決まってんだろ!?それとも、オメェだけ死ぬのがいいかァ?」

 そう言われるとなんとも言えない、僕だって死にたいわけではないからだ。だが、だからと言って何も聞かずに依頼を受けるだなんて、あまりにも思い切りが良すぎる。自信たっぷりの笑顔の前に、思わず渋い顔。その横でレイは少し困った顔をしていたが、クスノキはクスクスと笑っていた。一方エビネはジロキチの返答にご満悦のようで、あちらはあちらでまた笑っていた。

「いい返事だ、で?他の連中はどうするんだ?最もそのジジイの言う通り、受ける以外アンタら生き延びる道はないがね」

 その問いかけに、全員で頷いた。こうなればもうあとはどうにでもなれ、というやつだ。最善の選択と言えるかは怪しいが、どちらにせよ、今すぐあの世行きだなんてことは避けられるのだからまぁいいだろう。ジロキチには感謝するしかない。

「やる気満々でいいじゃないか、嬉しいね。んじゃ受けると決まったところで、依頼内容の説明としようか」

「そこの医者と便利屋……クスノキとハセガワだったか?アンタら言った通り、確かにこっちは今人手が足りてない。使い捨てのチンピラ共もほとんどいなくなっちまったからな、危険な仕事に回せる駒がいない。だから、その"駒"にアンタらを当ててやる。内容はさっきのガキの子守りだ、三ヶ月間、一時たりとも目を離さず、あいつの子守りをする。それだけだ」

 子守り、そう言われ疑問が浮かんだ。ただの子守りだなんて、そう危険な仕事のようには思えない。ましてや、僕らがやったことの償いになるほどとは決して思えないのだ。とあらば、あの少女には何かがあるのだろう。詳細を知らぬまま依頼を受けるのは少し危険な気がした。

「あの子、一体なんなんです?」

 聞いて答えてくれるのだろうか、そう思いながらも一応問いかけると、エビネは意外にも快く答えてくれた。

「アイツはうちの稼ぎ頭だ。数年くらい前に地区の路地で拾ってな、なかなかいい面をしてたモンだから売り飛ばすつもりだったんだが....見事な絵を描くんだ、そいつを売った方が金になったんでな、今はああやって保護してるわけだ」

 つまるところ、稼ぎ頭を狙ってくる輩が絶えないということだろう。C地区ボスの稼ぎ頭、しかもそれがただの子供だと知れば、一攫千金を狙ってくる輩が絶えないのも想像がつく。

「まぁとりあえず頼んだぞ、それと……お前らにこの首輪をくれてやろう。遠隔で爆発する機能付き、残念ながらリモコンはお前らに持たせられないがな。まぁ餞別ってやつさ。もらっていけ」

 エビネが部下に何か合図をすると、首にひやりと冷たくずっしりとした首輪がつけられる。流石に野放しにはしておけないということだろう。手段は違うだろうが、同じ状況なら僕もそうする。とはいえ、いよいよこの選択がただの延命に過ぎないように思えはじめてきた、はたしてどこまで生きていられるのだろうか。

 首輪が取り付けられた後、縄が解かれる。それと同時にエビネと入れ替わりで部屋に入ってきたのは、先ほど少女を抱えて行った青年だった。目つきが悪く愛想のない表情からは、少しの威圧感を感じた、羽織っている灰色のジャケットの内側には、黒く光る銃がちらりと見えている。

「エビネさんから話は聞いてる。準備が済んだらさっさといくぞ」

 彼はナイフを取り出して僕らを縛っている縄を解いてくれた。長い間縛られていたせいか、若干の違和感を手首に感じた、手首をぐるぐると回し動作を確かめるが特に問題はないようだった、手のひらに滲んだ汗をハンカチで拭う。緊張が解けたせいか、若干の脱力間を感じた。他の皆もそうなのか、呼吸を整えていたり背伸びをしている。

「いやぁ〜なんとかなったなぁ!よくあんなに口が回るもんだぜ、俺にゃぜってぇ無理なことだな!」

 ジロキチがガハハと大口で笑う、先ほどまで命が危うい状態だったというのにまぁ元気なものだ。

「もういいだろう、無駄口叩いてないでさっさと行くぞ、アイツを待たせてるんだからな」

「あ、その前に名前だけ聞かせてよ!これから一緒に仕事するんでしょ?呼び名がなきゃ不便だよ」

 先を急かす男にレイがそう問いかける。彼女の言うことはもっともだ、輩と戦闘になった時、呼び名がなければ連携が取りづらくなる。男は確かにと頷いた後答えてくれた。

「俺はサクラギだ、アンタらの名前はもう聞いてる、よろしくな。外に車を停めてあるからそこまで行くぞ」

 サクラギが先導し、外にある車まで案内してくれた。車には足をぷらぷらさせながら助手席に座る少女が一人、頬を膨らませどこか不満げな様子だ、しかしサクラギがやってきたことに気がついた後、すぐ笑顔になる。長い黒髪に青い瞳が特徴的、先ほどは気が付かなかったが、とても整った容姿をしていた。

「おかえりサクラギ!そっちの人たちはさっきエビネが言ってた人?」

「そうだ、右からハセガワ、ジロキチ、クスノキ、レイだ。今後一緒に行動するから頼んだぞ」

 さらりと自己紹介を終わらせ、サクラギはそのまま車に乗り込む。僕らにも早く乗れと言わんばかりに後部座席の扉を開け、ハンドサインでこちらへ誘ってきた。停まってる最中に襲撃されてはたまらないので、言われた通りに車へ乗り込む。

「君は名前なんていうの?」

 後部座席から身を乗り出しレイが少女に問いかける、そうすると少女は少し困った顔をした。

「名前、実は覚えてないんだよね」

 それを聞いたレイの方も困った顔をした。どれだけひどい人生を歩んでいたとしても、親代わりの人間や自分自身で名付ける機会はそれなりにある、少なくとも一人で十分生きられるまでには大体あるものだ。だが見る感じ、この少女はそれなりに成長しているように思える、この年までそういった経験がないというのは、色々あるこの世界でもなかなか珍しいのだ。

「そうなんだ……じゃあ、普段はなんて呼ばれてるの?」

「そうだなぁ、サクラギからはナナシって呼ばれてるよ!」

 名前がない名無しだからナナシ、あまりにも安直すぎるネーミングセンスだなと思ってしまった。ジロキチに関しては思ったことを隠すつもりもないようで大笑いしている。

「"名無し"で"ナナシ"ってか!シンプルでいぃ〜じゃねぇか!」

 ガハハと少々うるさい笑い声が車内に響き渡った、ジロキチの発言がサクラギの癪に触ったのか、彼は無言で車を急発進させた。いきなりの発進にジロキチは体勢を崩し座席に思い切り後頭部を打ち付け痛そうにしている、ある程度柔らかいものの、勢いよくぶつかればそれなりに痛いだろう、そりゃねーぜと文句を言っていたがまぁ自業自得だ。

「まぁナナシでいいんじゃないですかね、呼ばれ慣れてる方が都合いいですし」

「俺もそれで賛成だな、シンプルだし呼びやすくていい」

 クスノキの相槌に対し、異論は特になかった。他のものもなかったようだし、そのままの流れで"ナナシ"と通すことが決まった。

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