小説 レプリカの芸術〜犯罪という名のアートについて〜

紅野レプリカ

レプリカの芸術〜犯罪という名のアートについて〜

{ここからの物語に出てくるレプリカとう人物は著者とはおそらく関係がありません。}



 この世界にはアートという犯罪行為がある。一般的にアートというとモナ・リザや叫びを思い浮かべ、日本の法隆寺やパリのエッフェル塔などの創造的な作品もそうだろう。

 そんなアートを一目見るために世界中から集まる烏合の衆を私は馬鹿だと思う。絵画や建築物といった作品は見方や解釈によって無数の楽しみ方がある。それを良いというならそれまでだが、私はそれを興だとか趣だとは思わない。

 アートや芸術は破壊あってこそだ。それが分からないこの世界、それができないこの世界に対して私は何も面白さを感じない。芸術は“爆発“だ



                             


                      (著:レプリカ)

2025年 10月23日 午前6時21分


 六畳一間の部屋で計画を立てる。カーテンのないこの部屋で次の創作行為を考えていた。

 かの有名な画家であるバンクシーは壁に絵を描くなど法を犯してまで作品を完成させている。誰かが法の柵の中で完成させた作品はいいものだとしても俺は面白さを感じない。俺の中では創作行為と法を犯すことは紙一重であり、それが批判されてこそ本当の意味での創作品になる。だからこそ批判される作品は美しいし批判されず賞賛ばかりの作品は法に怯えた浅薄な作品だと思う。今の時代批判は良くないと言って賞賛ばかりを謳う烏合の衆にはなりたくないものだ。


「決めた」


 次の創作を決めた。今回の創作は人を殺すことになるがそれも作品と自分のためだ。


  *



2025年 10月24日 午前10時49分


とある警察庁


「綾部(あやべ)部長!事件です!木ノ下書店で殺人事件が起こりました。多分また彼の仕業だと思われます」

「本当か」


 散らかった机の前に座ってパソコンを打っていた綾部さんは呆れたような怒っているような表情を浮かべてこちらを振り向いた。


「今検察官が現場で調べています。それと現場にこれが落ちていたと写真が送られてきました」


 私は現場に落ちていたという紙切れの写真を綾部さん見せた。


「これは間違いない。ヤツの仕業だ」


 現場に落ちていた紙切れには


[これはアートです]


 そう書かれていた。


「これはどういう意味ですか?」

「ヤツは殺人や落書きといった犯罪行為をアートや芸術と言って合法と言わんばかりに行なっているんだ」

「でもそれは完全に犯罪ですよね?」

「当たり前だ。もしこれ以上凶悪な罪を重ねると死刑も見えてくるだろう」


 綾部さんは拳を握りしめていた。


「何で早く彼を逮捕しないのですか?」

「逮捕しないじゃなくて逮捕できないんだ。事件が起こった後には彼の姿はなく、自分の痕跡に至っては跡形も残さないほどの徹底ぶりだ。調べても調べても何の手掛かりもつかめやしない」

「防犯カメラには映ってないのですか?」

「奴はカメラの死角を把握して犯行を行なっているんだ」


 まさかそこまでとは、私は唖然とした。


「では彼の姿や顔を知っている人はいないのですか?」

「一応目撃情報からいくつかの推測は立てられているが、いまだに実際の姿や顔は分からないままだ」

「そんな…。早く捕まえないと被害は無益に拡大する一方ですよ。町の人たちも怯えてるって聞いてますし」

「そうだな。何が怖いってヤツは殺人や放火といったことを絵を描く程度の感覚で行なっているということだ。何が『これはアートです』だ。法を犯すようなアートはアートではなくただの犯罪だ」


 握りしめていた拳を散らかった机に強く置いた。その深く重い音は綾部さんの心の音を表しているようだった。私は正直怒りというよりは疑問の方を強く感じた。それはそのような行為が犯罪行為ではなくアートと主張したいのであれば他の主張方法もあると思うし、痕跡を残さずに逃げるくらいならそもそもしなければ良いのではないかということだ。綾部さんに聞こうと思ったが機嫌が悪そうだったのでまた時間を改めることにした。


「そういえば今現場に何人かの警察官が向かっているらしいのですが綾部さんはどうします?」

「行くに決まっているだろ。古谷、お前もついて来い」

「わかりました」


 行くかどうか聞いた時点でこうなることは予想できていた。私自身初めての彼の犯行現場ということで不安と緊張が入り混じっていた。


  * 


"彼"が事件を起こす数時間前


 家から少し離れた大きな本屋に着いた。これから行うことは決まっている。殺人という悲劇の芸術を奏でることだ。俺の目に映っている人間は休日のひと時を優雅に書店で過ごしているという。目の前にいる人間が手に取って開いているものは法の中で書かれた文字の集まりに過ぎない。でもそんな法の中で書かれた文字の集まりにも俺は趣を感じるものがある。それはこの世界で表現してしまったらつまらない大人どもに捕まってしまうであろう内容のものだ。わかりやすい言葉で言うと"殺人"や"犯罪"といったミステリーとでも言おうか。もちろんそれは現実で表現することを怯え、文字にして表現したというだけの芸術の紛い物に過ぎないがそれに一興することも少なくはない。そんな文字でしか自分の欲を表現できない人間の肩代わりを俺はする。

 自動で開く扉を掻い潜って、外よりも雑音が少ない店内に足を踏み入れた。今回描くアートは書店での殺人事件が舞台となっている小説を立ち読みしてる人を殺すこと。頭の中では完成した作品が思い浮かんでいた。小説というフィクションの世界の前でそれがノンフィクションとして描かれることが。きっとその話を書いた筆者も自分が書いた話と同じことが現実で起こったと喜ぶことだろう。

 魚の鱗のように机に並べられている新作の本や話題の本を見下しながら書店内を闊歩した。

 今回のアートのトリガーとなる本は事前に下調べをしておいた。二週間ほど前に出版されたばかりの小説だ。この小説の作者は今はそんなことはないが昔は本屋大賞を授与されたりなどかなり名が有名だったことを覚えている。そのおかげでファンは一定層いるがそれ以来本の売れ行きはよくないのが現状だ。風土病を題材とした話や狂気を満ちた世界観が多い彼の作品が俺は好きだ。だからこそ彼の作品を選んだ。当たり前だが小説を書く人は誰しもその世界観を現実で表したいと思っている。それができないから言葉で表しているまでだ。


 そんなことを考えていると並べられているその小説の前に着いていた。自分の膝程度の高さに並べられていたそれは明らかに書店側は推していないだろという感じの置き方であった。しかしそんな事実はどうでもよく防犯カメラの位置と本の場所を確認したため近くで他の小説を立ち読みするフリをしてこれから奏でるアートの引き立て役を待つことにした。

 一時間待って誰も来なかったら帰ろうと考えていたが、十分もしないで引き立て役となる人間が現れた。ポケットに忍び込ませた携帯用ナイフの柄の部分を握りいつでも殺せるように準備をした。


 タイミングが重要だ。今殺してしまったらあの防犯カメラに俺の顔が映ってしまいそうだ。一番ベストなタイミングはあの人間が本を閉じて向こう側もしくはこちら側に三歩進んだ時にやつの溝に向かってナイスを突き刺す。その時に出来るだけ奴の体に隠れて防犯カメラから俺の顔が見えないようにすることも重要となる。


その十六秒後、木ノ下書店で悲劇のアートが描かれた。


  *


午前11時30分


「綾部さん。一つ聞いてもいいですか?」

「おう。なんだ?」

「綾部さんがヤツという彼の犯罪歴をもう一度調べたんですけど、殺人は二回目でその前は落書きや迷惑行為といったものを繰り返していたそうですね。その時も自分が行ったことをアートと主張していたのですか?」

「そうだな」

「でも私はその時の事件に関わっていましたがそんなアートがどうだなんて知りませんでしたよ。マスコミやテレビもただの殺人事件くらいにしか報道してませんでしたし」

「その時は関係者と上層部で隠してたんだ。犯罪をアートというサイコパスが日本もしくはこの街にいると知ったらみんなパニックになると思ってな。一回目の殺人でヤツを捕まえることができたらただの殺人事件になるしな。でも二回目となると流石に上層部だけで隠すことはできなかった。だからお前にも写真が送られてきただろ。本当は俺たち関係者の中で留めておきたいがSNSの時代にそれは無理だろう。今頃各テレビ局に速報が入っている頃だろうな」

「そうだったんですね」


 その後数秒ほど沈黙が続いた。


「そういえば古谷。お前はヤツの現場は初めてか?」


 現場に向かっている車両の中で綾部さんは運転しながら聞いていた。


「そうですね。初めてです。なので少し緊張しています」

「そうか。でもお前はこれまでいくつかの殺人事件現場に出向いていただろ?それでもまだ緊張するのか?」

「たぶん殺人現場だから緊張しているのではなく彼の現場だから緊張しているのだと思います」

「彼の現場だからか。それはどうしてだ?今回の事件が誰の犯行であろうと殺人は殺人だ。お前がこれまで見てきた殺人と大差はないと思うが」


 ハンドルを握っている綾部さんを横目に見ながら答えることにした。


「なんというか、少し怖いんです」

「怖い?」


 綾部さんの強く聞いてくる態度も怖かったが今の考えを話してみることにした。


「私が怖いと思うのは殺人ではなくて彼の考えです。私も綾部さんと同じで法を犯すようなアートはアートではなく犯罪だと思います。でもそれってこの世の決定事項なのでしょうか?私たちは生まれながらにしてやっていいこととやってはダメなことを学んでそれを繰り返して大人になります。だからこそ表現の自由が謳われるこの世の中でさえも本当の表現の自由はないのではと考えたことがあります。人の家の壁に絵を描くことはアートなのか犯罪なのかって人にとって意見が別れますよね?そう考えると人を殺すことがアートか犯罪なのかを迷わずに犯罪としてしまうことも少しおかしいように思えてきて。でも私は警察官である以上人殺しは犯罪だと心の決めて生きていますが、彼のような考えが感覚的には理解できてしまうことが怖いです」


 綾部さんには怒られると思っていたが呆れたような顔で語ってきた。


「お前なあ、そんな難しく考える必要はないと思うぞ。アートはアート犯罪は犯罪。どんな表現方法であろうと法を犯してれば捕まるし、犯してなければ捕まらない。それまでの話だ」

「まあ言うなればそうなんですけどね…」

「まあ俺はお前と違って長いこと警察をしてきて色々な事件に触れてきたから、犯罪か犯罪じゃないかの二極化してしまう硬い頭になってしまったのかな。俺もお前くらいの歳ならそんな考えを抱いたのかな」

「私は綾部さんが羨ましいですよ。犯人に対して情を抱かないのが。市民を守る警察官として悪いことをする人はとっとと捕まえなければなりませんからね。情を抱くのはその後です。捕まえる前から情を抱いては警察官として失格なように感じます」


 警察署内にいるときの綾部さんは部長として厳格な感じだか、車両の中で二人だからかいつもより穏やかなように感じた。しかし雰囲気が違うだけで警察署内にいる時も今も変わらず彼を犯罪者として見ていて捕まえる気しかないようだ。私自身も綾部さんと考えていることはほとんど同じだが、捕まえる前に一度会って話をしたいと思った。それを綾部さんにいうと憚られるため叶わないであろうこの気持ちは心の中にしまっておくことにした。


「着いたぞ。古谷」


 彼について色々考えていると。木ノ下書店の前に着いていた。駐車場には規制線が貼られており救急車とパトカー、さらに警察の車両と思われるものが複数台並んでいた。


「結構騒がしいようですね」

「そりゃそうだろ。今やこの街だけでなくて日本までこの事件に注目しつつあるからな」

 綾部さんは乗っていた車両を先に着いていた警察官に指示された場所に止めた。

「綾部さんお久しぶりです。お待ちしておりました」


 車両から降りた私は短髪で整った髪型をしている女性検察官が綾部さんに話しかけているのが目に入った。


「久しぶりだな白井。元気そうでよかったよ」

「綾部こそ元気そうで何より」


 楽しそうに笑っている綾部さんはかなり珍しかった。綾部さんを笑顔にすることができるあの女性が誰なのか気になっていた時「古谷。お前も来い」と綾部さんに呼ばれた。


「こいつが俺の部下の古谷だ」

「古谷です」


 相手が誰なのか分からなかったがとりあえず綾部さんの知り合いということで挨拶はすることにした。


「君が噂の古谷君ね。噂って言っても綾部さんに聞いてたくらいだけど。どう?綾部は署内では怖いでしょ?」

「おい白井余計なことを聞くなよ」


 とても答えにくい質問に対し「いえ…」と濁した発言をした。


「あっ、言い忘れてた。私は綾部さんの大学時代の同期の白井すみれです。綾部に古谷君は若いのにしっかりしてるって聞いてるわ」

「ありがとうございます」


 裏で綾部さんに褒められていたという事実が嬉しかったが、綾部さんは少し恥ずかしそうにしていた。


「俺たちの話はそこら辺にして、中がどうなっているか教えてくれ」


 さっきまでの綾部さんからいつもの刑事としての綾部さんに戻った。


「被害者の女性は刺された後、搬送された救急車の中で死亡が確認されそう。今、中で検察官が証拠を調べているけど、未だに何も手掛かりとなる証拠が見つかってないのが現状」

「そうか。わかった。俺たちも中に入って調べよう。古谷行くぞ」


 そう言って綾部さんはズシズシと足音を鳴らすように現場の書店の中へと入っていった。私も綾部さんの後に続き歩幅の大きな綾部さんに合わせるために足早に歩いた。

 数時間前までお客さんで溢れていたであろうこの場所は今は警察やその関係者で溢れていた。



「ここが犯行現場か、血痕はまだ残っているって感じか」

「古谷体調が悪くなったらいつでも言ってくれ。こういうところは慣れないときついところがあるからな」

「わかりました。ありがとうございます」


 私はこの事件以外のも他の殺人事件などで悲惨な現場は見たことがあるため慣れてはいたがまだ少し気持ち悪さが湧いてしまう。しかし綾部さんの一言のおかげでだいぶ気持ちを落ち着かせることができた。

 それから綾部さんと私は捜査に取り掛かった。しかし被害者である女性はすでに死亡していて現場に残っていた物も署内で綾部さんに見せた紙切れ一つということから一向に進展はなかった。防犯カメラも確認したがやはりダメだった。彼の顔は女性の背中に隠れていて見えることはなった。


「今回もまた捕まえられないのか」


 綾部さんは怒りと諦めが入り混じっているような声をこぼした。


「書店内にいた他のお客さんは目撃していないんですかね?」

「俺も最初は誰かヤツを見た人がいると踏んだが甘かった。この映像を見てほしい」


 そう言って綾部さんはスマホ画面を見せてきた。


 それは被害者となる女性が殺される部分の一部始終だった。画面に映っていたのは被害者女性の首元付近に“何か“を刺してその後腹付近にナイフのようなものを刺して殺害するという映像ではあった。かなりショッキングな映像ではあったが今の私はそれを見ることができた。


「これが目撃の有無とどういう関係があるのですか?」

「声だよ」

「声ですか?」

「ああ。もしヤツが人の少ない瞬間に被害者女性を殺して他の人に見られなかったとしても被害者の悲鳴で誰かに気づかれると思ったんだ。でもこの映像を見て俺はよりヤツを恐ろしく思ったよ。ヤツは最初に腹ではなく声帯を狙ってアイスピックで刺しているんだ。最初に腹を狙って刺したら被害者女性はその痛みからきっと声が出ていただろう。そうなると周りの客に気づかれるからあえて声帯を突き刺すということをして、発見までの時間を遅らせそのうちにこの場を後にした。これで間違い無いだろう」

「なるほど。そうだとすれば目撃情報がないのも納得ですね」

「そうだろ」


 私は綾部さんの冷静な考察に納得した。でもしかし、疑問が一つだけ残った。


「でもなんでそこまでして人を殺そうとすんでしょうね。さっきも言った通りアートを主張したいのであればわざわざ人を殺さなくてもいいし…」

「お前またか、人を殺す奴に同情なんていらないんだよ」

「そうですよね」

「わかったら、今から署に帰って今日の事件の会議だ」

「了解です」


 私はそう言って先に歩き出した綾部さんの後ろに続こうとした。しかし綾部さんの「同情はいらない」という言葉が引っ掛かり、綾部さんの背中から視線を逸らした。その時私は被害者が殺された場所の近くに積まれていた小説に一枚の紙が挟まれていることに気がついた。


  *


午前10時50分


ハアハア…ウガェッ


 久しぶりに全力で走ったせいでかなり息切れをしていた。喉が痛く変な咳が出た。


ウーウォーウーウォー


 少し遠くからパトカーのサイレンが聞こえてきた。ある程度距離はあると思うがその音が頭の中で暴れ出して頭が痛くなった。距離はあるはずなのに音だけは近く聞こえて、恐怖が自分の目や手といった感覚器官を縛っているようだった。

 よかった。また今日も捕まらなかった。捕まるのはまだ早い。まだ自分自身が満足するようなアートは完成していない。自分が作品を飾った場所全てに『これがアートだ』という置き手紙を置いているというのに今だにテレビで放送されるのは「落書きがあった」「殺人事件が起きた」という表面的なことだけだ。やはり自分の存在がいかに社会にとって目障りなものなのかがわかる。

 重い足を引き摺るようにして家まで歩いた。家の中はいつも通り誰もいなかった。お腹は空いていなかったが時計の針が昼の十一時を回っているのを目にしてからだんだんとお腹が空いてきた。

 昼ごはんをとり終えた後は疲れていた体を休めるようにそのまま地面に横になった。


午後15時6分


 目が覚めた。体はまだ少しだるままだが、まあ仕方ない。重い体を起こそうと動かした足が床に落ちていたテレビのリモコンに当たって電源ボタンが押された。


「ダル…」


 その時映ったニュース番組から流れてきた“それ“は良くか悪くか俺が期待していたものだった。



『今朝〇〇県##市の木ノ下書店で殺人事件が起こりました。被害者の女性は搬送先の病院で死亡が確認されました。被害者の女性を殺害した犯人は未だ逃走中とのことです。現場に残されていた証拠品の中には“これはアートです“と書かれた紙と、“俺はレプリカ“と書かれた紙が残されていたそうです。警察庁は過去に起きた事件も同一犯の犯行の可能性が高いとしてレプリカと名乗る人物の身元の特定と殺害の動機について解明を急いでいます。』


「やっと全国ニュースで俺のアートについて言及してくれた…これでやっと…」

 そう一人で呟くと、テレビのナレーターとコメンテーターがそれについて喋り始めた。


『いやー…怖いですね。人殺しをアートと主張しているようですが、このレプリカと名乗る人物は何を考えているのか犯罪に詳しい〇〇大学の久保田教授に伺っていこうと思います。』


『過去に起こった事件と照らし合わせるとアートというのは建前で何かしらの社会的メッセージを表現しているのかと私は考えます。例えば…』


 リモコンの電源ボタンを押してテレビの明かりを消した。

 こいつらはただ俺が描いたアートに何かしらの理由があると決めつけて納得しようとする。人はわからないということに関して恐怖を抱くらしい。だから俺が人を殺したことに関して動機がわからない今、大人たちは恐怖を抱いていることだろう。勝手に理由をつけて恐怖を和らげたいというそんなところだろう。理由なんてないし恐怖なんかも抱かなくていい。人を殺すことに理由をつけるとするなら「ただ殺したかったから」それ以上の理由は理由じゃなくて衝動に近いものだと思う。

 絵画を描く画家が長い文字にできるほどの理由があってそれ描いているとは思わない。ただ有名になりたいお金を稼ぎたいほとんどがそんなところだろう。それを現代ではあーだこーだ言って絵画の解析分析、画家の生き様に照らし合わせ絵画に対して意味を見出している。創作物と創作者は別でなければならない。だからこそ本名でない名前を使用して自分という存在と照らし合わされることを防いでいるのではないか。アートや創作物というのは批判されてこそそれが成り立つ、だからこそ本名を使うと本来作品だけで止まるはずの批判が創作者まで届いてしまう。そうなると表現の自由が保障されているはずの創作が意味をなさなくなるだろう。


「そうだ」


 スマホを手に取って批判の宝庫“SNS“を開いた。


「やっぱりすごい量の批判だな。批判の嵐とはこのことだ」


 今日のことがテレビやネット記事で報道されてからたかが数時間しか経っていないがものすごい量の書き込みで溢れていた。一通り目を通したが肯定的なことを書き込んでいる人は数人しかいなかった。しかしそんな肯定的な意見の返信欄にはその人に対するあり得ないほどの罵倒や暴言で溢れていた。


「肯定も批判も自由でいんだけど、それを他の人に押し付けるのは良くないな…。まあ人間そんなもんだから仕方ないか…。とりあえず今回のアートは本当の意味でアートになった…。でもな…まだ足りない、まだ満たされない…」


 最初は人の家な壁に絵を書いたりで収まっていた欲望が次第に大きくなりその次は人の家の窓ガラスに向かって石を投げてガラスを割った。割れる音と割れたヒビ跡が美しかった。しかしなぜだろうか、俺的には大きなことを成し得ているような感じがしたが心は満たされた感じがしなかった。最初の悪戯とか迷惑に思われることをして批判されることで心が満たされていた。でも次第のもっと大きな批判が欲しくなって、初めて人を殺した。人にナイフを突き立てた時はすっきりというか快楽に近かった。相手の体から刃を抜いて、そこからドロドロが溢れ出すたびに俺の中の葛藤の紐が解けて、引っかかっていた気持ちのドロドロが体から抜けていくのがわかった。一回目に人を殺した時は人を殺して気持ちが満たされるのかを知りたかっただけだから適当に殺した。そこで人を殺したら気持ちが満たされることを知った。だから今日はよりアートに近づけようとして小説の内容と酷似させて殺した。この前殺した時よりも心が満たされた。でも何かがまだ足りないと感じてしまう。


   *


午後1時7分


 私が帰り際に見つけた紙には[俺はレプリカ]と書かれていた。

 署に戻った後の会議で今回の殺人事件が小説の内容と酷似されたものだということ、名前をレプリカとすることが正式に確定さた。



「俺はレプリカかふざけた名前をつけやがって」


 いつも通り散らかった机に座った綾部さんがそう言った。


「まさか証拠品が紙2枚だけだとは思いませんでした。あまりにも証拠品が少なすぎて書類送検しても受理されないと思います」

「ちくしょう…また何もできないのか…」


 机の上に置かれた拳は血が出そうほどに力が入っていた。


「今日の事件のこともあって今日、日本中にレプリカの名前と彼の悪行が知れ渡りました。次に事件が起こるときにはきっと捕まえられると思いますよ」

「『次は次は』って皆言うよ。次に事件が起これば犯人を捕まえられるって。それじゃあ次に被害に遭う人はまるで犯人を捕まえるための生贄みたいじゃないか。それも今回は特別だ。ヤツは人を絵の具のようにしか思っていない。そんなんで人を道具のように扱って殺された被害者遺族と道具のように扱われた被害者の魂はどこにいくんだよ…」


 私は何も声をかけることができなかった。一瞬でもレプリカに同情した自分を情けなく、さらに恐ろしいと感じた。




10月31日 午前8時30分



 それから事件が起こることなく一週間が過ぎた。

 いつもと同じように私は出勤した。しかしいつもより署内が慌ただしい様子があった。

 私はすぐに綾部さんの元に行った。

 いつも通り散らかった机に肘をつけ、両手を噛み合わせてその拳に顔をつけていた綾部さんがいた。


「綾部さん。何かあったんですか?」

「また殺された。今度は検察庁の人間だ」

「検察庁…結構私たちと近い人ですね」

 綾部さんはただ検察庁の人が殺されただけではないような空気を帯びていた。

「近いなんて話じゃない…殺されたのは検察官の山野和希で俺と白井と同じ大学出身の同期だ」


 私は何も言葉が出なかった。綾部さんはただでさえ次の被害者が道具のように殺されることに危機感や憎しみを抱いていたが、それが実際の起こった挙句、被害者が大学からの同期あった。 

 今の綾部さんの心の中が可視化されたような机の前に綾部さんの目は殺意と喪失感が重なっているように乾いて見えた。



午後7時30分



 結局山野和希を殺した犯人を捕まえることはできなかった。今回の事件にレプリカが関わっているかどうかはわからなかったが世間やSNSではレプリカの仕業だという意見が絶えなかった。スマホの画面をどれだけスクロールしても同じ話題しか浮いていなかった。


 急に通知が来てスマホが振動した。相手は白井さんからだった。


『今夜時間空いてたら二人で飲まない?綾部には内緒で』


 今まで飲みの誘いは綾部さんを介してしかなかった。山野さんのことがあったこのタイミングだからこそだいたい何についての話かは予想できた。了解の意思を送り、仕事終わりに少し離れた居酒屋で合うことにした。


  *


 最近はずっと家に篭っていた。それは人を殺すことに飽きたからか殺しても完璧に心が満たされなくなったからなのかはよくわからない。だから今日それを確かめようと思った。



  *



午後10時8分



「古谷君ー!ごめんお待たせ」


「いえいえ。全然待ってませんからお気になさらずに」


 10分ほどお店の前で待って白井さんと合流した。お腹は空いていなかったため飲み放題コースを選択して席についた。お店の中は平日の夜にも関わらず賑っていた。


「何か私に話したいことでもあったんですか?」


 私はストレートに話を切り込んだ。


「まあそんな大したことじゃないんだけどね…。あっ、そういえば綾部大丈夫そう?」

「今日はかなり落ち込んでいて周りも気をつかってなのか話しかけられている回数がいつもより少ないように感じました」

「そうよね」

「レプリカの事件の方はどんな感じ?」

「まだ手がかりが少なすぎて特に進展はないって感じですレプリカの事件に関して全力を注いでいた綾部さんも今はそれどころではない感じなので実質迷宮入りみたいなそんな感じです。今日亡くなった山野さんは白井さんと大学時代からの仲なんですよね?メンタルの方は大丈夫なんですか?」

「私は平気だよ。それよりも一つ聞きたいんだけど山野を殺した犯人って、そっち側では誰って予想になってるの?」


 白井さんはカクテルを口に注いでいた手を止めて聞いてきた。


「証拠がないので確定はできないのですが、レプリカで間違いないだろうって感じです。ネットやテレビでもレプリカの仕業だと言う声が絶えない感じです」


 私はありのままを伝えた。


 ハッハッハッハッハ


「やっぱバカだね」


 お通夜ムードだったはずの空気が一瞬で変わった。


「私だよ山野を殺したのは」


 そのシンプルな文言に脳は数秒で追いついた。


「今殺せばきっレプリカのせいになるだろうって思って殺したの。やっぱり正解だった」


 私は冷静であった。


「なんで…殺したんですか?」

「殺したのに理由はないよ。そもそも人を殺すことに理由なんてないでしょ。強いて言うなら殺したかったからかな?タイミング的にもベストだと思ったし」


 白井さんはそう言い放った。


「なんで殺したいって思ったんですか?」

「殺したかった理由?んー…難しいな…。シンプルに嫌いだったからかな?でも殺したいほど恨んでたこともないし、嫌いなところもなかった。綾部には悪いけど本当にただ殺したって感じ。好奇心じゃないけど一回人を殺してみたくて殺した。今殺せばレプリカのせいになるだろうって踏んで殺した。ただそれだけ」

「なんで…なんでそんなこと…。白井さんは検察官ですよ」

「違うよ。私は一人の人間だよ。人間っていう生物の体で生きている限り私が取る行動全てに理由をつけるのは愚問だと思うよ。検察官の名前なんて人の名前みたいに薄いものなのよ。あなたは『正しく生きる』『人を思いやる』みたいな意味が込められた人が人を殺した時に『なんでそんな名前をつけられたあなたが人を殺したの?』って言うの?」


 白井さんは残り少ないグラスに口をつけた。


「自首してください」

「あら、そうくるのね」

「今の話は録音させていただきました。これ以上あなたと話すことはないです。それでは」


 私は席を立って帰ろうとした。


「ああ、古谷君下見て」


 笑顔でそう言う白井さん。私は机の下に顔を下ろした。


「後ちょっと私に付き合って」


 白井さんの膝の上を見ると銃口がこちらを睨んでいた。


「なんで私にこのことを話したんですか?」

「なんでって君なら共感してくれると思ったから」

「共感?」


 白井さんはコンっとガラスを置いた。


「古谷君ってレプリカに共感してるんじゃないの?」


 これまで保っていた心の鎧にヒビが入るような感じがした。


「共感というか感覚の違いを理解できるだけです。共感なんてしていません」

「感覚の違いを理解できているだけであなたも私もレプリカも同類よ。同じ道の上にいる」

「私はあなたのように道を間違えるようなことはしません」

「あらっ失礼ね。綾部に言いつけるよ」


 アルコールが回っているのか少しゲラになっていた。

 私はアルコールをさほど摂取していなかったため冷静を貫いていた。

 白井さんの酔いもいい感じに回った頃飲み放題コース終わりの時間がきた。

 会計は白井さんが払ってくれて、私と白井さんは外に出た。



 時間も時間ということがありお店の外に人影はほとんどなかった。

 私と白井さんは歩いていた。


「古谷君今日はありがとね」


 銃口はバッグの中で隠れていたため見えなかったが、確実に私の体を間接的に縛っていた。心は昔と比べ強くなっていて冷静でいられるが、人間としての目の前の死に対する恐怖はあった。心だけ後ろに引っ張られているようだ。


「白井さんはこれからどうするんですか?」

「やっぱ他の人に伝えられても面倒だから君を殺すことにする」

 白井さんはバッグの中に手をかけた。


 私は覚悟した。


「ごめんね古谷君」


 しかし銃口を見ることなく白井さんは私の前から見えなくなった。


「ああ、やっぱり違うな」



  *



11月1日 午前0時2分


 ああ、知りたい。今の俺がまた人を殺すことでこの欲望を満たすことができるのかを知りたい。今回に至っては誰でもいい。

 窓から見える夜の景色のように黒く染まった欲望と中身の見えない欲望が俺の心臓を後ろに引っ張ってくれるような感じがして、引かれるがままに外に出た。

 いや、もしくはこの夜に隠れている欲望に心が惹かれたのかもしれない。でもそんなのどうでもよくて今はただ心に広がっている夜を明かしてみたかった。

 アイスピックを右手に持って走った。時間も時間ということもありあまり人がいなかった。


「いた」


 二人組のゆっくりと歩いている人を見つけた。

 近くに行って、怪しまれないために早歩きに変えた。

 右手のアイスピックに力を込め射程に入った瞬間頭めがけて振りかぶった。

 勢いが強かったのか頭は地面に叩きつけられた。



「ああ、やっぱり違うな」



午前0時14分



 目の前に起こっている事実は5秒という時間を経て自分の脳に届いた。白井さんは目の前の“誰か“よって殺された。


「?」


「ああ、人に見られた」


 目の前の人間の顔はフードで隠れて見えなかったが少し高い声だった。


「え?」


 目の前の人間は転がっている白井さんの頭部からアイスピックを抜き取った。泥沼から泥を掴み取る時のような音がした。

 逃げようとした。しかし目の前の人間がある人物と重なった。


「君は誰?なんで殺したの?」


「…?殺した理由?何それ?人を殺すことに理由なんてあるの?強いて言うなら殺したかったから。それ以上でも以下でもないよ」


 私は目の前にサイコパスがいるというのに逃げる気が起きなかった。


「私のことは殺さないの?」

「なんか違ったんだよね」

「違った?」

「今まで人を殺せば自分の欲とか表現したいこととか見たいものが見れると思ってたけど、やっぱ慣れって怖いね」

「『今まで』って君はこれまでに人を殺したことがあるの?」

「あるよ。二人?いや三人かな?まあそんなところ。まあ作品のための犠牲だからいちいち人数なんか覚えてなよ」


 作品?聞き覚えのある言葉だった。やはり間違いないようだ。それがこれまでのことと重なり「レプリカ」と口を滑らせるように呟いた。


「ああ、やっぱ知ってるよねその名前。そのレプリカっての俺のことだよ」


 そう言ってフードを被った人間の目はこちらを覗いた。

 その悲しさもあり乾いたような瞳は人を殺したことがあるような人の瞳ではないように感じた。


「やっぱり。少し勘づいてはいた」

「珍しいね。目の前で人が殺されて、俺がレプリカってことを知ってなお逃げないなんて」

「君に聞きたいことがあるんだ」

「聞きたいこと…?」

「どうか逃げないで欲しいんだけど私は警察なんだ」


 そう言いうとレプリカはまるで肉食動物に狙われた草食動物のように怯えた。


「なんで!なんで警察なの??警察なんかに話すことなんかない!お願い捕まえないで」


 数分前とは打って変わった態度だった。夜の街灯の灯りがレプリカの瞳の水滴に反射した。


「約束する。私はここで君を捕まえることはしない。だから少し話がしたい」


 落ち着きを取り戻したのかレプリカは逃げようとはしなかった。


「話ってなんなの?警察と長く居たくない」


「私は古谷っていって君のことに関わってきた。君は犯罪の現場に“これはアート“っていう紙を残してた。あれはどういう意味なの?」


「どういう意味ってそのままじゃん。これは人殺しじゃなくてアートって意味」


「君にとって絵を描くことと人を殺すことは同じアートなの?」


「考えたことなかったけどそう言われれば同じかも。古谷さんも小さい頃絵を描いて遊んでたと思うけど、ほとんどの人が自由帳とか紙に絵を描く中でそこからはみ出して床とか壁に絵を描いたらどうなると思う?」


「親に怒られるとか…?」


「そう。そしてその子どもは紙という枠の中でアートを描くことを学んで、紙という枠の中でのみアートを描くことが許される。じゃあもしそこで止めてくれる人がいなかったらどうなる?その子からすると紙という枠をはみ出して描くことも悪いことじゃなくてその子なりのアートになる。さらに止めてくれる人がいなかったら、どんどんエスカレートしていくよね。自分家の壁から人の家の壁、絵だけでは物足りなくなって色んなものを壊してみたり。でもその子からすると子ども頃紙に絵を描いてた時と同じくらいの感覚でしかない。ただ想像のままに創造するあの感覚。そうなってから今していることが犯罪って知った」


「『知った』って…。それは」


「そう。それが俺」


「今自分がやっていることが犯罪だと思ってるの?」


「もちろん。多分捕まれば一生牢屋かもね」


「なんで、やめようとはしないの?」


「…やめたら俺の生きる意味がなくなってしまうから…」


「生きる意味?」


「今俺がやっていることは存在証明でもあり、生きる理由でもある。昔から生きる理由も生きてる理由も探してた。この世界に俺の代わりはたくさんいるし、俺が死んでも社会は回る。そう知った時自分自身が気持ち悪くなった。俺自身が取る行動全ては誰かで補える。人を助けるとか救うとか誰でもできるでしょ?人を助ける人もきっと助けたって事実に浸って気持ちよくなってる。もともと持ってた誰かのためにって気持ちはずっとは続かない。どこかで自分のためにって自分軸になる。そういう人に限って人を助けたり救う理由に意味もないっていうんだよね。俺も同じ。人を殺すことに理由なんてない。前までアートのためにって思ってたけど、今は違う。人は呼吸をしないと生きていけないし、生きた先には必ず死がある。でも生きてる理由を呼吸しているから、生きる理由を最後には死ぬからっていう人はほとんどいない。俺にとってのアートも同じ。それがあるから生きてるんじゃなくて、生きてるからそれをしてる」


「“今は違う“って君の生きる目的はなんなの?」


「ただ美しいものも見たいだけだって、さっき気づいた。古谷さんは警察でしょ?これだけは伝えておく。俺が犯罪を犯したりすることに意味も理由もない。警察はそれを言語化して可視化するのが仕事でしょ?人が人を殺す理由とか犯罪を犯す理由なんて言葉にするのは簡単だけど言葉にするほど簡単でもない。俺は複雑かもしれないし単純かもしれない、自分自身もそれに気づいていないことの方が多いから」

「君の言うことはなんとなくわかることが多い。だからここでは君を捕まえることはしない。でも次に会うときは私一人じゃないからそうもいかない。だからどうか…逃げて、もうこんなんことはやめて欲しい」


「古谷さんって本当に警察官?まさか警察官に話を聞いてもらえるとは」


 そのとき白井さんとの会話が頭の中で蘇った。


ウォー


 遠くからパトカーの音がした。誰かが通報したのだろう。レプリカは深くフードを被って足早に去っていった。


 関係者には隣を歩いていた白井さんが急にレプリカに刺されたと伝えた。



午前7時10分


 朝早く仕事に行って、いち早く目に入ったのはやはり綾部さんであった。糸の切れた操り人形のように力が抜けているのがわかった。


「おはよう…ございます…」

「ああ、古谷か…」

「大丈夫ですか?」


 聞くまでもなく大丈夫ではないのがわかるが一応聞いてみた。


「まあなんとかな」

「古谷お前こそ大丈夫なのか?」

「私もなんとか大丈夫です」

「よかったよ…。山野に続いて白井まで死んだ。ヤツはもう死刑確定みたいなものだ。どんな手を使ってでも止めないと俺やお前、その他の人間にまで被害が及ぶ。現に今この地域では一人で外を出歩く者はほとんどいない。住民のほとんど警察に対して不信感を抱き始めている」


 私は「心構えはできています」と返した。


「隣で白井がやられたときヤツの顔は見えなかったのか?」

「いえ。フードを深く被っていて顔までは…」


 これは本当だ。


「そうか、何か言ってなかったか?」

「いえ」


 これは嘘だ。


「そうだよな。隣に居たんだ。急なことで覚えてないのも当然だし、思い出したくなかったかもしれないな。ごめんな」



 綾部さんんとの会話の後に私は屋上に行き、一人になった。

 レプリカは美しいものを見たいと言っていた。美しいもの…。私は考えた。

 “古谷君ってレプリカに共感してるんじゃないの?“再び私の頭の中で白井さんの言葉が繰り返された。 



  *



 俺はずっと考えていた。美しいものとは何なのかを。今までずっと何が見たかったのかを。

 久しぶりに窓を開けてみた。

 勝手に入ってきた風で部屋に散らばっていたクシャクシャに折り目のつけられた紙がカサカサと音を立てて動き出した。

 そのほとんどが今となってはどうでもいいような作品ばかりだった。静けさが好きな俺にとってこれらは目障りであった。一枚一枚腰を下ろすようにして拾い始めた。

 一枚一枚見ていると懐かしいものばかりで過去の記憶が思い出されてくる。


「懐かしい…」


 その中でもこのライターの絵が俺の目を奪った。昔、母親が煙草を吸う時にライターから炎を出す仕草とそこから出てくる炎が綺麗でよく近くで見せてもらっていた。この絵はその時の描いたものだ。真っ赤に塗られた炎がそこにはあった。そしてその絵を描いた数日後、煙草の不始末により家が燃えた。その事実だけは頭に残っているが危機的な状況下だったため情景までは覚えていなかった。しかし情景を覚えていなかったおかげで炎に対して恐怖心を抱くことはなかった。だからこそこの絵が美しいと今でも感じてしまう。美しい…?



  *



午後5時14分


 今日の仕事をやり終えた私は再び屋上へと向かった。他の人たちも仕事終わりで数人が風に当たりながら談笑していた。 

 室内で考えるよりも風に当たりながら考える方が記憶が整理されやすいと感じまたここに来た。未だに“美しいもの“についてはわからないままで、レプリカの思いにあと少しで追いつきそうな現状が続いていた。

 柵に肩をかけて空を見ていると、近くからカチッという音が聞こえた。振り向くと談笑していた一人がライターに小さな炎を灯し、それを煙草につけて吸い始めた。昔から思っていたが

煙草を箱から取り出し、吸い始めるまでの動作はとてもかっこいい。それに憧れて大学時代に煙草を吸い始めたが、思ったよりもスムーズに吸い始めることが出来なかったのと当時付き合っていた彼女に止めるよう促されたこともあって今はもう吸っていない。しかしいつ見てもあの動作は美しいと感じる。特にカチッとライターに小さな炎を灯す動作が私は好きだ。いつ見ても美しい。美しい…?


  *


 台所に立ちガスの接続部分を緩めてつまみを回した。風船の空気が抜けるような音がした。

 右手にライターを持ちカチッと音を立てて炎を灯した。


「綺麗…」


 顔の前に持ってきた小さな炎は小さいながらもとても熱く、ここに存在しているということを俺に伝えているようだった。


「やっと…」


 そう呟いて、右手に持っていたそれをそっと落とした。


  *


 私は急いで綾部さんの元に向かった。きっとレプリカは次は放火を狙ってくると憶測を伝えようとした。しかしそれは叶わなかった。

「古谷!火災が起きた!またレプリカが関わっている可能性が高い。急いで向かうぞ」


  *


 大きな爆発音を立てて勢いよく炎が湧き出した。その炎はまるで生きているかのようにどんどん湧いてきて、季節は寒い冬のはずなのに熱帯にいるかのような暑さであった。

 俺はこの炎が家を覆い尽くすのを見たかったため台所の反対側にある窓から外に出た。いつもは暗闇しか写さない窓が今は真っ赤に染まっている。

 その炎は数秒もしないうちに家の八割を覆い尽くした。


「なんて美しいんだ…」


 その時ガス管に点火したのだろうかとても大きな爆発音がしてついに家そのものが炎と化した。

 俺はその炎の美しさに惹かれていた。


 *


 現場に着いてパトカーから降りた私の前にあったものは大きな人だかりとそれよりも大きな炎であった。

 火種となるものが発生してここまで炎が大きくなるまでそれほど時間が経っていないのを規制線が張られていないのと消防車が到着していない現状が物語っていた。

 消防車のサイレンが響き渡る中で炎の近くに人がいるのが見えた。見覚えのあるフードに見覚えのある身長であった。


「レプリカだ」

「お前それはほんとか?」


 私は綾部さんに何も告げずにレプリカの元に向かった。


「早く逃げて!」


 私はそう言った。

 こちらを向いた瞳はあの時と同じものだった。


  *


「早く逃げて!」


 声がした方を振り返った。


「古谷さん…」


 目の前には息を切らしている古谷さんの姿があった。


「ここは危ない。炎も迫ってくるし警察もたくさん来る。だから、」

「古谷さん」


 俺は古谷さんの声を遮った。


「俺わかったんです。初めからこれが見たかったんだと。これが美しいものだと。さっきガス管に火が点火してそれが爆発しました。そしたらこんなにも炎が上がった。やっぱり芸術は爆発なんですね」


 炎の周りには何台ものパトカーが並んでいた。もう十分だと思った。死ぬまでに見たかった美しいものをこんなに早く見れたのだから。


 俺は目の前の炎に惹かれていた。一歩、また一歩と炎に引かれるように歩みを進めた。


  *


 レプリカは徐々に炎の方へと進み始めた。


「待って」


 私はその腕を強く掴んだ。


「離して」

「危ないから逃げ」

「もういいから!」


 これまでで一番大きな声だった。


「周り見てよ。こんなに人とか警察官がいてどう逃げろっていうの?どうせ捕まったら一生牢屋だよ。社会にとって不必要な俺は排除されることしか選択肢が残されていないんでしょ?ならせめて自分の人生の最後は自分で決めさせてよ。作品を描いてきた人生だから最後は俺自身が作品となって終わらせたい」


 さっきよりも強くなった力がレプリカの強い意志を表しているようだった。決断した人の力とはこれほどのものなのかと言わんばかりの力であった。私も徐々に炎の方に引かれているようだった。どんどん熱さが体に伝わってきた。

 必死に抵抗した私だがそんな抵抗も響き渡った銃声で終わりを告げた。



午後6時00分


 私が必死に引き戻していたレプリカの力は銃声と共に糸が切れた人形のように抜けて、そのまま地面に倒れた。

 銃声が聞こえた方を見ると拳銃を構えた綾部さんが立っていた。銃口からは薄い煙が上がっていた。


11月2日 午後3時15分


 数時間前、現場に残された証拠品や過去の事件のカメラ映像や過去の証拠品の緻密な検査から綾部さんが発砲した人物がレプリカ本人だと確定された。

 その後、綾部さんはレプリカが私を道連れにするように炎の中に引っ張っているのを止めたとして正当防衛扱いとなった。

 世間はレプリカの恐怖が消えたと歓喜が湧き、レプリカから私を救ったことになった綾部さんはスターのような扱いになっていた。

 本当は違う。事実を知っているのは私と彼女だけだ。

 自分のため他の人のために人を殺す。綾部さんはそういうことをした。私という人間のためにレプリカという人間を殺したわけだ。自分のために人を殺したレプリカとの違いは何なんか。

 正義と悪?いや正義も悪も一人称から見た主観だから多分違うだろう。

 世間とずれている感覚…。

 この違和感を誰も傷つけることなく表現したと思った。

 


数ヶ月後


「できた」


 私は仕事と並行しながらある作品を書きあげた。この世では犯罪となってしまうことをアートと主張して世間から認められないある芸術家の話を。私が死んだ後でも誰かがこの話を読んでレプリカについて考えてほしいと思い、私が体験してきたことをここに書き残しておくことにした。

 ペンネームは彼女の名前から“レプリカ“。作品名は本物でも偽物でもないアートという意味を込めて“レプリカの芸術“とした。


レプリカ:霜月藍華(14)(しもつきあいか)


 最後に私はレプリカの芸術家としての名前ではなく、人としての名前を書いてパソコンを閉じた。


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小説 レプリカの芸術〜犯罪という名のアートについて〜 紅野レプリカ @kurenorepulika

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