第22話 最終話

「エネア、お前には7年前のグスタフ男爵、及びその家族の殺害首謀容疑、そして大規模人身売買の首謀容疑がかかっている

 今頃、ルクセン伯爵、及びその他共謀者の屋敷にも捜査が入っているだろう」

「はっ、伯爵家まできっちり押さえるとは思いませんでしたよ

 ルクセン伯爵も揉み消せると自信を見せていたのにな」


「……エネア……、にぃさま?」


 確かめたくて、どうしても信じられなくて、呼びかける。


「父上、母上、……、姉上、……兄上を、

 

 殺したのは、にぃさまなの」


 視界に膜が張って、エネアの表情がよく見えない。

 エネアがこちらを真正面から見つめ、そして、笑みを

 浮かべた気がする。


「グスタフ叔父様にお願いしたんだよ

 リナを私にくださいって


 そしたら、叔父様、駄目だっていうんだ

 まだリナは小さいから、これから広い世界を見て、たくさんの人に出会う

 リナには自分で愛する人を見つけてほしいって」


 父上が言いそうなことだ。

 いつだって父上は、俺たち子どもたちの話をよく聞いてくれた。


「リナはもう私に出会っているのに!!

 その他大勢なんて要らない!!

 私だけを見ていればいい!」


 エネアの叫びに思わずよろけた身体を、レイが支えてくれる。


「十歳の誕生日を前に、リナはΩだと診断された

 絶対に、リナを他の誰かのものにするわけにはいかなかった!


 リナを俺から引き離す奴らは、全員殺さなきゃいけなかった

 リナの周りの鬱陶しい奴らを掃除したら、次はリナが頼れる人間を私一人にしなきゃいけない。

 父と母は私の思い通りに動いてくれたよ


 あの屋敷でリナはたった一人、誰からも愛されず、誰からも憎まれ、ただ私一人からの愛だけを受けて生きるはずだった……!!」


 耳に入る言葉が、受け付けられない。

 は、は、と空気がうまく身体に入ってこない。

 ──いやだ、ききたくない

 目の前の景色がチカチカと明滅して、吐き気が込み上げてくる。


「リナルド」


 耳に、穏やかな低い声が届く。


「リナルド、ゆっくり息を吐け

 そうだ……

 いい子だ」


 優しく背中をさすられ、やっと呼吸が落ち着く。

 レイの顔がすぐ傍にある。

 

「レイ殿下……」


「やめろやめろやめろ!!

 私の目の前でそれ以上見つめ合うな


 お前だ! レイ!!

 お前が現れてからすべてがおかしくなった!!


 お前さえ現れなければ、リナが屋敷を出ていくなんて言うはずがなかったんだ!!

 リナには報酬も何も渡していなかった! 屋敷を出るなんてこと考えられないように、そんなことできないようにリナには何も与えなかったのに!!

 屋敷を出るなんて発想、お前がリナをそそのかしたに決まってる」


 エネアが頭をきむしりながら叫ぶ。

 ……違う、

 エネアが考えていること、すべて、違う。


 レイのシャツを握っていた手を離し、一歩、エネアの方へと踏み出す。


「俺は、俺の意思で屋敷を出ると決めていた

 レイ殿下が現れる前からだ」

「……リナ……?」


「エネア兄様は気づいていなかったろうけど

 俺、屋敷を抜け出して、町で仕事をして稼いでた

 屋敷では報酬も何も与えられなかったから


 その金で、18歳になったら屋敷を出るつもりだった」


 エネアの水色の目が驚愕きょうがくに大きく見開かれる。


「家にΩがいると、良家の令嬢は婚姻を避ける。

 エネア兄様が男爵になる、その邪魔にならないように屋敷を出ようと、そう思ってたんだ

 

 ……すべては、俺の命を救ってくれた、俺を守り続けてくれたエネア兄様を思って」

「リナ……」


 エネア兄様を思って、という言葉だけを捉えているのだろう。エネアがわずかに頬を上気させ微笑む。


 エネアの方へ、一歩、一歩近づいていく。

 背後で、レイが止めようと駆け寄ってくるのを感じるが、もう間に合わない。


 右の拳を握りしめ、エネアの顔面目掛けて振り上げる。


「っ!!」


 Ωの拳でも、油断している相手ならばこれほどの威力を発揮するのか。

 エネアは殴られた衝撃に、背後の扉まで吹き飛ぶように倒れ込んだ。


「笑わせんな!!

 何が愛し合ってるだよ!!

 お前のは愛でもなんでもない!!!

 クソッタレ!!

 ふざけんな!!


 返せよ!!

 父上を! 母上を!!

 姉上っ……兄上っ!!」」


 更にエネアに殴りかかろうとする俺を、追い付いたレイが抱きしめて止める。

 離せ、絶対に許さねぇと泣き叫ぶ俺を、レイの腕は決して離さない。


「……リナ……」


 殴られた頬を撫で、エネアは見開いた水色の瞳でこちらを見つめている。そのまま視線を逸らすことなく、床からゆっくりと立ち上がる。


「……そうか……、

 リナは……、その男に洗脳されてるんだな?」


「……は?」


 エネアの顔に当てた手が目元を覆い隠す。

 その指の隙間から、キラリと水色の瞳が不気味に瞬いたかと思うと、次の瞬間にはエネアがこちらに向かって駆け寄ってきた。


「!!」


 手元にはナイフの刃が鈍い光を放っている。


 エネアの視線はレイを向いている。

 くそ、

 咄嗟とっさにレイを背中側に守るように、エネアの前に立ちはだかる。


「ルディウス!!」


 レイの声と同時に、カシャーン! と金属がぶつかる音が響き、そのまま目の前でエネアが倒れ込んだ。


 エネアの背には、ルディウスが乗っている。


「ルディウス……え?!」


 背後を振り返ると、スザンヌを拘束しているのも……ルディウスだ。


「え、ええ??」

「ルディウスは双子だ

 フェデラー男爵家に滞在中、王都との連携のために交互に入れ替わっていた」

「!」


 何度かルディウスに違和感を感じていた。


「……だから、すごく無表情なときと、感情豊かなときがあったんですね……

 気持ちにムラのある人なのかと……」


「兄貴言われてんぞー」

「お前が感情を表に出しすぎるのが悪い」


 エネアの上に乗っているのが弟で、スザンヌを拘束しているのが兄らしい。なるほど、兄が王都へ情報を届け男爵領へ帰ってくるまでは弟がレイに仕え、兄が男爵領へ戻れば次は弟が王都へ情報を届ける……絶え間なく王都と連携し、今回の王都を拠点とする貴族ぐるみの犯罪を追っていたのか。


「……っく、

 リナ……

 必ず君を助けてやる……」


 ルディウス弟の下で、エネアは最後まで何事かを呟いていた。






 エネアとスザンヌは拘束され、そのまま連行された。トマスと同様に貴族裁判にかけられるだろう。

 そして、エネアの母であるエレインは、エネアの手によって殺されていたことがわかった。

 エネアが男爵代理となり、俺を妻として迎え入れようと準備していたことを咎められ、邪魔になり殺したのだという。


 エネアのそんな面に気づくことなく、何年も信じて傍で暮らしていたことに、背中が寒くなり震えが止まらなくなる。自分を抱きしめるようにして震えを止めようとする。


「寒いのか?」

「殿下……

 ありがとうございます」


 レイがブランケットを肩に掛けてくれる。

 ここは≪陽炎隊≫の王都の隠れ家の一つらしい。先日目を覚ました場所とはまた違う屋敷だ。

 だが、ここも品の良い調度品に囲まれ、落ち着く空間なのは変わらない。


 トマスに引き続きエネアも逮捕され、男爵家の今後について協議するために、まだ俺は王都を離れられない。

 話が決着するまでの間、レイが俺の面倒を見てくれることになったのだ。


 ティールームで、テーブルを挟んで向かい合うようにしてレイと席に着く。

 ルディウス兄……ルディが淹れてくれる紅茶は香りが良く、それだけで肩の力が抜けるようだ。

 レイは静かに新聞を広げて、ただ傍にいてくれる。


 両手でティーカップを包み、その温かさで冷え切った指先を暖める。


「あ……雪」


 窓の外へ目をやると、ちらほらと雪が降ってきた。


「……うちの領地は南部の田舎で、何もないんですけど、

 冬の間の数日間だけ、雪が降るんです


 雪が降った翌日の夜明けには、平原に積もった雪に黄色やオレンジ、青の陽の光があたって、虹色に輝くんです。

 父上曰く、うちの領地特有の自然現象らしくて……」


 窓へ向けた目から、ぽろ、と何かがこぼれる。

 それを、レイの指が拭う。長い腕は、少し身を寄せるだけでテーブル越しにこちらまで届くらしい。


「それは是非とも、俺も見てみたいな」


 レイが俺の頬を撫でながら、微笑んでくれる。

 ──まだ、傍にいてくれるのか。


「……、今度は、俺が領地を案内しますね」

「おや?

 これはデートのお誘いかな?」


 あまりに、きりりと畏まった表情をレイが浮かべるものだから、あはは! と笑い声を上げる。






 一ヶ月後、トマス、エネアは貴族名簿からの末梢と極刑が決まった。

 トマスはエネアが助けてくれると最後まで泣き叫んでいたらしいが、エネアも同じく極刑となると聞いて魂が抜けたように大人しくなったそうだ。


 フェデラー男爵家は、成人を迎えた俺が継ぐこととなった。


「まったく、自信がありません。」


 馬車に揺られながら、隣に腰掛けるレイに本心を吐露する。

 レイは窓枠を肘置きにしながら、手の上に頭を載せてリラックスした様子でこちらを見遣る。


「安心しろ、そのためにわざわざ、王族であるこの俺が付き添ってやってるんだ

 手取り足取り、領地運営のノウハウを教えてやるよ」


「一体何を手取り足取りするんでしょうね〜」

「ディウス、余計な事を言うな」


 弟のディウスが要らぬことを言うと、すかさず兄ルディが嗜める。

 馬車の左右にはルディウス兄弟が馬上から護衛についているのだが、窓を開け放っているため、会話が筒抜けだ。


「……殿下はお暇なんですか?」

「はぁ?! そんなわけないだろ!

 この間の事件解決でまとまった休暇が取れたんだよ」

「……わざわざ休暇を使って、俺についてきてくれたんですか」


 隣の席から、緋色の瞳を見上げる。

 触れ合う腕から、レイの体温を感じる。

 たくさん軽口を叩いてはいるが、レイが俺を心配してくれているのは、強く感じている。


「……俺にも虹色の平原、見せてくれるんだろ?」


 レイからも俺の顔を覗き込むように視線が返される。

 緋色の瞳の中に映る俺は、見たことのない表情だ。

 レイを見つめているときは、いつもこんな表情を浮かべているのだろうか……


「はい!

 一緒に見ましょう」


 第六王子であるレイは、いつまでも俺なんかに構っては居られないだろう。それでも、今は俺の隣に居てくれる。

 早く一人前になって、男爵として、レイを支えられる男になろう。


 そう、心に誓って、俺は男爵として領地への帰還を果たした。










◇◇◇





 貴族牢は、犯罪を犯した貴族たちを拘束する場所だ。牢とは言え、窓に鉄格子がめられ、扉が鉄でできていること以外は、豪華な屋敷と変わらない。


 エネアがここに閉じ込められて一ヶ月が経つ。

 先日、貴族裁判が結審し、己の極刑が決定した。


 ──腑に落ちない。

 私が一体何をしたというのだろう?


 リナと出会ったのは、彼が生まれて間もない頃だ。

 αである私は、望まれればなんでもできた。私にできないことはなかったし、私が望むことで叶わないことも何もなかった。

 どれほど褒めそやされようと、何を与えられようと、何一つ私の心を動かすものはなかった。


 世界は無彩色で、なんの刺激もない。そんな毎日があの瞬間変わった。


 ベッドで眠るリナルドの小さな手に触れた瞬間、その小さな手は私の人差し指を握りしめ、そして美しい赤子は私に笑顔を見せたのだ。

 その瞬間、私の世界に彩りが生まれた。リナルドの周囲だけが、輝いて見えるようになった。

 リナルドの亜麻色の髪も、宝石のような青い瞳も、陶器のような白い肌の中で、薔薇ばら色に色づく頬と唇も……リナルドだけが私の世界で輝いていた。


 そんな大事な存在を、誰の手にも触れられないように守るのが、そんなに悪いことだろうか?

 リナルドと私にとって害になる人間を排除しただけだ。大輪の美しい薔薇を咲かせるためには、不要な蕾を切り取って落とすだろう? それと同じだ。

 

 牢の外が騒がしい。

 バタバタと人が駆け回る音や、怒声が聞こえる。


「……来たか」


 ガチャガチャと、鉄の扉の鍵が解錠される音がする。エネアの牢が開かれた。


「エネア様……っ

 お待たせいたしました」


 扉を開けたのはメイド長をしていたドナだ。

 スザンヌは思い込みが激しく、使い物にならなかったが、ドナは私が捕まったと聞いて動いてくれたのだろう。


「ありがとうドナ」


 額にキスを落とすと、ドナは瞳を潤ませてこちらを見つめてくる。


 ……本当に気持ち悪い。

 どうして女たちはこうも簡単に私に擦り寄ってくるのか。どいつもこいつも、私の身体に群がってくる。

 だからこそ、こうして利用しやすいのだが。






 ドナは逃走用の馬や、身支度まですべて整えてくれていた。優秀な手駒が残っていて助かった。


「エネア様、隣国のスティルアという町に当分の間の隠れ家を用意しています。

 そこで、落ち合いましょう

 私、エネア様に生涯を捧げます……!

 どうか、共に生きさせてください」


 馬上の私に向かって、ドナが頬を上気させて訴えかける。


「ああ……、ドナ、それほど私を愛してくれているとは……」


 馬上から身を傾け、ドナの唇に口づけを落とす。

 

 ──心底重い。こういう女は後が面倒だ。

 ぐさり、と刃物が布地と肉を貫く音がする。


「ぐ、ぁ……は……

 エネア……さ、ま?」

「おお、ドナ なかなか良いナイフだ

 切れ味がいい

 ありがとう、気に入ったよ」


 刃が鮮血に染まったナイフをしげしげと見つめて、エネアが呟く。

 ドナは、もはや立っていられず、その場に崩れ落ちた。左胸からは夥しい血が流れ出ている。

 そんなドナを残して、エネアは軽快に馬を走らせ始めた。


「さぁ、リナルド、待っていてくれ

 必ず君を第六王子の魔の手から救い出してやるからな」











 翌日、フェデラー男爵家のメイド長の遺体が王都の外れで発見された。

 彼女が手引きして脱獄させたエネアの行方は、依然として掴めてはいない。






【完】

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【BL】訳ありΩと癖あり王子の秘密の事件簿 獏乃みゆ @monomiyusun

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