第42話 キサラギ登場~エピローグ

「――ッ!」

 

 キサラギだった。

 いつもの半透明の姿で、境内のほうから、ゆったりと歩み寄ってくる。

 反射的に身を固くした。


(よォ)


 不敵に笑みながら、いつもの挨拶をしてくる。


「な……何か用?」

(ご挨拶じゃねェか。人間の時間軸に照らしゃ、決して短い付き合いじゃなかったはずだぜ)


 キサラギはなおも歩みを進め、井戸の横に立つ。青っぽい結界に覆われた井戸を、冷然と見下ろした。


(応急処置だと……あのババア、不毛な真似しやがって)


 口をゆがめて言うなり、いきなり無雑作に井戸を蹴飛ばした。

 結界が高い音を立てて弾ける。細かい粒子みたいになって吹き飛び、――消えた。


 ヴオオォオオオォオォ―――――― 


 地獄の底のうめきのような声を上げて、さっきまで僕たちを脅かしていた紫色の霧みたいなやつがものすごい勢いで湧き上がってくる。

 同じようにのたうつ蛇のように激しくうごめき、高く昇り、そして、一気に降りてきた。


「キサラギッ――おまえッッ!」


 めったに上げないような怒声を上げていた。

 キサラギは笑っている。そのキサラギの横で、紫色の霧が集束し、形を備えていく。

 法衣をまとった、人の姿だ。はっきりしない顔の中で、眼球はなく、黒い空洞になっていた。片手に、紫色の炎のようなものをまとった刀を握っている。


(つ……土塊……伴内だ……)


 横で透子さんが顔をこわばらせている。


(よォ、悪霊)


 キサラギが半笑いで言う。

 土塊伴内が、野太い咆哮を上げた。まるで獣のような声だ。


(いちおうは人みてェな姿をしていながら、微塵も知性ってやつを感じさせねェな。悪霊もあんまり長くやってるとこうなっちまうのかねェ……ハハッ、哀れなもんだ)


 土塊伴内はさらに雄叫びを上げ、刀を振った。

 刀はすぐ横に立つキサラギを断った――

 かと思ったが、その体にふれる寸前で、まるで蒸発したように刀身部分が消えた。


(悪霊の分際で神を斬れるとでも思ったのか)


 その手のひらを、土塊伴内に向ける。

 エネルギー波――としか思えないものが、放たれた。

 それは土塊伴内の胴体を撃ち抜き、吹っ飛ばす。

 宙を舞いながら、土塊伴内が煙のようになって消えていった。


 静けさが戻る。


(ふん)


 得意げにするでもなく、キサラギが冷めた面持ちで鼻を鳴らす。

 わけがわからない。

 透子さんも、まさしく僕の心情をそのまま反映しているかのような顔をしている。


(……何だ、そのツラは)

「い、いや……何、今の……」

(キサラギ波だ。おまえには前に一度、伝えていたはずだがな)


 キサラギ波――その陳腐な名前には確かに聞き覚えはあった。異能なら他にもある、キサラギ波というビームを手のひらから出せる――のだと、彼は確かに言っていた。


 冗談じゃなかったのかよ。

 ……いや、冗談を言うような奴じゃないっていうのは、それはまあ、わかっていたけれど。


「意味……わかんないんだけど。なんで、こんなことを」

(蒙昧なおまえに敢えてわかりやすく言やあ、これは敗北宣言だ。少なくとも現状、おまえをいざなうことはできねェ。そう判断した)

(だからって、土塊伴内を殺すとか……やっぱり意味わからないけど)


 透子さんが言う。同感だった。


(御神木をもう一本燃やしたことで、土塊伴内の力がどれだけ戻るか様子を見てたんだ。二日で結論は出た。ババアの結界が消えりゃ、奴は人間どもを直接手がけるようになる)

「え……人のために、ってこと?」

(言うんじゃねえかと思ってたことをほんとうにぬかしやがったな。んなわけねェだろう。人間どもを死にいざなうのが死神の仕事だ。悪霊なんざに仕事を奪われるのは困るんだよ。案件が減りゃあ営業成績も振るわねえし、査定に響くからな)


 案件だの営業成績だの査定だのって。


(今のおまえからは生のにおいがぷんぷんしてくさくて敵わねえ。このまま消えさせてもらうぜ。といっても、死にたくなりゃまたいつでも現れてやるがな)

「それなら、もう二度と会うことはなさそうだね」

(ふん、どうかな。人生何があるかわからねェ。何がきっかけになるかも、わかりゃしねさ)


 それは確かにそうだな、と思う。

 キサラギが踵を返す。境内のほうへ引き返しかけ、――その足を、ぴたと止めた。


(そうそう……おまえにくれてやった拳銃だが、縁側の下にでも置いといてくれりゃ、あとで現世の姿になって警察に返しといてやるよ。おまえがやると、それはそれで面倒だろう)

「へえ……きみが気を遣ってくれるとは思わなかった」

(おまえに敗北したのが癪でならねェ。一つぐらい借りを作っとかねえとよ)


 憎々しげにそうとだけ言い残して去って行く。


 自分で勝手に持ってきて、なかば一方的に押し付けてきたものを返すことを「借り」だなんて言われても、と呆れずにはいられない。


               〇○○


 仄杜町での僕と透子さんの物語は、とりあえずこれで幕を閉じることになる。

 土塊伴内の悪霊が死んで(?)、霊磁場がなくなって、これで透子さんは地縛霊として現世に繋ぎ止められることはなくなった。神薙清見が言ったように、ふつうの霊魂の例に倣い、四十九日を迎えれば彼女は成仏し、僕の前からはいなくなってしまうのだろう。

 考えると胸が締め付けられるほど苦しいが、逃れられようのないものは受け入れるしかない。

 僕にできることと言えば、このあとの透子さんとの、限られた、とても短い時間を、悔いのないように過ごすことぐらいだ。

 生きている人とちがって、いつ訪れるか知れない別れではないから、悔いのないようにするという目的自体は、達しやすいと言えるかもしれない。


 何日目だかに、僕がかつて小説家になる夢を持っていたという話をしたら、透子さんらしく感情表現豊かに感心してくれてから、また書いてみたらいいじゃない、と言われた。

 だから、書こうと思った。なぜなら、ここでもし書かなかったら、透子さんがいなくなったあと、僕はまちがいなく後悔すると思ったから。


「でも、いきなり完全な創作は厳しいな……あの、透子さん……透子さんのこと、書いちゃだめですかね? 俺が引っ越してきてから、ここで過ごした日々のこと……」


 だめなわけないじゃない、と透子さんは、そう笑って言った。私のことは美人で可愛く描いてね、と言うから、デフォルトでそのままですよ、と返したらわかりやすく照れた。

 そんなところがたまらなく可愛い。没年二十三歳の姿でも、実年齢は三十ほにゃらら歳なのではあるけれど。


 タイトルをどうしようかずっと考えていて、ある日の晩、思い付いたものを伝えてみた。


「ゴーストタウンで会いましょう――っての……どうですかね」


 いいじゃない、と透子さんが言って、即決した。

 なんだか書けるような気がした。

                                    了

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ゴーストタウンで会いましょう 左右 @jun1374

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