第11話 春を告げる指輪

夜の桜並木。

淡い街灯の光が花びらを照らし、風に乗って舞い落ちていた。

葵は足を止め、息を整えた。

待ち合わせの時間より少し早い。

胸の鼓動が落ち着かない。


——最後に、伝えたいことがある。


藤堂のメッセージが何度も頭をよぎる。

冷たい夜気の中、彼の姿を探していると、

背後から静かな声が届いた。


「・・・葵」


振り向くと、藤堂が立っていた。

春の夜風にネクタイが揺れ、少し疲れた顔。

けれど、その目はまっすぐに葵を見つめていた。


「来てくれて、ありがとう」

「・・・最後って、何の話?」


藤堂はゆっくりと歩み寄り、

ポケットの中から小さな箱を取り出した。


「これを渡すつもりだった。ずっと前から」


その言葉に、葵の目が見開かれる。

白いリボンが光を反射して、月のように柔らかく輝いた。


「でも、君を不安にさせてしまった。

 俺が説明しなかったせいで、誤解させた」


藤堂はまっすぐ葵を見つめた。

「一緒にいたあの女性は、ジュエリーデザイナーだ。

 この指輪を、君のために作ってもらってた」


葵の喉が詰まり、言葉が出なかった。

手の中で風が震えている。


「昇進の話もあって、いろんなことを考えた。

 でも、どんな未来でも、君がいなきゃ意味がないって気づいた」


藤堂は箱を開けた。

中には、小さな桜の花びらを模したダイヤのリング。

春の光を閉じ込めたように、優しく輝いていた。


「葵」

名前を呼ぶ声が、驚くほど穏やかだった。

「俺と結婚してください」


葵の瞳から、ぽろりと涙がこぼれ落ちた。

言葉を探しても、喉の奥でつかえて出てこない。


「信じることが怖いって、君は言ってたね」

藤堂の声が、春の風に溶ける。

「でも、俺は君のその“怖さ”も、全部受け止めたい。

 だって、それも君だから」


葵は泣き笑いしながら首を振った。

「・・・もう、やめてよ。そんなこと言われたら、

 泣くに決まってるじゃない」


藤堂が笑い、そっと葵の手を取った。

指輪が、彼女の薬指に静かに滑り込む。

ぴたりと収まった瞬間、桜の花びらが二人の間に舞い落ちた。


「これから先、何があっても」

「うん」

「俺は何度でも君を信じる。だから、君も俺を信じてくれ」


葵は涙の中で、笑った。

「信じるよ。

 あなたのことなら、何度でも」


二人の間に、夜風が通り抜ける。

遠くで電車の音がして、街の灯りが瞬いた。

そのすべてが祝福のように感じられた。


藤堂がそっと彼女を抱き寄せる。

葵はその胸の中で、小さく囁いた。

「ありがとう。

 私に“信じる勇気”をくれたのは、あなたです」


彼の肩越しに見えた桜が、満開に咲き誇っていた。

静かな夜、二人の影が重なり、ひとつになる。


——信じることは、愛すること。

愛することは、信じ続けること。


葵は心の中でそっと呟いた。

そして、春の風が頬を撫でる中、

藤堂の胸に顔を埋め、静かに微笑んだ。


「ねぇ、藤堂さん」

「ん?」

「これから先、毎年この桜、二人で見に来ようね」

「もちろん。約束だ」


彼の声がやさしく響いた。

春を告げる夜、

二人は同じ未来を見つめていた。

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