うっすら信心するヒト
古 散太
うっすら信心するヒト
信じているかどうかはヒトそれぞれ。自分の内側でそう考えている、という分には何も問題はない。だがそれを行動や言葉にして自分の外側に表現してしまうと、時に問題になってしまうことがある。
例を挙げるなら、宗教の勧誘などがわかりやすいかも知れない。個人的なポリシーや信念の押し付けだ。
本来、宗教とは他人と分かち合うものではない。自らの魂を磨くとか、自分を知るとか、どこまでも個人的なものであり、他人をどうこうするためのものではない。
宗教によりいろいろ違うことはあるが、どの宗教でも修行というものがある。海外の宗教などでは規律や戒律を守るという形で修行がある。そういったことは他人と分かち合えるものではない。あくまでも自分の成長のためにすることであり、自分が得た体験を他人に譲ることや強制することはできない。そういった点からも、他人をどうこすることはできないことはわかるだろう。「助けてほしい」と言われてから動くのが宗教であるはずだ。
しかし実際には、自分を成長させていない、魂もほとんど磨けていないヒトが、宗教の勧誘をしている。つまり自分がした体験を他人に譲ろうと、あるいは強制しようとしているのだ。
なぜぼくがそう考えるのかと言えば、ワンネスや悟りといった体験をしたことがあるヒトならわかってもらえると思うが、基本的には本質的な自分がいったい何者なのかということをわかることができる。それだけだからだ。
他人を成長させたり、他人の魂を磨いたりすることはできないとわかっている。できることと言えば、自分の体験談を語ることぐらいで、それも自分と他人では体験することが違うので、本当に参考程度にしかならない。
それがわかっていないヒトたちは、この宗教に入ればこんな良いことがある、と誘うのかもしれないが、やはりそれはそのヒトだけの体験であり、勧誘されたヒトが同じ体験をすることはない。本当に体験しているのか怪しいヒトもいるだろう。
人生の旅はすべてのヒトが違う道を行く。まったく同じ人生のヒトなどどこにも存在しない。これがわかっているだけでも、勧誘する意味も理由もないことがわかる。
宗教で示される道は参考ルートであって、多くのヒトにとって正解にはなり得ないだろう。正解は神や仏ではなく、自分がいちばんよくわかっているはずだ。
その「自分が何をわかっているのか」、それを知るために、宗教や宗教的な修行などがあるだけなのだ。
世の中には、心霊現象や魂の存在は信じていないのに、天国や地獄などの死後の世界、また運や運命、前世や来世、カルマなどを語るヒトがいる。
一般的によく言われる、「心はどこにあるか」という問題も含めて、これらはすべて魂の話であり、魂の存在を無視して語れるものではない。
魂がどんなものか、それはわかるヒトにしかわからないのかも知れないが、物事や話の前提として、魂は存在するという土台がなければ、目に見えない存在や世界の話はできない。
魂の存在は認めないけど、幽霊は恐いというヒトは、自分が矛盾した考えであることに気づいていない。魂の存在は認めていないが、死後は天国に行きたい、というのも同様である。目に見えない世界や存在は信じられないけど、お墓参りに行くというのも矛盾している。
これらの場合、「魂は存在している」と決めてしまえば、すべての矛盾が矛盾ではなくなる。思考の土台である部分が、自分の中で定まっていないからこそ、肉眼で見えない部分に対して不安定になってしまう。一+一が二であることが決まっていなければ、すべての計算が出来なくなるのと同じことだ。
ヒトの本質は案外シンプルなもので、好きなものは好き、嫌いなものは嫌いという判断が、おそらく一番根っこの部分だ。ただ、周囲の視線やしがらみなどによって、自分が感じていること、感じたことをはっきり言えない環境があるだけだ。
心では信じている、しかし常識という目に見えないモノサシでがんじがらめになった思考では、それを受け入れることはできない、という状態なのだろう。
ヒトが公的な機関で学んできたことは、けっしてムダではないし、間違っているわけでもない。ただ、それは目に見えるモノ、言葉を変えればこの世の事象に対して有効である、という話だ。その学びだけで、肉眼で見ることのできない人生や愛、心や魂、心霊現象などを知ることはできない。
いわゆるスピリチュアルと呼ばれるジャンルでも言えることだが、中途半端に信じようとしたり、依存したりすると、この世的に生きていくよりも大変になる。うっすらとした信心は生きかたの根っこが不安定になり、どっちつかずの状態になってしまうので、この世的=常識的に生きていくより、不安や恐れが多くなってしまう。
目に見えない世界の話を参考にするのは、より良い人生のためには有効だが、中途半端に信じるぐらいなら、うかつに足を踏み入れないほうが、幸せではないかもしれないが楽に生きられるはずだ。
目に見えない存在や世界をあるものと信じる覚悟をして、自分を信じて生きていけたなら、土台のしっかりした、不安の少ない人生を体験することができるだろう。
うっすら信心するヒト 古 散太 @santafull
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