第22話夢の中
私は、イチョウ並木の中を散歩していた。トンネルのように頭上で枝が重なって、風に揺れると黄色の葉っぱが落ちてくる。温かい日差しと、ひんやりとした風。秋の匂いが私を包んでいた。
しばらくその中を歩いていると、目の前に、人影が見えた。小さい、幼児のような大きさと形だった。ゆっくりと歩み寄ると、少しずつ顔がはっきり見えてくる。
――私だ。
そこには、過去の私がいた。おそらく、幼稚園から小学校低学年ぐらい。ただ俯いて、イチョウの葉っぱを眺めていた。
「……ねぇ」
そう声をかけると、イチョウの葉っぱから、私の顔へと、目線が移動する。数秒ほど見つめあった後、小さな私は、葉っぱを持ったままこちらへと駆けてきた。
「まま!」
「え……」
彼女は私が戸惑っていることもお構い無しに飛びついてくる。"まま"確かに小さい私はそう言った。でも、私はお母さんじゃない。
「違……」
違う、そう言おうとした。けれど、言い切らなかった。考えてみれば、私の顔は母似だ。ある程度大人に成長した私は、小さな私にとっては母と何ら変わらないのだろう。
その場にしゃがんで、私は小さな私を抱き上げた。頭を撫でると、くしゃ、と笑みを浮かべる。昔は何度も鏡で見た顔なのに、どこか違和感を覚えた。
「あのね!これはね!いちょうっていうの!あたし知ってるの!」
元気にそう知識を披露する小さな私は、私に向かってイチョウの葉っぱを突き出してきた。
「うん、うん。えらいね、物知りだね」
そう言ってあやすと、ニコニコと満足げに笑みを浮かべて、私の服の胸ポケットに、イチョウの葉っぱを突っ込んだ。
しばらく小さな私を抱えて歩いていると、遠くにまた人影が見える。今度はこちらが歩み寄る必要はなく、向こうが全力で駆けてきた。
「どーん!」
「うわ!?」
勢い任せに私の体目掛けて突っ込んできたのは、また私だった。今度は小学校高学年ぐらい。
「ねぇ!あそぼ!」
「え、えっと……」
「あそぶー!」
私の返答を待たずして、私の腕の中の小さい私が返事をした。気持ちが流行って私の腕から降りようとしだしたので、安全に降りられるよう、腰を落とす。
邪魔にならないように近くのベンチに腰をかけ、しばらく、自分が自分と遊ぶ光景を眺めていた。ここにいる人物は全員同一人物。それが、すごく不思議な感覚だった。
不思議な理由はそれだけじゃない。幼い頃の私は――。
「こんなに活発じゃない?」
私の思考に被せるように、隣で誰かの声が聞こえた。ハッと声のする方に顔を向けると、ニコニコと笑った、中学生の時の私が座っていた。
「あは、めっちゃびっくりするじゃん〜、まじウケる!」
まるで、かつての私が軽蔑していたクラスの陽キャみたいな話し方をする私に、ただただ困惑することしかできなかった。
「ちょっと〜、めっちゃ辛気臭い顔されて気まずいんですけど〜」
「は、はぁ……」
「ねぇガチ困惑やめてよ〜、なんかヤダ」
やばい、本当にこういう属性の人間は避けてきたから、どう返すのが正解かわからない。目の前の私は、何をしたら喜んでくれるだろうか。
「……まぁしゃーなしだよねぇ、今まで、ずっと1人だったんだから」
「え……」
「あたしもあんたではあるんだから、蒼葉凪音のことはよく知ってるよ」
「……」
この人は、本当に私なんだ。なんだろう、すごく複雑だ。
しばらく沈黙が続く。中学生の私は特に何もいうことはなく、ただスマホをいじっている。どうしようもなく気まずくて、いっそこの場から逃げようとしたその時に、目の前を何かが通った。
「あれは……」
「高校生のあんただね。お友達と一緒に楽しそうに歩いてる」
確かに、目の前を歩く私は、高校生の時の私だ。でも、顔こそ私の記憶にある蒼葉凪音だけれど、あんな表情はほとんど覚えにないし、ましてや一緒に歩く友達なんているはずもない。一緒にいる友達らしき人物を見てみる。背丈や体つきは普通の女子高生だったが、顔だけはぼやけていて、まるでモザイクでもかかっているようだった。
私の目の前に広がる世界は、よく知っているようで、全く知らないものだった。
顔は私がよく知っている蒼葉凪音のそれだけど、こんなに充実した人生を送ってはいないし、あんなにずっと満面の笑みを浮かべてはいない。私ばかりがこんなに冷え切った態度で、場違いな気すらしてきた。
俯いて、とにかく時間が過ぎるのを待つ。
「凪音さーん!こっちですこっち!」
早く終われと願いながらズボンを握りしめていると、遠くから自分の名前を呼ぶ声が聞こえた。男性の声だった。顔をあげて見てみると、少し背の高い短髪の爽やかな男性が後ろを振り向きながら小走りをしていた。
「待ってくださーい!」
それに応えるように少し大きく声を張った女性の声が聞こえる。
「え……」
それは、紛れも無い、自分の声だった。26年のこの人生で、いやというほど聞いた声だ。
その声がする方にも目を向けてみると、今の自分の顔がそこにはあった。高校生の私の時と同様、私の顔ははっきり見えるのに、相手の男性の顔にはモザイクがかかっているようにぼんやりとしている。
男性に追いついた私の頬は赤く染まっていて、今まで自分すらも見たことがないぐらい嬉しそうな笑みを浮かべていた。
あぁ、恋人なんだ。なんとなく、そう理解した。ただの勘でしかないけれど、おそらくこの男性は、彼氏というものなのだろう。
そういえば、恋ってしたことないな。興味がなかったわけではないけれど、それ以上に人と話すのが怖すぎて、恋人を作るとか以前の話だった。
仲良く手を繋いで、お互いに顔を赤らめる2人に、こちらまで恥ずかしくなって、思わず目を逸らしてしまう。
「見慣れないよねー」
中学の私がそう呟く。その言葉に顔を上げると、奇妙に口角を上げた彼女の横顔が目に映る。
「こっちの方が、落ち着く感じ?」
彼女がそう言うと、途端に世界の空気が揺らぐ。あたりは薄暗く、明らかに空気が重い。
登場人物は先ほどとほぼ変わらない。強いて言うなら、高校生の私と、大人になった私の近くにいた友達と恋人が姿を消していたぐらいだ。
登場人物の数よりも、明らかに変わった点がある。それが、表情だ。真顔のような、哀しさすら滲むような、どちらにせよ暗い顔をしている。
「私って、所詮暗い世界が似合いますよね」
ドロっとした、低く、重たい声が隣から聞こえてくる。中学の時の制服に身を包んでいるその人物の容姿は、先ほどの明るい口調で話していた私と何も変わらないのに、明らかに取り囲む雰囲気と表情が違い過ぎる。
でもその卑屈な態度、暗い雰囲気、口調こそ私のよく知っている蒼葉凪音という人物だった。
先程までは楽しそうに駆け回っていた幼い私は、笑顔がなくなり、ただ俯いてその場にしゃがみ、地面との睨めっこをしている。同じく楽しそうに遊んでいた小学生の私も、暇だと訴えるようにイチョウの葉っぱをちぎっていた。
高校生の私と大人になった私はさらに表情に影がつき、それぞれ離れた場所で音楽を聴いていたり、パソコンをいじっている。
「うっ……」
よく知っている、よくわかっている光景なのに、重苦しくて、心が締め付けられて思わず吐き気が込み上げる。
「しんどいですか?さっきの見慣れない世界の方がいいですか?」
冷たく、抑揚のない声で中学生の私が問いかけてくる。声を出すことができなくて、ただ地面を見つめて口元を手で押さえ、こくこくと不器用に頷くことしかできなかった。
でも、何度頷いたとて、私の望む世界にはならなかった。恐る恐る隣に座っている中学生の私を見上げてみると、ニタニタと不気味に笑っていた。
そんな私の態度に、背筋が凍った。私は、こんな悪意のある笑みは浮かべたことがない。こんな人、知らない。
「私、羨ましかったんです」
「え……」
悪意を全面に滲み出させた笑みを浮かべた中学生の私が立ち上がり、私の目の前に仁王立ちをする。私は怖くて、ただただ恐怖に震えながら見上げることしかできなかった。
「毎日楽しそうにするクラスのみんなが羨ましいんです。学校の後に制服で遊び回ってみたかったんです。文化祭や体育祭を全力でやっている人たちに混ざりたかったんです」
「あ、あの……」
「みんな、みんな居場所があって、でも私の入る隙はどこにもなくて、それがどうしようもなく悲しかったんです」
後ろの方から声がした。振り返ると、いつの間にか高校生の私が背後に立っていた。
「でも、なぜ居場所がないかと言ったら、私が誰とも仲良くできなかったからなんですよね。私は、ずっと私の首を絞めてきました。そして、自分で自分を生きづらくして、死にたいと喚いていました」
「私は、私の失敗ばかりが目につきました。テストの点がよかろうと、不正解の部分ばかりに目が行きました。音楽も、気に入らない音ばかりが耳に障りました」
今度は大人になった私が、真横に立つ。乱れた髪をひと束加え、まるで怪異のような目で私を見下ろしてくる。
「自分が大嫌いで、自分なんかって思い込んで、どんどん自分の首を絞め続けました。だから、SNSの評価は嬉しかったんです。みんなが私を見てくれている。そこには私の居場所がある。初めて、誰かの記憶に残れたと、嬉しかったんです」
「確かに私は死にたかった。でも、それは居場所がないくせに無理に居座ろうとする自己嫌悪で死にたくなっただけ。認めてもらえて尚、死ぬ気なんてなかった」
みんなが口々に不満を話していく。だんだんと耳鳴りが混ざってきて、声が遠く聞こえてくる。
「どうして、びょうきなおしてくれなかったの」
ふとベンチの空いたスペースに目を落とすと、幼い私が悲しそうに俯きながらそう言った。どうしようもない罪悪感が、私を襲う。怖かった。ここから逃げ出したかった。でも、四方八方を塞がれて、逃げ場がない。
「ひどい、ひどいよ。治療さえしていれば、まだ頑張れたかもしれないのに」
目の前の中学生の私が、そう言って勢いよく私の首に手をかける。
「あ……」
抵抗できない。その手を掴むどころか、手すら上げることができなかった。涙を流して、ただ首を横に振ることしかできない。
「い、いや……」
「ほら、あなたも死にたくはなかったんじゃん」
そう言いながら、中学生の私は、私の首を絞める力を強めていく。息が、苦しい。痛い。誰か助け――。
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