滑走路のその先へ

濡れ鼠

滑走路のその先へ

ポールを握った手のひらが、力強く押し戻される。身体が空へと落ちていく。少しでも、この地球から離れていたかった。

スパイクの先が飛行機雲を踏む。僕にはなぜ、翼がないのだろう。爪先はもう、地面の方を向いていて、両腕はまだ、空をつかもうとする。

僕の背中を受け止めたマットにもう一度背中を押し付け、一面に広がる御空みそら色を仰いだ。飛行機雲が滲んでいく。飛び起き、ポールを拾い上げ、煉瓦れんが色のタータンを踏んで駆け出す。

もっと、もっと高く跳びたい。


2階から漏れる両親の声が一段と大きくなり、僕はテレビの画面を見つめたまま、リモコンに手を伸ばす。

「バーの高さは6メートルに上がります」

アナウンサーの昂ぶった声が鼓膜をたたき、リモコンを取り落としそうになる。目に鮮やかなユニフォームが、滑走路を駆け抜け、限られた空に飛び出していく。歓声が僕の心をいざない、僕の尻は何度も椅子から浮き上がる。

乱暴な足音が階段を降りてくる。

「いつまで見てんの」

バーが落下し、観客たちが一斉に息を吐く。『6.30』の文字の下に、2つ目の✕が刻まれる。


「なあ」

顔を上げて隣の席を見ると、田中の眉間に深いしわが刻まれていた。

「なんかあったん?」

僕は田中の小テストに視線を戻し、◯を書き込む。

「もうすぐ、大会でさ」

「いや」

田中は3色ボールペンを握り直し、唇を曖昧に動かす。それからまた、手元に目を落とし、ゆっくりとペン先を動かす。これが大会でなくて良かった。

「お前、この先、どうすんの」

つかみ上げようとした田中の言葉が、指の間からこぼれ落ちていく。

「もっと高く跳べるようになりたい」

「違う。棒高じゃなくて、その先の話」


校門を出ると、両脚は家と反対方向に向かった。この真っ直ぐな道を進んでいけば、「その先」にたどり着ける気がした。脚が少しずつ闇に沈んで、もう進みたくないと言っている。うずくまって考える、「その先」って何だ。闇が晴れるまで、何度も何度も、繰り返し問い続ける。

どれくらいそうしていたのか、分からない。飛行機のエンジン音が僕を揺り起こす。

滑走路をツートンカラーの機体が次々と駆け出していく。機体がひるがえり、噴き出したスモークが弧を描く。クレヨンで引っ張ったようなスモークは、指先でなぞっても滲まない。

腕の中に抱えた膝が震える。飛びたい。あの滑走路を蹴って、もっと、もっと高く。だから、翼が欲しい。

駆け出した先の空で、コバルトブルーの尾翼が陽光を受けてきらめいた。

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滑走路のその先へ 濡れ鼠 @brownrat

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