ファスナーとリリースコール

沼津℡雄

第1話

夏休みということで僕は、親戚のおっさんの家に遊びに行く事になった。

おっさんの家で最近の事を話したり、花火をした。その日の晩、おっさんは背中が痒いというので、かいてあげることにした。

背中をかいている時、僕はふと気づいた。何やら爪に引っかかるものがある。それは金属質だった。そういえばこのおっさんが歩いていて、チャリチャリと聞こえる時があったなあ、と思った。

その引っかかるものは硬く、爪が持っていかれそうになるので、少し左側をかいていた。

すると、「もうちょっと右」とおっさんは言った。仕方ないので、もうちょっと右をかいた。そしたら、引っかかるものに触れてしまい、何かが擦れるような音と共に手応えを感じた。

その瞬間おっさんと僕の「あっ」が共鳴した気がした。

とにかく気になったので思わずおっさんのTシャツをめくると、その背中には金属製のファスナーがあった。さっきので半開きになってしまっている。

僕はとっさにそれを全開にした。迷わず全開にした。一気に全開にした。

その時だった。

かっぴらいたファスナーから、蛙が出てくる。それも、何匹も、何匹も出てくる。出てきては畳に落ちてぴょん、そして縁側に出てぴょんと。あの縁側では昔、おっさんと流しそうめんをしたんだっけ。

その大量に出た蛙を1匹両手で捕まえた。見ると目が合ってしまった。僕はそれがアマガエルだと確信した。そして同時に、それはおっさんの『意識』だと確信した。

部屋を自由に跳ね回り外へ逃げて行く蛙達を眺めながら、おっさんの『意識』は今ここで散逸してしまったのだな、と思った。

おっさんは抜け殻になってしまった。

そうだ、寝る支度をしていたんだっけ。あとは布団を敷くだけだ。階段を上って押し入れを開けたら去年ぶりの布団が顔を出す。そこへ潜り込もうとする蛙を窓からぶん投げる。

おっさんの抜け殻はどうしよう。とりあえず押し入れに仕舞おうか。おっさんの上に飛び乗って空気を抜き、畳んで勢いよく押し入れを閉めた。

布団に入って目を閉じて、微睡んだら少し日常が帰ってきたような気がした。

翌朝、この事態に向き合うべく押し入れからペラッペラのおっさんを出す。改めて見ると踏み潰された虫みたいで気持ち悪い。なんとかしなくては。

空気を入れて膨らませば、形だけでも元通りになるだろうかと思い立った僕は、おっさんの口に息を吹き込んだ。

ふーっ

ベコッベコッとヒトの形を始めるおっさんの抜け殻。

ふーっ

ふーーっ

はぁっ…はぁっ…

全然駄目なので諦める事にした。指先や顔の細かいパーツはどうしても僕の肺活量では無理で、膨らみ切る前に穴という穴から空気が出ていってしまう。

おっさんを膨らまさないと。

その一心で僕は100均へ行った。手芸用の綿を大量に買って来て、おっさんに詰めようという作戦だ。今度は背中のファスナーを開けて、そこから綿を

待て。『今度は』…?

待て。僕はさっき、どこから空気を入れようとしたんだっけ?

あっ

ぁぁああーっ!!

僕は畳にしゃがみ込んだ。ファーストキッスをわざわざおっさんの抜け殻に捧げてしまったのだ。

綿のことなんてもうどうでも良い。これからどう生きていけば良いのか、考えることにした。半ば放心状態で再び外に出てふらふらと歩く。

すると、近所のおばちゃんに遭遇した。

「あら、来てたの!夏休みだもんねぇ」

その言葉に僕はハッとした。そうだ、世間一般の学生は夏休み。僕がこんなに絶望感を味わっている間にも、同級生は夏休みを満喫している。この格差。なんて理不尽な世の中なんだ。すでに僕の脳は怒りに煮えたぎっていた。走っておっさんの家に戻り、スマホを開いてLINEで同級生を全員ブロックにした。

フロッグのせいでブロック

なんてね

だが、それで怒りは収まるどころか果てしない憤怒の領域に達した。あらゆる反骨精神に突き動かされた僕は、昨日の花火の残りのライターで宿題のプリントを燃やした。

煤で汚れたので僕はシャワーに行った。

シャワーから出て体を拭いている時、僕は深刻な過ちを犯していた事に気づいた。

着替えが無い。

あちこち服を探しているうちに、良い感じに温まったからか眠くなってきてしまった。昨夜の蛙事件のせいで寝るのが遅くなったのもあるだろう。服を探す気力も無くなってその場で寝っ転がった。近くに置きっぱなしになっていた綿の袋を退けて、ひんやりした床でごろごろしていると何かにぶつかった。ぶつかったものはふよふよと柔らかかったので僕の方に倒れて来た。それはおっさんの抜け殻だった。

中途半端に綿を詰めたからかくったりしたぬいぐるみのようで思わず抱き寄せてしまった。

それから、1時間くらい寝たと思う。

目が覚めた。抜け殻になる前のおっさんの夢を見た。あんなに頼もしかった後ろ姿に、今や綿を詰められ、あの日繋いでくれた手もへにょへにょに…。

そう思い出す度、何故かあらぬ感情を抱いてしまう。寝ぼけた頭の僕にはもはや行動力しかなかった。

おっさんの抜け殻の口に局部を突っ込む。そして欲望のまま腰を動かす。開きっぱなしの口では飽き足らず食道まで無理矢理押し込んで、胃袋を犯す気で突く。外で蛙が一気に鳴き出した。彼らは何が起こっているか分かっているのだろうか。そんなことを想像しながら突きまくる。

くっ!!

射精して、我に帰った。

日が暮れていた。

もう、どうでも良かった。どうせ明日帰るのだ。仕方ないからシャワーの前に脱いだ服を着て、冷蔵庫にあったものを適当にチンして夕飯にした。

翌朝、荷物をまとめて帰った。おっさんはまた押し入れに仕舞った。持ち帰るのもなんか気持ち悪いし。

それからは、今まで通りの日々。夏休みが終わり、例年通り秋が来て、冬が来て、そして春が来た。僕は高校を卒業して、春から新生活、一人暮らしだ。

しかし、平穏な日常が続けば続く程あの異様な夏休みを思い出し、どうしてもおっさんの事が気になって、またおっさんの家に行ってみた。埃っぽくなった押し入れを開けるとまだそこには抜け殻があった。

ただ、抜け殻の腹部が異様に膨らんでいた。

ファスナーを開けて中を見ると、あの時の綿の上に、見たことのない半透明の球体があった。蛙の大きな卵である。半透明なので中が透けて見えた。

なんと、ヒトの胎児にオタマジャクシの尻尾が生えたのがいた。

そうか。あの時の過ちで、おっさんは受精したのか。僕は新居におっさんの抜け殻を持って行こうと決めた。卵が孵化したら、頑張って育てるんだ。


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ファスナーとリリースコール 沼津℡雄 @Teruo_Numazu

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