第四節 戦争で値上がりし、平和で値下がりするもの

養父は、いつになく慌てふためいていた。


「くそっ!

あの武器商人にだまされたわ!」


「何があったのです?」

「『朝倉あさくら家が美濃国みののくに[現在の岐阜県]への侵攻を開始するらしい。

そうすれば……

本拠地の一乗谷いちじょうだに[現在の福井市]では武器弾薬が大量に必要となる。

先に買い占めておけば転売てんばいで大金を稼げるぞ!』

と」


いくさが起これば武器弾薬は『値上がり』すると聞きます。

それにしても。

どうして朝倉家は美濃国へ侵攻するのです?」


桶狭間おけはざまの戦いに勝利した織田信長が……

『南』から美濃国への侵攻を開始したからよ」


「美濃国の軍勢が織田軍を迎撃している間に、朝倉家が『北』から侵攻を開始すれば……

?」


「ああ。

しかも……

織田軍は、森部もりべの地[現在の岐阜県安八町]で迎撃に出た美濃国の軍勢6,000人を撃ち破っていた。

朝倉家は『確実』に、美濃国の北半分を手に入れられる状況であったのじゃ」


「だから儲け話に乗ったのですね」

「ところが!

朝倉家は出陣を取り止めやがった!」


「取り止めた?

どうしてです?」


「信長が……

全軍を『撤退』させたからじゃ」


「撤退!?

勝利したのに?」


「ああ、そうじゃ!」

?」


「そうかもしれん。

くそっ!」


「織田軍が撤退すると、朝倉家は美濃国の軍勢『すべて』を引き受けねばなりません。

それでは美濃国の北半分を手に入れるどころか……

敗北する可能性も出てきます」


「くそっ!

朝倉家が出陣を取り止めたことで、この一乗谷いちじょうだにいくさが起こらないことが確実になってしまった!

これでは……

借金してまで買い占めた武器弾薬が『値下がり』してしまう……」


「借金を返す当てがなくなったのですね?」

「ああ、そうじゃ!

わしはもう終わりよ……」


「終わりではないと思いますが」

「どういう意味ぞ?」


「わたしを借金の『担保たんぽ』にしては如何いかが?」

「何っ!?

そなたを担保に?」


「はい」

阿国おくによ。

わしは、そなたを守ると約束したではないか」


「では、何を担保にするのです?

店ですか?

家ですか?

あるいは、実の娘ですか?」


「……」

「どれもお母上様が許すとは思えません。

違いますか?」


「すまない。

阿国よ。

そなたを守れないわしを、許してくれ」


こうして……

わたしは、養父の借金の担保たんぽにされた。


 ◇


すべて、明智光秀という先生が練り上げた周到な『罠』であった。


「信長様はいくさの天才だ。

本気で美濃国みののくにるつもりならば……

敵の武将何人かを寝返らせた上で本拠の稲葉山城いなばやまじょう[現在の岐阜市]を攻略し、一度で美濃国『すべて』を我が物とするだろう」


「つまり。

今回、南から侵攻した織田軍は……

本気で美濃国をるつもりがないと?

あくまで『局地戦』に過ぎないとお考えなのですね?」


「ああ、そうだ」

「『美濃国の軍勢が織田軍を迎撃している間に、朝倉家が北から侵攻を開始すれば……

容易に美濃国の北半分を手に入れられる!』

一乗谷いちじょうだにでは、こんな噂が流れていますが?」


「馬鹿な。

漁夫の利を狙うことしかできない『雑魚ざこ』に、出番などない」


「……」

「阿国よ。

わしは、これより……

そなたの養父を罠にめる」


「はい。

先生」


「わしは、京の都と越前国を往復しているひじり屋という武器商人と関係を築いていた。

『先に買い占めておけば転売てんばいで大金を稼げるぞ!』

こうだます」


「養父はいくさ素人しろうとであることに加え……

実の娘3人の浪費癖に不安を抱いています。

加えて。

ここ数年、一乗谷いちじょうだには平和が続きいくさが起こっていません。


「うむ」

だまされた結果、借金を返す当てがなくなった段階で……

わたしを担保たんぽにするよう誘導します」


ひじり屋は、借金の取り立てに使う武装集団を抱えている。

そなたの養父が利息を払えなくなった瞬間を、逃しはしない。

強引にそなたを奪い取らせよう」


「はい。

先生」


「周りをよく見よ。

阿国。

一乗谷いちじょうだにの富裕層に限らず、朝倉家の一族や家中でも……

実力もなく、実力を磨く努力すらしないやからが、権力や富を持つ親から生まれたというだけで恵まれた暮らしにうつつを抜かしている」


おおせの通りです。

あの人たちは……

今の地位を、おのれの『努力』で手に入れたわけではありません」


「うむ」

「ただ、『親』に恵まれていただけ」


「権力や富を持つ『資格』のない者どもが偉そうに指図し、自慢している。

なぜ……

我らは、あんな奴らの風下に立たねばならない?

理由は簡単よ。


「……」

「多少の犠牲は伴うが、致し方あるまい。

一度、徹底的に破壊した上で……

実力があり、実力を磨く努力を怠らない、権力や富を持つのに『相応ふさわしい』者へと受け継がせようではないか」


「……」

「わしは……

そなたのように、たぐいまれな智謀を持つ人物が必要なのだ。

強引にそなたを奪い取ったら……

長女の凛を、侍女として支えて欲しい」


「はい。

先生」


すべて先生の想定通りに進んだ。

一つの『悪行』が、わたしを虐待から救ってくれた。


 ◇


「実力があり、実力を磨く努力を怠らない、権力や富を持つのに相応ふさわしい者へと受け継がせようではないか」


先生の言った、この言葉は……

十数年後に『現実』となった。


裏切者が相次いだ朝倉軍は織田軍に惨敗をきっし、越前国えちぜんのくにへの侵攻を許した上で本拠の一乗谷いちじょうだに灰燼かいじんに帰したとき。

光秀様は、信長様にこう進言した。


「この越前国を……

朝倉家を裏切った前波吉継まえばよしつぐ魚住景固うおずみけいご朝倉景鏡あさくらかげあきらの3人に与えては?」

と。


周囲は怒りに震えた。

「は?

あの3人に何の実績があると?

おのれの保身のためにあるじを裏切り、国まで売り飛ばした『寄生虫きせいちゅう』ではないか!」

と。


何の実績も上げずに、身に余る権力や富を手に入れた3人の幸せは……

『一時的』なものに過ぎなかった。


百姓ひゃくしょうの持ちたる国」

隣国・加賀国かがのくに[現在の石川県]の者たちが、口々にこう言い始めたから。


越前国えちぜんのくに[現在の福井県]を支配する3人は、何の実力もない『雑魚』らしいぞ?

今こそ越前国を我が物にする絶好の機会ではないか?」

と。


ついに隣国・加賀国の一揆勢は、数万人の大軍で越前国への侵攻を開始する。

慌てた前波吉継まえばよしつぐ魚住景固うおずみけいご朝倉景鏡あさくらかげあきらの3人は信長様に援軍を要請したが……

そもそも。

信長様に、3人を救う意思など微塵もなかった。

3


「あの寄生虫どもを、信長様の手で始末したら……

誰も信長様に寝返らなくなってしまう。

だからこそ。

わしは……

あの3人を、猛獣のような一揆勢の目と鼻の先に放り出すよう進言したのだ。

一揆勢の手で始末させるためにな」


こうして。

権力や富を持つ資格のない者たちは、ことごとく『始末』された。


 ◇


「我が策は、これだけではないぞ?

阿国よ。

越前国えちぜんのくにを我が物にした加賀国かがのくにの一揆勢は必ず、『内側』から崩れるだろう」


「あの一揆勢が……

内側から崩れるのですか?」


「信長様の援軍がいないからこそ、加賀国の一揆勢は『容易』に越前国を攻略できた。


「慢心、ですか。

朝倉家が越前国で盤石の支配体制を築いていた頃は……

一揆勢にも『緊張感』がありましたね」


「ああ。

隣国に強大な敵がいるからこそ緊張感は高まり、結束力が高まるのだ」


「一揆勢はきっと、越前国の分配を巡って揉め事を起こすに違いありません。

だって……


「ははは!

さすがは阿国よ。

先の先まで見通す眼力が、尋常ではないな」


 ◇


「教団の恥晒しがっ!」


阿国おくにの推察通りに……

加賀国かがのくにの一揆勢を裏で操っている教団は、内部分裂を起こし始めていた。


教団の総本山・石山本願寺いしやまほんがんじにて、憤りの声を上げる男が現れたからだ。

名前を下間しもつま頼廉らいれんと言う。


「一揆勢を率いる七里しちり頼周よりちかめ!

容易に越前国えちぜんのくにを攻略できたからなのか……

権力に笠を着て、非道で粗暴な振る舞いが目立っていると聞くぞ?」


「……」

沈黙する周囲を横目に、頼廉らいれんは身内への攻撃を続ける。


「加賀国と越前国の門徒たちからも、奴への弾劾状が届いているとか。

奴を直ちに破門しなければ手遅れになる!」


「……」

「もう既に……

一揆勢は結束力を失って、『雑魚』と化しているに違いない!」


「……」

「この状況を……

あの信長が、黙って見過ごすと思うのか?」



【次節予告 第五節 教団随一の実力者、下間頼廉】

明智光秀は、阿国にこう言っていました。

「織田信長様は石山本願寺と勅命による和議を結んでいて手出しができない。

だからこそ教団の方から勅命を破らせ、『朝敵』に追い込むことが肝心なのだ」

と。

  • Xで共有
  • Facebookで共有
  • はてなブックマークでブックマーク

作者を応援しよう!

ハートをクリックで、簡単に応援の気持ちを伝えられます。(ログインが必要です)

応援したユーザー

応援すると応援コメントも書けます

大罪人の娘・本編 いずもカリーシ @khareesi

★で称える

この小説が面白かったら★をつけてください。おすすめレビューも書けます。

フォローしてこの作品の続きを読もう

この小説のおすすめレビューを見る

この小説のタグ

参加中のコンテスト・自主企画