最強の付与士じいさん、無双する

ゴンザレス夫婦

最強の付与士じいさん、無双する

 朝の陽射しが静かな住宅街の屋根をやわらかく照らしていた。蝉の音が耳を刺す中、ひとりの老人が杖をついて歩いている。

 腰の曲がったその姿は、どこにでもいる老人に見えた。刈り上げた白髪の頭に少し日焼けした肌。歩幅は小さく、しかし一歩一歩がどこか整っている。


「おはよう、ロウジさん!」


 道端の家から顔を出したのは、近所の娘。ユイだった。

 十五歳。白いワンピースを翻し、笑顔を向けてくるその姿は、まるで夏の光をそのまま映したように眩しい。


「おう、ユイちゃん。今日も元気そうだな」


 ロウジは笑いながら、ゆっくりと杖を振る。

 その手の動きは自然で、だが長年鍛え上げられた者の無駄のない流れを持っていた。


 ユイはそんなことには気づかない。ただ純粋に、近所の優しいおじいさんとしか思っていなかった。

 実際、ロウジはこの街ではただの老人として暮らしている。だが、その正体を知る者はいない。


 50年前。

 この千葉の海沿いで最初にダンジョンが現れ、頭の中に「職業を付与します」と響いた。そして、ロウジは冒険者になった。

 世界が変わる瞬間を、この目で見た人間。

 そして職業、付与士として数多の命を救った最古の冒険者の一人。


 だが、ある事件をきっかけに仲間を失い、組織の裏切りに遭い、彼は表舞台を去った。

 その存在は死亡として処理され、今では誰もその名を覚えていない。



 ロウジはユイに別れを告げ、家に帰る途中で立ち止まった。

 風の中に、微かな金属の匂い血の気配が混じっていた。


「いやな風だな」


 顔を上げれば、遠くの空が揺らめいている。

 ダンジョンの発生前兆ではない。だが、何かが蠢いている。

 この街の空気がざらついていた。


 その夜。

 ロウジが風呂を済ませ、ちゃぶ台でお茶をすすっていると、玄関を叩く音が響いた。


「ロウジさん!ユイが!ユイがいないんです!」


 扉を開けると、ユイの母親が泣きながら立っていた。ロウジは玄関に立て掛けた杖を取ると、泣くユイの母を連れ、走る。



 ユイの自宅に着く。荒らされた部屋。

床には転がる椅子、破かれた布団。


 ロウジの目が一瞬、細く光った。

 その光は、老人のそれではなかった。


「すぐに探す、お前は待っておれ」


 ユイの母にかけるその声は低く、重かった。

 杖を振るい、ロウジの全身を薄い光が包み込んだ。


 次の瞬間、背筋が伸び、目の奥に力が宿る。

 くの字に曲がっていた腰がまっすぐに伸び、皺だらけだった皮膚がわずかに張りを取り戻した。

 杖の内部で封印が解ける音が響く。


 これは杖ではない。

 かつて闇を封じた魔具、隠し刀だ。


 ロウジは静かに呟く。

「付与、身体強化。付与、感知拡張。行くぞ」


 目を閉じ、気配を辿る。

 微かな残留魔力。ユイの気配と、それを囲む四つの影。人間のそれだ。しかも職業を持ち、スキルを使用できる様だ。


 ダンジョン外では職業のスキルは使えない。人はスキルを使用する時、ダンジョン内ある魔力を燃やし、己の力とする。もしダンジョン外で使えるとすれば、アレを持っている。

 禁忌となった腕輪だ。


 ロウジの目が細くなる。


「五十年も経って。また、同じような奴らが湧くとはな」


 夜の街を、老いたはずの足が風のように駆けた。

 舗装路を蹴り、塀を越え、闇の中を抜けるたびに、空気が震える。

 老人の姿は、もうどこにもいなかった。


 やがて、倉庫街にたどり着く。

 海風が鉄の匂いを運び、波が砕ける音が近い。

 その一角、古びた倉庫の中にユイの気配があった。


「おい、手荒にすんなよ。商品が傷ついたら売れねぇだろ」

「へっへっへ、こいつ、浄化人だってよ。レアだ。国外なら高値で売れるぜ」


 闇組織の下っ端どもが笑う。

 ユイは椅子に縛られ、口を塞がれていた。恐怖に震える瞳が、助けを求める。


 ガンッ。


 鉄の扉が、音を立てて吹き飛んだ。

 鉄板が波のように歪み、壁に突き刺さる。


 埃の中から、ゆっくりと杖を突いた影が歩み出た。


「誰だ、てめぇ」


 ロウジは答えず、杖を軽く地面に叩く。

 その瞬間、倉庫全体に魔法陣が広がった。


「付与、速度強化。付与、重力圧。付与、静寂の結界」


 音が消えた。

 風も、波も、息遣いさえも止まる。

 空気が重く沈む中、ロウジが一歩踏み出した。


 男の一人が慌てて腕輪に手をかけ、スキルを発動する。


「スキル、火球ッ!」


 炎が放たれる。だが!

 ロウジの杖先に触れた瞬間、火球は音もなく消えた。


 ロウジの目が、まっすぐに敵を射抜く。


「遅い、この程度か」


 杖が閃き、氷のように冷たい風が走る。

 一瞬で、男の腕輪が砕け散った。

 次の瞬間、男は床に叩きつけられ、気を失った。


「ひ、ひぃッ……!」


 他の三人が慌てて武器を構えるが、既に遅い。

 杖が円を描き、光が弾ける。

 付与、反射結界。斬撃も魔法も、全て弾き返す。三人は自ら放ったスキルで昏倒する。


 たった数秒で、倉庫の中は静寂に包まれた。


 ロウジは縛られたユイに近づき、優しく縄を外す。

 恐怖で震える彼女の頭を撫でながら、穏やかな声で言った。


「怖かったな。もう大丈夫だ」


 ユイの目から涙がこぼれる。


「ロウジさんはいったい‥‥。」


 ロウジは笑い、窓の外の夜空を見上げた。

 遠く、黒い雲の向こうで、空間がかすかに揺れている。


「また、始まるのか」


 静かに呟いたその声には、哀しみと覚悟が滲んでいた。

 昔、すべてを失った男が、再び戦いの渦に戻る。

 守るべきものはただひとつ、平穏だ。


 波音が、静かに夜を包んでいった。


〈終わり〉


◯お願い

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