いせてん~異世界演出部ですが、転生者がバカすぎて現地フォローしてきました~

月祢美コウタ

第3話 ピンクの髪の聖女様、どうかこの国を救ってください ~私、ただの演出部員なんですけど!?~

序章:運命の依頼と恋する女神


異世界演出部の朝は、いつも慌ただしい。

「田村さーん!第7章の転生者、また勝手に魔王城に突撃しようとしてます!」

「はいはい、また?もう三回目よね」

受付カウンターで書類を整理していた田村麻衣が、営業スマイルを浮かべたまま立ち上がる。その左眼が、ピクッと小さく痙攣した。

「サクラさん、美咲さん、悪いけど緊急出動お願いできる?あの転生者さん、今度こそ本当に死にそうなのよね」

「了解です!」

ピンクのポニーテールを揺らして、サクラが元気よく返事をする。隣では、美咲が冷静に装備を確認していた。

「全く、前世が格闘家だからって、魔王に素手で挑もうとするなんて……」

「でも美咲先輩、あの人、めっちゃ強いですよ?一撃で岩を砕いてましたもん」

「強さの問題じゃないの。魔王は物理攻撃が効かないタイプなのに、誰も教えてあげてないのよ」

二人が出動しようとした、その時だった。

突然、オフィスの空間が歪む。

「……これは」

田村の表情が変わる。左眼の痙攣が止まった。

光の粒子が集まり、一人の女性の姿を形作っていく。

深紫のローブに星座の刺繍。右半身からは神秘的な紫の光が、左半身からはピンクの光が溢れ出している。銀色とローズゴールドが混ざり合った長い髪。金色の瞳が、静かにサクラを見つめる。

「……女神様?」

サクラが息を呑む。

女神はゆっくりと口を開いた。その声は、深い静寂を湛えていた。

「運命の歯車が、動き始めておりますわ」


「え、えっと……」

サクラが戸惑う中、女神は優雅に一歩を踏み出す。

「三百年の時を超え、一つの悲劇が終わりを迎える時。そして、新たな運命が紡がれる時――」

田村が小声で囁く。

「ギャップ女神様……また突然の来訪ね」

「ギャップ……?」

サクラが首を傾げる。その瞬間――

「そして!そして!そして!きゃああああ!!」

女神のテンションが、突然急上昇した。

「サクラちゃん!!聞いて聞いて聞いて!!あのね、あのね!!」

両手をぶんぶん振りながら、女神がサクラに詰め寄る。

「超!超!超イケメンの王子様!いえ、王様!国王様!があなたのために!あなただけのために!待ってるの!!」

「は、はい!?」

「もうね、もうね!息を呑むようなプラチナブロンドに、吸い込まれそうな深い蒼い瞳!185センチの完璧な長身で、優しくて、強くて、でもその完璧さゆえの孤独の影がまた庇護欲をそそるのよ!!あと剣の腕前が国一番で、魔法も使えて、でも料理は下手で、そのギャップがまた――!!」

「お、落ち着いてください!情報量が多すぎます!!」

「落ち着けないわよ!!だって運命の出会いなのよ!?魂の伴侶なのよ!?もう完璧なマッチングなの!!私の三百年越しの大仕事なのよ!!」

キラキラした目で、女神がサクラの両手を掴む。

「絶対に!絶対に!幸せになってね!?約束よ!?」

「あ、あの、私、まだ何も――」

その時、女神の表情が一変した。

再び、深い静けさを湛えた神秘的な雰囲気に戻る。

「……失礼いたしました」

女神が咳払いをして、ローブを正す。

「運命というものは、時に情熱を伴うもの。私も、ついつい感極まってしまいますわ」

「……はあ」

サクラが呆然としている横で、美咲が冷静にメモを取っていた。

美咲(メモを見ながら):「えっと……『プラチナブロンド』『185センチ』『料理下手』……女神様、情報収集が異常に細かいんですけど」

女神:「当然ですわ!三百年かけて完璧なマッチングを準備したのですもの!彼の好きな食べ物から、朝起きる時間、執務室での癖まで全て把握しておりますわ!」

美咲:「……ストーカーと紙一重ね」

女神:「失礼な!これは運命の導きですわ!!」

サクラ:「あ、あの……料理が下手って、どのくらい……?」

女神:「卵を茹でるのに魔法を使って爆発させたことがあるそうですわ。可愛らしいでしょう?」

美咲:「それ、可愛いじゃなくて危険では」

「と、とにかく!」

女神が話を戻そうと咳払いをする。

「つまり、恋愛要素のある案件、ということですか」

美咲が冷静に確認する。

「ええ、その通りですわ。ただし――」

女神の瞳が、真剣な光を帯びる。

「これは単なる恋物語ではございません。三百年前の悲劇を正し、一つの国を救い、そして……サクラ、あなた自身の運命を変える、壮大な物語の始まりなのです」


会議室に場所を移し、女神が依頼の詳細を語り始めた。

「王国ルミナリア。美しき光の国として知られておりましたが……今、その国は静かに滅びようとしております」

女神が手をかざすと、空中に映像が浮かび上がる。

そこに映るのは、灰色がかった街並み。人々の表情は活気を失い、建物の色彩は褪せていた。

「これが『沈黙の呪い』……」

美咲が呟く。

「ええ。徐々に、しかし確実に、国から魔力と生命力が失われていく呪いですわ。すでに四年前から進行しており、このままでは五年以内に国全体が完全に――」

「死んでしまう、ってことですか……?」

サクラの声が震える。

「その通りです。しかし、この呪いには特殊な性質がございます。悪意がないのです」

「悪意がない……呪い?」

田村が眉をひそめる。

「ええ。これは憎しみや恨みから生まれた呪いではございません。あまりにも深い『悲しみ』が、長い年月をかけて国全体を覆う呪いと化したのです」

女神の表情が、哀しげに歪む。

「三百年前、初代王妃セラフィナ。彼女は異国から嫁いだ、強大な生命の魔力を持つ女性でした。国を愛し、民を愛し、王を愛していた……しかし、その力を恐れられ、幽閉され、誰にも理解されぬまま――」

「亡くなった、んですね……」

サクラの目に、涙が滲む。

「ええ。そして彼女の悲しみが、『沈黙の呪い』となりました。『どうして私の声は届かないの』という、彼女の最後の想いが……」

しばしの沈黙。

女神が、再び口を開く。

「そして、現在の国王アレス。彼は若くして即位し、国を立て直そうと尽力しております。しかし、この呪いだけは――彼の力では、どうすることもできなかった」

映像が変わる。

そこには、一人の青年が映っていた。

プラチナブロンドの髪。深い蒼碧色の瞳。整った顔立ちに、どこか憂いを帯びた表情。

「うわ……めっちゃイケメン……」

サクラが思わず呟く。

「でしょう!?でしょでしょ!?」

女神のテンションが再び上がりかける。が、ぐっとこらえて咳払い。

「……ごほん。彼は、王家に伝わる預言書を読み、そこに記された『ピンクの髪の聖女』を探し求めました。そして、異世界演出部の存在を知り――」

「私を、指名した……?」

サクラが自分を指差す。

「その通りですわ。預言には、こう記されております」

女神が、古い巻物を取り出す。

『三百年の時を超え、異なる世界より訪れし者。

ピンクの髪に、優しき魂の光を宿す聖女。

彼女のみが、失われし声を取り戻し、悲しみの呪いを解くであろう』

「……これ、私のことですか?」

「間違いありませんわ。サクラ、あなた以外にはいないのです」

「で、でも!私なんて、ただの演出部員で、魔力探知くらいしかできなくて――」

「それで充分ですわ」

女神が、優しく微笑む。

「あなたの魔力は、『感じる力』。人の心を、魂を、感情を視る力。それこそが、セラフィナの悲しみを癒す唯一の鍵なのです」

「……」

サクラが黙り込む。その横で、美咲が冷静に分析を続けていた。

「つまり、通常の魔術師では探知できない『悲しみの呪い』を、サクラの魔力探知なら感じ取れる、と」

「その通りですわ。そして――」

女神の目が、再びキラキラと輝き始める。

「そこで!あなたは運命の王子様……いえ、王様と出会い、彼の孤独を癒し、彼もあなたの価値を見出し、お互いに惹かれ合い――」

「ちょ、ちょっと待ってください!」

サクラが顔を真っ赤にする。

「恋愛とか、そういうの、全然考えてなくて!」

「大丈夫よ、サクラちゃん!運命は必ず二人を結びつけるから!私が保証するわ!」

「保証されても困ります!」

「あら、でも預言書には『聖女は王の妃となり、国の心となる』って書いてあるのよ?」

「書いてあっても!」

田村が、苦笑しながら口を挟む。

「ギャップ女神様、少し落ち着いていただけますか?サクラさんが混乱してますわ」

「あ、ごほん。失礼いたしました」

女神が再び神秘的モードに戻る。

「とにかく、これは正式な依頼です。異世界演出部サクラ殿、美咲殿。王国ルミナリアへ赴き、『沈黙の呪い』の調査と解除をお願いしたい」

「……美咲先輩、どうしましょう」

サクラが助けを求めるように美咲を見る。

美咲は、しばらく考え込んでから、静かに答えた。

「行きましょう。これは私たちの仕事よ」

「で、でも……」

「確かに、恋愛要素は予想外だけど」

美咲が、珍しく少し楽しそうに笑う。

「あなたがどんな王子様……王様と出会うのか、私も興味があるわ。それに――」

真剣な表情に戻る。

「預言で名指しされるほどの案件。あなたにしかできない仕事なら、やるべきよ。私が全力でサポートするから」

「美咲先輩……」

サクラの目に、決意の光が灯る。

「……分かりました。行きます!」

「よろしい!」

女神が嬉しそうに拍手する。

「では、準備が整い次第、王国ルミナリアへ転送いたしますわ。ああ、楽しみ!三百年越しの大仕事!絶対に成功させるわよ!」

「ギャップ女神様、あなたは見守るだけで充分ですからね」

田村が釘を刺す。

「分かってますわよ。でも、応援くらいはさせていただきますわ。だって――」

女神が、サクラに向かって微笑む。

「あなたの幸せは、私の願いでもあるのですから」


その日の午後、サクラと美咲は出発の準備を整えていた。

「魔力探知用の水晶、呪い解析用の書物、それから……」

美咲が荷物を確認する横で、サクラは窓の外を見つめていた。

「ねえ、美咲先輩」

「何?」

「本当に、私で良かったのかな……」

サクラの声が小さい。

「私なんて、魔力探知くらいしかできないし、美咲先輩みたいに頭も良くないし――」

「サクラ」

美咲が、サクラの肩に手を置く。

「あなたの『感じる力』は、才能よ。私にはない、あなただけの才能」

「でも――」

「それに」

美咲が、少し悪戯っぽく笑う。

「もしかしたら、本当に素敵な王様に出会えるかもしれないわよ?」

「も、もう!美咲先輩まで!」

サクラが顔を赤くする。

その時、部屋にギャップ女神が現れた。

「準備はよろしくて?」

「はい、大丈夫です」

「それでは――」

女神が手をかざす。光の魔法陣が二人の足元に浮かび上がる。

「サクラ、一つだけ覚えておいてくださいね」

女神の表情が、珍しく真剣だった。

「あなたは、セラフィナにはなりません」

「え……?」

「三百年前、彼女は守られなかった。しかし、あなたは違う。あなたを守る人が、必ずそこにいます」

「……」

「だから、恐れないで。あなたは、必ず幸せになれますから」

光が二人を包み込む。

「行ってらっしゃい、サクラちゃん!美咲ちゃん!絶対に幸せになってね!!」

最後に女神の声が聞こえた瞬間――

二人の姿は、光の中に消えていった。


第1章:光の王国と若き王


【依頼を受けてから、三日後】


サクラと美咲は、準備を整え、王国ルミナリアへの転送ゲートをくぐった。

光が晴れた瞬間、サクラの目に飛び込んできたのは――灰色の世界だった。

「……えっ」

思わず声が漏れる。

そこは、王国の中央広場だった。立派な噴水、石畳の道、周囲を囲む美しい建物たち。しかし、その全てが――色を失っていた。

建物は褪せた灰色。噴水の水は濁り、活気がない。行き交う人々の服も、かつては鮮やかだったであろう色彩が、まるで古い写真のように色褪せている。

「これが……『沈黙の呪い』……」

美咲が呟く。彼女の表情も、珍しく険しい。

「想像以上ね。国全体が、まるで生命力を吸い取られているみたい」

サクラは、自然と魔力探知を発動させていた。

周囲に満ちる魔力の流れを感じ取る。そして――

「……悲しい」

「え?」

「この街全体が……すごく、悲しんでる……」

サクラの目に、涙が滲む。

魔力の中に、言葉にならない感情が溶け込んでいた。それは怒りでも憎しみでもない。ただひたすらに深い、底知れない悲しみ。

「サクラ、大丈夫?」

美咲が心配そうに肩に手を置く。

「う、うん……大丈夫。ただ……」

サクラが広場を見渡す。

人々は静かに歩いている。笑い声も、怒鳴り声も聞こえない。まるで、街全体が音を失ったかのように。

「本当に、『沈黙』なんだね……」

その時、彼女たちに近づいてくる人影があった。

「聖女サクラ様、美咲様でいらっしゃいますね」

落ち着いた、しかし力強い声。

振り向くと、そこには一人の騎士が立っていた。

年齢は三十代前半。鍛え上げられた体格に、銀色の鎧。短く刈り上げた茶色の髪に、鋭い眼光。しかし、その目には温かさがあった。

「私は近衛騎士団長、ガレスと申します。陛下のご命令により、お二人をお迎えに参りました」

「あ、ありがとうございます!私、サクラです!」

「美咲です。よろしくお願いします」

ガレスが軽く頭を下げる。

「では、王城へご案内いたします。陛下がお待ちです」

「あの、国王様って……どんな方なんですか?」

サクラが恐る恐る尋ねる。

ガレスの表情が、一瞬だけ柔らかくなった。

「……素晴らしい方です。若くして即位されましたが、誰よりも国を愛し、民を想っておられる。しかし――」

「しかし?」

「この呪いだけは……どうすることもできず、陛下は深く心を痛めておられます」

ガレスの目に、哀しみの色が浮かぶ。

「だからこそ、預言にすがるしかなかった。サクラ様、どうか……どうか、陛下を、この国を、お救いください」

その言葉に込められた切実さに、サクラは息を呑む。

「……はい。私にできることなら、全力で」


王城への道のりで、サクラは街の様子をじっと観察していた。

商店は開いている。しかし、客の姿は少ない。

子供たちが遊んでいる。しかし、笑い声が聞こえない。

花屋があった。花は咲いている。しかし、色が薄い。

「美咲先輩……」

「ええ。呪いは、確実に進行しているわ」

美咲が小声で答える。

「このままだと……」

「五年以内に、この国は完全に色を失う。そして――」

言葉を続ける必要はなかった。

二人とも、分かっていた。

色を失った国は、やがて生命も失う。

「……絶対に、止めないと」

サクラが拳を握りしめる。


王城は、街よりは色を保っていた。しかし、それでも本来の輝きには程遠い。

白い壁は灰色がかり、金色の装飾は褪せている。

「謁見の間へご案内いたします」

ガレスに導かれ、サクラと美咲は廊下を進む。

すれ違う家臣たちが、二人を見る。

その視線には、期待と――少しの疑念が混じっていた。

「……私たち、疑われてる?」

サクラが小声で囁く。

「当然よ。異世界から来た素性不明の者を、簡単には信用できないでしょうね」

美咲が冷静に答える。

「でも、預言があるから……」

「預言を信じない者もいるでしょう。特に、保守的な貴族たちは」

その言葉通り、廊下の奥から、数人の貴族らしき人物が近づいてくる。

その中の一人、白髪の老人が、二人を見て眉をひそめた。

「これが……聖女、だと?」

明らかに疑念を込めた声。

「ヴァレリウス公爵、お静かに」

ガレスが低い声で制する。

「しかし、ガレス殿。異世界から来た、素性も分からぬ娘を、そう簡単に――」

「陛下のご命令です」

ガレスの声に、有無を言わせぬ威厳があった。

老貴族――ヴァレリウス公爵は、不満そうに鼻を鳴らしたが、それ以上は何も言わず去っていった。

「……すみません」

ガレスが小声で謝る。

「古参の貴族の中には、変化を好まない者もおります。気になさらず」

「いえ、大丈夫です」

サクラは笑顔を作ったが、内心では不安が募っていた。

(私、本当に役に立てるのかな……)


謁見の間の扉が開く。

その瞬間、サクラの心臓が大きく跳ねた。

広大な部屋。天井は高く、壁には色褪せたタペストリーが掛けられている。

そして、部屋の奥――

玉座に、一人の青年が座っていた。

プラチナブロンドの髪が、窓から差し込む光を受けて淡く輝いている。深い蒼碧色の瞳。整った顔立ち。長身で、威厳に満ちた佇まい。

女神の言葉通り――いや、それ以上に美しい人だった。

「よくぞ来てくださいました、聖女サクラ殿、美咲殿」

その声は、穏やかで、しかし確かな力を秘めていた。

国王アレス・ルミナリア。

サクラは、思わず息を呑んだ。

美咲が軽く肘で突く。

「サクラ、挨拶」

「あ、は、はい!」

慌てて膝を曲げる。

「さ、サクラと申します!異世界演出部から参りました!」

「美咲です。よろしくお願いいたします」

美咲が優雅に一礼する。

アレスが玉座から立ち上がり、ゆっくりと二人に近づいてきた。

そして――

サクラの目の前で、アレスは迷いなく片膝をついた。

硬質な鎧が、石の床にかすかな音を立てる。

王冠を戴いたまま、彼はサクラに向かって――深々と、頭を下げた。

「え!?」

「陛下!?」

サクラと美咲が驚愕する。横で、ガレスも目を見開いている。

周囲の家臣たちからも、息を呑む音が聞こえた。

一国の王が、異国の娘に――跪いている。

「サクラ殿。私は、あなたに頭を下げます」

アレスが、深々と頭を下げる。

「どうか、この国を救ってください。民を、救ってください」

「あ、頭を上げてください!私なんかに、そんな……!」

サクラが慌てて手を伸ばす。

アレスがゆっくりと顔を上げた。

その瞬間――

サクラの魔力探知が、自然と発動した。

アレスの魔力のオーラが、視えた。

それは、強大で、安定していて、美しい光の魔力。

まるで太陽のように、周囲を照らす温かさ。

しかし――

その光の奥底に、深い疲労と、消えない悲しみが潜んでいた。

まるで、誰にも見せない傷を隠すように。

「……っ」

サクラの目が、大きく見開かれる。

アレスが不思議そうに首を傾げる。

「どうかされましたか?」

「あ、あの……」

サクラは、思わず口を開いていた。

「大丈夫ですか?すごく……お疲れみたいで……」

一瞬、静寂が訪れた。

周囲の家臣たちが、息を呑む。

美咲が「サクラ……!」と小声で制止しようとする。

しかし――

アレスの表情が、一瞬だけ変わった。

驚きと――そして、安堵の色が浮かぶ。

「……あなたは、視えるのですね」

「え?」

「私の疲れが。心の奥の、誰にも見せていない部分が」

アレスが、優しく微笑む。

「預言は、本当だったのですね。あなたこそが、私たちが待ち望んでいた聖女だ」

「え、あ、でも、私――」

「無理をしていませんか、と聞いてくれたのは、あなたが初めてです」

アレスの声が、少しだけ震える。

「皆、私を王として見る。『陛下なら大丈夫だろう』と。誰も、私自身の疲れなど、気にかけてくれなかった」

「……」

「でも、あなたは違う。最初から、私を視てくれた」

アレスが、サクラの目をまっすぐに見つめる。

「サクラ殿。いえ――サクラ」

「は、はい……」

「どうか、力を貸してください。あなたの優しい心と、その魂を視る力が――この国には、必要なのです」

サクラの胸に、熱いものが込み上げてくる。

この人は――

完璧な王様なんかじゃない。

誰よりも国を想い、民を想い、そして自分を犠牲にしてまで、必死に戦っている。

ただの、一人の人間だ。

「……分かりました」

サクラが、しっかりと頷く。

「私、頑張ります。この国を、絶対に救います」

アレスの顔に、初めて――本当に、初めて――心からの笑顔が浮かんだ。

王としての微笑みではない。

社交的な笑顔でもない。

ただの一人の男性としての、安堵と喜びに満ちた笑顔。

「ありがとう、サクラ」


その夜。

サクラと美咲に用意された部屋は、城の中でも最も良い客室だった。

「……すごい部屋だね」

サクラが、豪華な内装を見回す。

「ええ。VIP待遇ね」

美咲が窓から外を眺める。

「でも、サクラ」

「何?」

「あなた、国王陛下の前で、すごいこと言ったわよ」

「え……?」

「『大丈夫ですか』って。普通、王様に向かって言う言葉じゃないわ」

「あ……」

サクラが顔を赤くする。

「やっぱり、失礼だった……?」

「いいえ」

美咲が、珍しく優しく笑う。

「あれで良かったと思うわ。陛下の反応を見た?完全に、あなたに心を開いた目だった」

「そ、そうかな……」

「ええ。あなたの『感じる力』は、本物よ。陛下の孤独を、誰よりも早く見抜いた」

美咲が、窓の外の星空を見上げる。

「でも、気をつけて」

「え?」

「あの国王陛下は、間違いなくあなたに惹かれ始めている」

「え!?え!?」

サクラが真っ赤になる。

「な、何言ってるの!?私たち、今日会ったばっかりで――」

「だからこそよ。一目惚れ、ってやつね」

美咲が、少し意地悪く笑う。

「ギャップ女神様の預言、当たるかもしれないわよ。『運命の伴侶』って」

「も、もう!美咲先輩!」

サクラが枕を投げる。

美咲がそれを軽く避けながら、笑う。

その笑顔は――どこか、寂しげだった。

(……サクラ。もしかしたら、あなたは本当に、この国に残ることになるのかもしれないわね)

美咲は、その予感を、まだサクラには告げなかった。


同じ頃。

王の執務室では、アレスが一人、窓辺に立っていた。

「陛下」

扉が開き、ガレスが入ってくる。

「どうした、ガレス」

「聖女サクラ様について、ご報告が」

「聞こう」

「彼女は、間違いなく本物かと」

ガレスが、真剣な表情で続ける。

「城に到着した時から、彼女は呪いの魔力を感じ取っておりました。『悲しい』と、呟いていたそうです」

「……やはり」

アレスの目に、希望の光が灯る。

「彼女なら、セラフィナ王妃の魂にも届くかもしれない」

「ええ。そして――」

ガレスが、少し言いにくそうに続ける。

「陛下。一つ、お聞きしてもよろしいですか」

「何だ?」

「あなたは……彼女に、惹かれておられるのでは?」

「……っ」

アレスの動きが止まる。

「ガレス、君は――」

「私は、陛下の幼少期から存じ上げております」

ガレスが、静かに言う。

「即位されてから、陛下がどなたかに心を開かれたことは、一度もなかった」

「……」

「しかし、今日。サクラ様の前で、陛下は初めて――『疲れている』自分を、認めた」

アレスが、窓の外の星空を見上げる。

「……彼女は、不思議な人だ」

「と、仰いますと?」

「初めて会ったのに、私の心が見抜かれたような気がした。王冠の下にある、ただの人間を視てくれた」

アレスの声が、少しだけ震える。

「誰も、私を『アレス』として見てくれなかった。でも、彼女は――」

「……陛下」

「まだ、分からない」

アレスが、ゆっくりと振り返る。

「これが恋なのか、ただの希望なのか。でも、一つだけ確かなことがある」

「それは?」

「彼女がいてくれるだけで――私の心が、少しだけ軽くなった」

ガレスが、深く頭を下げる。

「……であれば、私は騎士として、陛下のお心をお守りいたします」

「ありがとう、ガレス」

アレスが、久しぶりに心から笑った。

その笑顔を見て、ガレスは思った。

(陛下のこんな笑顔……即位以来、初めて見た)


第2章:調査開始と迫る影


【王国到着から、一週間が経った】


この一週間、サクラは毎日、街を歩き、人々と話し、呪いの痕跡を探し続けた。

色褪せた建物、活気を失った市場、静かすぎる広場――その全てが、彼女の心に重くのしかかった。


そして、不思議なことに――アレスと顔を合わせる機会が増えていた。


街の視察で偶然すれ違ったり、城の廊下で会ったり、時には執務の合間に声をかけられたり。

最初は偶然だと思っていた。

でも、三日目には気づいた。彼は、意図的に私を探しているのだと。

四日目には、彼が国の歴史について語ってくれた。

五日目には、王としての孤独を、少しだけ打ち明けてくれた。

六日目には、私も話した。困っている人を助けたいという想いと、でも自分の力が足りないという不安を。


そして今――一週間目の朝。

サクラは、いつの間にか彼と話す時間を楽しみにしている自分に気づいていた。


その日、サクラと美咲は城の図書館に案内された。

「わあ……すごい……」

サクラが思わず声を上げる。

天井まで届く本棚が、壁一面を覆っている。古い書物、巻物、羊皮紙の束。何百年分もの知識が、ここに眠っていた。

「王国の歴史に関する資料は、全てここに保管されています」

案内してくれた老年の司書が、誇らしげに語る。

「初代王妃セラフィナ様に関する記録も、奥の書庫に」

「ありがとうございます」

美咲が礼を述べ、司書が去った後、二人は調査を始めた。

「美咲先輩、何から調べましょう?」

「まずは、初代王妃の生涯について。呪いの発生源を特定するには、彼女の人生を理解する必要があるわ」

美咲が古い年代記を開く。

サクラも、別の書物を手に取った。


数時間後。

「……ひどい」

サクラが、涙を浮かべながら呟く。

「セラフィナさん……こんなに優しい人だったのに……」

記録には、初代王妃の善行が記されていた。

病人を癒し、作物を育て、民に愛された。しかし、大干ばつの年の失敗以降、記述は急激に減少する。

そして――

『建国十二年、王妃セラフィナ、静寂の塔に御移り。』

「静寂の塔……?」

「城の北部、今は使われていない古い塔よ」

美咲が地図を広げる。

「ここ。王城の敷地内だけど、立ち入り禁止区域になっているわ」

「どうして……?」

「おそらく、封印されているのよ。セラフィナ王妃の悲しみと共に」

美咲の表情が険しい。

「呪いの発生源は、おそらくそこね」

「行かないと……」

サクラが立ち上がろうとする。

「待って」

美咲が制止する。

「まだよ。準備が必要。それに――」

美咲が窓の外を見る。

「昨夜から、城の雰囲気が変わった気がするの」

「え……?」

「私たちを見る目が、冷たくなった。特に、貴族たちの」

サクラは、確かに今朝、廊下ですれ違った貴族夫人たちが、自分を見て何か囁き合っていたことを思い出した。

「……どうして?」

「分からないけど、何かが動いている。気をつけて、サクラ」


その夜。

サクラは一人、再び図書館を訪れていた。

(もっと、セラフィナさんのことを知りたい)

美咲は部屋で休んでいる。彼女に心配をかけたくなくて、サクラは一人で来ることにした。

静まり返った図書館。ランプの明かりだけが、書物を照らしている。

サクラは、セラフィナの日記を見つけていた。

古びた革装の本。ページをめくると、そこには――

『今日も、王は私に会いに来てくれなかった。私は、何をしたのだろう。ただ、民を助けたかっただけなのに』

『誰も、私の言葉を聞いてくれない。私の想いは、届かない』

『この国を愛している。でも、この国は私を――』

そこで、文章は途切れていた。

「……セラフィナさん……」

サクラの目から、涙がこぼれる。

その時――

「まだ起きていたのですか」

「!?」

驚いて振り向くと、そこにアレスが立っていた。

「あ、アレス様……!」

「すみません、驚かせてしまって」

アレスが穏やかに微笑む。彼は王冠を外し、シンプルな白いシャツ姿だった。

「私も眠れなくて……この図書館によく来るのです」

「そう、だったんですか……」

サクラが慌てて涙を拭う。

アレスが、サクラの隣に腰を下ろした。

「セラフィナ王妃の日記ですね」

「はい……」

「辛い記録でしょう。でも、読んでくださって、ありがとうございます」

アレスの声に、深い悲しみが滲む。

「私は、王家の末裔として、彼女を救えなかったご先祖の罪を背負っています」

「罪……?」

「ええ。初代国王は、彼女を愛していた。しかし、国を選んだ」

アレスが、窓の外の星空を見上げる。

「王とは、そういうものなのでしょうか。愛する者を犠牲にしてまで、国を守らねばならないのか」

「……アレス様」

「私は、王として完璧でありたいと願ってきました。国を豊かにし、民を守り、敵を退ける。それが私の使命だと」

アレスの拳が、握りしめられる。

「しかし――この呪いだけは、どうすることもできなかった」

「……」

「私の力では、人の心を癒すことができない。セラフィナ王妃の悲しみに、届くことができない」

アレスが、初めて弱さを見せた。

「私は、王として……無力です」

サクラは、その横顔を見つめた。

完璧な王様なんかじゃない。

誰よりも苦しんで、誰よりも自分を責めている。

ただの、一人の人間だ。

「アレス様」

「……はい」

「あなたは、無力なんかじゃないです」

サクラが、しっかりと言う。

「あなたは、国を守ってる。民を守ってる。それは、すごいことです」

「でも――」

「ただ、一人で全部を背負いすぎてるんです」

サクラが、優しく微笑む。

「だから、私がいます。私の力は、あなたの力とは違う。でも、だからこそ――」

「……」

「一緒なら、きっと大丈夫です」

アレスの目が、大きく見開かれる。

そして――静かに、笑った。

王としての微笑みではない。

社交的な笑顔でもない。

ただの一人の男性としての、安堵と喜びに満ちた笑顔。

「ありがとう、サクラ」

「いえ……」

「君がいてくれるだけで、私の心は救われている」

アレスが、サクラの目を見つめる。

「君は、私が支配する力しか持たないのに対し、癒す力を持っている」

「え……?」

「私は命令し、統治することはできる。でも、人の悲しみに寄り添うことは――できなかった」

アレスが、自分の手を見つめる。

「君の優しさが、君の共感する力が、この国には必要なのです」

「アレス様……」

二人の間に、静かな時間が流れる。

図書館のランプの灯りが、二人を優しく照らしていた。

「サクラ」

「はい」

「君は、どうして演出部の仕事を選んだのですか?」

「え……あ、それは……」

サクラが少し照れくさそうに笑う。

「私、魔力探知くらいしかできなくて。戦闘も下手だし、頭も良くないし」

「そんなことは――」

「でも、演出部なら、私の力で誰かの役に立てるかなって」

サクラが、優しく微笑む。

「困ってる人を助けたい。それだけなんです」

アレスは、その笑顔を見て、胸が熱くなるのを感じた。

(この人は……本当に、優しい人だ)

「……サクラ」

「はい?」

「君は、素晴らしい」

「え……?」

「君のその優しさが、君の力の源なのでしょう。それは、何よりも尊いものです」

アレスが、そっと立ち上がる。

「もう遅い。休んでください。明日も、調査があるでしょう」

「あ、はい……」

サクラも立ち上がる。

「あの、アレス様も、ちゃんと休んでくださいね」

アレスが、少し驚いたように目を見開く。

そして――優しく笑った。

「ええ。君が心配してくれるなら、今夜は眠れそうです」

「!」

サクラが顔を赤くする。

「で、では、おやすみなさい……!」

慌てて図書館を出るサクラ。

その後ろ姿を、アレスは静かに見送った。

(……君といると、私は"アレス"でいられる)

(王冠の重さを、少しだけ忘れることができる)

(これが……恋、なのだろうか)


翌日。

サクラが廊下を歩いていると、数人の貴族令嬢たちとすれ違った。

「あら……」

彼女たちが、サクラを見て露骨に顔をしかめる。

「異世界から来たという、あの娘ね」

「本当に聖女様なのかしら。怪しいわ」

「陛下を惑わしているのでは?」

ヒソヒソと囁く声。

サクラは、胸が痛んだ。

(私……疑われてる……?)

そのまま、自分の部屋に駆け込む。

「サクラ?」

部屋にいた美咲が、驚いて立ち上がる。

「どうしたの?」

「美咲先輩……」

サクラの目に、涙が滲む。

「みんな、私のこと、怪しんでる……」

「……やはりね」

美咲が、サクラの肩を抱く。

「昨日から、保守派が動き出しているのよ」

「保守派……?」

「ヴァレリウス公爵を中心とした、旧体制を重んじる貴族たち」

美咲が、冷静に説明する。

「彼らは、異世界から来た素性不明の娘が、国王の寵愛を受けることを快く思っていない」

「で、でも、私、別に――」

「あなたがどう思っているかは関係ないの。問題は、陛下があなたに心を開いたという事実」

美咲が、真剣な目でサクラを見つめる。

「サクラ、気をつけて。彼らは、あなたを排除しようとするかもしれない」

「排除……?」

「ええ。噂を流すだけじゃない。もっと直接的な妨害も」

美咲の表情が、険しくなる。

「でも――」

美咲が、サクラの手を握る。

「私がいる。あなたは間違っていない。あなたの優しさは、本物よ」

「美咲先輩……」

「だから、負けないで。私たちは、この国を救うために来たのよ」

サクラが、涙を拭って頷く。

「……うん。頑張る」


【調査開始から、二週間目】


毎日、サクラは街のあらゆる場所で魔力探知を続けた。

市場、広場、住宅街、工場地区――街の隅々まで、丁寧に、何度も。


そして、ようやく確信を得た。

呪いの中心は、城の北部にある。


城の中庭で、目を閉じて集中する。

呪いの魔力の流れを、感じ取ろうとする。

(……どこ? 悲しみの中心は、どこ……?)

街全体を覆う、重苦しい魔力。

その中に、微かに――より強い悲しみの波動を感じた。

「……北……?」

サクラが目を開ける。

城の北部。

そこに、何かがある。

「静寂の塔……」


夕暮れ時。

サクラは美咲に報告した。

「呪いの中心は、やはり静寂の塔みたい」

「そう……やはりね」

美咲が地図を見る。

「明日、様子を見に行きましょう。ただし――」

「ただし?」

「慎重に。塔は封印されている。何が待っているか分からないわ」

その時、扉がノックされた。

「どうぞ」

入ってきたのは、ガレスだった。

「失礼いたします。陛下から、お二方に晩餐会へのご招待です」

「晩餐会……?」

「ええ。今宵、王城で開催されます。サクラ様、美咲様を正式に歓迎するための」

ガレスが、少し申し訳なさそうに続ける。

「……正直に申し上げますと、一部の貴族たちの目もあります。陛下は、お二方の立場を守るため、公の場で歓迎の意を示されたいのだと」

「……分かりました」

サクラが頷く。

「行きます」


その夜の晩餐会。

豪華な大広間に、多くの貴族たちが集まっていた。

サクラと美咲が入場すると、視線が一斉に集まる。

その中には、好意的な目もあれば――明らかに敵意を含んだ目もあった。

「聖女サクラ殿、美咲殿」

アレスが、玉座から立ち上がる。

「ようこそ。今宵、皆の前で改めて申し上げます」

アレスの声が、広間に響く。

「この御二方は、王国の救世主として、預言の導きにより我が国に来られた」

ざわめきが起こる。

「私は、王として、全力でお二方を支援することを誓います」

そして――

アレスが、玉座から降りた。

広間がざわめく。

王が自ら玉座を離れるのは、極めて異例のことだった。

貴族たちが息を呑む中、アレスは広間の中央に立つサクラの元へ、まっすぐに歩み寄る。

サクラ(内心):『え……?こっちに来る……?』

美咲も、わずかに目を見開いた。

アレスは、サクラの目の前で立ち止まり――

静かに、手を差し出した。

「サクラ殿」

「え……あ……」

サクラが戸惑う。周囲の視線が、灼熱のように二人に集中する。

「どうか」

アレスの蒼い瞳が、優しく微笑んでいる。

サクラは、震える手で、その手を取った。

アレスの手は、温かかった。

彼がそっとサクラの手を自分の手に重ね、広間の貴族たち全員に向かって、宣言する。

「この御方は、我が国の救世主である。

そして――」

アレスの声が、力強く響く。

「私が、全身全霊をもって守る者である」

広間が、水を打ったように静まり返った。

一国の王が、公の場で、特定の女性の手を取り、守ると宣言する。

その意味を、誰もが理解した。

貴族A(小声):「あ、あれは……」

貴族B(小声):「まさか、陛下は……」

サクラは、顔を真っ赤にしながら、ただ呆然としている。

サクラ(内心):『え、え、え!?ど、どういうこと!?手、温かい……心臓、やばい……!』

美咲は、少し驚いた顔をしながらも、冷静に状況を観察していた。

美咲(内心):『……陛下、本気ね。これは、保守派を完全に敵に回したわ』

そして――

広間の隅で、ヴァレリウス公爵の顔が、怒りに歪んだ。

ヴァレリウス(内心):『許せん……!異世界の小娘が、王の隣に立つなど……!

            王家の血統が穢れる!これは、絶対に阻止せねば……!』

その拳が、強く握りしめられた。

隣にいた保守派の貴族たちも、明らかに不快そうな表情を浮かべている。

しかし、誰も声を上げることはできなかった。

これは、王の明確な意思表示だったから。

アレスは、サクラの手を優しく放し、穏やかに微笑む。

「サクラ殿、美咲殿。どうか、ごゆっくりお過ごしください」

「あ、は、はい……!」

サクラが、顔を真っ赤にしたまま答える。

美咲が、小声で囁く。

「サクラ、呼吸して」

「あ……」

サクラが、慌てて深呼吸する。

その様子を見て、アレスは心の中で微笑んだ。

アレス(内心):『……可愛い人だ』


晩餐会の後、サクラは一人、バルコニーに出ていた。

「……はあ」

疲れた。

多くの視線、囁き、探るような質問。

全てが、重かった。

「サクラ」

振り向くと、アレスが立っていた。

「アレス様……」

「大変でしたね。あのような場は」

「いえ……でも、ちょっと疲れちゃいました」

サクラが、苦笑する。

アレスが、隣に立った。

「すみません。あなたを、あのような場に晒してしまって」

「いえ、大丈夫です。それより――」

サクラが、真剣な目でアレスを見る。

「明日、静寂の塔に行きます」

「……っ」

アレスの表情が変わる。

「危険です」

「でも、呪いの中心は、そこにあります」

「それでも――」

「大丈夫です。美咲先輩もいるし、私、頑張りますから」

サクラが、にっこりと笑う。

アレスは、その笑顔を見て――

(この人を、失いたくない)

その感情が、自分でも驚くほど強いことに気づいた。

「……分かりました。ただし、ガレスを護衛につけます」

「ありがとうございます」

「そして、サクラ」

「はい?」

「どうか、無事で――」

アレスの声が、わずかに震える。

「あなたは、もう……私にとって、かけがえのない人ですから」

「え……」

サクラの顔が、真っ赤になる。

「あ、アレス様……?」

「おやすみなさい、サクラ」

アレスは、それだけ言うと、去っていった。

サクラは、その背中を見送りながら、胸に手を当てた。

心臓が、激しく鳴っている。

(かけがえのない……人……?)

(私が……?)


その夜、遠く離れた異世界演出部のオフィスでは――

「ふふふ……順調ですわね」

ギャップ女神が、水晶玉を覗き込んでいた。

そこには、サクラとアレスの姿が映っている。

「陛下、完全に惚れてますわね!きゃー!!」

「女神様、夜遅くに大声出さないでくださいます?」

田村麻衣が、左眼を痙攣させながら言う。

「だって、だって!見てくださいこの距離感!もう運命の二人ですわ!!」

「……はいはい」

田村が、書類に目を戻す。

「でも、気になるのは保守派の動きね。ヴァレリウス公爵……要注意人物だわ」

「大丈夫ですわ!運命は、二人の味方ですもの!」

「女神様の楽観主義も、たまには役に立つのかしら」

「失礼ですわね!私は三百年かけて、この運命を紡いできたのですから!」

ギャップ女神が、ふんっと鼻を鳴らす。

「まあ、見ていてくださいな。二人は必ず結ばれますわ。そして――」

女神の目が、優しくなる。

「サクラちゃんは、セラフィナ様とは違う運命を歩みます。必ず、幸せになりますわ」


第3章:静寂の塔と魂の対話


【呪いの中心を特定してから、三日後の朝】


サクラは、美咲と共に準備を整えた。

古代の封印を解くには、綿密な計画が必要だった。

魔力の流れを読み、セラフィナの感情に寄り添い、そして――覚悟を決める。


早朝。

サクラと美咲は、ガレスの案内で城の北部へ向かっていた。

「静寂の塔は、この先です」

ガレスが、人気のない廊下を進む。

この区域には、誰も近づかないのか、埃が積もり、空気が淀んでいた。

「……重い」

サクラが呟く。

「魔力が、すごく重い……」

彼女の魔力探知が、自然と発動している。悲しみの波動が、圧倒的な密度でこの場所に満ちていた。

「サクラ、大丈夫?」

美咲が心配そうに肩に手を置く。

「うん……大丈夫」

サクラが、強く頷く。

やがて、行き止まりに辿り着いた。

そこには、古びた重厚な扉があった。

「ここが……」

「ええ。静寂の塔への入口です」

ガレスが、腰の剣に手をかける。

「中は封印されています。何が起こるか分かりません。お二人は、私の後ろに」

「分かりました」

美咲が頷く。

ガレスが扉を開けようとした瞬間――

扉から、黒い魔力が溢れ出した。

「くっ……!」

ガレスが剣を抜き、魔力を払う。

「これは……呪いの魔力……!」

「待って」

サクラが、前に出る。

「サクラ!?」

「大丈夫……私に、任せてください」

サクラが、両手を扉にかざす。

彼女の魔力が、優しいピンク色の光となって溢れ出す。

黒い魔力と、ピンクの光が触れ合う。

そして――

黒い魔力が、少しずつ薄れていった。

「……すごい」

ガレスが息を呑む。

「聖女様の魔力が、呪いを浄化している……」

やがて、黒い魔力は完全に消え、扉がゆっくりと開いた。

「行きましょう」

サクラが、塔の中へ進む。


塔の内部は、薄暗く、冷たかった。

螺旋階段が、上へと続いている。

「上に、何かがある……」

サクラが、階段を登り始める。

美咲とガレスが、その後に続く。

登れば登るほど、悲しみの波動が強くなっていく。

「……っ」

サクラの胸が、締め付けられるように苦しい。

(こんなに……こんなに悲しい……)

やがて、塔の最上階に辿り着いた。

そこは、小さな部屋だった。

窓は一つだけ。外の光が、わずかに差し込んでいる。

部屋の中央に、古びた台座があった。

そして、その上に――

小さな遺骨箱が、静かに置かれていた。

「これが……初代王妃セラフィナ様の……」

ガレスが、跪く。

サクラは、ゆっくりと台座に近づいた。

その瞬間――

部屋全体が、淡い緑色の光に包まれた。

「!?」

光の中から、一人の女性の姿が現れる。

エメラルドグリーンの長い髪。金色の瞳。小柄で華奢な体。

そして――深い、深い悲しみを湛えた表情。

「……セラフィナ様……」

ガレスが、震える声で呟く。

初代王妃セラフィナの魂が、そこにいた。

「……あなたは、誰……?」

セラフィナの声は、弱々しく、遠い。

「私は、サクラ。異世界から来た……演出部員です」

サクラが、優しく答える。

「異世界……私と同じ……よそ者……」

セラフィナが、サクラを見つめる。

「あなたも……この国に、拒絶されるのね……」

「いいえ」

サクラが、首を振る。

「私は、拒絶されてない。この国の人たちは、優しいです」

「……そう」

セラフィナの目に、涙が浮かぶ。

「よかった……この国は、変わったのね……」

「セラフィナさん」

サクラが、一歩近づく。

「あなたのこと、知りました。日記も、読みました」

「……っ」

「あなたは、何も悪くない」

サクラの声が、震える。

「あなたは、ただ優しすぎただけ。この国を、民を、王様を――愛しすぎただけ」

セラフィナの魂が、激しく揺れる。

「違う……私は……私のせいで、民が死んだ……」

「あの洪水は、事故でした。あなたは、必死に助けようとしただけ」

「でも……でも!」

セラフィナの声が、悲痛に叫ぶ。

「私は、愛していたのに!こんなに、こんなに愛していたのに!」

「……」

「なのに、誰も……誰も、私の声を聞いてくれなかった……」

セラフィナが、両手で顔を覆う。

「王は、私を幽閉した。民は、私を恐れた。誰も、私の想いを……信じてくれなかった……」

その言葉に、サクラの目から涙が溢れ出した。

「……辛かったですね」

サクラが、そっとセラフィナに近づく。

「愛してるのに、拒絶されて。信じてもらえなくて。一人ぼっちで……」

「そうよ……私は、ずっと一人だった……」

セラフィナの魂が、泣いている。

「最後まで……誰も、来てくれなかった……」

「……ごめんなさい」

サクラが、涙を流しながら言う。

「遅くなってしまったけど……私、来ました」

「え……?」

「あなたの悲しみを、聞きに来ました」

サクラが、優しく手を伸ばす。

「あなたは、悪くない。あなたは、ただ愛しただけ」

その手が、セラフィナの魂に触れた。

温かい、優しい魔力が、セラフィナを包み込む。

「……あたたかい……」

セラフィナの目が、大きく見開かれる。

「これは……何……?」

「私の魔力です。あなたの悲しみを、少しでも癒せたらって……」

サクラの魔力が、セラフィナの魂を優しく包む。

それは、命令でも支配でもない。

ただ純粋な、「共感」の力。

「……初めて」

セラフィナが、涙を流しながら微笑む。

「初めて……温かい……」

「セラフィナさん」

サクラが、しっかりと言う。

「あなたが愛したこの国は、今も美しいです」

「……」

「今の王様は、民を愛してる。あなたみたいに、優しい人です」

サクラの声が、力を帯びる。

「だから――」

「もう、安心していいんです」

セラフィナの魂が、激しく揺れる。

そして――静かに、微笑んだ。

「……そう。よかった……」

「この国は、あなたのおかげで、ここまで来れました」

サクラが、涙を拭いながら続ける。

「あなたの優しさは、無駄じゃなかった。ちゃんと、届いてます」

「本当に……?」

「本当です」

セラフィナの魂が、淡い光を放ち始める。

「……ありがとう」

彼女の表情が、初めて穏やかになった。

「あなたに会えて、よかった」

「私も……会えてよかったです」

サクラが、優しく微笑む。

「最後に、一つだけ聞いてもいいですか?」

「何……?」

「あなたは……幸せでしたか?」

セラフィナが、少し考えてから、答えた。

「……辛いことも、悲しいこともあった。でも――」

彼女の目に、優しい光が宿る。

「この国を愛せたこと。王を愛せたこと。それは、幸せだったわ」

「……」

「だから、あなたも」

セラフィナが、サクラを見つめる。

「あなたも、愛を恐れないで」

「え……?」

「私は、愛されなかったけど――」

セラフィナの魂が、さらに淡くなっていく。

「あなたは、愛される。あなたを守ってくれる人が、ちゃんといるから」

「セラフィナさん……」

「だから、幸せになって」

セラフィナの魂が、優しく微笑む。

「私の分まで……幸せに……」

光が、部屋全体を包み込む。

そして――

セラフィナの魂は、光の粒子となって、静かに消えていった。

「……さようなら、セラフィナさん」

サクラが、涙を流しながら呟く。

その瞬間――

塔全体が、光に包まれた。

「これは……!」

ガレスが驚く。

呪いの魔力が、塔から溢れ出し――そして、浄化されていく。

黒い霧が、ピンク色の光に変わり、空へと昇っていく。


城の外では、民たちが空を見上げていた。

「あれは……!」

黒い霧が、光に変わっていく。

街全体を覆っていた重苦しい空気が、少しずつ晴れていく。

「色が……戻ってる……!」

建物の色彩が、わずかに鮮やかになる。

花が、少しだけ色づく。

人々の顔に、活気が戻り始める。

そして――

誰かが、呟いた。

「音が……聞こえる……」

鳥のさえずり。

風が木々を揺らす音。

噴水の水が弾ける音。

そして――遠くから、子供の笑い声が、何年かぶりに街に響いた。

「あはは!」

「ねえ、聞こえる!?笑い声が聞こえる!」

「本当だ……音が……戻ってきた……!」

人々が、顔を見合わせて、笑い合う。

涙を流しながら、喜び合う。

「呪いが……本当に、解けたんだ……!」


王城では、アレスが執務室の窓から、その光景を見つめていた。

「……サクラ」

彼の目に、涙が浮かぶ。

「君が……やってくれたのか……」


静寂の塔の最上階。

サクラは、膝をついて座り込んでいた。

「サクラ!」

美咲が駆け寄る。

「大丈夫!?」

「うん……大丈夫……」

サクラが、涙を拭いながら微笑む。

「セラフィナさん……やっと、安らげたみたい……」

美咲が、サクラの肩を抱く。

「よく頑張ったわ」

「ガレスさん、街は……?」

「はい」

ガレスが、窓の外を見る。

「呪いが、解け始めています。色が、戻ってきている……」

「よかった……」

サクラが、安堵の息を吐く。

しかし――

「ただし」

美咲が、冷静に分析する。

「完全には、解けていないわ」

「え……?」

「呪いは確かに弱まった。でも、完全に消えたわけじゃない」

美咲が、窓の外を見つめる。

「おそらく……サクラの魔力が、常にこの国にある必要がある」

「……どういうこと?」

「セラフィナ様の魂は浄化された。でも、三百年かけて国全体に染み込んだ呪いの残滓は、まだ残っている」

美咲が、真剣な目でサクラを見る。

「それを中和し続けるには、あなたのような優しい魔力が、この国に常駐する必要がある」

「……」

サクラが、言葉を失う。

「つまり……私、ずっとここにいないと……?」

「ええ。少なくとも、数年は」

美咲の表情が、複雑に歪む。

「もしかしたら……一生」

「……っ」

その言葉の意味を、サクラは理解した。

ガレスが、深く頭を下げる。

「サクラ様……どうか、どうか……この国に、残っていただけませんか」

「……」

サクラは、窓の外の街を見つめた。

色を取り戻し始めた、美しい街。

笑顔が戻り始めた、人々。

そして――

優しい王様。

(私が……ここに残ったら……)

(美咲先輩とは、離れ離れになる……)

(演出部には、戻れない……)

(でも――)

サクラの胸に、温かいものが込み上げてくる。

(この国を、見捨てられない……)


【呪いが弱まってから、三日後】


アレスは、執務室の窓から夜空を見上げていた。


(サクラと出会ってから、三週間)


毎晩、図書館で彼女と過ごした時間。

初めて話しかけた時の、彼女の優しい笑顔。

街を案内した時、子供たちと笑い合っていた姿。

セラフィナ王妃の日記を読んで、涙を流していた姿。

そして、静寂の塔で――三百年の悲しみを、たった一人で癒した姿。


その全てが、アレスの心に深く刻まれていた。


(もう、君なしでは生きられない)


拳を握りしめる。


(君がいなければ、私はただの孤独な王に戻ってしまう)


アレスは、小さな箱を取り出した。

中には、母から受け継いだ指輪が輝いている。


(だから――君に、全てを捧げたい)


翌日の午後。

サクラは、アレスに呼ばれて謁見の間へ向かった。

扉を開けると、アレスが一人、玉座に座っていた。

「サクラ……」

彼の表情は、喜びと――そして、申し訳なさが混ざっていた。

「君のおかげで、呪いは弱まった。民は、喜んでいる」

「……はい」

「しかし」

アレスが、玉座から降りて、サクラに近づく。

「完全には、解けていない。そうだろう?」

「……はい」

サクラが、小さく頷く。

「美咲先輩が言ってました。私の魔力が、常にこの国にないと……呪いは、また戻ってきてしまうって」

「……」

アレスの拳が、強く握りしめられる。

「すまない」

「え……?」

「君を、縛り付けてしまうことになる」

アレスの声が、震える。

「君には、帰るべき世界がある。大切な仲間がいる。仕事がある」

「……」

「それを、奪ってしまうことになる。それが……どうしようもなく、辛い」

アレスが、サクラの目を見つめる。

「でも、それでも――」

「私は、君にこの国に残ってほしい」

その言葉に、サクラの心臓が大きく跳ねる。

「それは……王として、ですか?」

「いいや」

アレスが、首を振る。

「王としてではなく――一人の男として、だ」

「……っ」

「君がいなければ、この国は滅ぶ。それは確かだ」

アレスが、一歩近づく。

「しかし、それ以上に――」

「君がいなければ、私が壊れてしまいそうなんだ」

サクラの目が、大きく見開かれる。

「サクラ、君は……私の心を救ってくれた」

アレスの声が、優しくなる。

「君といると、私は王冠を忘れることができる。ただの"アレス"でいられる」

「アレス様……」

「だから――」

アレスが、サクラの手を取ろうとして――

その指先が触れる寸前で、手を引いた。

アレス(内心):『駄目だ』

彼の拳が、強く握りしめられる。

アレス(内心):『今、彼女に触れてしまえば、もう二度と離せなくなる。

        王としてではなく、ただの男として、

        彼女をこの腕の中に閉じ込めてしまいたくなる。

        

        それは――彼女の自由を奪うことになる』

「……いや、まだだ」

アレスが、わずかに震える声で言う。

「え……?」

「まだ、君の答えを聞くべきではない」

アレスが、一歩下がる。

「君は、考える時間が必要だ。この国に残るということが、どれほど重大な決断か――」

「私には、分かっている」

「……」

「だから、今は聞かない」

アレスが、優しく微笑む。

「ただ――君の答えが何であれ、私は君を尊重する」

その優しさに、サクラの胸が熱くなった。

「……ありがとうございます」

「ゆっくり、考えてくれ」

アレスが、サクラの肩に手を置く。

「君の幸せが、私の願いだから」


その夜。

サクラは美咲と、部屋で向かい合っていた。

「……美咲先輩」

「ええ、分かってるわ」

美咲が、静かに言う。

「あなた、残る気でしょう」

「……っ」

サクラが、俯く。

「ごめんなさい……でも……」

「謝らないで」

美咲が、サクラの手を握る。

「あなたは、間違っていない」

「でも……美咲先輩と、離れ離れに……」

「それは」

美咲の目に、涙が浮かぶ。

「……寂しいわ。正直に言えば、すごく」

「……」

「でも」

美咲が、涙を拭いながら笑う。

「あなたが行くべき道なら、私は止めない」

「美咲先輩……」

「あなたは、誰かに必要とされている。この国に、あの王様に」

美咲が、サクラの頬に手を添える。

「そして――あなた自身も、ここにいたいんでしょう?」

「……うん」

サクラが、涙を流しながら頷く。

「私……この国を、守りたい。アレス様を、支えたい」

「なら、それが答えよ」

美咲が、優しく微笑む。

「行きなさい、サクラ。あなたが必要とされる場所へ」

「でも……」

「私は大丈夫」

美咲が、強がるように笑う。

「私には、演出部の仕事があるもの。忙しくて、寂しがってる暇もないわ」

「……嘘」

「え?」

「美咲先輩、嘘ついてる」

サクラが、涙を流しながら笑う。

「寂しいくせに……」

「……ばれた?」

二人は、抱き合って泣いた。

最高の相棒との、別れの予感が、そこにあった。


第4章:究極の選択と王の決意


それから、三日が経った。

サクラは、毎日城の図書館で過ごしていた。

考えるために。

自分の心と、向き合うために。

「……」

窓の外を見つめる。

呪いが弱まってから、街は少しずつ活気を取り戻していた。

人々の笑顔が増え、花が色づき、鳥が鳴く。

(私が、ここにいれば……この景色が、守れる)

しかし――

(演出部には、戻れない)

(美咲先輩とも、離れ離れになる)

(田村さんも、みんなも……)

サクラの胸が、締め付けられる。

「……どうしよう」

その時、扉が開いた。

「サクラ」

美咲が、入ってくる。

「美咲先輩……」

「まだ悩んでるの?」

美咲が、隣に座る。

「……うん」

「サクラ、あなたはもう答えを知っているわ」

「え……?」

「あなたの心は、もう決まっている。ただ、認めるのが怖いだけ」

美咲が、優しく微笑む。

「この国に残りたい。あの王様を支えたい。そう思っているでしょう?」

「……っ」

サクラが、俯く。

「でも……美咲先輩を、裏切ることに……」

「裏切り?」

美咲が、首を傾げる。

「あなたが自分の幸せを選ぶことが、私への裏切りになるの?」

「だって……」

「サクラ」

美咲が、サクラの肩に手を置く。

「私は、あなたの上司じゃない。親でもない。ただの――友達よ」

「……」

「友達なら、相手の幸せを願うものでしょう?」

美咲の目に、涙が浮かぶ。

「寂しいわよ。すごく。でも――」

「あなたが幸せなら、私も嬉しい」

「美咲先輩……」

二人は、抱き合った。

「ありがとう……」

サクラが、涙を流しながら呟く。

「私……決めた」

「そう」

美咲が、優しく頭を撫でる。

「良い決断ね」


その日の午後。

サクラは、アレスに会いに行こうとしていた。

自分の答えを、伝えるために。

しかし――

廊下を歩いていると、複数の貴族たちに囲まれた。

「聖女様」

ヴァレリウス公爵が、冷たい笑みを浮かべて立っている。

「少し、お話しよろしいですか?」

「……何の、ご用でしょうか」

サクラが、警戒しながら答える。

「単刀直入に申し上げます」

ヴァレリウスが、一歩近づく。

「あなたには、この国から去っていただきたい」

「!」

「呪いは弱まりました。それは認めましょう。しかし――」

ヴァレリウスの目が、鋭く光る。

「あなたが陛下の心を惑わせている。それは見過ごせません」

「惑わせてなんか……!」

「では、なぜ陛下はあなたに特別な想いを寄せておられるのです?」

ヴァレリウスが、冷笑する。

「異世界の、素性も知れぬ娘に。王家の血統を穢すおつもりか」

「……っ」

サクラの拳が、震える。

「私は……ただ、この国を救いたいだけで……」

「ならば、呪いを弱めた今、去るべきでしょう」

ヴァレリウスが、畳み掛ける。

「あなたがいなくとも、国は何とかなる。しかし、あなたが陛下の隣にいることは――王国の秩序を乱すのです」

「それは……」

「いえ、もう決まったことです」

ヴァレリウスが、冷たく言い放つ。

「今宵、貴族議会で正式に決議いたします。あなたの国外追放を」

「そんな……!」

「陛下がお止めになったとしても、我々は譲りません」

ヴァレリウスが、去り際に振り返る。

「これは、王国のためです。ご理解ください」


サクラは、部屋に戻って膝を抱えていた。

「……追放……」

涙が、止まらない。

(私……この国を、救いたかっただけなのに……)

(アレス様を、支えたかっただけなのに……)

その時、扉が激しくノックされた。

「サクラ!」

美咲の声。

扉を開けると、美咲が息を切らして立っていた。

「大変よ。保守派が動いている」

「知ってる……追放、されるって……」

「それだけじゃないわ」

美咲が、深刻な表情で続ける。

「彼らは、今夜のうちにあなたを強制的に転送させようとしている。陛下の許可なしに」

「そんな……できるの?」

「ギャップ女神様への直接要請という形で。違法だけど、既成事実を作るつもりよ」

「……っ」

「サクラ、今すぐ陛下に会いに行って。あなたの意思を伝えて」

「でも……」

「今しかないのよ!」

美咲が、サクラの手を引く。

「走って!」


二人は、王の執務室へ駆けた。

しかし――

扉の前に、数人の保守派の騎士が立ちはだかる。

「聖女様、陛下は今、重要な会議中です」

「私、どうしても会わないと――!」

「お通しできません」

その時――

扉が、内側から開いた。

「サクラ……?」

アレスが、驚いた顔で立っている。

「アレス様!」

サクラが駆け寄ろうとするが、騎士たちに阻まれる。

「離しなさい」

アレスの声が、鋭くなる。

「陛下、しかし――」

「今すぐ、離せと言っている」

その威圧に、騎士たちが怯む。

サクラは、アレスの元へ駆け寄った。

「アレス様……!」

「サクラ、何があった?」

「保守派が……私を、追放しようとしてるんです……!」

アレスの表情が、凍りつく。

「……何だと?」

その瞬間――

執務室の中から、ヴァレリウス公爵が現れた。

「陛下、先ほど申し上げた通りです」

「ヴァレリウス……貴様……!」

アレスの怒りが、爆発する。

「私の許可なく、勝手なことを……!」

「これは、貴族議会の総意です」

ヴァレリウスが、冷静に答える。

「陛下といえども、議会の決定を覆すことは――」

「できる」

アレスが、鋭く言い放つ。

「私は王だ。最終決定権は、私にある」

「陛下……」

「サクラを追放するというなら、私がそれを拒否する」

アレスが、サクラの前に立つ。

「彼女は、この国の救世主だ。そして――」

「私が愛する人だ」

その声は静かだったが、広間の隅々にまで響き渡る、王の決意そのものだった。

彼はサクラの前に立つことで、王国全土を敵に回してでも、ただ一人を守り抜くという覚悟を――その背中で示していた。

広間が、静まり返る。

家臣たちは息を呑み、保守派の貴族たちは顔色を変える。

サクラは、アレスの背中を見つめながら、涙が止まらなかった。

サクラ(内心):『この人は……私のために……』

ヴァレリウスの顔が、怒りに歪む。

ヴァレリウスの拳が、震える。

「……陛下が、そこまで仰るなら」

彼の目に、狂気の光が宿る。

「我々には、最後の手段があります」

「何……?」

「陛下を、王位から退いていただく」

「!?」

周囲がざわめく。

「ヴァレリウス公爵、それは反逆だ!」

ガレスが剣を抜く。

「反逆ではありません」

ヴァレリウスが、冷静に答える。

「これは、王国を守るための、正当な手段です」

彼が手を挙げると、廊下から武装した騎士たちが現れる。

「陛下。どうか、大人しく玉座をお譲りください」

「……貴様」

アレスが、剣に手をかける。

その時――

サクラが、アレスの前に立った。

「待ってください!」

「サクラ!?」

「私が……私が、この国を出ていけば……!」

サクラの声が、震える。

「そうすれば、アレス様は……」

「駄目だ」

アレスが、サクラの肩を掴む。

「君を、失いたくない」

「でも……!」

「国を失っても、君を失うよりはましだ」

その言葉に、サクラの涙が溢れる。

「アレス様……」

「サクラ」

アレスが、サクラの目を見つめる。

「君は、どうしたい?」

「え……?」

「この国に残りたいか。それとも、帰りたいか」

「私は……」

サクラが、涙を拭う。

「残りたい……です」

「……」

「この国を、守りたい。アレス様を、支えたい」

サクラが、しっかりと言う。

「だから……お願いです」

「アレス様を、守らせてください」

その瞬間――

サクラの体から、強大な魔力が溢れ出した。

ピンク色の光が、部屋全体を包む。

「これは……!」

保守派の騎士たちが、驚く。

光が、優しく、しかし圧倒的な力で彼らを包み込む。

そして――

武器を構えていた騎士たちの手から、力が抜けていく。

「な、何だ……?体が……」

「動かない……でも、痛くない……」

サクラの魔力が、彼らの敵意を浄化していく。

「これが……聖女の力……」

ヴァレリウスが、呆然とする。

アレスは、その光景を見て――確信した。

(彼女こそが、この国が必要としている光だ)

(そして、私が愛する人だ)

「ヴァレリウス」

アレスが、静かに言う。

「貴公は、間違っていた」

「……」

「サクラは、国を乱す者ではない。国を救う者だ」

アレスが、剣を抜く。

「そして、私は王として――そして一人の男として、彼女を守る」

光の魔力が、アレスの剣に宿る。

「これ以上、彼女を傷つける者は――たとえ古参の貴族であろうと、許さない」

その圧倒的な力と覚悟の前に、保守派は屈した。

ヴァレリウスが、膝をつく。

「……お許しを」

「許さない」

アレスの声が、冷たい。

「ヴァレリウス公爵。貴公の領地は没収する。貴族の地位も剥奪だ」

「……っ」

「そして、今すぐ都を去れ」

アレスが、最後通告を告げる。

「二度と、この城に足を踏み入れるな」

ヴァレリウスは、悔しそうに顔を歪めたが――何も言えず、去っていった。

保守派の騎士たちも、それに続く。


静寂が訪れた。

アレスは、剣を収め、サクラに向き直った。

「サクラ」

「はい……」

「今の言葉は、本当か?」

「え……?」

「この国に残りたい、と」

アレスが、一歩近づく。

「本当に、本当に――私を支えたいと、思ってくれているのか?」

「……はい」

サクラが、涙を流しながら頷く。

「本当です」

アレスが、深く息を吐く。

そして――

その場で、片膝をついた。

硬質な鎧が、石の床にかすかな音を立てる。

「え……!?」

サクラが驚く。

アレスが、懐から小さな箱を取り出した。

それを開けると――美しい指輪が、光を放っていた。

「サクラ」

アレスが、優しく微笑む。

「私は、王として君を必要としている。君の優しい魔力が、この国には不可欠だ」

「……」

「しかし、それ以上に――」

アレスの目に、真摯な光が宿る。

「一人の男として、君を愛している」

「アレス様……」

「君がいてくれるだけで、私の心は救われる。君といると、私は王冠の重さを忘れることができる」

アレスが、指輪を差し出す。

「どうか、私の妃になってください」

「王妃としてではなく、サクラとして。君自身として」

「そして、共に――この国を愛してください」

サクラの目から、涙が溢れて止まらない。

「私……私なんかで、いいんですか……?」

「君以外にいない」

アレスが、断言する。

「君の優しさが、君の強さが、君の全てが――私には必要なんだ」

サクラは、震える手で――

指輪を受け取った。

「……はい」

「サクラ……」

「私、アレス様のお役に立ちたいです。この国を、一緒に守りたいです」

サクラが、涙を拭いながら微笑む。

「そして――」

「アレス様のこと、もっと知りたいです」

アレスの顔に、心からの笑顔が浮かんだ。

王としての微笑みではない。

社交的な笑顔でもない。

ただの一人の男性としての、喜びに満ちた笑顔。

「ありがとう、サクラ」

アレスが立ち上がり、そっとサクラの手を取る。

その手は、わずかに震えていた。

サクラ(内心):『アレス様も……緊張してる……』

アレスは、丁寧に、しかし確かな動作で――指輪を、その指に嵌めた。

王家の紋章が刻まれた指輪が、サクラの指で淡く光る。

「これから、ずっと一緒だ」

その言葉には、誓いと――安堵が込められていた。

まるで、ようやく最も大切なものを手に入れたかのように。

「はい……」

二人は、見つめ合った。

その瞬間――

部屋の隅で見ていた美咲の目から、涙がこぼれた。

(……サクラ。よかったね)

(あなたは、幸せになれる)


その夜。

サクラと美咲は、最後の夜を二人きりで過ごしていた。

「……明日、私は帰るわ」

美咲が、静かに言う。

「美咲先輩……」

「演出部に、報告しないといけないから」

美咲が、少し寂しそうに笑う。

「『サクラは、この世界に転生しました』って」

「……ごめんなさい」

「謝らないで」

美咲が、サクラの頭を撫でる。

「あなたは、正しい選択をしたのよ」

「でも……」

「寂しいわよ。すごく」

美咲の目に、涙が浮かぶ。

「あなたは、私の最高の相棒だったから」

「美咲先輩……」

「でも」

美咲が、涙を拭いながら笑う。

「あなたが幸せなら、それでいい」

「……」

「それに」

美咲が、悪戯っぽく笑う。

「たまには、会いに来てもいいのよ?」

「え……?」

「出勤設定、覚えてる?」

サクラの目が、大きく見開かれる。

「まさか……」

「ええ。もし、王妃の公務と両立できるなら――」

美咲が、ウインクする。

「たまには、演出部に顔を出してもいいんじゃない?」

「本当ですか!?」

「陛下の許可が必要だけどね」

「絶対、お願いする!」

サクラが、美咲に抱きつく。

「ありがとう、美咲先輩!」

「ふふ、どういたしまして」

二人は、笑い合った。

最高の相棒との、別れではなく――

新しい関係の始まりだった。

そして、王国に約束された光の季節が、三度巡った。


エピローグ:二つの世界で愛される聖女


――三年後――

王国ルミナリアの王城。

朝日が、豪華な寝室に差し込む。

ベッドの上で、サクラがゆっくりと目を覚ました。

「んん……」

隣には、アレスが穏やかな寝顔で眠っている。

サクラは、そっと彼の頬に手を伸ばし――

「おはよう、アレス様」

小声で囁く。

アレスの目が、ゆっくりと開いた。

「……おはよう、サクラ」

彼が微笑み、サクラの額にキスをする。

「よく眠れた?」

「はい。アレス様は?」

「君の隣だ。いつも、よく眠れる」

二人は、穏やかな朝を迎えた。

三年前、サクラはこの国の王妃となった。

最初は慣れないことばかりで、貴族のマナーに苦労し、公務に追われ、時には泣きそうになったこともあった。

しかし――

アレスが、いつも隣にいてくれた。

「大丈夫だ、サクラ。君は完璧にやっている」

その言葉に、何度も救われた。

そして今――

サクラは、立派な王妃として、民に愛される存在になっていた。


朝食を終え、サクラは執務室でアレスと共に書類を確認していた。

「今日の午後は、孤児院の視察ですね」

「ああ。君が提案してくれた、子供たちへの教育支援プログラムの進捗を見に行く」

アレスが、嬉しそうに笑う。

「君のおかげで、この国は本当に変わった」

「そんな……私は、ただ……」

「いや、本当だ」

アレスが、サクラの手を取る。

「君の優しさが、この国全体に広がっている」

三年前、呪いが弱まってから、国は急速に回復した。

色彩が戻り、活気が戻り、笑い声が戻った。

そして、サクラの魔力が常に国に満ちていることで、呪いの残滓は完全に消え去った。

今や、王国ルミナリアは周辺国の中でも最も繁栄する国の一つとなっていた。

「あ、そういえば」

サクラが、思い出したように言う。

「明日、ちょっとお休みをいただいてもいいですか?」

「休み?どこか行くのか?」

「えっと……」

サクラが、少し照れくさそうに笑う。

「演出部に、顔を出そうかなって」

アレスの顔が、驚きと――そして少しの寂しさに変わる。

「そうか……もう、そんな時期か」

「ご、ごめんなさい!もし、都合が悪ければ――」

「いや」

アレスが、優しく微笑む。

「行っておいで。美咲殿も、君を待っているだろう」

「ありがとうございます!」

サクラが、嬉しそうに抱きつく。

アレスは、その髪を優しく撫でながら――

(少し、寂しいけれど)

(彼女の笑顔が見られるなら、それでいい)

と思った。


翌日。

サクラは、城の奥の特別な部屋に向かった。

そこには、異世界演出部との転送ゲートが設置されていた。

これは、アレスと演出部の田村麻衣が直接交渉して作られた、特別な装置だ。

「行ってきます」

サクラが、ゲートをくぐる。

光が包み込み――

次の瞬間、彼女は見慣れたオフィスにいた。

懐かしい紙とインクの匂い。微かに漂うコーヒーの香り。そして、転送ゲートが発する僅かなオゾンの匂い。

その全てが、サクラの心を『ただいま』と言える場所へと優しく引き戻した。

「……ただいま」

「おかえり、サクラ」

振り向くと、美咲が笑顔で立っていた。

「美咲先輩!」

サクラが駆け寄り、二人は抱き合う。

「久しぶり!元気だった?」

「ええ。あなたこそ、王妃業は順調?」

「はい!最近は、だいぶ慣れてきました」

二人は、オフィスの休憩室でお茶を飲みながら、近況を報告し合った。

「そういえば」

美咲が、悪戯っぽく笑う。

「陛下との仲は?」

「え、えっと……」

サクラが顔を赤くする。

「順調……です」

「ふふ、そう。良かったわ」

美咲が、心から嬉しそうに微笑む。

その時、オフィスの扉が開いた。

「サクラちゃーん!!」

ギャップ女神が、両手を広げて駆け込んでくる。

「きゃー!!会いたかったわ!!」

「わっ、女神様!」

ギャップ女神が、サクラに抱きつく。

「どう!?幸せ!?超幸せ!?」

「は、はい……とても幸せです……」

「きゃー!!よかったー!!」

ギャップ女神が、涙を流しながら喜ぶ。

「三百年越しの大仕事、大成功ですわ!!」

「女神様……」

「あなたは、セラフィナ様とは違う運命を歩めたのね……」

ギャップ女神の目が、優しくなる。

「本当に……よかった……」

「ありがとうございます、女神様」

サクラが、深々と頭を下げる。

「女神様のおかげです」

「いいえ」

ギャップ女神が、サクラの頭を撫でる。

「あなた自身の優しさと、勇気のおかげですわ」

その時、奥の部屋から田村麻衣が現れた。

「あら、サクラさん。お久しぶり」

いつもの営業スマイルではなく、本当に嬉しそうな笑顔だ。


「田村さん!お久しぶりです!」

サクラが駆け寄る。


「元気そうで何より。王妃として、順調みたいね」

「はい!最初は大変でしたけど、今は楽しいです」

「そう。それは良かったわ」


田村が、優しく微笑む。

「幸せそうで、私も嬉しいわよ」


美咲が、小声で囁く。

「田村さん、左眼が痙攣してませんね。珍しい」

「……サクラさんの幸せ報告でストレスが消えたのよ」

田村が、少し照れくさそうに笑った。


その日、サクラは演出部のメンバーたちと楽しい時間を過ごした。

昔話に花を咲かせ、笑い合い、そして――

「また来てね、サクラちゃん」

「はい!必ず!」

別れの時間が来た。

美咲が、ゲートの前でサクラを見送る。

「サクラ」

「はい?」

「幸せそうで、本当に良かった」

美咲の目に、涙が浮かぶ。

「あなたは、私の誇りよ」

「美咲先輩……」

「また、会いましょう」

「はい!」

サクラが、ゲートをくぐる。

光が包み込み――


王城に戻ると、アレスが待っていた。

「おかえり、サクラ」

「ただいま、アレス様」

サクラが、嬉しそうに駆け寄る。

「楽しかった?」

「はい!美咲先輩も、田村さんも、女神様も、みんな元気でした」

「そうか。良かった」

アレスが、サクラを優しく抱きしめる。

「……少し、寂しかったけれど」

「え?」

「君がいない間、城が静かで――」

アレスが、サクラの髪に顔を埋める。

「やはり、君がいないと駄目だな」

「アレス様……」

サクラが、くすっと笑う。

「私も、アレス様に会いたかったです」

「本当か?」

「本当です」

二人は、見つめ合い――

そして、静かにキスをした。


その夜、バルコニーで二人は星空を見上げていた。

「サクラ」

「はい?」

「君は、後悔していないか?」

アレスが、真剣な目で尋ねる。

「演出部を離れて、この国に残ったこと」

「……」

サクラが、少し考えてから――

「後悔なんて、ありません」

きっぱりと答えた。

「確かに、演出部での仕事は楽しかった。美咲先輩との日々も、かけがえのないものでした」

「……」

「でも」

サクラが、アレスの手を握る。

「今の私は、もっと幸せです」

「サクラ……」

「この国を守れる。民の笑顔を見られる。そして――」

サクラが、優しく微笑む。

「アレス様の隣にいられる」

「それが、私の一番の幸せです」

アレスの目に、涙が浮かぶ。

「……ありがとう」

「私こそ、ありがとうございます」

サクラが、アレスに寄り添う。

「アレス様が、私を選んでくれて。私を守ってくれて」

「それは当然のことだ」

「でも、嬉しいんです」

二人は、静かに抱き合った。

星空の下、幸せな時間が流れていく。


――数ヶ月後――

王国ルミナリアで、盛大な式典が開かれていた。

理由は――

サクラの懐妊が、公式に発表されたのだ。

「おめでとうございます、王妃様!」

「陛下、おめでとうございます!」

民も、家臣も、皆が祝福に包まれた。

アレスは、サクラの手を取りながら、民に向かって宣言する。

「我が妻、サクラ王妃が、新しい命を授かりました」

歓声が上がる。

「この子は、この国の希望です。そして――」

アレスが、サクラを見つめる。

「私たち二人の、愛の証です」

サクラの目から、涙がこぼれる。

幸せな涙だった。


その夜、遠く離れた異世界演出部では――

「きゃー!!サクラちゃん、赤ちゃん!!」

ギャップ女神が、水晶玉を見ながら大興奮していた。

「女神様、夜中ですよ……」

田村が、眠そうに言う。

「だって、だって!これは祝福せずにはいられませんわ!!」

「まあ……確かに、おめでたいことですけど」

田村が、小さく微笑む。

「サクラさん、本当に幸せそうね」

「ええ!!これこそが、真のハッピーエンドですわ!!」

ギャップ女神が、涙を流しながら喜ぶ。

「セラフィナ様……見ていますか?」

「あなたが夢見た幸せを、サクラちゃんが叶えましたわ」


そして――

時は流れ、数年後。

王国ルミナリアの城下町では、小さな子供たちが遊んでいた。

その中の一人、ピンク色の髪をした小さな女の子が――

「ママー!」

サクラの元へ駆け寄ってくる。

「はい、どうしたの?」

「あのね、お花が咲いたの!」

少女が、小さな手を広げると――

その手のひらから、小さな花が芽吹いた。

「まあ……」

サクラが、優しく微笑む。

「上手にできたね」

「えへへ!」

少女の名は、セラフィナ。

初代王妃の名を受け継いだ、サクラとアレスの娘だった。

彼女もまた、母と同じ優しい魔力を持っていた。

「パパ、見て見て!」

少女が、アレスに駆け寄る。

「おお、すごいな、セラフィナ」

アレスが、娘を抱き上げる。

「君は、ママに似て優しい魔法が使えるんだな」

「うん!ママみたいになりたいの!」

「きっとなれるさ」

アレスが、娘の頭を撫でる。

そして、サクラを見つめる。

二人は、微笑み合った。

三百年前の悲劇は、完全に終わった。

そして、新しい物語が――

優しい魔力を持つ聖女と、彼女を愛する王の物語が――

これからも、続いていく。


おわり


あとがき(ギャップ女神より)

「皆様、最後までお読みいただき、ありがとうございましたわ!

三百年越しの大仕事、無事に成功いたしましたわ!!

サクラちゃんは幸せになり、アレス様も笑顔になり、そして可愛い赤ちゃんまで!

これこそが、運命の勝利ですわ!!

……ごほん。失礼。

少し感極まってしまいましたわね。

でも、本当に――本当に、良かった。

セラフィナ様が果たせなかった幸せを、サクラちゃんが掴んでくれました。

これからも、二人を見守り続けますわ。

そして、いつの日か――

サクラちゃんの娘さんが、また新しい運命を紡ぐ日が来るかもしれませんわね。

ふふ、楽しみですわ。

それでは、皆様も――

どうか、運命を信じて、幸せになってくださいませ。

――ギャップ女神より、愛を込めて」


~いせてん 第3話 完~

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いせてん~異世界演出部ですが、転生者がバカすぎて現地フォローしてきました~ 月祢美コウタ @TNKOUTA

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