稚児人形

タピオカ転売屋

第1話

 昔々のことじゃった。


 信州の信濃国の山のふもとに、小さな村があったそうな。


 その村には、兵吉という働き者の木こりが、年老いた母と二人きりで暮らしておった。


 兵吉は毎朝、お日さまが顔を出すよりも早う山に入り、日の落ちるころまで、黙々と木を伐っては暮らしを立てていたそうな。


 その山には、古くからの言い伝えがあった。

 ――「毎月の晦日みそかには、決して山に入ってはならぬ。入れば、山の神に取り殺される」――と。


 村の者も兵吉も、その掟を固く守っておった。


 ところが、ある年のこと。

 村をひどい飢饉が襲い、田畑は枯れ、人々はその日の糧にも困る有り様じゃった。


 兵吉の母もやせ衰え、ついに床に伏してしまう。

 兵吉は懸命に看病したが、母の容体は良くなるどころか、日ごとに弱っていくばかり。


 ついには、兵吉は決心した。

 ――「母を救うためなら、たとえ山の神の祟りに遭おうとも」――


 そう言い残し、晦日の夜、禁を破って山へと分け入っていったそうな。


 山に入った兵吉は、不思議なことに気がついた。

 木の実や山菜、きのこといった山の幸が辺り一面に実っている。

「昨日、来た時には取り尽くされて何もなかったのに……」


 兵吉は不思議に思いながらも、籠に一杯になるまで山の幸を集めた。

 ようやく籠がいっぱいになったころ、兵吉は妙なものを見つけた。


 稚児人形だった。


 拾い上げてみると、着物の裾に墨で何か書かれている。

 よく見てみると、『めり』とあった。


 村の子の持ち物にしては綺麗すぎる人形。

 それに、この村に『めり』という名の子などおらぬ。


「こりゃあ、えらい値打ち物かもしれん」

 兵吉はそう思い、人形をそっと懐に入れて家へ戻った。


 その夜――。


 久しぶりに飯にありつけた母は少し元気を取り戻し、兵吉もくちくなった腹をさすりながら、囲炉裏端いろりばたでまどろんでおった。


 そのときじゃ。


 ヒョウッ――と風を裂くような音がして、

 ツカッ! と、何かが柱に突き刺さった。


 兵吉がはっと見やると、家の柱に一本の矢が立っている。

 その矢には、小さな紙が結わえてあった。


 広げてみると、墨でこう書かれてあった。


 ――「私、めり。いま、山の上にいるの。」


 兵吉は、恐れ慄いた。

「ばっ、馬鹿な! 山の上からここまで、10里――約四千メートルはある。いかに打ち下ろしとは言え、それはもう人の業ではないんよ。」

 兵吉の恐怖も、無理はない。


 平安後期の武将、源義家――八幡太郎の名で知られる――。

 前九年・後三年の役において、彼は幾多の戦場を駆け抜けた。

 弓八幡の異名をほしいままにしたその武将ですら、三百三十間、すなわち約六百メートルの通し矢が限界と伝えられている。


 それを思えば、この四千メートル――十里――の矢が飛来するなど、規格外の怪異以外の何ものでもない。


 兵吉は、息を呑んだ。

 すると再び、ヒョウッ――と風を裂く音が響き、

 ツカッ! と矢が柱に突き刺さった。

 先ほどの矢の跡に、寸分の差もなく打ち込まれている。


 弓矢といえば、平安末期のもう一人の武将、那須与一を思い浮かべる読者も多いであろう。

 屋島の戦いにおいて、彼は船上に掲げられた扇を、一矢で射落としたことで名を馳せた。

 その距離は、およそ百メートル。


 比して、目の前にあるこの矢は、遥かに人知を超えていた。

 兵吉は、ただただ、息を詰めるしかなかった。

 兵吉は恐る恐る、紙を広げて見た。

 ーー「私、めり。いま、山の上にいるの。」

 …!?動いてない!

 近づいて来るんじゃないのか…


 そう兵吉が思った瞬間、ツカッ!と矢が柱に突き刺さった。

 今度の矢は、先ほどの矢の跡からはかなり離れていた。

 紙を広げてみると「私、めり。いま、山のふもとにいるの。」

 文字は、今までと違い、焦ったような殴り書きだった。


 ……間違えたんだ。


 だが、そうも言ってはおられぬ。

 近づいて来ているのだ。


 兵吉はその時、稚児人形のことを思い出した…もしや、この人形を持ってきてしまったせいで…

 兵吉は己の欲深さに気づき、肩を落とした。

 稚児人形を懐に入れてしまったことが、いま、この怪異を呼び寄せてしまったのだと。


 兵吉はやにわに人形を振りかぶると、隣の伊作の家に向かって投げ込んだ。


 ――これで良い。


 兵吉は息を潜めて様子をうかがう。


 ーーぽーん



 …!投げ返された!?

 …の野郎!


 兵吉は慌てて人形を掴む!

 そのまま大きく振りかぶった時


 ピンポーン!


 家の呼び鈴がなった。


  • Xで共有
  • Facebookで共有
  • はてなブックマークでブックマーク

作者を応援しよう!

ハートをクリックで、簡単に応援の気持ちを伝えられます。(ログインが必要です)

応援したユーザー

応援すると応援コメントも書けます

稚児人形 タピオカ転売屋 @fdaihyou

★で称える

この小説が面白かったら★をつけてください。おすすめレビューも書けます。

カクヨムを、もっと楽しもう

この小説のおすすめレビューを見る

この小説のタグ